幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について

いぬがみとうま🐾

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ミヤコ幼少期編

第6話:獲卵屋の弟子

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 まだ星のまたたきが紺碧の空に残る、深い夜明け。
 ロシロ村を包む静けさの中、ジョゼクの家の台所には、小さな生活の音が響いていた。

 パチパチと竈門で薪が爆ぜる音。そして、トントントンという軽やかな包丁の響き。
 八歳になったミヤコは、踏み台の上に立ち、慣れた手つきで二人の旅の弁当を用意していた。

 白銀の長い髪は、作業の邪魔にならないよう高い位置ですっきりとまとめられ、その襟足からは、数年の健康な暮らしで艶を増した肌が覗いている。

(お塩は少し強めにして……。山歩きは汗をかいてしまうから)

 彼女は丁寧に握った根菜の漬物が入った麦飯の塊を、清潔な笹の葉で包んだ。
 隣のテーブルの上には、彼女が昨夜から入念に手入れをしていた獲卵道具が整然と並んでいる。
 ジョゼクがミヤコの体の大きさに合わせて作ってくれた、小さな革製の背負い袋。その中には、自ら調合した「蜥蜴草の御香」が収められていた。

「……うん、準備は完璧だわ」

 ミヤコは袋の口を開け、中の香を指先でそっと確かめた。
 花と根の乾燥具合、そして僅かに配合した月光草の比率。ジョゼクの教え通り、完璧その仕上がりを確かめてから、彼女は満足げに頷いた。

 重厚な足音が、板張りの床を揺らした。
 支度を終えたジョゼクが、険しい顔で台所へ入ってくる。
 その目元には、これから向かう場所の険しさを物語るような、鋭い緊張が宿っていた。

「ミヤコ。準備はいいか」

「はい、ジョゼクさん。お弁当も、御香もばっちりよ」

「いいか、今日の場所はこれまでの練習台とはわけが違う。『千丈崖せんじょうがい』……あそこを統べる親トカゲに見つかれば、一溜まりもねぇからな」

「わかっています。無理言って付いてきてごめんなさい。……でも、あの子たちがどんな場所で卵を温めているのか、この目で見てみたくて」

 ミヤコの瞳には、恐怖よりも、未知の「輝き」を求める飼育屋としての純粋な光が宿っていた。
 ジョゼクはそれ以上何も言わず、ただ無骨な手でミヤコの背負い袋の紐を締め直してやった。



 村を出て森へ入ると、世界は瑞々しい青に満ちていた。
 朝露をたっぷりと含んだシダの葉が、歩くたびにミヤコの膝を濡らしていく。立ち上る水の匂いと、濃い緑の香りが混ざり合い、肺の奥まで洗われるような心地よさだ。

 やがて、二人の前に巨大な絶壁が姿を現した。
 雲を突くような高さの岩肌が、湿り気を帯びてどっしりとそびえ立っている。千丈崖。ユニコリザードたちが最も好む、難攻不落の営巣地だ。

「ここからが本番だ。俺の足跡をなぞれ。一歩でも踏み外せば、谷底まで真っ逆さまだぞ」

「……はい」

 ミヤコは唾を飲み込み、垂直に近い岩肌に手をかけた。
 指先に触れる岩は、驚くほど冷たく、吸い付くような苔の感触がある。
 普通なら足がすくむような高さ。けれど、ミヤコの意識は別のところにあった。

(……あら、岩の隙間にヌルっとした泥が溜まっているわね。……えい)

 ミヤコは岩を掴む際、手の中で生活魔法の「洗浄」を僅かに発動させていた。
 彼女の掌が触れた瞬間に、岩肌のヌメリや不純物がさらさらとした砂になって落ちていく。
 磨き上げられた岩の表面は、滑りにくく、ミヤコの小さな手足をしっかりと支えてくれた。

