スイの魔法

白神 怜司

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【スイの魔法 2 銀の人形】 別章 『エヴンシア事変』

本編ダイジェスト 『光夜祭』を前に

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書籍、【スイの魔法 2 銀の人形】のサイドストーリーとなっております。

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 夜にも関わらずに煌々と明かりを灯した都市。
 街の内部をくねくねと縫うように続いている、光の粒が作り上げた道筋。
 その青白い光の線を伝うように、黒光りした装甲によって固められた〈魔導車輌〉が駆け抜けていく。

 不夜の街。
 そんな言葉が浮かんで来る程に、街は眩く染め上げられていた。

「あぁ……。ようやく……。ようやく願いを叶えてあげられる。これから世界は混沌に陥るだろうね。全てはキミの願った通りだよ……」

 ――そんな街を見下ろした巨大な建物の一角。
 巨大な塔すら彷彿とさせる空に伸びた高い建物の中で、窓辺に佇んだ男は恍惚とした表情を浮かべてそんな言葉を口にした。

 醜く肥えた中年の男。
 眼下に広がった景色を見ているのではなく、ガラス窓に反射して映った一人の少女に向かって語りかけていたのだ。

 振り返り、男は眼前に佇んだ少女へと頭を垂れた。

 指にはきらびやかな宝石をあしらった指輪がギラギラと光りを放ち、室内を照らした明かりをチカチカと反射させる。

 豪華という言葉をそのまま着飾ったような男。
 その男はベルナルトと呼ばれた一人の権力者であった。

 彼の一声によって情勢が動く可能性すらあるのではないかと噂され、この世界の中枢に間違いなく足を踏み入れている男。
 賢者と呼ばれ、多くの人々から尊敬と感謝を抱かれる程の存在だ。

 ――そんな存在が、頭を垂れている。

「ありがとう。私の為にそうしてくれたのね」

「あぁ、もちろん。もちろんそうだとも、『――――』。『――――』が望むのだから、それを叶えるのは私にとっても喜びだとも」

 ベルナルトが頭を下げている相手。年の頃は十代前半から中盤にかけてといったところだろう。
 瞳は深い青色に染まり、そして肩まで伸びるウェーブのかかった髪は銀色の輝きを纏っている。

 黒を基調にしている、所々に赤い布が織り込まれた長袖の上着から膝上まで続いたスカート型のゴシック調のミニドレス。
 腰に赤と黒のストライプ柄の大きなリボンをついている。
 ニーソックスにはレースがあしらわれ、足元を飾る黒い革靴は綺麗に磨かれている。

 その姿は、まさしく着飾った人形のような美しさを宿していた。

 美しく整った少女の顔が浮かべた笑みに、ようやく顔を上げたベルナルトはだらしなく顔を緩ませ、魅入られていた。

 この姿を、ベルナルトを崇拝しつつある者達が見れば。
 きっとベルナルトに失望し、彼は多くを失うだろう。

 築きあげてきた名声も、栄誉ある行いも。
 それら全てが音を立てて崩れ去るだろう。

 ――しかしベルナルトは、そんなモノに一切の未練すら抱いていない。

 心奪われる、とはまさにこの事だろう。
 目の前に立った少女の完璧とも言える美しさに、ベルナルトは心酔していた。
 例え全てを投げ打ってでも、彼女を喜ばせたいと思う程に。

 人形然とした少女はカツカツと乾いた音を踏み鳴らして男に近づくと、膝を折っていたベルナルトの頬に白く細い指をツツっと走らせる。
 頬に触れる指から、まるで脳を痺れさせるような快楽を感じ、ベルナルトが更にだらしなく表情を緩める。

 その姿を見た少女は冷笑を浮かべたままそっとその指先を放すと、男と擦れ違って一面に広がる窓へと歩み寄っていく。
 離れていく指先を名残惜しそうに見つめる男の姿は、少女の目には酷く滑稽に映っている事など男は知らない。

