恋する嘘つき霊能者

灰羽アリス

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 おれを捕まえた『祓い屋』の女生徒は、佐久間さくまリンといった。
 佐久間といえば、幽霊界では有名な、最強の『祓い屋』一族だ。リンは本家の一人娘で、いまは見習いをしているらしい。
 なるほど、単なる見習いか。なんて、侮ることなかれ。佐久間の見習いは、プロの『祓い屋』10人分に匹敵する力を持っている、とは、トイレの花子さんの話だ。彼女は50年もこの学校に憑いているドンだ。それほど長く『祓い屋』の目をかいくぐり、力を蓄えた彼女の話には、これ以上ないほどの説得力がある。

「御手洗 優一さん……いい名前だわ。想像してた通りの、優しい響き」

 リンは頬杖をついて、御手洗さんに熱っぽい視線を送っている。
 御手洗さんは、丸顔メガネの大人しそうな男だった。イケメンか?と言われれば、正直微妙である。リンが御手洗さんを好きになったきっかけはしらないが、少なくとも、一目惚れって線はなさそうだ。

 時刻は16時20分。終礼から、10分も経っていない。リンは終礼のあと一番に教室を飛び出して、図書室に直行する。それから、図書室が閉まる20時まで、仕事中の御手洗さんを眺めて過ごす。それが、ここ最近の日課らしい。
 
 プライバシー保護が云々と文句があるのは承知だけど、俺の存在権がかかってるんだ。ごめん、御手洗さん。と内心で謝りつつ、おれは御手洗さんの情報をリンに流した。
 御手洗 優一。1994年生まれの25歳。学校から車で十分程度のところに自宅あり。ついでに、宅建の資格を取るために勉強中(参考書がバッグに入っていた)というおまけ情報もつけて。
 知り得た御手洗さんの情報をしゃべりつくし、おれはめでたくお役御免。に、なるはずだった。それなのに───

 味をしめたリンは、さらなる要求を繰り出してきた。

「ねぇ、御手洗さんと話してみたいの。彼と話すきっかけを作ってくれない?」

「約束が違う」

 おれは猛然と抗議した。
御手洗の情報を渡す。その見返りに、おれを自由にする。
 そういう約束だったはずだ。

「訂正するわ。あなたが自由になるのは、私と御手洗さんがめでたく恋人同士になったときってことで」

 一方的に契約内容をねじまげるリンは、まったく悪びれる様子がない。

 おれはブリザードを吹き荒れさせて、リンを殴って逃走……なんて、できるはずもなく、“御手洗さんとリンが会話するきっかけ作り”についておとなしく思案する。
 だって、しかたないだろ。おれを生かすも殺すも、リン次第なのだから。俺はもう死んでるけど、この世での魂の存続って意味では、やはりリンに生殺与奪権がある。

「なにか考えついたかしら?」

 まったく、むかつく女王様だ。と内心舌打ちしつつ、親し気な笑みは崩さない。

「御手洗さんはいま、富田太郎の『カゲロウ』を読んでる。ちょうどいま、君が読んでるのと同じだよね」
「それで?」
「簡単だよ。その本、面白そうですねって話しかけにいけばいい。ほら、話すきっかけができた」

 我ながら、ナイスアイディア。しかし、リンは「まったくわかってないわね」と首を振りながら大きなため息をついた。

「あのね、自分から話しかけに行く勇気があったら、最初から幽霊のあんたなんかに頼ってないわよ」

 アメリカンに肩をすくませる仕草にイラッとする。思わず貼り付けた笑顔の仮面が剥がれかけた。

「じゃ、じゃあ、落としものをしてみたらどう? 名前が書いてあるやつ。御手洗さんが拾って、君に届けてくれるよ」
「無理よ。だって、彼は私の名前を知らないわ」
「いや、たぶん、ていうか、絶対知ってる」
「なぜ?」
「第一に、君は毎日図書室に来てる。顔は確実に覚えてもらってる。第二に、図書室に入室するときには、機械にカードをかざすよね? あれ、司書さんの前にあるパソコンに、入室者の学年と名前が表示されるようになってる。この二つを合わせて考えると、御手洗さんは、君の名前と顔、完全に一致させて覚えてると思う」

 しかめ面をして話を聞いていたリンの表情がだんだんと明るくなっていき、最後には輝く笑顔を浮かべた。

「天才だわ、太郎くん。……さすがね」

 太郎くん、とはおれのことだ。
 おれは自分の名前を覚えていないし、リンも知るわけがない。そこで「太郎くん」と呼ぶことにしたと、リンが勝手に決めた。

 仮でも名前をつけてもらえて、不覚にも、おれは嬉しくなった。あやふやな精神体の集まりに過ぎなかったものに輪郭ができて、その他大勢の中から抜け出せた気がする。

 そういえば、生きた人間と視線を合わせるのも、会話するのも、死んで以来の出来事だ。
 実はちょっぴり、感動していたり。

 しかし、リンはこの感動を台無しにする、いけ好かない『祓い屋』だ。

「まあまあ使えるじゃない。次も頼むわ」

 ツンと顎を突き出して、お礼をいうことはもちろん、ありがたがる気配すらない。

 顔が可愛いのは認めるけど、性格的にはぜんぜん可愛くない女だ。クラスの女子からは「えらそうだ」と嫌われ、男子からも「こわい」と敬遠されるタイプと見た。

 机上に手帳を残したまま、帰り支度を済ませたリンが立ち上がる。どうやら、手帳を「忘れもの」に決めたらしい。緊張の面持ちで、御手洗さんがいるカウンターの前を歩いていく。声をかけられる期待でもしているみたいだ。けれど、「忘れもの」の件で御手洗さんからお声がかかるのは、早くても明日の放課後だ。今日の閉館時に見回りをして手帳を見つけてからになる。

