灰の傭兵と光の園~人型巨大兵器が灰の戦場を駆ける。守ったのは誰だ。生き残ったのは誰だ。

青羽イオ

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第二章 守る者たち

第9話 杭になる

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 ヒロの指示は、無駄がなく、短く、はっきりしていた。
 迷いと呼べるものは、戦場に出る前に全部置いてきた——そんな声だった。

 その合図とともに、VOLKの6機が白帯の境界線付近で一斉に展開する。
 前に出たストレイ・カスタムとヒロ機が刃で脚を払う。
 左右ではブル・ロアーと、ガンモの重盾が開いた面を砲火と盾で押さえる。

 高所のレイヴン・アイが頭を出し、上から全体を見下ろす。
 背後ではポチのドローンが地形と帯域をなぞり、隊列の薄くなりそうな場所を先回りでマーキングしていった。

 黒い波は切られ、刻まれ、面ごと削がれていく。
 白帯へ向かう厚みは、目に見えて減っていた。

 頭上では、グレイランスの砲列が灰霧の向こうめがけて砲撃を続けている。
 発射のたびに細い火線が走り、着弾の閃光が一瞬だけ遠くの灰を白く照らした。

 だが、砕けた甲殻と砂煙の陰を縫うように、低く這う影がひとつ、白い道の方角へと滑り出す。

〈ノルン〉『抜け個体、接近。距離40→30』

 火の壁がわずかに裂け、その隙間をすり抜けるように、キーテラが爆煙の下を走った。
 狙いは、子ども区画の方向だ。

『俺が取る』

 避難民には触れさせない。ここで止める。
 ヒロは心の中で、ただそれだけを決めた。

 VOLK-6が、子ども区画と敵のあいだに割り込む。
 二度、小刻みに踏み込む。砂が弾け、足もとに青白いアークが走る。

 膝から落とした重みが地面に叩きつけられ、12メートルの巨体は白帯の前に打ち込まれた一本の杭のように動きを止めた。

 キーテラが正面から一直線に突っ込んでくる。

 突きは肩で受け流す。ヴァルケン・ストームの前腕が開く。
 トンファーが伸び、棍の縁に青白い火が走った。

 斜め、横、もう一発。
 角度を変えながら、間髪入れず打ち込む。

 当たるたび火花が散り、継ぎ目の内側に細い電気の筋が走る。
 敵の輪郭がぶれ、関節のランプが点滅する。足もとがふらつき、体の芯が固まった。

 チャージ。
 
 腕部パイルバンカーが低くうなり、芯棒が射出位置までせり上がる。
 間合いを詰め、芯棒を頸の隙へ押し当て、そのまま一気に突き立てた。

 内側で光がはじけ、胸から肩まで動きが止まった。

「ここで終わりだ」

 上からたたき落とす。
 トンファーの先端が沈み、頭部装甲が内側へ押しつぶされる。黒い焦げ線が一筋走り、巨体は膝から崩れた。

 砂がふっと舞い、すぐに落ち着く。

〈LG〉『抜け個体、沈黙。白帯安定』

 ビーコンの短い光跡が消え、わずかな静寂が場を満たす。

 ヒロは機体を子ども区画の方へ向け直し、前面のビーコンを二度、短く点滅させた。

 ——音は出さない。ただ「見ている」とだけ伝える、簡潔な合図。

 その窓の向こうに、どんな顔が押しつけられているのかまでは見えない。
 それでも、あのガラスの向こうに小さな心臓が並んでいることだけは知っている。

 右手の二本指でヘッドセットの縁を軽く弾き、額の上へ押し上げる。
 それがVOLK式の挨拶だ。

 線の内側——小さく脈打つ心臓たちに向けた、「ここにいる」という印。

 外から見れば、意味は分からない。
 だからこそ、ヒロは右腕を下ろし、武装を収める。

 そして、わずかに上体を傾けた。

 脅威を感じさせない高さで立ち、刃の影を落とさない。
 敵意はない。ただ、見守っている。

 そう伝えるための、慎重で静かな動きだった。

 そのガラスの内側で、サキは窓に押しつけていた指をそっと離し、震える自分の手を見て少しだけ笑う。
