悪役令息は愛を知れば無敵なのです

柚鷹けせら

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『世界樹の聖女』プロローグ

 庭は侯爵夫人が催す茶会の舞台になることも少なくないため、日頃からたくさんの庭師たちによって見目美しく整えられており、一〇〇人のゲストが来てもゆったりとした茶席が用意出来るスペースは謁見の間よりも広い。
 確かに広いのだが、花壇や、緑のパーテーションなどがあちらこちらに設けられているせいか素のままの大きさで顕現したニョルズには此処でも狭そうに見えた。
 太陽の光を受けると波打つ海面のように色を変える青い体躯は四階建ての侯爵邸よりも大きく、魔術で周りへの被害を抑えつつ広げられた翼は右端から左端まで優に百メートルを超えており、七色の尾の先は、奥の森の木々に掛かっている。
 それでも壊す心配がないだけ謁見の間よりは居心地が良さそうだが。

「……成長し過ぎだろ」

 最後に見た二年前の姿を想像していたルキノに、ニョルズは親しみを込めて笑う。

『テオフィロが日々成長している証が我だ。我の成長を止めたいならテオフィロを怠けさせることだな』
「兄さまに怠け方を習わないとなりませんね」
「待て、俺が怠けているみたいな言い方をしないでくれ」

 庭に仲良しの笑い声が広がった。

『フフッ。今日はよく笑う日だ、まさか其方とも再会出来るとは思わなんだ。息災か?』
「おかげさまで辺境でも問題無く過ごせていたよ。ニョルズには、フィーを守ってくれたこと感謝している」
『テオフィロを守るは主神様より与えられた我が役目。其方に感謝される謂われはないが今日は気分が良い。其方の感謝を受け入れよう』

 ニョルズは目を更に細めて、笑む。

『して、ルキノ。此処に戻ったのなら今後はテオフィロの傍にいるのだな?』
「ああ」

 今後どころか一生そばにいると約束したわけだが、二人とも言葉にはしなかった。
 ニョルズとも幼い頃からの付き合いだ。隠し事をする気はないのだが、ただ単純に気恥ずかしいのである。話題を変える意味も込めてソルヴィーノ男爵令嬢の件を持ち出したのはルキノ。

「ところでフィーの他にもう一人、主神様から加護を賜った者が現れたのは知っているか?」
『うむ、フィーの婚約者とやらが愛でていた娘であろう?』
「知っていたのか」
『主神様が新たな精霊をこの国に寄越したのでな。気になって少し調べたぞ』
「気になったというのは」

 テオフィロが口を挟むと、ニョルズは彼に視線を転じて微笑む。

『精霊を神獣にまで育てた愛し子がいるのになぜもう一人と思ったまでだ』
「理由は分かったのか?」
『さて。あの娘の魂の色が些か珍しい部類のもので、テオフィロと見事に対照的であるということくらいだな。主神様が人族に加護を与えるのはいつも永い生に飽いて刺激を求めた時ゆえ、今回もそうなのだろう』
「それは……私では無聊をお慰め出来なかったということでしょうか」
『そうではない。二〇年の差など主神様にとってはほとんど同時だ。其方に飽いたのではなく、其方とあの娘、二人に加護を与えることで面白くなると思われたのだろう』
「……王太子を巡って争えとでも?」
『フハハ、喜んでくれてやれ』
「当然です」

 楽しげな守護者と辟易した様子のテオフィロだが、これを聞いたルキノはまるで警戒するような顔になっていた。

「ニョルズ。実はその件で君とも共有しておきたい情報がある」
『ふむ?』

 ルキノはテオフィロに隠し事をしないと約束した。
「一生そばに」という言葉をくれた彼を信じることに不安もない。
 それでも緊張を押し隠して告げるのは今まで誰にも明かさなかった秘密をここで打ち明けるからだ。

