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[23]ミッション⑥我儘な女であれ!《あと30日》

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 ずっと昔、お父様からもらった女の子のお人形。銀髪にエメラルドの目、青いドレスと帽子。お父様が馴染みの商人に、私そっくりに作らせたものだ。片時も手放さず、どこへ行くにも一緒だった。それなのに、──いつの間にか、部屋の片隅へと追いやられ、今日まで思い出すこともなかった。
 そんな彼女を、死神が楽しそうに腕に抱く。大人の男、それも全身黒ずくめで変なお面をつけた男に愛らしい人形の組み合わせは異様だ。気味が悪くて、ぞっとする。

「人形遊びの趣味が?」

 侍女に髪を整えられながら、横目に死神を見る。侍女は死神の奇行に目も止めない。というより、見えていないのかも。虚ろな目で、ただ淡々と仕事をこなしている。こういう光景にも見慣れたもので、侍女の不自然さの理由は容易に想像がつく。死神の"魔法"だ。

「なぜ王子に振られたか、その理由がお前にわかるか?」

 死神は人形をもてあそびながら聞いてくる。
 質問を無視されるのも慣れっこだ。

「さぁ」

「真面目に考えろ」

 人形をもてあそぶ死神をちらと見て、ため息をつく。

「そうね、ルルが私より美人だったから?」

「造形の美しさはお前の方が何倍も上だ」

「……あの、天真爛漫さかしら。私にはないものだわ」

「ふむ。核心に近いな。だがあれは──」

「『作られたもの』でしょ。知ってるわ」

「その通り。教えがいのある生徒で助かるよ」

「どうも」

「答え合わせをしよう。お前が振られた理由は、お前が"つまらない女"だったからだ」

 『つまらない子』──母の言葉を思い出す。
 カァと顔が熱くなる。
 やっぱり、そうなんだわ。
 
 でも、

「仕方ないじゃない。私は王太子の婚約者として、大きな責任があるの。──あった、の。果たさなければならない義務もたくさん。誰にでも、馬鹿みたいにへらへらできる身分じゃないのよ。言動ひとつで足をすくわれかねない。格式や慣習や行儀作法に忠実に生きて何が悪いの? どうして、それがつまらない人間になるのよ」

 人様の目がある前でも、無邪気にアレクの腕に手を絡めるルル。失礼だと、彼女を叱る私。
『学校では身分は関係ない。かたいことを言うな』とアレク。そんなの、建前にすぎないのに。心の中でうめく。

 私は"つまらない女"で、ルルは"おもしろい女"?
 格式ばった貴族社会の中で、庶民らしい自由な振る舞いは、さぞ物珍しく映ったことでしょう。パンの焼き方や、クッキーの作り方なんて、私は知らない。彼女の話は、アレクが聞いたことのないことばかりだったに違いない。さぞ、彼を喜ばせたことでしょう。

「………私は精一杯、頑張っていたわ」

「そうだな。頑張っていただろう。いつもいつも本に埋もれて政治や歴史の勉強。行儀作法だって、完璧に覚える。王子の言いつけどおり、やつの政務を手伝って。『あれやって』『はい』『これやって』『はい』。いつも王子に付き従って、"個"としての自分を殺す。いつでも王子を一番に。王子は太陽。自分は影」 

 そうよ、その通り。改めて聞くと、私ってすっごく頑張ってる。自分を褒めてあげたい。

「つまらない生き方だ。お前の個性はどこにある?」

「私は、ただ、アレクの役に立ちたいと──」

「重い上に、うざい」

 目がチカチカする。意味がわからない。暴言、よね?それすらわからない。

「自分の気持ちばっかり押し付けて、空回り。お前は『婚約者』から、いつの間にか『秘書』に成り下がっていたんだよ。お前がどんなに王子を愛し、尽くそうが、やつにとってそれはもう当たり前のこと。感謝の念すら湧かない。『こんなに頑張ってる私、偉い。褒めて、愛して』お前がいくら思おうが、反応が返ってくるはずもない。二人の間にあるのは事務的な、お仕事上の関係。恋愛感情が育つはずもない。何を言っても『はい』『はい』『はい』従順過ぎてつまらない。まるで人形を相手にしているみたいだ。ああ、つまらない」

