【改訂版】いつか会えたら、きっと。

佐倉 悦巳(さくら えつみ)

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 更衣室として借りている社務所の奥で衣装に着替え、小物を手に神楽殿へと向かう。
 神楽の奉納自体は夕方薄暗くなってから行われる。化粧まで済ませてしまうにはまだ早い。かといって、リハーサルは本番さながらに行われるので、衣装を身につけない訳にはいかなかった。
 前回……7年前の祭りの日を、ぼんやりと思い出す。
 あたりが紺色に染まり始めた中、炎に照らし出された神楽殿はとても美しく幻想的で、本当に現実かと疑いたくなった。
 舞い手も、神楽の内容通り神様に仕える人ならざる者のようで。
 自分の頭よりかなり高い位置にある舞台に、夢の中にでもいるような心地で見入っていた。
 まさか自分が当事者になる日が来るなんて、と本番を迎えた今になっても、なんだか現実感が薄い。
 神楽殿にたどり着いて周りを見ると、少し離れたところからこちらを見ている啓と目が合った。ひらひらと手を振ってくるのに笑って応える。
 やがて、全員がそろったところでリハーサルが始まった。
 集会所と神楽殿では広さも違うし、勝手も違う。早いところこの場での動きを確認したかった。
 人の配置や、どちらの方向に向かって見せ場を作るかなど大まかなことを確かめ、一度やってみてから詳細を詰める。
 たかが小さな村の祭りだけれど、やってくる観光客の数や、その人達が村で消費していく金額を考えれば、村の人々の気合いの入りようも理解できるというものだ。
 7年に一度とはいえ、食事や飲み物、この日に大量に売ることを目的として、限界まで生産数を増やした村の特産品など、祭りでの収入を当てにしている者は少なくない。どれだけの人が、純粋に祭り自体を楽しみにしているのだろう。
(金目当てでも、祭りが開催されれば、神様は嬉しいもんなのかな)
 神楽の奉納だって、本来なら神様のために行われるものだ。でも、今となっては観光客を呼ぶための手段のひとつとして、むしろ村の人たちのために行われる意味合いが強い。
 正直、どれだけ観光客が来ようが、俺には何の関係もない。だったら、せめて俺くらいは、神様だけのために祭りに臨もうか。

 リハーサルが終わったところで、祭りが始まる前に関係者全員で参拝をする。
 村長や実行委員長なんかの、大きな役割を担う人たちが最前列に並び、その人たちに倣う形で二度頭を下げて柏手を打った。
 俺が立っている位置から賽銭箱を挟んで、向こう側に建っているのが拝殿だ。
 その更に奥の本殿には、ご神体が安置されている。
 大切なものなので、基本的には厳重にしまわれているが、今日は祭りに合わせて公開されることになっている。ただ、時間が早いので、今はまだ目にすることはできなかった。
 手を合わせたまま、俺は薄暗い本殿に向かって、心の中で語りかける。
(神様。俺は小さい頃から、この神社にたくさん助けられてきました。他の人には見えないものが見えるせいで、村の人たちから気持ち悪がられた時。家の中が息苦しくてたまらなかった時。他にも、辛い時にはいつもここに来させてもらっていました。だから少しくらい、恩返しができるといいんですけど。今日は全てを神様に捧げるつもりで舞います)
 もう一度頭を下げ、顔を上げる。
(……あれ?)
 薄暗い本殿の中で、何かが動いたような気がした。
(人影……?)
 うっすらと浮かび上がる白いものをもっとよく見ようと目をこらす。
(やっぱり……人……なんじゃないか……?)
「いてっ」
 凝視していたところを、後ろから小突かれた。
 不意打ちに思わず声を上げて振り返るが、参拝を終えた人たちは、控え室に戻るために歩き出していて、誰にやられたのかはわからなかった。
 方法はどうあれ、いつまでも突っ立っていた俺を、一応は急かしてくれたんだろう。
 それでも後ろ髪を引かれる気がして本殿に目をやったけれど、さっきの人影はもう見当たらなかった。
(……気のせい……か……?)
 仕方なく見切りをつけて、俺は控え室へと向かった。

 控え室では、誰もが思い思いに過ごしている。俺は話をする相手もいないので、ひとり黙々と準備を進めていた。
 化粧を済ませて、後は本番を待つだけになったところで、啓はどうしているだろうかと考えた。
(一緒に来たって、やっぱりただ待たせてしまうだけだった。リハーサルは見ていてくれたようだったけれど、その後はうまく時間をつぶせているだろうか)
 そう思った途端、タイミング良くスマホがメッセージの着信を告げた。
 噂をすれば、ではないけれど、案の定送り主は啓だった。
『リハーサル見た。ホントにたくさん練習したんだなぁ、お前。本番、すげぇ楽しみ。頑張れ』
 簡潔だけれど、俺が嬉しくなるような言葉がぎゅっと詰められている。
『ありがとう。頑張る。また後でな』
 思わず緩んでしまう口元を引き締めつつ、返信を打った。
(ありがとう。お前がいてくれたから、俺はこんな村の中で生きて来られたんだ。……でももう、この村から、俺から、解放されていいんだよ。啓)
 自分で勝手に思ったくせに、側から啓がいなくなることを想像して淋しくなってしまう。きゅ、と唇を噛むと、慣れない紅|《べに》の味がした。

 薄暗くなってきた境内のそこかしこに、火が灯る。
 神楽殿にも炎が用意され、他の場所よりも際だって明るく照らし出されたそこは、闇から浮かびあがって、この世のものとは思えない美しさだ。
 神楽殿と本殿の間にある広い空間にはたくさんの人がひしめき合い、そこに収まりきらなかった人たちが神楽殿をぐるりと取り囲んでいた。
(……改めて、すごいイベントだよな……)
 こんなド田舎に似つかわしくないほどに多い人出だ。
 控え室の入り口に立ち、神楽殿の様子を窺って他人事のように感想を漏らしていたけれど、この祭りで一番注目を集めるのは自分なのだと気づいて冷や汗が背中を伝う。
(……今更だけど、とんでもないことを引き受けちゃったんじゃ……)
 思わず体がこわばり、顔が引きつる。心拍が速くなっていくのを自覚して、俺はぎこちなく唾液を飲み込んだ。
 緊張がピークに達したその瞬間、さあっと涼しい風が吹き抜けた。
“きっとうまくいく。頑張れ”
 諏訪さんの声が脳裏に蘇る。
 風が通ったおかげで何枚もの布が重なった衣装の中の温度が下がり、ふっと体が楽になる。意識が神楽殿からそちらに移ったおかげで、緊張も少しほどける。
 そうだ。今更どうこういったところでなんとかなるわけではない。
(誰が見ていようが関係ない。俺は神様のことだけを考えて舞えばいい)
 そう考えると、何も怖くなくなる。
 先に神楽殿の上で準備をしていた人に手招きをされ、いよいよかと腹をくくった。

 神楽殿の舞台は、地面よりずっと高いところにある。
 階段を上り舞台に立つと、見物人たちの頭が俺の足元くらいの高さになる。
 正面を見据えれば、遮るものは何もなく、真っ直ぐに本殿までが見通せる。
 本殿を見つめたまま一度大きく息を吸い、ゆっくりとはき出しながら目を閉じると、祭りのざわめきが遠ざかっていくのを感じる。
(大丈夫。音と自分の体に集中しろ。向かい合うのは神様とだけでいい)
 衣装から扇子を抜き取って両手と片膝を床につき、頭を下げる。
 ——あぁ、始まる。
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