 さっきまで膝の力が抜けそうだったことに、そこでようやく気づく。

 曇ったパネルを袖で拭うと、VOLK-6の影がすぐそこにあった。

 目が合った——気がした。

 胸の奥で固まっていた何かが、わずかにほどける。

 サキはぎこちなく頷き、胸の前で片手をぎゅっと握る。
 返礼のつもりで。

 外のヒロは、わずかに顎を引いた。

『任務は一つ。白帯を守れ。……続行』
 
 短い号令が回線に走り、機体はまた火の影へ戻っていく。

グレイランスブリッジの戦況表示でも、敵影を示す赤い点が目に見えて減っていた。

 戦闘の終わりは、もうすぐそこだった。

 最後の大型個体は、リュウの狙撃で脚を砕かれ、ゴーシュの炎に包まれ、ガンモの盾で押し潰され、アキヒトの刃で胴を断たれる。

 動きを止め、静かに沈黙するその姿を見届けて、ヒロの声が短く響いた。

「周囲クリア……全機、白帯を守って帰投する」

 爆炎が荒野を照らし、影が伸びる。
 やがて砲声も途切れ、静けさが戻った。

 灰霧の向こうに、敵影はもうない。

 各機は装甲に焦げ跡を残し、腕や脚の外装は剥げ落ち、ブースターは唸りを上げながらも、力なく燻っていた。
 通信には雑音が混じり、弾薬残量の警告が赤く点滅する。

 それでも、白帯は守られていた。

 やがてRFたちがグレイランスの甲板へ戻り始めるころ、格納庫のざわめきも少しずつ静まっていく。
 子どもの泣き声も、サキの落ち着いた声に合わせるように、やがて細くかすれた嗚咽へと変わっていった。

 *

 食堂は、帰艦直後の緊張が嘘みたいに明るかった。
 温かいスープの匂いが、焦げと油のにおいをやわらげていく。

「立ち話は終わり! 座って、まずは特製スープだよ!」

 割烹着のはるゑがお玉をカンと鳴らし、ざわめきがほどけた。

 ヒロは椀を受け取り、一口すすって目を細める。

「……染みる」

「そりゃそうさ。生きて帰った舌には、一番のごちそうだよ」

 はるゑが、大鍋から温かい料理をすくい上げ、トレイに並んだ皿へ次々と盛り付けていく。

 ココロは、ゴーシュの隣に腰を下ろした。

「ここ、いい?」

「いいさ。ただし、半分こだ」

 パンがちぎられ、焼きたての匂いが卓の上にふわりと広がる。

 向かいの列で、スプーンを両手で握ったままの男の子が、ちらちらと大人たちのほうを見ていた。

「さっきの、いちばん前のロボット」

 スープの向こうで、小さな声が上がる。

「ずうっと、どかなかった! すごかった」

 言いながら、胸の前で両腕をぐっと広げた。
 重い盾を構えた形だと、誰の目にも分かる。

 卓の空気が一瞬止まり、すぐにゆるむ。

 サキがふっと目元を緩め、ココロが肩を揺らして笑った。

 ヒロは手を止めたまま何か言いかけて、胸の奥がうるさくなる前に目線だけそらす。

「そりゃ、どかないさ。任務だからな」

 ヒロはわざとぶっきらぼうに言ったつもりだったが、その声には、わずかに照れがにじんでいた。

 子どもたちはぽかんとしながらも、どこか安心したようにうなずき、またスプーンを持ち直す。

 その隣の女の子も、うなずきながら言葉を足した。

「灰、ばーってなってたのに……あそこで止まっててくれた」

 ほかの子どもたちも、それぞれにうなずき合う。

「細いのが、びゅって飛んでったやつも」
「いちばんうしろのロボットも、ちゃんとついてきてた」

 あちこちからあがる声は、どれも拙くて、でも真剣だった。

 サキは微笑みながら頷き、ココロは、ちょっとだけ胸を張るように背筋を伸ばす。

 ヒロは手元のスープを見つめたまま、何も言わなかったが、口元がわずかにほころんでいた。

 その静かな笑みを、子どもたちは気づいたふうでもなく、また一口スープをすすった。

 その声に釣られて、何人かは椅子の上で身を乗り出し、手ぶりでさっきの場面を再現しようとする。
 重い盾の真似をしたり、腕を振って「びゅん」と音をつけて笑い合ったり——。

