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【スイの魔法 3 七人の魔女】 別章 『スイの姉』
Prologue
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2014/09/03 大幅改稿
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夜闇が薄っすらと晴れていく。黒はやがて深い群青色に変わり、遠くの空は徐々に白に近い黄色に染まり、太陽が少しずつではあるが姿を見せようとしている。
その光景を眺めていた少年の吐息は僅かばかりに白く染まっていた。
冬が去り春が訪れようとしているものの、比較的穏やかな気候で一年が過ぎるこのヴェルディア大陸であっても、夜の帳が下ろした空気は肌を刺すような冷たさであった。
まだ薄暗く、寒い夜と朝の境。
それでも、徐々にではあるが街の中をちらほらと人影が行き来している姿が、遠目に見えたこの街の大通りに窺える。
もう間もなく夜明けなのだと物語っているかのようだ。
少年は男の子にしては長い銀色の髪を揺らしながら、庭にある井戸の手押しポンプを何度か上下させた。
冷えきった水が置かれていた木で出来たバケツへと注がれる姿を見ながら、溢してしまわぬようにポンプの動きの緩急を調整しつつ、やがて手を止めた。
余談ではあるが、世間一般で今時分手押しポンプを使って水を引き上げる家庭は少ないだろう。
一般的には魔導具――核となる宝石に魔法陣を刻み込み、魔力を押し流す事で使用出来る道具の総称――を設置して自動で水を引き上げるのが主流だ。
それでも、少年が住まうこの場所――ヴェルディア王国の王都であるヴェルにある、教会ではそういった――いわゆる贅沢品の類は置かれていない。
そもそも井戸が使えるのだからわざわざ変える必要もないのだが、それでも珍しいと言えるだろう。
ヴェルディア王国の教会は名目上、創造神と呼ばれたエルアターナと呼ばれる女神を祭ってはいるが、70年前に起きた大規模な戦争――『魔導大戦』によって滅びてしまった時代、今では〈ヘリン〉と呼ばれているその時代に信仰は薄れた。
ヘリンの時代は、『魔導具』によって文明レベルが引き上げられ、神を信仰するという文化は徐々に衰退してしまったのだ。
そうした背景もあって、現在の教会の在り方は孤児院という色合いが強い。
――寄付によって成り立つ以上、贅沢品を手にするなどもっての外である。
誰もそんな事は思ってみたりはしないだろうが、この教会の神父であるエイトスはそう語っている。
少年は井戸から引き上げたばかりの水にそっと手を入れ、急いで両手で水を掬って顔に打ち付けた。
手と顔の両方が冷水によって刺すような痛みに襲われ、思わず地団駄を踏むように足踏みする。
顔を強ばらせ、急ぐようにズボンに挟んでいたタオル代わりの布を引き抜いて顔を拭くと、一つ溜息を漏らして瞼を押し上げた。
左右の色が違った瞳が、空を映した。
生来の色を残した左眼は、深い青色だ。
涼しげな印象を与える銀と青の彼の容姿は非情に珍しく、彼以外に類を見ない程であった。
整った容姿と珍しい髪と瞳の色は周囲の視線を自然と引いてしまい、そういう意味では目立つ容姿と言える。
左の眼は生来の青ではない。
今からおよそ1年程前、彼はこの街にある石造りの円柱型の建物――王立図書館で、『天啓の導』――《レムブル》と呼ばれる、一般的には禁書として呼ばれているそれと邂逅し、〈魔眼〉を得た。
魔力や魔素といった、本来不可視のものを視る事が出来る彼の眼は、その代償とでも言うべきか、生来の青から金色へと変貌していた。
「早いのね、スイ」
痛みを伴う冷たさから解放されて一息。そんな少年――スイの後方から、鈴を鳴らすような声が聴こえてきた。
スイが振り返ると、そこには簡素な紺色一色の貫頭衣――修道服に身を包んだ二十歳前後の女性が立っていた。
この教会に住まう3人の修道女の一人、ヘリアだ。
「おはようございます、ヘリアさん」
「えぇ、おはよう。それにしても、もう春が来たというのにこの時間は寒いわね」
ヘリアが自分の身体を自分で抱き締めながら両手で二の腕辺りを擦りながらぼやくように呟いた。
