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旦那様が優しすぎまして②
しおりを挟む初夜を迎えたら、相手が誰であろうときちんと受け入れられるつもりでいた。こんなことで泣いてしまうくらい自分が初心だなんて知らなかった。
いや、考えてみれば当然だ。
セレナはなんでも卒なくこなせる天才肌ではないのだ。むしろ本質的には不器用と言えた。
だからとにかく努力して、みっともないところを見せないようにしている。立ち居振る舞いも、社交も、モニエ侯爵家で任されていた家の管理も、訓練を重ねたから上手くできていた。
だが、閨事に関してだけは訓練するわけにもいかなくて、知識だけを与えられていきなりの本番だ。もちろんそれなりに想像などで補おうとはしてきたけれど、実際に直面してみればそれがいかに無意味な行いだったかは明白だ。現実は想像などより遥かに直接的で生々しい。
侯爵家の娘として、いついかなるときも気高くあれ。
厳しく言い聞かされたその教えは骨の髄にまで染み付いている。だが、こんな経験は初めてで、どうしたらいいのか分からない。
まだ行為は始まったばかりなのに、セレナはすでに限界を迎えていた。彼の確かな欲を感じさせる優しい愛撫でさらに追い詰められてしまったら、自分は一体どうなってしまうのだろう――
己の頬を濡らす雫をセレナはさりげなく拭おうとしたが、やはり涙を隠すことはできなかったようだ。こちらの仕草に気づいたエミリオがハッとその手を止める。
「……続けてください。大丈夫ですから」
情けなくて横を向いたまま、目元を手で隠した状態で告げる。
本当はたぶん、大丈夫ではない。この先に進むことを恐れる気持ちは確実に存在している。
だが、ここで乗り越えなければならない試練だとも思う。怖いからと逃げていては永遠に慣れることなどないからだ。
しかし、どれほど待ってもエミリオが再び動き出す気配はなかった。顔を覆っていた手をずらし、横目で窺うと、彼は苦悩するように眉根を寄せていた。そのどこか悲痛さの漂う表情にセレナは言葉をなくす。
こちらと目が合ったエミリオは、セレナの上から身を引くと、戸惑う妻に向けて言った。
「今夜は、ここまでにしておこう」
「どうして……? わたくしは大丈夫です。本当です」
セレナは力を込めて主張したが、ゆるりと伸びてきた手によって目尻に残っていた雫をすくわれてしまえば、その言葉はたちまち空虚なものとなる。
そんな妻を見て、エミリオは苦笑した。
「こんなに全身を真っ赤にして……涙まで流して、無理することはない。急に決まった結婚だったから、まだ気持ちが追いついていないんだろう。あなたも……私も。本当の夫婦になるのは、互いの心の準備が整ってからでも遅くはない」
気持ちが追いついていないのは自分も同じなのだ、という言い方をされると、それ以上強く反論することはできなかった。
乱れた衣服を整えられて、室内の明かりを全て消されると、心の中まで暗く沈んだ気がした。
その一方で、どこか安堵している自分がいる。覚悟が足りていなかったのだ。それを見透かされてしまった。
強引に迫ってくれたなら、そのまま流されることもできたはずだ。セレナはエミリオのことを心から愛しているのだから、そうされたとて苦痛には感じなかっただろう。
しかし、彼はセレナの想いを知らないし、なによりも優しい。
――優しすぎて、うまくいかないということもあるのね……
エミリオと付かず離れずの位置に横たわり、眠りの淵に足を踏み入れながら、セレナはそんなことを考える。
翌朝目覚めたとき、エミリオの姿は隣になかった。
結婚したはずなのに、夫婦になりきれていないことを突きつけられるようで、セレナは胸に寂寥感を覚えた。
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