「主神様の加護を新たに賜ったというソルヴィーノ男爵令嬢だが、たぶん、……俺と同じ異世界からの転生者だ」

 ルキノの言葉に、一人と一羽が首を傾げる。
 異世界からの転生者。
 しかも。

「兄さまと同じ……?」
「ああ」
『それがどうかしたのか?』

 テオフィロとしてはルキノとソルヴィーノ男爵令嬢が同じという点に非常にもやもやしたものを感じたのだが、ニョルズは怪訝そうな顔だ。

『魂とは廻るもの。生きとし生けるすべての命は生と死を繰り返す。それが転生だ。異世界からというのは確かに珍しいが、それだけのことであろう』
「転生は当然の現象でも、前世の記憶を持ったまま生まれて来るのは珍しいだろ」
『ぬ……』
「しかも、これからこの世界で何が起きるのかを記した予言書みたいなものがあって、俺も、ソルヴィーノ男爵令嬢もその内容を熟知しているとしたら?」
『……詳しく話せ』

 ニョルズに促されてルキノが話した内容を纏めると、こうだ。
 彼の前世が暮らしていた場所には大勢が共有できる娯楽がたくさんあり、その中の一つが、この世界を舞台にしたと思われるアダルトゲーム『世界樹ユグドラシルの聖女』だ。
 二十歳の誕生日に主神様の加護を賜った男爵令嬢が王城に招かれるところから物語は始まり、謁見の間で「王太子」、王太子の側近である「宰相の息子」「近衛騎士」「魔導部隊隊長」、そして物語の悪役であり、男性なのに王太子の妃でもあるもう一人の加護持ちと出逢う。
 加護持ちであることを笠に着て傍若無人に振舞う悪役の評判は最悪で、結婚の理由が「加護持ち」の一点であったことから、そもそも異性愛者である王太子は最初から男爵令嬢に好意的。
 その後の度重なる事件を通して仲を深め、最終的に悪役は主神の加護を失い、断罪されて離婚、破滅。
 王太子と男爵令嬢が結ばれてハッピーエンド――というのが基本ルートだという。

『基本というのはなんだ』
「ゲームというのは本で読む物語と違って、幾つかある選択肢の中から自分でこれと思うものを選びながら物語を進めることが出来るんだ。王太子が好みじゃないと思えば他の男と結ばれるルートを進めば良いし、最終的には攻略対象全員とのハーレムエンドも目指せる」
『言わんとすることは判るが……あぁしかし世界樹に子果を実らせることを考えれば夫が何人いても良いのか……いや、そのような淫らな関係を主神様がお認めになるのか……?』
「物語の終盤で世界樹が汚染されて世界が崩壊の危機に陥る。男爵令嬢がそれを解決するから例外的に認められるって感じだな。世界樹も攻略対象者の一人だったし」
『はぁ?』

 ニョルズから素っ頓狂な声が出た。
 おかげで同じ気持ちだったテオフィロは間一髪声を出さずに済んだが、同時に宰相閣下から聞いていた予言の話を思い出し、世界樹の汚染が本当に起こり得る未来なのかと不安になった。

「あともう一人、城下にいる情報ギルドの長も攻略対象だ。これで六人になるよな……?」

 ルキノが確認するように指を折るので、テオフィロも一緒に数える。
 王太子。
 宰相の息子。
 近衛騎士。
 魔導部隊隊長。
 世界樹。
 情報ギルドの長。

『……ルキノ』

 ニョルズの地を這うような声にテオフィロはゾッとしたが、呼ばれたルキノは平然としている。きっと神獣がどんな反応をするか予想していたのだ。

『言いたいことはいろいろある。あり過ぎて久しく感じなかった怒りというものに心身が震えそうだが、……その情報を我と共有したいと望んだからには、それなりの理由があるのだな?』
「もちろん」

 ルキノは力強く頷く。

「最初にはっきり言っておくが、世界樹の汚染は俺とフィーにも防げるし、万が一汚染された場合はすぐに回復させる。俺はその原因も解決方法も知っているから」
『ふむ』

 力強い断言を受けてニョルズの雰囲気が幾分か和らぐ。

「ただ、汚染を防ぐってなると物語とは齟齬が生じるから、ニョルズには主神様の意向を確認してもらいたいんだ」
『意向?』
「ニョルズも、フィーも、もう凡その予想はついていると思うがゲームで二十歳の誕生日に主神様の加護を賜った男爵令嬢は性悪女……いや、ソルヴィーノ男爵令嬢だ」