その姿にスイは小さく笑うと、冷たい水が入ったバケツを一瞥する。
「それで顔洗うと目が覚めるよ?」
「こんな寒い中でそんな冷たい水で顔を洗うのなんて、スイぐらいなものよ? 勘弁してちょうだい」
じとっとした目でスイを見つめながらヘリアが拒絶する。
スイにとっては日常の一つの行いではあるが、そんな彼の行動に対する周囲の反応は概ねこれであった。
寒空の下で冷たい水で顔を洗うなんて風邪を引いたらどうするんだ、という周囲の忠告に関しても、スイはそれを聞き入れるつもりはないようで、一向に辞める気配がないのであった。
「あ、そういえば今日から学園よね。スイももう5年生ね」
「この1年、色々あったけどね……」
スイの一言にはヘリアも苦笑を浮かべる事しか出来なかった。
――そもそも、スイは学園生活を『一般的に一年間通い続けた』という経験がないのだ。
ただ怠惰に授業をサボタージュするような癖がある訳でもなく、本人としては至って真面目ではあるのだが、これまでの学園生活を省みるとこう評されてしまう。
4年生になるまでの間は、彼の異様なまでの知識量とその好成績具合から特別授業という形で一般生徒とは異なる形で授業を受けてきた。
座学、筆記の成績という点ではすでに卒業する最終学年の10年生が学ぶラインをとっくに修めている。
そんな彼であるが、4年生からは同い年の一般生徒と学ぶ形になった訳だ。
しかし、何をするにも目立ち過ぎたとでも言うべきだろうか。
先述された彼の容姿も然ることながら、魔力量も膨大なものとなり、挙句の果ては――
「主様ぁ……、まだ寝てようよ……」
「いや、うん。別にファラは寝てても良いよ……」
――スイに向かって怠惰へと道連れにしようとする、目をこすりながらやってきた、20代前半程度の年の頃といった金髪の美女。白い長袖のワンピースに身を包んだ、ファラである。
彼女の正体が、よりにもよって黄金の鱗を携え、ヴェルディア王国ではないどこか異国では神の一柱とすら讃えられている存在――金龍。そんな彼女が、魔法使いとして生涯を共にするパートナーである〈使い魔〉として姿を現した事もまた起因している。
そうして、無駄にとも言える程に話題を掻っ攫ったスイは一人の少女に目をつけられ、ヴェルディア王国から誘拐されてしまったのである。
ヴェルディア王国の北にある大陸――今ではブレイニル大陸と呼ばれているが、そこにあった旧国エヴンシアの剣士、タータニア・ヘイルンによって。
紆余曲折を経てこの国へと帰って来たスイであったが、今度は新たな存在により、再び誘拐されてしまう。
遥か西方に位置するリブテア大陸と呼ばれる大陸と、その近隣の島国を勢力下に治めた帝国ブレイニルによって。
こちらもどうにか帰って来たのが、ほんの一月ばかり前の話である。
「今年は何回誘拐されるのかしらね……」
「……ヘリアさん、それ笑えないし僕としても願い下げといったところなんだけど……」
「ふふっ、冗談よ。それにまたちゃんと帰って来るわよね?」
「誘拐されるのが前提みたいに言わないでよ……」
笑顔で告げられたのははたして信頼なのか、それとも予言なのか。
いずれにせよ、こうして彼の学園生活はこの日から新学年――5年生としての日々を迎えようとしていた。
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夜闇が薄っすらと晴れていく。黒はやがて深い群青色に変わり、遠くの空は徐々に白に近い黄色に染まり、太陽が少しずつではあるが姿を見せようとしている。
その光景を眺めていた少年の吐息は僅かばかりに白く染まっていた。
冬が去り春が訪れようとしているものの、比較的穏やかな気候で一年が過ぎるこのヴェルディア大陸であっても、夜の帳が下ろした空気は肌を刺すような冷たさであった。
まだ薄暗く、寒い夜と朝の境。
それでも、徐々にではあるが街の中をちらほらと人影が行き来している姿が、遠目に見えたこの街の大通りに窺える。
もう間もなく夜明けなのだと物語っているかのようだ。
少年は男の子にしては長い銀色の髪を揺らしながら、庭にある井戸の手押しポンプを何度か上下させた。
冷えきった水が置かれていた木で出来たバケツへと注がれる姿を見ながら、溢してしまわぬようにポンプの動きの緩急を調整しつつ、やがて手を止めた。
