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[33]ミッション⑦遂行中(1)
しおりを挟む「ねぇ、これちょっと胸がきついのだけど、こういうものなの……? それに短すぎるわ。膝が見えそう……!」
シフォンのゆったりとした白い長袖は肩口がずり落ち、肌が顕になっている。その上に着た胸から下の水色のワンピースは、長袖がそれ以上ずり落ちないように止める役割を担っている。着ている感覚はネグリジェに近く、足元に風が通り心もとない。
「いや、実に上手く着こなしてるぜ」
「本当に……?」
死神の言うことなら間違いはないと信じたいけれど、不安だ。顕になった脚を舐めるように見てくる死神の視線に晒さられれば……彼の満足のためにこんな格好をさせられているんじゃないかって気がしてくる。
死神が私の髪を左側にまとめ、手早くみつ編みにした。シンプルなリボンのバレッタで留められる。
そういえば、アレクの婚約発表パーティーの夜も、ドレスを着替えに行った部屋の中で、彼が髪を整えてくれたのだった。ずいぶん慣れた手付きだと、その時も思った。まるで、毎日誰かの髪を整えていたかのような………
「上手ね」
「まぁな」
「どこで覚えたの?」
「どこでしょう」
「どこかのお嬢様の従者でもしていたとか?」
「なに、そんなに俺のことが気になる?」
「……!」
ずいと顔を寄せられ、心臓が跳ねた。
「べ、別に、そんなんじゃないわ。そう、これは場をもたせるための世間話であって──」
死神が楽しそうに笑う。
………ああ、また彼の調子に乗せられてしまった。うまくはぐらかされたのは、これで何度目かしら。
「さぁ行こう」
むき出しの肩に腕を回し、死神が宣言した。
持たされたバスケットを腕にかけ、メモに書かれた地図を頼りに街を歩く。
住み慣れた領地の街でもまともに出歩いたことはないのに、いまは社交シーズンで王都のタウンハウス住まい。出かける街は城下の外れ町で、ますます土地勘がない。
『俺は口出ししない。"一人で"頑張ってみろ』
そう言った死神は、その言葉を体現するように、私の少し後ろをついてくる。
地図と初めて見る道に四苦八苦しながら、なんとか野菜の露店がたくさん出ている市場にたどり着く。
ええっと、お使いのリストによると……
まずはトマトを買わなくちゃ。
お店の目星はついている。シェフおすすめの『ベリーの店』とメモに書かれていたからだ。
お店はすぐに見つかった。あとは買うだけ。楽勝ね。
店先には、艷やかなトマトが溢れんばかりに積まれていた。持てばずしりと重い。思えば、調理される前の野菜を手にとってみるのは初めてだった。
いくらかしら……?
値段が書かれたボードはどこにもない。
持たされたお金は、金貨3枚と銀貨5枚に銅貨が15枚。
これだけ立派なトマトなら、そうね……
「トマトを5個ちょうだい。これで足りるかしら?」
そう言って、銀貨を一枚、店主に手渡す。すると彼はぎょっと目を見開いた。
「冗談だろ、嬢ちゃん。これじゃ100個分の値段だよ!」
「えっ……!」
「トマトは2個で銅貨一枚だ。5個なら銅貨2枚と半銅貨一枚な」
「そんな、安すぎるわ……!だって、こんなに立派なトマトなのに!」
「おお、嬉しいこと言ってくれるじゃないか。なら銅貨2枚でいいぜ。オマケだ!がははは」
うそ、もっと安くなっちゃったわ……!
振り向き死神に助けを求めれば、やれやれというふうに肩をすくめるだけだった。
耳慣れない大声があちこちで響く。客寄せの声、値切りの声、笑い声、子どもたちがはしゃぐ声。人々の熱気に当てられ、くらくらする。
「なんだか、圧倒されちゃう」
上半身裸の男たちが荷馬車から荷物を下ろしているのを見て、慌てて目をそらす。
よく見れば、男性も女性も薄着の者が多い。それに、薄汚れている。ズボンやスカートの裾はみな泥跳ねで茶色く汚れているし…………あんなものを着ていて平気なの? 身震いする。
そういえば、石鹸は高価で庶民は手に入れられないと死神が言っていた。彼らの汚れは仕方のないものなのかもしれない。別に、彼らが不潔であることを望んでいるわけじゃ、決してなくて────
「ここの人間はお姫様には刺激が強すぎるか?」
お前には無理だろう?早く降参しろ、そんなふうに言われている気がしてムッとする。
「すぐに慣れるわ」
次の野菜を求めて市場を歩く。人が多くぶつかりそうになるも、死神がうまく誘導してくれる。
不思議なことに、変な恰好の死神を好機の目で見る人は誰もいなかった。また魔法で目くらましでも使っているのかと訊ねると、
「まさか。こんなに大勢の人間に魔法をかけることはできない。彼らは生きるのに忙しくて俺なんてどうでもいいだけさ。変だなと思う余裕すらない」
周囲を見渡せば、死神は街の中にすっかり溶け込んでいるようだった。むしろ、忙しなく辺りを伺う私のほうが浮いて見える。いくら町娘の恰好をしていても、私はよそ者。みんなきっと気づいてる。
「平民が一月に得られる金がいくらか知ってるか?」
「たしか……銀貨4枚」
すぐに思いつかなかったけれど、よく考えれば知っていた。アレクの政務を手伝う中で学んだ知識だった。
「いまはせいぜい、よくて銀貨3枚だ」
「トマト5個に対して銀貨一枚が驚かれるわけだわ」
書類の中で彼らの月収を知ったときもずいぶん安いとは感じた。これで生きていけるのかしら、と。町の中で、彼らが思う銀貨の価値に直面したいま、そのことをより真に迫って感じる。
ジャガイモを買うため、新たな露店の前で立ち止まる。次は失敗しない。少し緊張しながら、店主に声をかけた。
「銅貨1枚で、7個買えるかしら……?」
「本当は5個だが、お嬢ちゃん可愛いからそれでいいぜ!」
「まぁ、いいの?」
「いいさいいさ、持ってけ」
「やったわー!」
ジャガイモをバスケットに積め込み、死神の元へ戻る。
「値切りまでしてくるとは、やるな」
ぽんと頭を撫でられる。嬉しくなって、笑みがこぼれた。
「次はパプリカと、お肉を買いに行かなくちゃ!」
死神が堪らず、といった様子で吹き出した。
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