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初夜を迎えまして①
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「セレナ様、私はやはりこちらのほうがよいように思います。今からでも着替えませんか?」
モニエ侯爵家から唯一連れてきた侍女のネリーがそう言って、初夜のために用意していた寝間着を広げて見せる。以前から使用している寝衣を身につけ、鏡の前で確認していたセレナは、向こう側がほんのり透けて見えるほどに頼りない布地を目にして、わずかに眉を下げた。肩紐で吊り下げる形状のそれは、胸元が大きく開いていて、裾だって膝上までしかない。
昼間にエミリオとの婚儀を終えたセレナは、宵の口から開かれた祝宴に出たあと湯に浸かり、今は初めての契りを交わすための身支度を整えているところだ。
結婚初夜は、夫婦にとって新生活を象徴する特別な夜である。その一夜を少しでも素晴らしいものするために、夫と初めて閨を共にするときには可愛らしく少々大胆な寝間着に身を包む――という流行が、この国の貴婦人たちの間に根付いて久しい。
「何度も申し上げておりますが、これくらいは普通です、セレナ様」
「……ええ、分かっているわ」
むしろネリーが用意してくれたものは揃いの羽織りが付属しているので、まだ心的抵抗が少ない。
でも……とセレナは侍女が掲げる華奢な衣服から目を逸らす。
やはり、勇気が出なかった。
最近は、女性の体型を強調するようなデザインが特に人気のようだ。自身のスタイルを誤魔化すわけでもなく、愛らしいフリルやレースで彩ってくれる寝間着は確かに、不安を抱えつつ初夜に臨む若い娘たちの心を明るく持ち上げてくれる品なのかもしれない。
しかし、セレナは己の胸の大きさにひどい劣等感をいだいていた。
「そんなの着たら、隠しようがないじゃない」
セレナが自身の胸元を押さえつつそう言うと、長い付き合いの歳上の侍女は若干呆れた顔になった。なにを言ってるんですか、とでも言いたげだが、さすがにそのままは口にしなかった。
「どうせ最後には全部見られてしまうんですから、隠しても大した意味はありませんよ」
「……そうよね」
セレナはため息をついて鏡に視線を移す。
今着ているのは、普段使いの飾り気のないものだ。袖があるので肩の露出はないし、襟ぐりもかろうじて鎖骨が見える程度しか開いていない。それでもコルセットなどで補正していないので、よく見れば……いやよく見なくても、セレナの身体の線がいつもと違うことは分かるだろう。
デザインなど微々たる違いかもしれない。
でも――やっぱり、勇気が出ない。悪あがきとは分かっていても。
「せっかく用意してくれたのに申し訳ないけれど、そういうデザインのものは、もう少し、エミリオ様と過ごす夜に慣れてからにしたいと思うの。初夜に特別な寝間着を身につけるというのも、女性たちの間でもてはやされているだけで、伝統やマナーというわけではないのだし。絶対守らないといけない決まりではないでしょう?」
セレナが縋るように見つめると、侍女もようやく納得したらしい。
「……そうですね。セレナ様の場合は着飾るよりも、普段と同じものを着用したほうが、緊張も少しは和らぎそうです。――髪に香油を付けますから、もう一度鏡を見ていただけますか」
「ええ」
少量の香油をつけた髪を侍女の手によって丁寧に梳られ、全身を磨き上げられたセレナは、その仕上がりに満足しつつ夫婦の寝室を訪れた。
扉をノックして名乗るとすぐに中から返事が聞こえ、セレナは室内に足を踏み入れる。
エミリオは広い寝台に腰かけて妻を待っていた。セレナの姿を捉えて彼はにこりと笑う。
「あなたの部屋でもあるんだから、ノックはしなくてかまわない」
「は、はい……」