 一方で、列の端には、騒ぎに混ざらない小さな背中があった。
 サキの椅子の脇にぴったりくっつき、袖をぎゅっとつまんだまま、顔をその腹に押しつけている。

「……こわかった」

 口の中だけでこぼれた声は小さすぎて、誰の耳にも届かなかった。

 けれどサキは、何も言わずにその子の頭にそっと手を置く。
 ただ撫でるように、あたためるように、ぬくもりを返す。

 それは言葉よりも確かに、「だいじょうぶ」の形を伝えていた。

 もうひとりの子は、VOLKの卓から少し離れた席にぽつんと座り、椀のふちをじっと見つめていた。

 狼の部隊章が縫いつけられた腕も、腰のホルスターも、目に入っているはずだ。
 それでも、そこに視線が向くことはない。

 笑い声が上がるたび、その小さな肩が、かすかにすくむ。

 サキは子どもたちの輪とその子のあいだにそっと腰を下ろし、片手で器を配りながら、もう片方の手で、小さな手をやさしく握った。

 小さな指先が、そっと動く。
 ほんのわずかに、こちらの手に応えるように。

 けれど顔はまだ上がらず、視線は椀のふちから動かない。

 それでも——その沈黙のまま、視線だけがゆっくりとVOLKの卓のほうへ向いた。

「ロボット、みんな、かっこよかった」

 ぽつりとこぼれたその一言に、ヒロの手がわずかに止まる。
 椀を持ったまま、ほんの一瞬だけ。

 その間をつなぐように、ガンモが耳のうしろをかきながら、ぼそりとつぶやいた。

「……ロボットがかっこいいんだよ。中身は、ただの働き者さ」

 子どもたちのあいだから、小さなくすくす笑いがこぼれる。
 それが伝染していくように、卓の空気もやわらいでいった。

 サキの視線は、まだ笑いに混ざれずにいる子へと向いている。
 しがみついた手は離れないままだが、その肩の震えは、さっきよりわずかにおさまっていた。

 サキは何も言わず、ただもう一度、そっとその手に力を返す。

「でも、中にいるひとは、こわくなかったの?」

 おずおずと向けられた問いかけに、ヒロは少しだけ視線を落とし、静かに子どもたちを見渡した。

「こわかったさ。でも、ちゃんと帰ってくるために、前に立つ」

 それだけ言うと、照れをごまかすように、スープをもう一口すすった。

 その向こうで、さっきまでVOLKの卓を直視できなかった子が、そっと横目で様子をうかがう。

 ヒロは気づいていながらも目を合わせず、椀の中に視線を落としたまま、静かにスプーンを動かしていた。
 子どもとのあいだに、半歩ぶんだけ静かな距離を残して。

 距離を詰めすぎないこともまた、「近くにいる」というやさしさだ。
 声も手も出さず、ただそこにいるという形で、ヒロは答えていた。

 ひとりの子が、ぎゅっと椀を抱きしめる。

「……ありがとう」

 小さな声だった。

 VOLKの面々は顔を上げず、互いに目を合わせることもなく、ただ静かに食事を進めていた。
 言葉にならない想いを、それぞれの胸の奥で噛みしめながら。

「よく食べて、生きて帰んな!」

 はるゑの口癖に、笑い声が自然と重なる。
 食堂の空気も、いつの間にか日常の色に戻っていた。

 外では、灰の荒野に浮かぶ導光が、一度だけ淡く明滅する。
 冷却水がぽたぽたと落ち、床に小さな輪をいくつも描いていた。

 ざわめきは少しずつ遠のき、今は毛布のこすれる音だけが、静かに残る。

 道は持った。
 杭は折れずに立っている。
 それだけで、今日はもう十分だった。
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