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第十五話 「荒れ狂う河」

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「河童のお兄さん! 悪いけど一気に勝負付けさせて貰うから」
沈下橋の上で栞寧が手印を結んだ。

「雀蜂の縫線!」
栞寧によって呼び出された無数の雀蜂がブンブンと羽音を立てて、蒼河へと襲い掛かる。

「ふん、虫の攻撃程度じゃオラには届かねぇずら」
蒼河は期待外れだったと言う様な顔をして、水面に手を翳した。

「跳ね上がれっ!」
蒼河がそう言った瞬間に、水面から無数の水滴が雀蜂の群れへと向けて一斉に弾け飛ぶ。
まるで、戦艦の対空砲火の様に――

ビシッ!ビシビシッ!ビシッ!
突然、水面から弾け上がった雨粒に雀蜂達は射抜かれた様に次々に落下して行く。

「こ、こんな事って・・・」
唖然とする栞寧。

「何だ、こんなモンけ? 次はオラの番ずらっ!」
蒼河は水面に翳していた掌をグッと握ると、人差し指を栞寧に向けて突き出した。

ビュウゥゥゥッ!
蒼河の指先から一筋の水流が矢の如く放出され、栞寧に向かって飛んだ。

「危ないっ! 砂礫の防壁!」
慌てて慧が印を結ぶが、橋の上では操る砂や土も少なく、薄い壁しか作れない。

バッシャーン!
慧の作った防壁は、何とか蒼河の一撃を防いだものの、一瞬にして崩れ落ちる。

「ここは場所が悪い! 移動するよ!」
「うん!」
栞寧の言葉に慧が応え、2人は沈下橋を走り川岸へと移動する。

「ここなら、あたしの方が有利」
地面に足を付けた慧、圧倒的な安心感がその表情から見て取れる。

「そうけ? 何が出来るのか。まぁ、やってみるずら」
方や、蒼河は無防備に川面を歩き川岸へと近づいて来る。

蒼河の足が水から陸へと踏み出した瞬間――

「貰ったぁぁぁっ! 奈落の蟻地獄!」
慧が印を突き出し、蒼河の足元が崩れ落ち巨大な蟻地獄が奈落の口を開けた。

だが――

「う、嘘?」
「何で?」
慧と栞寧は我が目を疑った。

確かに慧の術によって、蒼河の足元には巨大な蟻地獄が出来ているのだが蒼河は、そこに落ちていない。
正しくは、蟻地獄そのものが満々と水を湛えた池と化しており、蒼河はその水面に悠然と立っていたのである。

「飛翔の石礫!」
慌てて印を結び直した慧の周囲に小石が浮き上がり、一斉に蒼河へと向かって飛ぶ。

「あーん? こんなモンけ?」
蒼河は退屈そうに石礫が向かってくる方向に向けて掌を広げた。

ザシュ!
蒼河の前に分厚い水の壁が盛り上がり、飛んで来た石礫を全て弾き返す。

「大蜘蛛の・・・」
栞寧が攻撃を仕掛けようとした時、先に蒼河が動いた。
先程と同じ様に、蒼河の指先から水の矢が放たれる。
「胡蝶の乱舞!」
瞬時に攻撃を諦め、防御に徹した栞寧の周りを無数の蝶が乱れ飛び、何とか直撃は回避したものの蝶達は羽根を濡らされ、次々と水面に落ちて行く。

「何なのよ、この河童っ!」
「同じ水を使ってても、水使いの奈々聖ちゃんの比じゃない!」
「あーん、水使いの仲間が居るのけ? 其奴に水は最強だって教えて貰わなかったのけ?」
勝ち誇った様に蒼河が笑った。

