このたび、片思い相手の王弟殿下とじれじれ政略結婚いたしまして

むつき紫乃

文字の大きさ
2 / 31

婚約者が代わりまして①

しおりを挟む
 樹木が青々と葉を茂らせる王宮の庭園で、セレナは困惑しつつエミリオの黒い頭を見下ろしていた。
 たった今彼から、国王との婚約が破棄されたことを伝えられ、謝罪されたところだった。

 頭の中は疑問だらけである。

 婚約の破棄は一般的に不名誉なことだから、謝罪を受けること自体はまあ分からないこともない。
 だが、それを聞くのがなぜクロードからではなくエミリオからなのだろう。そしてなぜ謝罪の相手がセレナなのか。こういう話は本来、家門の当主同士がするものだ。
 美しい緑に囲まれた小道の途中というのも、婚約の破棄を伝える場としてはあまり相応しくないように思われた。

 そもそも今日のエミリオは最初から変だった。

 モニエ侯爵、すなわち父から王宮への呼び出しを受けたのは、本日の昼下がりのことだった。
 速やかに登城するようにという伝言を使いの者から聞いたセレナは、なにか問題でも起きたのかと胸に不安がよぎった。しかしそれにしては、来るようにと指定されたのは庭園の四阿というのが、なんとも不可解だった。

 首を傾げつつ足を運んでみれば、そこにいたのは父ではなくエミリオだった。やはり場所が違ったかとセレナが踵を返そうとしたところで引き止められた。

『あなたを呼び出したのは私だ。……少し、散歩でもしないか』

 唐突な誘いにセレナが困惑したのは言うまでもない。
 エミリオとは将来身内になる間柄だが、特別な用事もなく二人きりで庭園を歩いたりするような仲では決してなかった。

 彼に慰められたことはセレナにとって今でも大切な思い出であるものの、それはこちらが勝手にそう感じているに過ぎない。

 エミリオは、セレナが国王の婚約者として任されている仕事の中で問題が生じたときに真っ先に気づいて手を差し伸べてくれる人ではあるが、自分たちが直接関わる場面といえばそれくらいだ。二人はあくまでもクロードを介してつながっているだけの関係だった。

 しかし四阿で顔を合わせた彼は、どこか硬い表情をしていて、余裕のなさが垣間見える。そのことにセレナは内心でひどく驚いていた。

 日頃陛下に押し付けられる雑務の数々を、ため息をつきつつも迅速に捌いていく有能な人物、それがエミリオだ。どんなときでも冷静で、いち令嬢を相手にこんなふうに内面の動揺を垣間見せるなんてことはまずありえない。

 なのに今日の彼は、まるでセレナに誘いを断られることを恐れているかのように、その佇まいに緊張感を漂わせていた。

 密かに好意を寄せている相手からの誘いは純粋に嬉しいものだ。だがセレナは、かすかに覚えそうになったその喜びをそっと心の奥にしまった。それは不適切な感情だ。

 ――陛下について、なにか相談があるのかもしれないわ。

 理性的に推測しつつ了承の返事をすると、エミリオはホッと肩の力を抜いた。それも注意深く観察していないと分からない程度のものではあったが。

 そうして並んで庭園の小道を歩きだし、王宮の姿が木々の向こうに隠れる場所までやってきたところで、国王との縁談がなくなったことを知らされたのだ。

「ええと……破談の理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」

 聞きたいことは多々あれど、セレナはまず目下の疑問を口にした。
 即座に頭を上げたエミリオは「もちろんだ」と頷く。
 謝罪のために止めていた歩みを再開しつつ、彼はことの経緯を話しはじめた。

「隣国のラウレンティスから今朝、王宮に使者が到着したんだ。使者は書簡を携えていて、それは国璽が押された正式なものだった。ラウレンティスの第一王女と言えば、名前くらいは知っているだろうか」
「シルヴィア殿下ですね」
「そう。書簡は彼女との縁談を陛下に申し入れるものだった。……婚約者がいる相手に礼儀を失している、とは思うが、国家関係で言えば立場は向こうのほうが上だ。陛下は受け入れる決断をされた。知ってのとおり、他国とのつながりは現在我が国が喉から手が出るほど求めているものだからな」

 それはセレナも承知していることだった。

 現在の王権は、前王の謀反によって十五年前に新たに打ち立てられたものである。
 その頃まだ小さな幼子だったセレナはぼんやりとしか覚えていないが、先々代の国王は権力に溺れた暴虐の独裁者で、逆らう者はみな排除されたという。
 生き残るためには王に媚びへつらうしかない。そんな暗黒時代を反乱軍を率いて終わらせたのが前王であり、その長子で国王の地位を継いだのがクロードだった。

 前王もそれ以前の王家の傍系にあたる血筋ではあったが、長く続いた国王の系譜を武力でねじ曲げた事実は、同じく歴史ある周辺国に衝撃を与えた。

 謀反のあとも国家間の交流はそれなりに維持されているものの、王位の簒奪からはまだ十五年しか経っていない。他国からは依然として様子を窺われている状況にある。所詮は新参者で王の器にあらずと軽んじられぬためにも、王家は自身の正統性を分かりやすく訴えるものを求めていた。ラウレンティス王家との婚姻はまさに渡りに船というわけだ。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

夫は私を愛してくれない

はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」 「…ああ。ご苦労様」 彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。 二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。

さよなら 大好きな人

小夏 礼
恋愛
女神の娘かもしれない紫の瞳を持つアーリアは、第2王子の婚約者だった。 政略結婚だが、それでもアーリアは第2王子のことが好きだった。 彼にふさわしい女性になるために努力するほど。 しかし、アーリアのそんな気持ちは、 ある日、第2王子によって踏み躙られることになる…… ※本編は悲恋です。 ※裏話や番外編を読むと本編のイメージが変わりますので、悲恋のままが良い方はご注意ください。 ※本編2(+0.5)、裏話1、番外編2の計5(+0.5)話です。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る

小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」 政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。 9年前の約束を叶えるために……。 豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。 「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。 本作は小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...