部屋の中はやや薄暗く、明かりが絞られていた。エミリオが緊張する新妻に配慮してくれたのだろうか。体型にあまり自信のないセレナはほんの少しだけ安堵した。衣服を剥かれてしまえば、己の全てが彼の前にさらけ出されてしまうのは避けようもないのだが。
「こちらに来てくれるか」
扉の前でぐずぐずと動き出せずにいると、彼がゆったりとした動作で手を差し出した。そんな夫の動きを、セレナは不審に思われない程度にじっと見つめる。
エミリオは、妻となった女性の胸の大きさが常と異なることに気がついただろうか。表面的な様子からはそれを窺い知ることはできない。いつも余裕があって気遣いを忘れない彼だから、気づいていてなんでもない振りをしてくれているのか、本当に気づいていないのか判断がつかなかった。
寝台のそばまで歩いていってその手をとると、そのまま引き寄せられて隣に座らせられる。
重ねられた手はそのままに彼は妻の目を見て言った。
「あまりゆっくりと話す時間もないままこの日を迎えてしまったが、私はあなたの良い夫となれるよう精一杯努めるつもりだ。幾久しく、仲の睦まじい夫婦でいられたらいいと思う。あなたも同じ気持ちでいてくれるだろうか」
「……はい」
セレナは夫の言葉を噛み締めるように頷いた。
政略結婚で結ばれた夫婦の場合、冷えきった関係になることも少なくない。社交界に出ていれば、そういった実例を目にすることはしばしばある。
もちろんエミリオはそれで良しとするような人柄ではないと思うが、そうと分かっていても、内実の伴った夫婦関係を築こうとする意志をこうしてきちんと示してもらえると、じわりと胸に込み上げるものがあった。
触れ合った手を、自分からもきゅっと握る。
「わたくしも、エミリオ様にとって良い妻であれるように、努力します。温かな家庭を築いていきたいと思っています」
このときばかりは緊張も忘れてセレナが微笑むと、なぜかエミリオは意外そうな顔をして、それから思案するように目を伏せる。
どうしたのだろうという疑問は、少しの間ののちに解消された。
「その言葉は……つまり、これから始める行為も、あなたは前向きに受け止めている、と解釈していいのだろうか……?」
「あ……」
モニエ侯爵家から唯一連れてきた侍女のネリーがそう言って、初夜のために用意していた寝間着を広げて見せる。以前から使用している寝衣を身につけ、鏡の前で確認していたセレナは、向こう側がほんのり透けて見えるほどに頼りない布地を目にして、わずかに眉を下げた。肩紐で吊り下げる形状のそれは、胸元が大きく開いていて、裾だって膝上までしかない。
昼間にエミリオとの婚儀を終えたセレナは、宵の口から開かれた祝宴に出たあと湯に浸かり、今は初めての契りを交わすための身支度を整えているところだ。
結婚初夜は、夫婦にとって新生活を象徴する特別な夜である。その一夜を少しでも素晴らしいものするために、夫と初めて閨を共にするときには可愛らしく少々大胆な寝間着に身を包む――という流行が、この国の貴婦人たちの間に根付いて久しい。
「何度も申し上げておりますが、これくらいは普通です、セレナ様」
「……ええ、分かっているわ」
むしろネリーが用意してくれたものは揃いの羽織りが付属しているので、まだ心的抵抗が少ない。
でも……とセレナは侍女が掲げる華奢な衣服から目を逸らす。
やはり、勇気が出なかった。
最近は、女性の体型を強調するようなデザインが特に人気のようだ。自身のスタイルを誤魔化すわけでもなく、愛らしいフリルやレースで彩ってくれる寝間着は確かに、不安を抱えつつ初夜に臨む若い娘たちの心を明るく持ち上げてくれる品なのかもしれない。
しかし、セレナは己の胸の大きさにひどい劣等感をいだいていた。
「そんなの着たら、隠しようがないじゃない」
セレナが自身の胸元を押さえつつそう言うと、長い付き合いの歳上の侍女は若干呆れた顔になった。なにを言ってるんですか、とでも言いたげだが、さすがにそのままは口にしなかった。
「どうせ最後には全部見られてしまうんですから、隠しても大した意味はありませんよ」
