上 下
40 / 80

[40]女心と秋の空

しおりを挟む

 広場の噴水の縁に腰掛け、氷菓子を食べる。シロップは甘く、ふわりと削られた氷は冷たくて、唇がひりひりする。

「つまり、アレクが私に、ルルの不満を口にしたのは良い傾向ってこと?」

「その通り。お前とルルを、再び天秤にかけだした証拠さ。んで、今はルルへの不満から、お前の方にその天秤が傾きかけている。おめでとう、よかったな」

「そうなの? 私はてっきり、ルルとの仲を相談をされているのだと思って怒っていたのだけど。私はあの女のせいで捨てられたのよ。なのに私にあんな話、愚痴だとしても惚気にしか聞こえないわ」

「相談ね、そりゃ口実だ。『俺、こんなに頑張ってるのに。彼女、酷いよね? 君ならわかってくれるよね?』そうやって可哀想な男を演じながら巧みに近づき、女のぬくもりを得る。男の常套手段だ」

「温もりって………」

「現に、襲われかけただろ」

「あれは、私に気のあるフリをして、私を喜ばせて味方に引き込むためであって──」

「いや、フリじゃない。やつの目を見ただろ? あれは完全に、お前に気がある・・・・目だった。だいたい、お前が連れて行かれそうになってた喫茶店も怪しいぜ? 2階に王城で見たような部屋がいくつも用意されてんだからな。ありゃ連れ込む気だったろうな」

「まさか。──アレクにはルルがいるのよ?」

「婚姻前の性交渉は禁止されてんだろ? 王子も色々と溜まってんじゃない?」

「だからって他の女を? そんな不埒なまね、アレクはしないわよ!」

「襲われかけたお前が言っても説得力がありませーん」

「あ、あれは、そういうんじゃないんだってば」 

「馬鹿が。言ったろ、純粋一途な絵本の中の王子様なんていないって。これに懲りたら、今後はむやみに個室で二人きりにならないこった」

 すかした物言いに、顔をしかめる。

「なによ、貴方が二人きりになるよう仕向けたんじゃない」

「たしかにそうだが。それにしても、王子様の行動は予想外だった。加えて、お前も危機感がなさすぎる。馬車に乗るときも、同乗する侍女を頼むなりできただろうが。当事者はお前だ。お前が気をつけねば、俺はいつも助けてやれるわけじゃないんだぞ」

 正論って、私、大嫌い。

 むぅ、と唇を尖らせる。

「──私、お説教されるためにここへ来たんじゃないのだけど。これじゃ気晴らしにならないわ」

「あ、やば」

 突然そう呟いた死神は、ピンと背筋を伸ばして固まった。

「どうしたの?」

「待て、ちょっと待て」

 スプーンをこちらに向け、もう片方の手で頭を押さえる。

「ぐ、ぐぁぁぁぁぁ」

 叫ぶ死神に、ぎょっとする。なに、なにがあったの? まさか、攻撃でもされたの……!? 周囲を見渡すも、怪しい人影はない。

「ねぇ、大丈夫? しっかりして……!」

 不思議な力を持っている、無敵とも思える死神に、ここまでの苦痛を与えられる存在がいるなんて。恐怖で涙が滲んできた、その時、

「っは~~、死ぬかと思った」

 ふぅと息をつく死神は、疲れをにじませるものの、もう平気そうだ。これは、もしかして、またからかわれた……?

「………何だったの?」

 冷めた視線で問えば、

「キーンときた」

「は?」

 なにそれ、と言い終わらぬうちに、こめかみに鋭い痛みが走った。まさに、"キーン"とくるかんじ。

「痛い、なんなの、これ……!」

「氷菓子を食べすぎるとこうなる」

「そうなの?」

 やがて痛みは収まるも、まだキーンとする気がして、こめかみを押さえる。

「氷菓子にこんな危険が潜んでいたなんて、知らなかったわ」

「またひとつ、庶民の常識を知れたな」

 死神が笑った。ここ数日、二人の間にあったぎこちない空気は消えていた。溜め込んでいたものを吐き出すようにスムーズに会話が続く。それが嬉しい。

「さて、食べ終わったなら帰るぞ」
 
「まだもう少しだけ、いいでしょう?」

 せっかく、楽しかったのに。こうしていれば私も死神も平民に見えなくもない。この場所に溶け込めている。それがなんとも心地いい。まだもう少しだけ、非日常の中にいたい。

「ハァ?お前な───」

 死神が言葉を切り、空を見上げた。つられて見上げれば、ぽつりと額に雫が落ちた。ぽつり、ぽつりと立て続けに落ちてくる。ザァ、と音が鳴り出すまでにそう時間はかからなかった。

「やだ、また雨?」

「雨女はお前だからな」

 死神はわざとらしく不満げな声で言いながらも、私の肩を抱いて走り出した。雨脚は強く、雫に打たれる頭や肩が痛いくらいだ。

 向かった先は、───教会?