 テオフィロとニョルズが頷く。
 王太子は王太子だし、宰相の息子といえば王太子の側近候補の彼だろう。二年前の卒業パーティーでは王太子共々ルキノの拳にぶっ飛ばされて自宅謹慎になり、いまだ候補のままではあるが。
 そして、もう一人の加護持ちで王太子の妃はテオフィロ以外にいない。二年前にルキノが王太子を殴らなければ卒業パーティーの二週間後に嫁ぐ予定だった。

「主神様はフィーに加護を与え、フィーは王太子の婚約者になり、そしていま、主神様はソルヴィーノ男爵令嬢にも加護を与えた。もう大分ゲーム……っていうとこの世界を軽視しているように感じて嫌だから、あー……予言書って呼ぶことにするけど、予言書の内容とは変わってしまっているが、前世の世界にああいう予言書が存在していたことがどうしても気になるんだ」
『確かにな』
「もしこれらが主神様の意思で、この世界の未来に必要なことなら、なるべく予言書に添って行動する。けど、予言書通りに進むと良くない結末を迎える奴もいるんだよ。……フィーなんてその代表だ」

 悪役は断罪されて離婚、破滅すると彼は言った。
 いくら主神への信仰心に偽りはなくとも破滅すると判っている人生を生きるのは辛い。

「ニョルズ。もし俺が前世の記憶持ちなのも主神様の意思だとして、フィーも守るために行動していいってことなら遠慮はしない。もうかなりやらかしてる自覚はあるしな。けど、なるべく予言書に添えって言うなら、まぁ、フィーの加護が失われて離婚……婚約解消になるのは大歓迎なんで、断罪だけ回避させてもらう方向で動く」
『ほう……?』

 ふとニョルズの声音が変わる。
 面白がるような、それでいて感心するような不思議な響き。

『ようやっと其方も覚悟を決めたのか』
「まだ言葉には出来ないけどな。……フィーの気持ちは伝わったし」
「え」

 急に話を振られて戸惑うも、言葉の意味を察すると同時に顔が熱くなった。
 まだ言葉に出来ないのは彼も自分も同じだが、自分もまた彼の気持ちは伝わっている。

『ふっ、ふはっ。良いな。実に良い。先ほどまでの怒りが失せるほど良い気分ゆえ主神様の意向を伺って参ろう。判ったらすぐに知らせるゆえ数日待て。テオフィロ、その間は召喚は控えてくれ』
「はい」
「ありがとうニョルズ、よろしく頼む」

 ニョルズの輪郭が空気に溶けて消えていくのを見送って、ルキノは改めてテオフィロを向く。

「主神様の意向確認はニョルズに任せるとして……フィーには続きを話そうか」
「はい」
「といっても、物語の中で自分がどういう立ち位置だったかは判ったと思うが」
「ええ。自分の立場を笠に着て傍若無人に振舞う王太子妃ですね」

 断言すると同時、幼少の頃からルキノに教わってきたことが走馬灯のように脳裏を過っていく。
 驕るな。
 偉ぶるな。
 努力は決して自身を裏切らない。

「ルゥ兄さまは、私の未来を知っていたからあの日会いに来てくれたんですか?」
「……確かにそうとも言えるけど、微妙に違う。俺は何が何でもおまえに幸せになってもらいたくて、おまえの未来に関わりたくて会いに行ったんだ。攻略対象からも外れたかったし」
「え?」
「ん?」

 聞き返すと、ルキノは小首を傾げた後で気付く。

「そうか二年前の件で立場が変わったからな。攻略対象者の一人、近衛騎士ってのはルキノ・ヴェルディのことだったんだよ」
「兄さまが……」
「ああ。魔導部隊の隊長ってのは……名前何だったかな。卒業パーティーでぶっ飛ばしたヤツ。あいつも立場が変わってるだろ」