 肩が震えだした。
 打ちのめされた気分だった。
 あんなに頑張っていたのに、あの時間はすべて無駄だったというの。

「無駄どころじゃない。むしろ、王子の心をを遠ざける要因となった、無意味で無価値な時間だったといえる」

「ひどい。そこまで言わなくたっていいでしょう!」

「いや、言わせてもらう。ここで気づかねば、お前はまた、同じ過ちを犯すだろうからな」

 気づけば上がっていた腰を、再び椅子に沈める。聞きたくないけど、逃げ場はない。たとえ逃げたところで、死神はどこまでも追ってくるだろう。

「いいか。"新しいお前"になるまで、王子がお前に振り向くことはない」

「新しい……私……?」

「そうだ。そのために、まずは見た目から変えた。かたぶつから、ゆるふわに。次は中身だ」

「でも、どう変わればいいの?」

「そこで6つ目の"命令"だ、フィオリア。"我儘な女になれ"!」

 我儘な女の代名詞といえば、ルルだ。
 他人の事情を顧みす、自由気ままに振る舞う女。思わず顔をしかめる。

「従順すぎる女より、我儘な女のほうが飽きない。予測不可能な言動に振り回されつつ、その女を満足させられた時の達成感は大きい。それに、我儘な女の方が屈服させる楽しみがあるってもんだ。つまらない女とはかけ離れている。だろ?」

 男って…………
 呆れて目を回す。

「我儘には2種類ある。モテる我儘と、うざい我儘だ。この違いは、可愛げがあるかどうかだ。小首を傾げて、『お願い、〇〇して?』そして、お願いが達成されたら微笑みながら『ありがとう』」

「ねぇ……もしかして……」

「今夜のパーティーでこなしてもらう。『嫌だ』はなしだ」

 ぐっと言葉を飲み込む。

「相手は誰でもいい。最低3つの我儘を言え。小首を傾げ──」

 立ち上がり、死神に顔を近づける。小首を傾げ、ついでに胸の前で手も組んでみた。

「お願い、今夜は貴方も一緒に来てくれるでしょう?」

「──お、俺に小技を使うな!5つに増やすぞ!」

 あら、本当に効くのね、この技。

「来てくれないの……?」

 眉尻を下げれば、

「──心配せずとも、ついていってやる。お前の影に潜んでな」

 お面をそむけ、うろたえる死神を見て、にんまり笑う。

「そ、よかったわ」

 踵を返して歩けば、淡い紫色のレースドレスが揺れる。死神の視線が、揺れる裾に注がれていることがわかる。
『男は揺れるものに目が行きやすい』は本当らしい。ふわりと巻かれた髪も、手を通して揺らしてみる。死神がぐぅとうなる。

「調子に乗るな。襲うぞ」

 ふと、思い出す。おでこに感じた、熱く、柔らかい感触。

「つかぬことを聞くのだけれど、貴方、夜はどこかに帰っているのよね?」

「ああ、まぁな」

「私と同じベッドで眠るなんて、あり得ないわよね?」

「なんだ? 添い寝の催促か?」

「なっ、違うわ!ベッドに入ってきたら殺すわよ!」

「そりゃ残念」

「ただ、昨夜そんな夢を見たというか……」

 嫌な夢を見ていた気がする。それで、起きたら死神が横にいて、それからおでこに──

「欲求不満だな。俺ならいつでも相手をしてやるぞ」

 わざわざお面をずらした死神が、赤い唇でにやりと笑う。

「結構よ」

「それは承諾の意か?」

「お断りって意味よ!馬鹿!」

 怒鳴ってから、まんまと仕返しされたことに気づく。
 
「お嬢様。キッド・エンデ伯爵様がお見えです」

 侍女が知らせにやってきた。

「さぁ、行くぞ。お迎えだ」

 死神が人形を手渡してきた。記憶にあるのより、ずっと綺麗な彼女を。銀の髪は巻髪になり、薄紫のレースドレスを着せられている。表情も心なしか明るく見えた。死神が彼女を変身させたのね。

「新しい自分に」

 乾杯、と言うように死神が言った。

「ええ、新しい自分に」

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