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第ニ章 目撃者をつくろう

5 俺を魔女の弟子にしてよ

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 翌日、いつも通りの時刻に出勤した私を、弱り顔の中村先生が待ち構えていた。

「昨日はどうもありがとうございました。お恥ずかしいところをお見せして……」 

 あのあと目を覚ました中村先生は、やっぱり何も『目撃』していなかった。残念なのと同時に、ほっとした。
 
 私、調子に乗ってた。だいたい、魔女だと告白したところで、中村先生が受け入れてくれるかもわからなかったのに。気持ち悪いと拒絶され、最悪警察に突き出された可能性も……つらいけど、現実はたいてい厳しいものだ。得体のしれない者を手放しで受け入れてくれる人の方が珍しいだろう。相手が良識ある大人ならなおさら。赤星くんに目撃されるってミスも犯すし。
 今後はもっと慎重に行動しなきゃ、いけないかも。

「きっとお疲れなんですよ。お体、お大事になさってください」

「はい。……あの、これ、『あじさいの集い』の招待券です。なくても入れるんですけど、持ってると特典がもらえるので、どうぞ」

 手渡されたのは、うす紫色のチケット。あじさいモチーフの妖精が描かれている。

「可愛い。今日の放課後でしたよね。楽しみです」

 中村先生の完璧な微笑みに癒され、夢見心地な気分のまま朝の職員会議を終えて、受け持ちクラスの3年1組に向かう。二階の廊下を歩いていると、

「ヴッ!!」

 突然背後から口元を押さえられ、空き教室に引きずり込まれた。
 犯人は赤星くんだった。
 驚きに身を固くする私に、赤星くんは満面の笑みを向ける。

「なにすんのよ、びっくりしたじゃない!」

「ごめん。でも、二人きりで話すなら、今しかないと思って」

「……私が廊下通るの、ここで待ち構えてたわけ?」
 
 神様、ここに少女漫画のヒーローみたいな顔して少女漫画のヒーローみたいなことしてる男子がいます! 少女漫画の世界に飛ばしてやってください!!

「こういうことは、同級生の女の子相手にしなさいよ。25の女にしたって『キュン』なんてしないんだからね。マジの『ドッキリ』で不整脈起こして昇天するの。わかっからもうしないでよね。じゃ」

「ちょっと待って!」

「ひゃっ」

 ……こやつ、壁ドンまでかましやがった。

 しかしこの子、ホント綺麗な顔してんなぁ。
 世の中には特別な力なんて持ってなくても、最初から主人公気質なやつがいる。赤星くんが、まさにソレだ。顔も良く、勉強も運動も出来て、時々授業をさぼっちゃうようなちょい不良、女の子の扱いも上手いからまあモテる。そのうえ、母子家庭というほのかな不幸の匂いもまとってるんだから最強だ。「私が温かい家庭を作ってあげるんだ」と前のめりになる女の子続出。ここまで完璧な主人公属性を持ちながら、しかし赤星くんはまだ足りないらしい。黒曜石のような瞳を輝かせて、私に言った。

「俺を、魔女の弟子にしてよ」

 クラスのイケメンは実は魔女の弟子でした☆
 もしもし、それどちらの少女漫画ですか。
 もういいよ! 十分だよ! 君はいまのままでも他人より百倍人生楽しくやってけるって! このうえ魔法の力までなんて、幸福の過剰摂取ってもんだ。一般人と比べ、不公平にもほどがある。なので、

「却下します」

「えー、いいじゃん。俺、良い弟子になるよ。必要なもんがあれば何でも手に入れてくるし、喜んで使いぱしりになるよ。もちろん、ひなこちゃんが魔女だってことは誰にも言わないし」

「赤星くん、それ、脅しですか」

 赤星くんがにーっと笑みを深めた。

「お願い、師匠」

 気分はもう魔女の弟子らしい。私は大きくため息をついた。

「ダメです。ていうか君、見たところただの人間だし、魔法は使えないわよ」

 そう、弟子にする云々の前に、そもそもの話。赤星くんはただの人間。私の中にあるような、うごめく力──私は魔力と呼んでる──のようなものを感じない。この魔力が魔法の原動力なので、それを持っていない赤星くんに魔法は使えない。よって、魔女の弟子になったところで意味無し。
 しかしすげなく断られても、赤星くんは落胆した様子を見せなかった。けろっとした調子で続ける。

「そっか。じゃあ、眷属にしてよ。それならできるでしょ?」

「眷属って───待って。眷属のこと、なんで知ってるの?」

 赤星くんの口調は可能性を問うものではなく、断定的だった。私が眷属を作れることを知っている。
 赤星くんが掲げたこぶしを見て、私はぎょっとした。こぶしの下からはみ出した小さな足が、ぱたぱたと暴れている。

「こいつに聞いたんだ。こいつもひなこちゃんの眷属なんだって?」

「離して! ピンキーちゃんが潰れちゃうでしょ!!」

 唇を尖らせた赤星くんは、少しの逡巡のあとぱっと手を開いた。

「ママーっ!」

「ピンキーちゃん!!」

 飛んできたピンキーちゃんをひしと胸に抱き寄せる。
 おお、可愛そうに。髪がくしゃくしゃじゃないか。顔も涙でぐしゃぐしゃだ。

「ねえ、お願いひなこちゃん。俺、どうしても魔女の近くにいたんだ。あんな不思議な光景見たら、もう何も知らなかった頃には戻れないよ。奴隷でも、何でもいいからさ。そばに置いてよ」
 
 必死か。……まぁ、必死にもなるか。
 私も赤星くんの立場だったら、何が何でも〝せっかく見つけた不思議な存在〟に縋りつくだろうな。マンネリ化した日常から抜け出せるチャンスを、絶対に逃さない。気持ちがわかるから、強く言えなくなる。

「どうせいつも近くにいるじゃない。私はあなたの担任だし、顧問だし」

「そういう意味じゃないって、わかってるくせに。俺、眷属にしてもらうまで絶対諦めないから」

 ───ふう。
 面倒くさっ!!

「やっぱ『記憶喪失』にするべきだったかしら」

 チャイムが鳴った。朝の会は担任不在で終了。このチャイムは、1限の開始を告げるチャイムだ。私は教科書を抱えなおし、チャイムの音に聞き入っていた赤星くんの腕からすり抜けた。

「あんまりしつこいと、カエルに変えるわよ! ……授業サボらず出なさいね」

 私はそう言い残し、逃げるように空き教室を去った。

 7月1日水曜日の今日は、夏休み前最後の進路希望調査の提出日だった。
 赤星颯太の希望調査票の第一希望の欄は、有名私大に二重線が引かれ、『魔女の眷属』とでかでかと書かれていた。しかも、赤ペンで。

「オーマイガッ!」

 デスクで頭を抱える。
 これはどう考えても、私のせいだよなぁ……
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