煙草屋さんと小説家

男鹿七海

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番外編 

ベランダの午後

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 休業日の煙草屋は、音が少なかった。 
 シャッターは下りたまま、通りの気配も薄い。休日の昼前、商店街はまだ目を覚ましていない。霧弥は二階のベランダで、壁に背を預け、しゃがみ込んでいた。指先に挟んだ煙草から、細い煙が立ち上る。 

 空は高く、風は弱い。洗濯物が揺れるほどでもなく、ただ煙だけが、ゆっくりと流れていく。 霧弥は煙を吐きながら、頭の中で昼飯の候補を並べていた。 
 米はある。冷凍の肉も、野菜も少し残っている。外に出るほどでもないが、何も作らないという選択肢もある。 

 ――面倒だな。

 結論はまだ出ない。煙草を一本吸い終え、灰皿にしている缶に灰を落とす。次の一本に火をつけるかどうか、少しだけ迷った。 そのとき、背後でベランダの戸が開く音がした。 
 コーヒーの匂いが、部屋の中から流れてくる。 

「またその座り方?」

  龍二だった。 マグカップを片手にキッチンの方へ向かいながら、何でもない調子で言う。 霧弥は振り返らず、煙を吐いた。

「どういう意味だ」 

「いやさ、霧弥って、しゃがみ方ヤンキーだよね」 龍二はそう言って、コーヒーメーカーに水を足す。 

 豆を挽く音が、部屋の中に小さく響いた。 

 霧弥は一拍置いてから答えた。「悪いか」 

「悪くはないけど」 龍二は笑わなかった。

 冗談のようで、指摘のようで、どちらでもない声音だった。「癖、抜けないんだなって思って」

 霧弥は煙草を灰皿代わりの缶に押し付け、火を消す。立ち上がることも、姿勢を変えることもしない。
 
「別に、不便じゃねぇ」 

「そりゃそうだろうね」

 コーヒーが落ちる音が、ぽたりと続く。部屋の中は静かで、ベランダ越しに聞こえるのは、遠くの車の音くらいだった。 龍二はマグカップを二つ用意し、コーヒーを注ぐ。一つは自分の、もう一つは霧弥の分。 

「昼、どうする?」 

「考えてる」 

「決まってない?」 

「まだな」

 それだけで会話は途切れる。龍二はカップを持ってベランダに出て、霧弥の隣に腰を下ろした。しゃがまず、普通に座る。霧弥の視界の端で、湯気が揺れる。 
「こうしてるとさ」 龍二が、ぽつりと言った。「店、休みなんだなって感じする」 

「いつもと変わらねぇだろ」 

「うん。でも、音が違う」

 霧弥は返事をしなかった。確かに、今日は下から物音がしなければ鈴も鳴らない。シャッターの上げ下ろしもない。 ただ、風と、コーヒーの匂いと、煙草の残り香だけがある。

 霧弥は立てた膝に肘を乗せ、指先を組んだ。この座り方が、昔から変わらないことを、自分でも分かっている。直す理由も、特にない。 

「なぁ」 

「ん?」 

「買い出し、ついでにどっか行くか」

 霧弥の言葉は、思いつきに近かった。昼飯の結論は、まだ出ていない。 

 龍二は一拍考え、頷く。「いいよ。特に予定ないし」 

「じゃあ、後でな」 

「うん」 

 それだけで話は終わった。龍二はカップを空にし、部屋に戻る。ベランダの戸が静かに閉まる。霧弥は、もう一本だけ煙草に火をつけた。しゃがんだまま、煙を吐く。

 昼はまだ決まらない。 行き先も決まっていない。ただ、外に出ることだけが、なんとなく決まった。煙は風に流れ、すぐに消えた。 
 玄関に向かい、靴を手に取る。バイクの鍵はテーブルの上に置かれたままだ。 

「準備できた?」 龍二が声をかける。
 
 霧弥は頷き、ショルダーバッグを肩から斜めにかけた。二人は静かに家を出る。
 ベランダから見下ろす商店街は、昼前の穏やかな光に包まれていた。

 
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