 ガチャン、と大きな扉を開け、中に滑り込む。そこは聖堂。ローブから急いで雨の雫を払った。すぐにあまり意味がないとこを悟る。髪も、服も、ローブの中までぐっしょり濡れている。

 聖堂内には誰一人としていなかった。祭壇近くに火の灯った蠟燭が何本かあるから、まったく無人というわけではないだろうけど──、司祭様はちょうど、奥に引っ込んでおられるのかもしれない。

 死神がまたどこから出したのか、タオルを投げて寄越した。それで髪を拭く私をよそに、死神は祭壇の奥を何やら探っている。ローブは濡れたためか、床に脱ぎ捨てていた。やがてワインボトルを掲げ、ずらしたお面の下でにっと笑った。コルクを開け、そのまま口をつける。

「ちょっと、何してるの。儀式で神様に捧げるワインよ。罰当たりだわ」

「あっはっは。神はここにいるというのに、何を恐れる?」

 そういえば、死神も"神"には違いなかった。教会が崇めるべきとする唯一神ではないけれど。

 ワインボトルが差し出される。これを、飲めと?

が許す。飲め、温まる」

「でも───」

「それとも何か、が恐ろしいか? それとも、教会の報復が恐ろしいか」

「私は、神も教会も恐れない」

 ボトルを受けとり、ぐいと飲んだ。ボトルから直接飲むなど初めてのことで上手く飲み込めず、咳き込む。

なんじ、もっと神を恐れよ」

 返したボトルを掲げ、一口飲むと死神が軽い調子で笑った。

 酒盛りが始まった。交互に、ワインを口に含んでいく。

「私はね、至る処に至高の力を感じるわ。それは草木だったり、あらゆる国、あらゆる民族に、あらゆる生活の中に。つまり、人々にとって、神はあらゆる処に存在するのよ。なのに教会ときたら、天界におわす唯一神を、狭い教会の中で、がんじがらめのしきたりに従って崇めよと言う。それって理に適っていないわ」

「お前が異端信仰者とは、知らなかったな。いや、俺の黒髪を恐れない時点で疑ってはいたが。火炙りにされるぞ」

「あら、平気よ。私は公爵令嬢だもの。誰も私に手出しはできないわ。それこそ、王族でもない限り。──それより、貴方もそう思わない? たとえば、お酒やお金、異性への欲望。どれも教会が悪と断じるものだけど、これらも神が与えたもうた祝福に違いないでしょう? それに、これらが人間に与える幸福ときたら……! どうして悪と断じられる必要があるの? 勝手にそんなことを言っている教会こそ悪じゃないかしら?」

「もうその辺にしとけ。飲み過ぎだぞ」

「まぁ、貴方、私が酔っているとでもいうの? この通り、私は酔ってなどいないわ!」

 歌を口ずさみながら、踊る。難しいステップを正確に踏めることこそ、私が酔っていない証拠だ。

「ほら、貴方も来て」

「まったく」
 
 死神が腰を上げた。ちょうどその時、

 コツ、コツ、と奥から足音が響いてきた。

 ハッと息を呑む。司祭様が戻られたんだわ……!

 死神が私の手を引き、長椅子の裏に身を滑り込ませた。二人で息を潜める。

「なんだ、これは?」

 司祭様が見つけたのは、死神が脱ぎ捨てた黒いローブだった。バレたら貴方のせいよ、非難の視線を向けると、死神は密かに笑った。

「誰かいるのかね?」

 息を詰める。コツ、コツ、と歩き回る音。

 そのうち司祭様は、再び奥の部屋へと戻られて行った。死神のローブは持っていかれてしまった。

 足音が完全に無くなったのを確認し、私達はどちらからともなく噴き出した。おかしくて、笑いが止まらない。

「神様が隠れるなんて、馬鹿みたい」

「そうだな、姿を見せれば司祭も感激しただろうに」

「どうかしら。死神はお呼びじゃないわよ。きっと貴方の正体が分かったら、自分の運命を呪って絶望に泣き叫ぶわね」

「そそられる光景だ」

 未だ狭い場所に隠れていたせいで、笑い終えた頃には、私達の顔はすぐ近くにあった。お面のせいで視線は絡まない。けれど、死神の瞳がお面の奥から私を見つめているのはわかった。代わりに私は彼の赤い唇を見つめる。

 それはまるで、吸い込まれるように──

 私達はどちらからともなく、キスをしていた。







しおりを挟む

処理中です...