「んじゃ、そろそろ終わりにするずら」
そう言った蒼河の目が怪しく光る。

「【大河の逆流】(たいがのさかながれ)!」
蒼河は両手を頭上に突き出し、何かを持ち上げて投げる様に突き出した。

ゴゴゴゴッ!
不気味な地響きが聞こえ、川の水が下流へと速さを増して流れた。

(な、何が起きるの?)
(兎に角、守りを!)
栞寧と慧が顔を見合わせた、その時であった。

 ザアッッッッ! ドッパァアァァァン!
川下で堰き止められていた水が一気に逆流して2人を襲う。

「砂礫の防壁!」
「胡蝶の乱舞!」
一縷の望みをかけて印を結ぶ慧と栞寧、だが無残にも逆流した四万十の水は叩きつける様に襲い掛かった。


 アマゾン川で発生する【ポロロッカ】、河口に入る潮波が垂直壁となって河を逆流する事で発生する自然現象であり、海嘯(かいしょう)とも呼ばれている。
蒼河の引き起こした【大河の逆流】はこれを大きく上回る規模であった。

「きゃあぁぁぁっ!」
悲鳴と共に慧と栞寧は逆流に巻き込まれ、引き水とともに川原に打ち上げられる。

「コイツ、強い」
「勝てない、2人がかりでもっ」
ゲホゲホと水を吐きながら立ち上がるが、最早打つ手は考えられない。

(悔しい・・・)
(負けたくない・・・)
あまりにも大きすぎる力の差を前に涙ぐむ2人の脳裏に彩暉達の笑顔が浮かんだ。

(あたし等だけじゃない! 皆も!)
(こんな奴等と戦ってるんだ!)
諦めそうになった慧と栞寧が互いに顔を見合わせた時である――

(何なの? この感じ?)
(何なの? この胸の高鳴り?)
懐かしい様な、そして何処かむず痒い様な感覚であった

その時である、慧の額に【礼】の文字が、栞寧の額に【考】の文字が浮かび上がった。

(そう言う事だったんだ)
(だから、あたし達がここに来た)
慧と栞寧が互いを見つめ合い、大きく頷く。

(これなら!)
(勝てる!)
2人が同時に印を結んだ。

「何度やっても同じずら。オラには勝てねえだ。往生際が悪いずらよ!【大河の逆流】!」
先程と同じ様に、両手を頭上に高く掲げた蒼河が両手を突きだした。

 ザアッッッッ! ドッパァアァァァン!
再び、堰き止められていた水が逆流し、慧と栞寧に襲い掛かった。


「今よ! 慧ちゃん!」
「うん、栞寧ちゃん!」

栞寧と慧は結んでいた印を強く前方へと突き出し、同時に叫んだ。

「合技!(ごうぎ)」
「大地の大蚯蚓(オオミミズ)!」

 バキバキと音を立てて大地を引き裂くが如く途方も無い大きさの蚯蚓が現れると、大口を開け襲ってくる大水を飲み込んで行く。

「化物ミミズずらっ!」
これまで悠然としていた蒼河も突然の展開に思わず声が上ずる。

「だ、だが。どげん巨大だろうがが川の水全部を飲み干すことは・・・。!」
その時、蒼河の目には大蚯蚓の後方の地面の色が変わって行く様子が映っていた。

「ま、まさか。そんな・・・」
明らかに狼狽する蒼河。

「そう、大蚯蚓は確かに水を飲むしか出来ない」
「でも、大蚯蚓は大地に身体を繋いでいるのよ」
「だ、大地にけ・・・」
「つまり、大蚯蚓が飲んだ水は全て大地が吸い取ってくれる」
「この大地の全てを水没させるだけの水があるのかしら」
そう言う間にも大蚯蚓はグングンと水を吸い上げ、もう四万十川には殆ど水は残ってはいない。

