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しおりを挟む「ピンポーン! ピンポーン! 斎藤晴美さん、いるのはわかっているんですよー! 出て来てくださーい」
「おい、妙な呼びかけ方すんなよ」
「ごめんごめん、つい職業柄ね」
酔い覚ましに移動販売車で買ったタピオカドリンクをちゅうちゅう吸いながら、綿彦はドンドン扉を叩いた。さすが、アメリカンドラマ的というか、なんというか……。
『……こうなったら、証明してりますよ! 斎藤晴美はとんだ女狐で、和臣の会社に保険金を請求する資格なんかないってことをね!』
なんて大口叩いていたが、綿彦はどう証明するつもりだ?
実際に被害が発生している以上、保険金を一円も支給しないのは不可能に思えるが?
確かに斎藤晴美に保険金を支払う必要がないと証明されればおよそ1500万円の損害を出さずに済み、部長にも褒められるだろうけど……。
とまぁ、ほんの少しの期待と好奇心に負けた結果、
俺のバカ! 何で言われるまま、お客の家に綿彦を連れてきちゃうかなぁ!
「俺たちは保険会社の人間としてあくまで現場視察にきてるんだからな。相手はお客様だ、失礼なことするなよ?」
「わかってるよぉ。まぁまぁ、大船に乗ったつもりでいなされ」
本当にわかってんのかよ……。不安だ……。
良い子にな、わかってるよぉ、と繰り返しやり取りをしているとやがて、
「保険会社の調査員……さん?」
ガチャッと玄関扉が開き、問題の人物、斎藤晴美が顔を出した。
俺への愛想笑いと、綿彦に向けられる不信感丸出しの目。
私服にボロいトレンチコート、おまけに子どもみたいにタピオカを口の中でもてあそぶ綿彦まで保険会社の調査員という設定は……やはり無理があったか……?
ここで被保険者、斎藤晴美の情報を整理しておこう。
歳は44歳。
家族構成は夫と子どもひとり。
水濡れ、盗難、突発的な事故まで、すべてをカバーできる最高金額の家財保険に加入。
加入は五年前。
請求金額は1500万円。
請求理由は盗難、それにともなう家財の破壊、その修繕と補てん。
自宅は郊外の一軒家。
立地は、住宅街から少し離れた場所、隣は畑、反対側は工場、道路の向かいはコンビニとなっている。
事件は、先月、3月26日の金曜日に発生。
斎藤晴美さんが仕事から帰宅すると、家じゅうが荒らされていた。
犯人は、近くのコンビニにたむろする不良少年の集団と思われた。
目撃者はおらず、斎藤さん本人も犯行自体を目撃してはいないが、予想はついたという。
というのも、斎藤さんが帰宅すると、コンビニにたむろする例の集団が意味深に笑っていたし、敷地の庭から数人の少年が逃げて行くところを見たからだという。
「あの子たち、いつかやると思ってました」
斎藤晴美は44歳にしては若く見えるご婦人で、長い髪はハーフアップにして縦巻きに、化粧もばっちりで、服は膝丈のひらひらしたスカートとブラウス、爪先には赤いマニキュアと、隙のない装いだ。生粋のお嬢様育ち、といった雰囲気。
その彼女が、「山からおりてきた野生の猿のような、理性のないバカどもの集団」と不良少年たちを辛らつに罵る様はゾッとするほどの迫力があった。思わず俺の背筋も伸びる。
「前から何度か、注意したことがあったんですよ。夜、コンビニにたむろするのは人様の迷惑だからやめなさいって。きっとあの子たち、注意されたことを根に持って、こんなことをしたんです。仕返しですよ」
斎藤邸は広々した3LDKで、壁紙や家具の端々に奥様のこだわりが感じられた。聞けば、北欧風の家に住みたくて、わざわざ現地から取り寄せた品も多いのだという。
事件から一週間、自宅はある程度片づけられていた。
とはいえ、壊された家具はそのままで、壁の落書きも落としきれていない。生活はしづらいだろう。
出された紅茶のカップも欠けているしまつ。
これはもう神妙な顔で、
「ご請求は承認する方向で進めさせていただきたいと思います……」
と答えるしかない。
誰だよ、斎藤晴美に保険金は必要ないって言ったやつ!
支払うしかないじゃんか、こんなの。今回も承認だよ、承認!
──ハァ。
「よかったわ。それで、お金はいついただけます?」
「手続きに二週間ほどかかりますので、早くても今月の終わり頃になるかと──」
「そんなに! 遅いじゃない! 何のために私が普段高い保険料を支払っていると思ってるの! 職務の怠慢じゃなくって?」
「すみません。すみません……。しかし、規則なので、どうにも……」
勤め人とは、まったく、理不尽な立場だ。
くそ、斎藤晴美に会いに来たばかりに、無駄に頭を下げることになってしまった。
それもこれもぜんぶ、綿彦のせいだ……ってあれ、あいつどこいった!? いつからいない!?
「ねぇ、ここ、旦那さんの部屋ー?」
とつぜん、綿彦の声が割り込んできた。けれど、姿はない。と、リビングを挟んで突き当りの部屋から、ぴょこっと顔を出す。
ぎゃーっ!
お前そんなところで何してんだよーっ!!
「ええ、そうですけど。そちらの部屋は関係ありませんわ」
斎藤晴美さんがソファから立ち上がり、綿彦のもとへ足早に歩いて行った。
「お、おい、綿彦」
俺も焦って、彼女のあとを追いかけた。
失礼なことするなって言っただろ!
小声の文句は残念ながら綿彦には届かない。
そして突き当りの部屋に入り、俺は息を飲んだ。
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