「……あとは狂気が、欲望が全てを突き動かす」

 男に聞こえない程の小さな声で少女は呟き、眼下に広がった眩い街並みを改めて一瞥すると、少女は男へと振り返った。

「さぁ、この窓を打ち破って。それをしてくれれば、全てが終わるわ」

「は、はい……!」

 焦点の合わない目で少女を見つめたベルナルト。
 酷く冷たい言葉を投げかけられた事に何の疑問すら抱かず、相も変わらぬ恍惚とした笑みを浮かべて立ち上がる。

 そして次の瞬間。
 ベルナルトは何の躊躇もなく駆け出し、その窓を突き破って夜の街へと文字通りに飛び出した。

 ――――ガラスの砕ける音。

 残響する笑い声に不快げに表情を歪ませ、少女は入り口に振り返った。

「ご苦労だったな、『銀の人形』」

 部屋の入り口へと現れた男の声を聞くと同時に、少女の表情からは感情が抜け落ちた。





「――――……え……?」

 ――それは唐突に訪れた。

 意識が芽生えた。
 特に何かきっかけがあった訳でもない。
 せいぜい、目覚めてから数年が経過した頃の事であるというぐらいか。

 自分は誰なのか。
 何故こんな所にいるのか。

 疑問が頭の中を埋め尽くし、少女は自分の中に刻まれた記憶を思い返す。

《――……願わくば、キミが起きるまでに私達が壊れてしまわないと良いんだけど、ね……》

 少女の一番古い記憶は、自分の製作者がそんな言葉を呟いた瞬間であった。

「……う、そ……! な、によ、これ……ッ!」

 少女が自分の頭を抱えて呟いた。

 自分の中に、自分の意思とはまったく違う記憶があるのだ。
 それは客観的に与えられた知識ではなく、明らかに自分の主観的な記憶だ。

「――知らない……ッ! 私はこんな事、知らないッ!」

 ――何故、自分が世界を滅ぼす片棒を担いでいたのか。

 少女はその不気味ともすら感じられる記憶の渦を思い返しながら、真っ白な部屋の中で一人叫び声をあげていた。





◆ ◆ ◆ ◆ ◆





 ――ヴェルディア大陸。
 現代からおよそ七十年前に起こった世界規模での戦争――『魔導戦争』によって多くの被害を被ったものの、その後は他大陸に比べて平和な日々を過ごしてきた。
 ひとえに、ナイザス王家の働きによってそうした状況を築いてきたのではあるが、ひとまずは置いておこう。

 平和な大国であるヴェルディア王国が支配するヴェルディア大陸には、他大陸からの移住者なども多く、その中にはタータニアらの母国であるエヴンシア王国からやってきた者などもいれば、このヴェルディア大陸からかなり西方に位置するリブテア大陸からやってきた者などもいる。

 そんな平和な王国、ヴェルディア王国の王都ヴェル。
 長方形の形をした街の最北部に位置する石造りの城内で、一人の男が手に持っていた手紙を机の上に置いて嘆息した。

「……まったく、ヒヤリとさせられる……」

 ヴェルディア王国の王城にあるバレン・ナイザスの執務室で、顔を顰めながらバレン現国王は呟いた。

 ようやく片付いた一つの案件。
 その問題・・に対して言及する旨が書かれた一枚の手紙が届けられたのである。

 一国の王ともなれば、本来バレンに対して言及するような真似をする者など滅多にいるはずもない。数えられる程度の人物だろう。
 だが、この手紙の相手だけは無碍には出来ないのだ。
 かつての約束・・を、自分がまったく予期せぬタイミングで、不本意ながらに破りかけてしまう形になってしまったのだから。

 ――幸い、その約束・・を反故にする事態は免れた。

 心情は穏やかではなかったが、それを表沙汰にすることも出来ない。
 バレンの苦痛に気付いている者など、恐らくは彼の妻である王妃とその娘ぐらいだろうが、その真相は知られていないままだ。