「……そうよね」
セレナはため息をついて鏡に視線を移す。
今着ているのは、普段使いの飾り気のないものだ。袖があるので肩の露出はないし、襟ぐりもかろうじて鎖骨が見える程度しか開いていない。それでもコルセットなどで補正していないので、よく見れば……いやよく見なくても、セレナの身体の線がいつもと違うことは分かるだろう。
デザインなど微々たる違いかもしれない。
でも――やっぱり、勇気が出ない。悪あがきとは分かっていても。
「せっかく用意してくれたのに申し訳ないけれど、そういうデザインのものは、もう少し、エミリオ様と過ごす夜に慣れてからにしたいと思うの。初夜に特別な寝間着を身につけるというのも、女性たちの間でもてはやされているだけで、伝統やマナーというわけではないのだし。絶対守らないといけない決まりではないでしょう?」
セレナが縋るように見つめると、侍女もようやく納得したらしい。
「……そうですね。セレナ様の場合は着飾るよりも、普段と同じものを着用したほうが、緊張も少しは和らぎそうです。――髪に香油を付けますから、もう一度鏡を見ていただけますか」
「ええ」
少量の香油をつけた髪を侍女の手によって丁寧に梳られ、全身を磨き上げられたセレナは、その仕上がりに満足しつつ夫婦の寝室を訪れた。
扉をノックして名乗るとすぐに中から返事が聞こえ、セレナは室内に足を踏み入れる。
エミリオは広い寝台に腰かけて妻を待っていた。セレナの姿を捉えて彼はにこりと笑う。
「あなたの部屋でもあるんだから、ノックはしなくてかまわない」
「は、はい……」
部屋の中はやや薄暗く、明かりが絞られていた。エミリオが緊張する新妻に配慮してくれたのだろうか。体型にあまり自信のないセレナはほんの少しだけ安堵した。衣服を剥かれてしまえば、己の全てが彼の前にさらけ出されてしまうのは避けようもないのだが。
「こちらに来てくれるか」
扉の前でぐずぐずと動き出せずにいると、彼がゆったりとした動作で手を差し出した。そんな夫の動きを、セレナは不審に思われない程度にじっと見つめる。
エミリオは、妻となった女性の胸の大きさが常と異なることに気がついただろうか。表面的な様子からはそれを窺い知ることはできない。いつも余裕があって気遣いを忘れない彼だから、気づいていてなんでもない振りをしてくれているのか、本当に気づいていないのか判断がつかなかった。
寝台のそばまで歩いていってその手をとると、そのまま引き寄せられて隣に座らせられる。
重ねられた手はそのままに彼は妻の目を見て言った。
「あまりゆっくりと話す時間もないままこの日を迎えてしまったが、私はあなたの良い夫となれるよう精一杯努めるつもりだ。幾久しく、仲の睦まじい夫婦でいられたらいいと思う。あなたも同じ気持ちでいてくれるだろうか」
「……はい」
セレナは夫の言葉を噛み締めるように頷いた。
政略結婚で結ばれた夫婦の場合、冷えきった関係になることも少なくない。社交界に出ていれば、そういった実例を目にすることはしばしばある。
もちろんエミリオはそれで良しとするような人柄ではないと思うが、そうと分かっていても、内実の伴った夫婦関係を築こうとする意志をこうしてきちんと示してもらえると、じわりと胸に込み上げるものがあった。
触れ合った手を、自分からもきゅっと握る。
「わたくしも、エミリオ様にとって良い妻であれるように、努力します。温かな家庭を築いていきたいと思っています」
このときばかりは緊張も忘れてセレナが微笑むと、なぜかエミリオは意外そうな顔をして、それから思案するように目を伏せる。
どうしたのだろうという疑問は、少しの間ののちに解消された。
「その言葉は……つまり、これから始める行為も、あなたは前向きに受け止めている、と解釈していいのだろうか……?」
「あ……」
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