 あっさりと返すルキノに対し、テオフィロの胸中にはだんだん不可解な靄が広がっていった。

「……予言書というのは、大人向けだったのですよね……?」
「ああ。スチル……えーと、絵が、なかなか過激なものが多くて評判だったな」
「過激な絵……、兄さまとソルヴィーノ男爵令嬢のも……?」
「え?」
「兄さまも、やはり、女性の体の方が」 
「違う!」

 急に否定して来たルキノは、しかし慌てて言葉を繋ぐ。

「あ、いや、……違わないっつーか……そりゃ最初の目的はまぁ……」

 二十歳になったばかりの男爵令嬢が事件に巻き込まれながら攻略対象者たちとの仲を深めていく物語に、成人指定が付くのだ。それはもうラッキースケベ的なアクシデントが多発し、ヒロインはことあるごとに柔肌を晒しては攻略対象者たちとあはんうふんな展開になっていく。
 健全で些かオタクな部分もある男性会社員だった彼だが、痛い、激しい、犯罪まがいな描写は苦手だったので、どちらかというと女性向けのアダルトゲーム『世界樹ユグドラシルの聖女』を選んだ。
 買ったからにはあれそれしたし、実際お世話になったと思う。
 だが、物語を進める内に最も気になったのは主神の加護という最高権力を持った見目麗しい実力者ながら、家庭環境に恵まれずに「愛」を知らぬまま破滅していった悪役令息テオフィロ・オルトラーニだった。
 彼はヒロインを危機に陥れることはあっても、自身に誰かと絡むシーンは無かった。
 世界樹に子果を実らせることで子を得られるという世界観の補強のためだけに「男」だった悪役に用意されていたのは勧善懲悪のざまぁだけ。
 最後の最後に、どうして愛してくれないのかと怒りの感情で叫んで散っていたのだ。
 しかしそのラストシーンに心臓を射抜かれてしまった前世の彼は、以降、ゲームを周回することが出来なくなった。テオフィロの寂しさに気付こうともしない攻略対象者たちには苛立ちしか覚えなくなり、あざとい言動でテオフィロの居場所を奪っていくヒロインには嫌悪感さえ抱いた。おかげで話題になっていたヒロインと王城攻略対象四人による乱交スチルは開放すらされることがないまま、気付けば此処に転生していた。
 前世の記憶を思い出したのは六歳のとき。
 生まれたばかりのオルトラーニ侯爵家の四男が主神の加護持ちだと父親から聞かされた瞬間だった。

「でも、いまは」

 自分がルキノ・ヴェルディだと気付いたとき。
 実際にテオフィロ・オルトラーニに出逢った時。

「俺がこの世界に転生したのは、フィー、おまえを幸せにするためだと確信してる」

 見開かれる蒼い瞳に、真摯に告げるルキノが映し出された。

「前世の物語で見たフィーの印象が強過ぎて、フィーが幸せになるためには王太子との結婚が必須だって勘違いしたし、いまは身元引受人なんて責任負わせて、なんかもうダメダメだけどさ」
「……っ」

 ふるふると左右に首を振るテオフィロが、ルキノには愛しくて堪らない。

「いま目の前にいるテオフィロ・オルトラーニには、……誰よりも幸せになって欲しい」
「兄さま……」

 伸ばしたいのに伸ばせない手。
 伝えたいのに伝えられない言葉。
 気持ち。

「……もう、今すぐ強権発動で婚約破棄したいです……いっそ王太子殿下にお亡くなりになって頂くのはどうですか」
「物騒だなおい」

 ルキノが苦笑交じりに返すと、テオフィロも複雑そうに笑う。
 触れたい。
 抱き締めたい。
 もっと近くで声を聞いて、もっと近くで存在を確かめたい。
 けれど絶対に叶わないいまの距離感が、実は年齢×二度の人生=恋人いない歴の男には少し安心しないでもなかったりするのだった。
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