「――――……という訳で、タータニアさんは僕を逃してくれたと言うか、助けてくれたんです」

 約束・・対象・・である件の少年――スイと呼ばれる少年の言葉を思い出す。

 かつてバレンの娘であるレイアが間違った道を歩んでいた頃、レイアの性格を矯正するのに一役買ってもらったヴェルディア魔法学園の生徒。
 生徒会代表として彼を監視・・する意味合いも含めて、学園長であるカンディスに命令を下したのも記憶に新しい。

 そんな彼がつい数ヶ月ばかり前、突如としてヴェルの街から姿を消してしまったのだ。

 聞けば、タータニア・ヘイルンの手引きによってヴェルディア王国から攫われる事になったとは言え、実際タータニアに助けられた形で件の少年――スイはヴェルディア戻って来たと言うのだ。

 たった十歳の少年が、だ。
 だがバレンはその現実に驚くこともなく、むしろスイならばそれぐらいはしてみせるだろうと踏んでいた。

 ――そう踏んではいたのだが、胸中は決して穏やかではなかった。
 スイの実力、〈使い魔〉である金龍。どちらも捨て難い軍事力になり得るから――という訳ではない。

 その理由の全てが、目の前の手紙に記されているのである。

 いくらスイならば自分で戻って来れるだけの聡明さと実力を兼ね備えているとは言え、経験もない十歳の子供には他ならないのである。不測の事態が訪れれば、冷静な判断を見誤ることも決して珍しくはないだろう。

 そういった行き場のない不安が、スイが帰ってきたおかげで取り除かれた。
 エヴンシア王国に対しても、スイのたっての希望で言及は避けるように進言され、それを頷いてみせたのだ。

 そうしてもうじき年末。
 毎年恒例の『光夜祭』を目前に控え、スイの問題が片付いて間もなくのことだ。
 この手紙が届いたのである。

 ――まったくもって頭が痛くなる。
 バレンは机の上に置かれた手紙を見下ろしながら心の中で呟いたのであった。
 この数分後、ウェインはこの日二度目の自分の言葉に後悔する事




◆ ◆ ◆





「こーやさい?」

 ヴェルにそびえ立つ王立図書館の三階で、一人の少女が首を傾げながら声をかけた。

「そうよ、『光夜祭』。毎年年末にお祭りがあるのはチェミも知っているわよね?」

 首を傾げ、自分を見上げて尋ね返してきた少女――チェミに向かって、ヘリアが説明する。

「このヴェルのお空にはね、豊富な魔素が漂って道を作っているの。それが気温やノルの光によって綺麗な色に染まる――それが『光夜』と呼ばれるの。
 一年間が平和に終わったこと。来年ももっと良い年になるようにと願うこと。
 そういう気持ちを皆で楽しみながらお祝いしようっていうのが、『光夜祭』よ」

 なるべく幼い子供でも分かるようにと噛み砕いた説明をしてみるヘリアであったが、対するチェミの反応はどうやらいまいちのようだ。首を傾げ、ヘリアの顔を見上げている姿を見れば理解していないことも一目瞭然であった。

「……えっと、要するに大きなお祭りがあるってことね」

「お祭り! 行きたーい!」

 由来よりもお祭りという言葉に反応を示したチェミに、ヘリアはついつい口元を緩めてしまう。

 チェミはスイやヘリアから見て、妹とも呼べる少女だ。
 孤児院としての一面をもった教会で育つ、スイの次に年長の少女。
 明るい性格に加え、年下の小さな子供の世話も買って出る節もある少しばかり背伸びしたい年頃の少女、といったところだろう。

 この日チェミがこの王立図書館へやって来たのも理由がある。
 この冬を越えて春を迎えれば、彼女もまたスイと同じくヴェルディア魔法学園へと入学が決まっているのだ。
 とは言え、チェミがスイと同じような環境――つまりは特別授業を受けるようになる事はなく、一年生としての一般入学となる。
 それでもチェミは少しずつ大人の階段を上るかのような気分で春を迎えようとしていた。