「……ミヤコ。お前、怖くはねぇのか?」

 自分と遜色ない速度で登ってくる少女を、ジョゼクは驚きの眼差しで見下ろした。

「……岩を綺麗にしながら登ると、とっても登りやすいの、不思議。ジョゼクさん。綺麗な場所は、私の味方をしてくれる気がするわ」

 ジョゼクはその答えに、誇らしげに鼻を鳴らした。
 ミヤコが通った後の岩肌だけが、朝陽を浴びて白く輝いていることを。



 崖の中腹、岩棚の奥に広大な空洞があった。
 そこは外の世界の喧騒から切り離された、凪いだ空気が支配する聖域。
 二人は息を殺し、岩陰からその内部を覗き込んだ。

「いた……」

 ミヤコの呟きが、しじまに溶ける。
 巣穴の中央には、大きな丸太ほどもある巨大なユニコリザードが、自分の尾で宝物を包むようにして眠っていた。
 親トカゲの鼻先から漏れる深い吐息に合わせて、空間全体が微かに震えている。

 親の腹の下。そこには、真珠のような光沢を放つ巨大な卵が、鈍く輝いていた。
 ミヤコはその美しさに息を呑んだが、同時に、親トカゲの鱗の状態に目を留めた。

(あの子……鱗が少しだけ曇っている。産卵で魔力を使い果たしているのかしら)

 ジョゼクがミヤコに合図を送った。
 ミヤコは頷くと、音を立てずに小さな香炉を取り出し、火を灯した。

 立ち上るのは、甘く重たい紫の煙。
 「蜥蜴草の御香」だ。ミヤコは指先を僅かに動かし、その煙の流れを、まるで筆で描くように、親トカゲの鼻先へと誘導した。
 煙の波が、親トカゲの眉間に触れる。

 ドクン、という巨大な鼓動が一度だけ響き、次の瞬間、親トカゲの全身の力がふっと抜けた。
 先ほどまで鋭かった魔力のトゲが、春の陽だまりのような穏やかさへと塗り替えられていく。

「……よし。今だ」

 ジョゼクが風のように走り、眠った親トカゲの隙間を鮮やかにすり抜けた。
 彼が真珠色の卵を一つ、清潔な布で包んで抱き上げた瞬間。
 ミヤコは、背筋に走るちりちりとした「汚れの予感」を察知した。

(あ、だめ……!)



「ジョゼクさん、戻って! 今すぐ!」

 ミヤコの鋭い囁きに、ジョゼクは躊躇わずその場を飛び退いた。
 その直後、親トカゲの巨大な尾が、先ほどまで彼がいた場所を猛烈な勢いで薙ぎ払った。
 けれど、親トカゲは起き上がらない。幸い、ただ、寝返りを打っただけだった。

 二人は無事に崖の下まで戻り、安全な木陰で大きく息を吐いた。
 ジョゼクは、胸に抱いた卵の重みを確かめながら、不思議そうにミヤコを振り返った。

「……ミヤコ。お前、さっきなぜあいつが動くとわかった? 御香の煙は、間違いなく届いていたはずだ」

「あの子の首の周りの魔力が、パチパチと不規則に弾けていたんです」

 ミヤコは、自分の喉元を指差した。

「なんか、悪い夢を見ているみたいだった。多分……」

 ジョゼクは絶句し、それから天を仰いだ。

「……俺は三十年、この仕事をしてきた。けれど、そんなもの見えやしねぇよ。……ミヤコ。お前は、まるで幻獣のが見ているのか?」

 ジョゼクの声には、かつてないほどの戦慄と、深い期待が入り混じっていた。
 幻獣は力で御すものではない。理を知り、共にあるものだ――彼はそう教えてきた。けれど、目の前の少女は、その「理」のさらに奥まで本能で捉えている。

「ジョゼクさん。私、いつかあの子たち全員の鱗を、お空の星みたいにピカピカにしてあげたいな」

 ミヤコは遠くに見える千丈崖を見上げ、凛とした声で言った。

「そうすれば、きっとあの子たちは、悲しい咆哮もしなくなるわ。……不潔な不快感も、苦しい体も、全部私が磨き落としてあげたいの」


 夕映えに染まるロシロ村。
 帰り道を歩く二人の影が、石畳の上に長く伸びていく。
 ジョゼクの抱える卵の輝きよりも、隣を歩く八歳の少女の瞳の方が、ずっと眩しく、未来を照らしているように彼には見えた。

「……ああ。お前なら、いつか世界中の幻獣をお掃除しちまうかもな」

「ふふ、お家のお掃除の方が先ですわ、ジョゼクさん。玄関が砂だらけなんですもの!」

 少女の朗らかな笑い声が、凪いだ夕暮れの空気の中に溶けていった。

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