6 / 31
結婚いたしまして②
しおりを挟む――でも、思い返してみれば、エミリオ様はなんだか楽しそうだったわ。
司祭のことほぎに耳を傾けながら、セレナは思う。
エミリオは何度となく『つらかったら無理せず私に任せてくれ』と声をかけてくれたが、そのたびにセレナは『大丈夫です、わたくしにさせてください』と訴えた。実際彼から託される作業の負荷はギリギリ捌ける程度の絶妙さで調整されていた。
だから、己を鼓舞する意味もあってセレナは毎度そう答えていたのだ。しかし、そうすると決まってエミリオはほんのかすかに口角を上げるのだ。
――エミリオ様に限って、他人の必死な様子を見て楽しむような趣味はまさかお持ちではないと思うけれど……
だとしたら、あの反応は一体なんだったのだろう。謎だ。
そんなことを思案しているうちに、式は順調に進んで誓いに移っていく。
「いついかなるときも互いを支え、慈しみ、尊重することを誓いますか」
司祭からのそんな問いかけに、それぞれが肯定をもって答える。
「それでは誓いの証に口付けを」
婚礼の定番とも言える台詞を聞いて、セレナはハッとした。
誓いの口付けは頬で済ませることも許されているが、二人は正式な流れに則って唇にすることを選択していた。エミリオはそれでいいか事前に確認してくれていたが、そうするべきだろうとセレナが言ったのだ。
……正直なところ、忙しすぎてあまり深く考えられていなかった。これが二人にとって、そしてセレナの人生において初めてのキスとなるのに。
――政略で結ばれた夫婦なら、よくあることよね……
だから大層に捉える必要はない。冷静に、己のなすべきことの一環として、平然と受け止めればいい。
くるりと身体の向きを変えてエミリオと向き合うと、二人の誓いの瞬間を見守る多くの者たちの姿が視界のすみに入る。
きちんとしなければという緊張と、見られているという羞恥がセレナの身を硬くした。
花嫁の頭を覆うベールを持ち上げたところで、エミリオがおやという顔をする。
一瞬合ったと思った視線はすぐに逸らされた。彼はセレナの唇を見ていた。もしかしたらあえてそうしてくれたのかもしれない。妻となる女性がこれ以上緊張しないように。
頬に手を添えられ、慌てて目蓋を閉じる。彼の吐息が鼻先を撫でていき、思わず呼吸を止めた。直後、なにか温かなものが唇にかすかに触れる。
柔らかい……
濃厚な口付けを期待していたわけではなかったが、それを踏まえても、エミリオのキスはたいへんささやかなものだった。それこそ、ほんの少しでも頭を動かせば、容易く離れてしまうであろうほどの遠慮がちな触れ方。
けれどそれは、彼が自分を大切に扱ってくれているからこそなのだ。セレナはそれを無意識のうちに感じ取っていた。
叫び出したくなるほどに甘く、恥ずかしく、身悶えするような感情が刹那のうちに胸を満たし、やがて去っていった。
エミリオの顔が離れていくと同時に、司祭が婚姻の成立を宣言した。
「これで晴れて二人は正式な夫婦となりました」
式は無事終わったのだ。
セレナは安堵のため息をつきつつ、夫になったばかりの青年をさりげなく見上げた。
豪奢な衣装を見事に着こなした彼はいつにも増して凛々しく、セレナの瞳に輝いて映る。
胸の高鳴りがなかなか鎮まってくれない。
初めて二人で過ごすことになるであろう夜が迫っていた。そのときのことを想像し、セレナは彼の感触がわずかに残る唇をそっと押さえた。
41
あなたにおすすめの小説
夫は私を愛してくれない
はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」
「…ああ。ご苦労様」
彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。
二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。
さよなら 大好きな人
小夏 礼
恋愛
女神の娘かもしれない紫の瞳を持つアーリアは、第2王子の婚約者だった。
政略結婚だが、それでもアーリアは第2王子のことが好きだった。
彼にふさわしい女性になるために努力するほど。
しかし、アーリアのそんな気持ちは、
ある日、第2王子によって踏み躙られることになる……
※本編は悲恋です。
※裏話や番外編を読むと本編のイメージが変わりますので、悲恋のままが良い方はご注意ください。
※本編2(+0.5)、裏話1、番外編2の計5(+0.5)話です。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る
小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」
政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。
9年前の約束を叶えるために……。
豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。
「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。
本作は小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる