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[25]ミッション⑥遂行中(1)
しおりを挟む「フィオリアさんがひどいよぉぉぉ」
泣き出したルルに気圧され、思わず後退る。
ひどい要素どこにあったというのか。私の言動は完璧に好意的なものだったはず。わけがわからない。
「どうしたというんだい、ルル?」
アレクがルルの背に手を添える。ルルは顔を覆い、泣きじゃくる。
「フィオリアさん、わざと私と同じ色のドレスを着てきたんだよ。私が紫のドレスを着るってことは公表してたのに。私は今夜の主役なんだよ。普通は遠慮して同じ色は避けるわ。見てよ、他には誰一人紫はいないでしょ? 同じ色を着て、『私のほうが綺麗』って見せつけてるんだ。これじゃ私は笑いものだよ。未来の王妃が、笑いものになるんだよ? 王家を一番に支えるべき公爵家の令嬢が、王妃を貶めていいわけないよね? そんなの、だめだよね?」
あまりに身勝手な言い分に、呆れすぎて否定することを忘れていた。
言葉の節々から、私を見下す悪意が伺える。彼女はまだ、アレクと正式に結婚したわけでなく、平民であることに変わりはないというのに。公衆の面前で憶測を事実のように叫び、公爵令嬢である私を貶めているのはルルの方だ。許されないことをしているのは、ルルの方だ。
「フィオ、そうなの?」
アレクが聞いてくる。悲しげに眉尻を下げて。
違う、と言葉にする前にルルは言葉を重ねる。
「でも、仕方ないよね。私がアレクを取ったから。フィオリアさんが仕返しをしたくなるのもわかる。こういう形で仕返しするのはどうかとも思うけど。それでも、全部私が悪いの。ごめんね、アレク。私のせいであなたに恥をかかせてしまって」
「ルル……なんて健気なんだ」
「アレク……!」
ひしと抱き合う二人。
やがて視線に嫌悪を乗せて、アレクが私を見る。それに合わせ、周囲の視線が私に集まるのを感じた。これからさらなる断罪劇が始まるのかしら。
──とんだ茶番ね。
怒りは今にも爆発しそうだし、さっきから目の端に映り込む七面鳥に刺さったナイフを抜き取って、ルルに投げつけたくてたまらない。
だけど、怒ってあげないし、ナイフも投げない。それをすれば、私が"悪役"になることは経験上、痛いほどわかっているから。学園の卒業パーティーで、ルルのあまりの横暴さに苛ついて、彼女のドレスにワインをこぼしたことがある。事故を装って、その実、わざと。周囲にはお見通しで、厳しい批判を受けた。馬鹿なことをしたと思う。もっと賢く立ち回るべきだった。私は愚かだった。
今ならどうすればいいか、わかる。私には、この20日間で死神から教えられた様々なテクニックの知識がある。
まずはそう、"同情を煽れ"。周囲を味方につけるのよ。決してキレてはだめ。謙虚に。悪いのは私という態度で。
眉を下げ、瞳を揺らし、唇を半開きに。困惑した表情に、悲しみを乗せる。
「ごめんなさい。ドレスの色が被るなんて、思わなくて。このドレスは、私の目の色に合わせて友人が贈ってくれたものなの。嬉しくて、すぐに着てしまったの。ルルを悲しませるつもりなんてなかったわ。本当よ」
ゆっくりと、哀れみを誘う声音で、しかしホールの観客に届くように語る。ルルの目をまっすぐに見たまま。
計画が成功することを祈る。成功への見通しだけが、悔しくて歯ぎしりしそうになる自分を抑えてくれる。
「貴女が嫌だと言うなら、今すぐ着替えてくるわ」
「当然よ。着替えてきて」
それを聞いて、思わず笑いそうになる。
いつもの貴女らしくない。相当頭に血が上っているのね。周りを見てみなさいよ。
周囲のざわめきに、ルルもやっと気づいたようだ。ハッとしたかと思うと、みるみる顔を青ざめさせる。
「まぁ、平民が偉そうに。公爵令嬢に指図したわよ」
「もう王妃気取りね」
「王家に入り込んだメス犬め」
「恥を知れ」
「フィオリア様、お可哀想に」
計画はほぼ成功。周囲は私の味方。悪意の向かう先はルルに。だけど、少し上手く行き過ぎだわ。妙ね。ルルはまだ平民とはいっても、将来は王妃になるかもしれない娘。取り入ろうと、彼女を擁護する声があってもいいのに、ごく少数だ。選民意識の強い貴族が平民出の王妃を受け入れられないのは理解できるけど、それにしても………
有力貴族家の当主の面々は、この事態を静観している。
「じょ、冗談だよ。着替えるまで、しなくていいから」
ルルが慌てて言い募る。
「だけど……」
「いいんだってば!」
「それでは私の気が収まりません。大切な日だというのに嫌な思いをさせてしまって……」
空気を読まないボーイが、隣にいるキッド様にワインを勧める。少しの押し問答のあと、キッド様が困惑して彼からグラスワインを受け取った。
「キッド様、私にもワインをくださる? お願いしていいかしら?」
「ええ、もちろん」
過ぎゆくボーイを呼び止め、キッド様がグラスワインを受け取り、私に渡してくれる。
受け取ったグラスワインを一口飲み、掲げる。ルルが目を見開く。卒業パーティーの一件を思い出したのかしら。グラスをゆっくり逆さにする。赤い液体がこぼれてゆく。そして、私の薄紫のドレスを赤く染めた。会場は一瞬の静寂に包まれる。
「大変。こぼしてしまったわ。着替えが必要ね。私ったら、恥ずかしいわ」
アレクとルルが呆気に取られるなか、キッド様に笑ってみせると、彼は朗らかに笑った。
「あはは。困ったものだ」
「今日のワインはドーン産かしら。すっごく美味しいわ。皆様もぜひ飲んでみてくださいな」
明るく周囲に言い放つと、笑い声が上がった。悪意のない、陽気な喧騒に戻っていく。音楽はテンポの良いものに変わり、拍手や口笛まで聞こえてくる。
「アレクセイ殿下。挨拶も早々ですが、ぼくは彼女を着替えさせるため、奥の部屋までエスコートせねばなりません。これで失礼を」
キッド様の会釈に、アレクがなんとか頷く。真っ赤な顔のルルと、よくわからない表情のアレクを背に、会場を横切る。道行く人々は視線が合うと好意的に会釈してくれた。不思議な気分。
「格好良かったです」
キッド様が耳元でささやく。その声音から少しの興奮が伝わってきた。
「ありがとうございます」
「やっぱり、貴女は最高の女性だ。絶対に、手に入れたい」
「──何か?」
残念ながら、私の耳は人並み以上に良い。聞こえないふりが得意になるほどには。
「いえ、なんでも」
会場を抜け、王城内の薄暗い廊下を進む。どこかの部屋に連れ込まれるなんて、ないわよね? 優しいキッド様に限って、あり得ない。
──大丈夫。万が一のときには死神が止めてくれるわ。………そうよね?
気分を紛らわせるには世間話が一番だ。
「なんだか、会場の雰囲気が妙じゃありませんでしたか? ルルを祝福しているようで、馬鹿にしているような。でも、みんな笑顔で……」
まるで、サーカスの一幕のよう。みんな笑顔の仮面を貼り付けて。ピエロを囲む。不気味だった。
キッド様は何か知っているようで、動揺を見せた。
「何か知っているなら、教えてくださらない?」
小首を傾げ──わかってる。卑怯なことをしているのは。
「誰にも言いませんから。お願い」
キッド様は歩みを緩め、身を寄せて慎重に語りだした。
「社交界が現在、2つの派閥に対立していることはご存知ですか」
「3つでは? 北のウィンガーデン公爵家を中心とする貴族派、南のサウザンド公爵家を中心とする中立派、そして我がディンバード公爵家を中心とする王家派」
「フィオリアさんの婚約破棄までは。しかし、婚約破棄でディンバード家が王家に不信を抱いたことをきっかけに王家派は分裂。一部が中立派に吸収され、現在、中立派が妙な動きを見せています。中立と言いながら、王家に接近しているところを見ると、新たな王家派ができたと言ってもいい」
「じゃあ、お父様はいま……」
「今のところは、静観しておられるようですね」
「全然、知らなかったわ……」
「仕方ないさ。君はそれどころじゃなかったんだから」
「それで、その妙な動きというのは?」
「ルル嬢を平民の身分のまま、アレクセイ殿下の婚約者に押す動きです。普通、平民を婚約者にする場合、どこかの貴族家の養子にしてから婚約する。下級貴族家でさえ、平民を妻に迎える際はそうした処置を施しているというのに……」
「"貴族の選民意識は強い"……」
「ええ。平民をそのまま身内に引き入れるなんて我慢ならない。普通は」
「どうして王家は、ルルをどこかの養子に入れないままアレクの婚約者にしたのかしら」
「まさしく、妙なのはそこなんだ。普通じゃない。貴族が平民を時期王妃に押すのもだが、平民のまま王家に嫁がせようとしているなんて」
「中立派……いえ、新王家派は何を考えているの? 何か狙いが?」
「表面上は、平民の王家への忠誠をより一層強めるためとか。平民を王妃に据えることで、平民を重んじていることをアピールする」
「表面上は?」
「あくまでぼくの見解だが、多くの貴族家がそんな理由で平民のために動くとは思えない。悲しいかな、それが現実のはずなんだ。彼らにはもっと別の目的がある。巧妙に隠してはいるけれど……」
「その目的って?」
「さぁ、それはぼくにもさっぱり。さて、着いた。この部屋だよ」
キッド様が部屋な扉と反対側の壁によりかかる。
「ぼくはここでお待ちしています」
ほっと息をつく。やっぱり、キッド様はどこまでも紳士だわ。
扉を開け、一人で中に入る。扉が閉まった瞬間、
「最高だったぜ!」
死神に抱きすくめられた。
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