 そんな彼女なりの成長から、スイの行動を真似るように王立図書館に遊びに来た、といったところであった。

「学園で最初に憶えるのは確か……、魔法の種類、だったかしらね」

「しゅるい?」

「えぇ。まずは【普及魔法】と【施陣魔法】。それに加えて、【特殊魔法】を持った〈特殊魔法所持者エクスター〉についてね。
 私が子供の頃に読んだことがある本は……、あぁ、これよ」

 ヘリアが早速本棚から一冊の本を取り出し、チェミへと手渡した。

「スイ兄もこれを見てべんきょーしたの?」

「えぇ、そうよ。私も昔スイにこの本を勧めたもの」

「へぇー! じゃあわたしも読む!」

 早速ヘリアから本を受け取り、チェミが椅子に腰掛けて分厚い本を捲って音読を始めた。
 読めない言葉などもまだ多く、時折それを尋ねてくる姿にヘリアはついつい目を細めていた。

(……そういえば、スイってば読めない文字を尋ねたりはしなかったかしらね……)

 ヘリアは、スイが初めてこの王立図書館を訪れた五年前を思い返していた。
 あの時も同行していたのはヘリアであったのだ。

 当時からスイの賢さは、まるで知識を水のように身体に染み込ませる勢いであった。
 街の看板などから文字を学んでみせたり、他の孤児の名を文字で書いて学んだり、時にはエイトスの持つ聖書を読もうとすらしていた。

 ――まるで、何か生き急いですらいるような早さ。
 シスターの中でも最年長のイルシアは、当時のスイをそう表現した。

 そんなスイの影を追うように、チェミもまたこの王立図書館に通い始めた。
 その姿についイルシアの言葉が脳裏を過ぎり、ヘリアは首を横に振ってイルシアの言葉を振り払う。

 生き急ぐ。
 その表現は、まるで生きる時間が短いような言葉だ。
 平和なこの国で、そんな生き方をする必要なんてあるはずがない。

「――ヘリア姉?」

「……え……?」

「これー。なんて読むのー?」

 思考の海に沈んでいた意識が、チェミの言葉に浮上した。
 慌ててチェミの質問に答えたヘリアは、再び音読を始めたチェミの横顔を見て、その小さな頭に手を乗せた。
 唐突に頭を撫でられたチェミが不思議そうにヘリアを見上げると、ヘリアは笑顔でチェミを褒めた。

「勉強しようなんて、チェミは立派ね」

「えへへ~、スイ兄も勉強はしておいた方が良いって言ってたよ!」

「そ、そう……」

 自分よりも年下のスイが、自分よりも大人びた意見を口にしていたと聞かされ、ついヘリアは答えに困りながら笑顔で誤魔化してしまった。

 スイが夏に国外へと連れ出されたあの事件はもう終わった。
 スイももちろん帰って来た。
 だがそれでも、いつかスイはどこか遠くへといってしまうような、そんな気がしてならない。

 胸中に生まれたそんな不安を、ヘリアは再び首を左右に振って振り払う。
 スイに【魅了魔法】がかけられていた事も、ヘリア達教会の面々はスイの口から聞かされていた。
 それでもやはり、スイに対しての態度は誰一人変わることもなかった。

 顔が綺麗で、性格が控えめで優しい少年。
 ヘリアにとっては自慢の弟。チェミにとっては自慢の兄だ。
 大事な存在だと教会の誰もが思っている。

「……チェミはスイのこと好きなの?」

「うん、スイ兄は大好きだよー!」

「そう。私と一緒ね」

「うん!」

 年の暮れを間近にした王立図書館で、二人はそんな会話をしていた。





◆ ◆ ◆





「……はぁ……」

 時を同じく、ヴェルディア魔法学園で一人の少年が深い溜息を吐いた。
 紫色の髪を揺らし、黙っていれば絵になると陰で言われている少年――ウェイン・クレイサスだ。
 物憂げな表情で窓の外の曇り空を見つめ、そしてウェインは再び嘆息した。