「オラの負けずら。水が無うなっちまっては、オラに勝ち目は無いけ」
ガックリと肩を落とす蒼河。

「頼むだよ、早く水を戻してくれろ。このままじゃあ、魚達が干上がっちまうだ」
事実上、蒼河の敗北宣言であった。

「河童のお兄さん・・・」
「約束は守って貰うわよ」
そう言って2人は印を結ぶ。

「解!」
慧と栞寧が同時に叫ぶと、大蚯蚓の身体は霞の様に消え、四万十川に水が湧き上がり、見る見る間に元通りになったのである。



 数時間後――

「ここずら」
蒼河の案内で、【御前の滝】に着いた慧と栞寧は、滝壺の青い光を見つめていた。

「彼所に【青龍石】が有るずら」
そう言うと、蒼河は滝壺へと飛び込み、しばらくして青い石を手に上がって来た。

「コレを何に使うずら?」
顔を覗かせた蒼河は【青龍石】を栞寧に手渡し、尋ねた。

「残りは、後3つ・・・。どうしても、4つの石全部が必要なの」
「4つ集めるつもりけ? 悪い事は言わね、やめた方がいいずら。他の3つを守っているのは、オラよりも格上の奴等・・・」
「ううん、きっと大丈夫」
「そう。だって、あたし達より強い人達が向かってるんだから」
「オラは忠告したずらよ」
そう言うと、蒼河は水音を立てて水に飛び込み、姿を消したのであった。


「でも、結局、何だったのかな?」
「合技の事?  何だろっ? 昔から知ってたみたいな気がする」
「あたしも、そう」
「紫理さんなら知ってるかな?」
「かもね。帰ったら、早速聞いて見よっ」
栞寧と慧は青く澄み渡った空を見上げて居た。

(皆、絶対に)
(無事に帰って来てね)
そう願う2人の姿が【青龍石】に映っていた。



 長野県・天狗山――

東西に延びた長い山脈を歩く2人の少女。

「結那さん。大丈夫ですか?」
「平気よ。奈々聖」
そう言いながらも、息が上がっているのが見て取れる。

「少し、休憩しましょうか」
「そうね」
2人は持っていた水筒を開けて水を飲む。

「しかし、便利なモノね。夏なのに冷たい水のまま持って来れるなんて」
「そうですね。キラキラ光ってるのも綺麗だし」
結那と奈々聖にしてみれば、竹筒の水筒が見慣れたモノであり、ステンレス・マイボトルなどは、とんでもない代物なのだろう。

「後、どれくらいかしら」
「あれが頂上でしょうから」
奈々聖がそう言い掛けた時である。

「お姉ちゃん達、ココに何しに来たの?」
黒髪の小学生らしき男の子が突然声を掛けてきた。

(この子!)
一瞬、警戒を見せる奈々聖に目線で合図した結那が少年に話しかけた。

「この天狗山に、凄く綺麗な石が有るって聞いてきたの。君、知らない?」
「知ってるよ。お姉ちゃん達可愛いから、特別に僕が案内してあげる」
「有難う。それで石は何処に有るの?」
「彼所だよ」
そう言って少年は天狗山の頂上を指差した。

「じゃあ。君に案内を、お願いしようかな」
「結那さ・・・」
何かを言い掛けた奈々聖、だが突然、口を噤んだ。

「いいよっ。但し、僕に付いて来られたらだけどね」
少年は人とは思えない足取りの軽さで、ヒョイヒョイと山道を登って行く。

結那と奈々聖との距離を付かず離れずで、上手く取りながら――


「ここが頂上・・・」
「石を探さないとね」
風が心地よく、脇に流れる小川のせせらぎが聞こえている。

「あの子は?」
だが周囲にはあの少年の姿は無くなっていた。

結那と奈々聖に緊張が走る。


ヒュン! ピシッ!
突然、風を切る音が聞こえ、結那と奈々聖は寸での所で身を躱した。

「お姉ちゃん達、並の人間じゃ無いよねぇ? 何者?」
「あーら、ご挨拶ね。君も人間じゃ無い。守護者ってとこかな」

結那と奈々聖が見上げた先には、山伏の装束を身に纏い、一本歯の下駄を履いた先程の少年の姿。
いや、その背には鳥を思わせる大きな翼があるから、普通の少年では無いだろう。

「へ~え、正解。ますます、朱雀石を渡せなくなっちゃった」
「そう、それなら君を倒して頂くしかなさそうね」
「あはははっ、可笑しい。本当に出来ると思ってるの? たかが人間風情がっ?」
少年の目が怪しく光る。

「【氷点の氷柱】!」
奈々聖が印を結び、氷柱が少年に向かって飛ぶが、これを事も無げに身を躱す。

「ふーん、本気なんだ。じゃあ、僕も手加減はしないから。いい?」


結那と奈々聖、ついに天狗との闘いが始まろうとしていた。


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