婚約破棄されたので、辺境で「魔力回復カフェ」はじめます〜冷徹な辺境伯様ともふもふ聖獣が、私の絶品ご飯に夢中なようです〜

咲月ねむと

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第5話 開店! 看板犬と醤油の香りの誘惑作戦

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 そして迎えた、カフェ『陽だまり亭』オープンの日。

 私は夜明け前から厨房に立っていた。

 今日のメイン食材は、昨日市場でハンスが見つけてきてくれた『オークのバラ肉』だ。
 魔物肉と聞いて最初は少し怯んだけれど、見てみると脂身と赤身のバランスが絶妙で、こちらの世界の豚肉よりも旨味が強そうだった。

 これを昨日の冒険者たちを見返すための「武器」にする。

「よし、下茹では完璧ね」

 たっぷりの湯で一度茹でこぼし、余分な脂を落とした肉は、プルプルと揺れている。

 それを一口大の角切りにして、再び鍋へ。

 ここからが魔法の時間だ。
 投入するのは、生姜、砂糖、お酒、そして――私の隠し財産である『醤油』だ。
 実は嫁入り道具の中にこっそり忍ばせておいたのだ。これがないと私の料理人生は終わってしまうから。

 鍋を火にかける。

 コトコト、コトコト。

 厨房に穏やかで幸せな音が響く。

『クゥ~ン……』

 足元でルルが私のエプロンを引っ張った。
 見下ろすと、口の端からよだれが垂れている。

「だめよルル。これはまだ『待て』の時間。味が染み込むまでじっくり煮込まないと」

『ワンッ!』

「ふふ、ルルは食いしん坊ね」

 鍋の中の煮汁が煮詰まり、照りが出てくる。
 醤油と砂糖が焦げる甘辛い香りが、湯気となって厨房からホールへ、そして窓の隙間から外へと漏れ出していく。
 日本人なら抗えない、あの暴力的なまでに食欲をそそる匂いだ。

「レティシア様……この香りは、一体……?」

 ホールで給仕の準備をしていたマーサが夢遊病者のようにふらふらと厨房を覗きに来た。

「これはね、疲れた男の人たちを一撃で虜にする魔法の香りよ」

 私は鍋の蓋を開けた。
 もわり、と上がる白い湯気の向こうに、飴色に輝く角煮が鎮座している。
 箸で突けば崩れそうなほど柔らかい。

「さあ、開店の時間よ!」

 私は店の表へ出て、手描きの看板を掲げた。

『陽だまり亭 オープン~本日のおすすめ:特製とろとろ角煮丼~』

 しかし――。

 一時間経過。お客様、ゼロ。

「……やっぱり、そう簡単にはいかないか」

 店の前を通る人はいるのだ。
 でも、みんな遠巻きにこちらを見て、

「元公爵令嬢の店だろ?」

「高いんじゃないか?」

「どうせ冷やかしだ」

 ヒソヒソ話して通り過ぎていく。

 昨日のギルドでの一件が噂になっているらしい。

 ルルが心配そうに私の足元で丸くなった。
 マーサも不安げにオロオロしている。

 でも、私は慌てない。
 鍋を温め直し、わざと厨房の換気窓を全開にした。うちわでパタパタと香りを外へ送り出す。

 ――いけっ、醤油の香り! 
 空腹の冒険者たちの鼻腔を直撃なさい!

 すると、数分後。
 店の前を行き交う人々の足がピタリと止まり始めた。
 鼻をクンクンと動かし、発生源を探している。

「な、なんだこの匂いは……?」

「甘くてしょっぱくて……腹の底が鳴るような……」

 効果はてきめんだ。
 ついに店の扉がガタンと乱暴に開かれた。

「おい! この反則みてぇな匂いはここか!」

 入ってきたのは、昨日ギルドで私を「おままごと」と笑った、あの大柄な斧使いの冒険者だった。眉間にシワを寄せているが、その視線は厨房の方へ釘付けになっている。

「いらっしゃいませ」

 私は満面の笑みで彼を迎えた。

「お腹、空いていらっしゃいますか?」
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