 ――『光夜祭』。
 ヴェルで行われる、光のカーテンが空を覆う『光夜』と呼ばれる現象の際に行われる、年終わりを祝う祭り。
 そこでウェインは、『騎士科』の剣舞などには参加せず、生徒会で行う劇――『光夜の恋』と呼ばれる劇に参加する事が決定したのである。

(……ソフィアさんの手前、ああ言ったけど……)

 生徒会の会長であり、伯爵令嬢のソフィア・シヴェイロ。
 優しげで魅力的な女性であり、ウェインが密かに恋心を抱いている相手を思い浮かべながら、ウェインは少しばかり後悔していた。

 その原因は、『光夜祭』で行う劇の内容――ではなく、その配役について了承した件にあった。

 ヴェルディア大陸内で多くの女性ファンに愛された劇、『光夜の恋』とは、貴族の令嬢であるルルと、貧民街の少年であるウィルの悲恋のお話だ。

 貧民街と貴族街を仕切る白い城壁越しに出会いを果たした二人が、互いに興味を持ち、お互いに会おうと約束する。しかしそれを快く思わなかったルルの母が、呪いを用いてウィルを殺害してしまうというものである。
 その事実を知ったルルは、失意の中でウィルを追うように毒を呷り、そのまま死んでしまう悲しいお話である。

 ウェインはこの劇中で主演として出演する。
 もちろん、自分の躍進に対して有頂天になり易い――というより、歳相応な反応をしてしまうウェインは、それに大いに喜んだ。

 ――が、その直後。
 生徒会に所属する女子生徒――ナタリアによって、衝撃の事実を告げられた。
 それはスイとウェインの二人が、交代してウィル役とルル役を演じる、というものだ。
 つまり、公衆の面前で女装して演技しろと言うのである。

 十二歳の少年、ウェインがそれに納得出来るはずもなく、もちろん反論を口にした。
 そして直後、ソフィアに「見てみたい」と言われて反論を呑み込み、快諾してしまったのだ。
 好きな女子を喜ばせたいという少年の想いは、彼の自尊心をあっという間に忘れ去らせ、快諾を口にさせてしまったのであった。

 百歩譲ってウェインも自分の抵抗は呑み込める。
 問題があるとすれば、自分と同じ立場にいるスイだ。




 放課後になり、生徒会室へと転移したウェインは分厚い台本を手に取って目を通す。
 そんなウェインに挨拶をしてきたスイに気付き、ウェインは前髪を掻き上げた。

「セリフを憶えるのも、これだけの量と二役にもなるとなかなか大変だね」

「そうですね。憶えるのに時間がかかりました」

 苦笑混じりにスイが答える。
 しかしスイの答えにウェインは違和感を覚え、掻き上げて中空を漂った手をそのまま固めてスイを見つめた。

「……も、もう憶えたのか?」

「はい。とりあえずですが」

 まさかの回答にウェインの背に嫌な汗が流れる。
 危惧していたスイの突出した記憶能力が、まさかこんな場面でまで発揮されるとは思っていなかったのだ。

 十年分の授業を実質三年で学び終えた少年。
 尋常ではないその記憶能力は、ある意味歩く辞典といっても過言ではないだろう。
 恐らく台本を手渡されれば、三日から五日前後で頭に入れるだろうとは踏んでいた。
 だからこそ、ウェインも先輩として、『騎士科』の一員として。
 その二つの矜持を守るべくセリフの予習を進めていたのである。

 それが、台本を手渡された翌日には頭に入っていると言うのだ。
 ただの強がりだと一笑に付せる程度の強がりを口にするような少年が相手ならば、ウェインも意地を張っただろう。
 だが目の前にいるのは、年齢とは不相応な落ち着きを持ち、くだらない自尊心で嘘をつくようなタイプとは真逆な性格をしたスイである。

 恐らく真実だろう。
 素直にそれを認めつつも、やはり年下に素直に賛辞を贈るというのは難しく、ウェインは告げる。

「な、ならせっかくだ。通してやってみようじゃないか」

 この数分後、彼は本日二度目となる自分の言葉への後悔を抱く事となるのであった。
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