 おれは気を効かせて、運命の時を早めてやることにした。はじめに断っておくと、これは仕返しなどではない。たとえ、内心ではこのムカつく女に一泡吹かせてやろうなんて企んでいても、弱小地縛霊にすぎないおれに、そんなだいそれたことができるわけない。
 
 御手洗さんの目の前にさしかかり、リンが最高潮に緊張した、その一瞬のタイミング。
 おれはリンの足元にブリザードを吹かせた。突発的な強風はリンの足をすくい、つまずかせる。

「きゃっ」

 結果、リンは盛大な尻もちをついた。

 キッと睨まれたので、アメリカンに肩をすくませてみせる。
 ほら、御手洗さんが来たぞ、感謝しろ。

「大丈夫ですか」

 慌てて来たのだろう。ズレたメガネを直しながら、御手洗さんがリンに手を差し伸べる。
 彼の顔を見上げ、ぽーっとするリンが、頭を打ったとでも思ったのかもしれない。御手洗さんは断りを入れないまま、リンの腕を掴んで、力強く抱き起した。

「どこか痛いところがありますか」

 自分よりずっと年下の高校生にも、敬語。これはかなりポイントが高い。って、リンが思っていそうだ。対等に接してもらえている気がして、嬉しくなるのだと思う。背伸びして、対等な関係をのぞむ子ども心は、おれにも覚えがある気がした。

 御手洗さんに顔をのぞきこまれたリンは硬直して、可哀想なくらい顔を青くした。そこは赤面するところだろって思うけど、人間、あまりに嬉しいことがあると、驚きと緊張で顔を青くするものなのかもしれない。

 とりあえず、眼前で手を鳴らしてやると、リンはハッと息を吹き返した。そう、リンは息をしていなかった。あと2分くらいそのままにしていれば、おれの仲間入りを果たしていたところだ。

「あの、えと、大丈夫です」

 もごもご言いながら、縮こまる。
 なんとまぁ、しおらしいこと。おれに対する態度とは雲泥の差だ。

 こうして望み通り、リンは御手洗さんとの初コントタクトに成功したのだった。
 それだけじゃない。リンが小躍りするような奇跡は、まだ続く。ここからは、ボーナスタイムってやつだ。

「富田太郎」
「へ?」
「好きなんですね。ぼくもです」

 リンが落とした単行本を拾い上げながら、御手洗さんが言う。嬉しそうな笑顔。

 御手洗さんの笑顔を見て、おれは「ほう」と納得する。
 リンは、この笑顔が好きなのかもしれない。
 くっと口角が上がった、幼さの残る笑顔だった。年上のお姉さまから好かれそうなかんじ。もしくは、気の強い女に。リンはもちろん、後者だ。

 そこから、富田太郎談義が始まった。といっても、ほとんど御手洗さんが一方的に話しているだけで、リンは圧倒されながら、ひたすら話を合わせている。
 御手洗さんは、同じ趣味を語り合える仲間に飢えていたようで、それはもうすごい熱量で語り散らしていた。
 ちょっと意外だったのが、けっこうコアな議論にも、リンがちゃんとついていけていたことだ。さっきまで広げていた富田太郎の本は、フェイクだと思っていた。だけど、リンはちゃんと富田太郎のファンだった。

 生前のおれも、富田太郎ファンだったのか、少し考えてみる。
 何も思い出せない。ただ、リンが読んでいた『カゲロウ』は、読んでみたい気がした。

「すみません。ぼく、すっかり夢中になってしまって。こんな時間まで……」

 閉館時間の20時を知らせるチャイムが鳴り、富田太郎談義は強制終了となる。

 大丈夫です、と答えるリンの頬が火照っていた。これまで眺めるしかできなかった好きな人と、いきなり二時間近く会話したのだ。それはもう、夢のような時間だったろう。

「よかったら、またお話しましょうね」

 さらりとそう誘う御手洗さんからは、下心など微塵も感じられなかった。

 これから室内の見回りと鍵閉めがあるという御手洗さんとさよならをし、おれとリンは図書室を出た。

 すっかり暗くなった廊下の先に、ぼんやりした視線を投げるリンは、まだ夢の中にいるみたいだ。

「懐かしかった」
 ぼんやりしたまま、リンが言った。
「お兄ちゃんが好きだったの。富田太郎。私、難しいの嫌いなのに、面白いから読めって強制されて、で、毎回感想を聞き出されてた」
「それで、コアなファンも顔負けの知識量になったわけか」
「そういうこと。太郎くんは、富田太郎の小説読んだことある?」
「少なくとも、死んでからはないよ。生前はあるかもしれないけど、覚えてない」

 ふと、疑問がよぎった。

 どうして幽霊は、生前の記憶を忘れてしまうのだろう。中には覚えている人もいるけど、それだって、完璧じゃない。

 これについて、トイレの花子さんは面白い説を唱えていた。

 私たちは、この世に留まるためのエネルギーを記憶から得ている。記憶は、日々消費される。だから、毎秒刻々と、記憶を無くしていく。

 そういえば、おれも幽霊になりたての頃は今よりも生前の記憶が残っていたように思う。何かに、ひどく執着していたことを覚えている。それが人であったのか、場所であったのか。いまとなってはもう思い出せないけど。花子さんの説が正しければ、おれの中にはまだ消費されるだけの記憶が石油みたいに眠ってるはずだった。

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