余談ではあるが、世間一般で今時分手押しポンプを使って水を引き上げる家庭は少ないだろう。
一般的には魔導具――核となる宝石に魔法陣を刻み込み、魔力を押し流す事で使用出来る道具の総称――を設置して自動で水を引き上げるのが主流だ。
それでも、少年が住まうこの場所――ヴェルディア王国の王都であるヴェルにある、教会ではそういった――いわゆる贅沢品の類は置かれていない。
そもそも井戸が使えるのだからわざわざ変える必要もないのだが、それでも珍しいと言えるだろう。
ヴェルディア王国の教会は名目上、創造神と呼ばれたエルアターナと呼ばれる女神を祭ってはいるが、70年前に起きた大規模な戦争――『魔導大戦』によって滅びてしまった時代、今では〈ヘリン〉と呼ばれているその時代に信仰は薄れた。
ヘリンの時代は、『魔導具』によって文明レベルが引き上げられ、神を信仰するという文化は徐々に衰退してしまったのだ。
そうした背景もあって、現在の教会の在り方は孤児院という色合いが強い。
――寄付によって成り立つ以上、贅沢品を手にするなどもっての外である。
誰もそんな事は思ってみたりはしないだろうが、この教会の神父であるエイトスはそう語っている。
少年は井戸から引き上げたばかりの水にそっと手を入れ、急いで両手で水を掬って顔に打ち付けた。
手と顔の両方が冷水によって刺すような痛みに襲われ、思わず地団駄を踏むように足踏みする。
顔を強ばらせ、急ぐようにズボンに挟んでいたタオル代わりの布を引き抜いて顔を拭くと、一つ溜息を漏らして瞼を押し上げた。
左右の色が違った瞳が、空を映した。
生来の色を残した左眼は、深い青色だ。
涼しげな印象を与える銀と青の彼の容姿は非情に珍しく、彼以外に類を見ない程であった。
整った容姿と珍しい髪と瞳の色は周囲の視線を自然と引いてしまい、そういう意味では目立つ容姿と言える。
左の眼は生来の青ではない。
今からおよそ1年程前、彼はこの街にある石造りの円柱型の建物――王立図書館で、『天啓の導』――《レムブル》と呼ばれる、一般的には禁書として呼ばれているそれと邂逅し、〈魔眼〉を得た。
魔力や魔素といった、本来不可視のものを視る事が出来る彼の眼は、その代償とでも言うべきか、生来の青から金色へと変貌していた。
「早いのね、スイ」
痛みを伴う冷たさから解放されて一息。そんな少年――スイの後方から、鈴を鳴らすような声が聴こえてきた。
スイが振り返ると、そこには簡素な紺色一色の貫頭衣――修道服に身を包んだ二十歳前後の女性が立っていた。
この教会に住まう3人の修道女の一人、ヘリアだ。
「おはようございます、ヘリアさん」
「えぇ、おはよう。それにしても、もう春が来たというのにこの時間は寒いわね」
ヘリアが自分の身体を自分で抱き締めながら両手で二の腕辺りを擦りながらぼやくように呟いた。
その姿にスイは小さく笑うと、冷たい水が入ったバケツを一瞥する。
「それで顔洗うと目が覚めるよ?」
「こんな寒い中でそんな冷たい水で顔を洗うのなんて、スイぐらいなものよ? 勘弁してちょうだい」
じとっとした目でスイを見つめながらヘリアが拒絶する。
スイにとっては日常の一つの行いではあるが、そんな彼の行動に対する周囲の反応は概ねこれであった。
寒空の下で冷たい水で顔を洗うなんて風邪を引いたらどうするんだ、という周囲の忠告に関しても、スイはそれを聞き入れるつもりはないようで、一向に辞める気配がないのであった。
「あ、そういえば今日から学園よね。スイももう5年生ね」
「この1年、色々あったけどね……」
スイの一言にはヘリアも苦笑を浮かべる事しか出来なかった。
――そもそも、スイは学園生活を『一般的に一年間通い続けた』という経験がないのだ。
ただ怠惰に授業をサボタージュするような癖がある訳でもなく、本人としては至って真面目ではあるのだが、これまでの学園生活を省みるとこう評されてしまう。
4年生になるまでの間は、彼の異様なまでの知識量とその好成績具合から特別授業という形で一般生徒とは異なる形で授業を受けてきた。
座学、筆記の成績という点ではすでに卒業する最終学年の10年生が学ぶラインをとっくに修めている。
そんな彼であるが、4年生からは同い年の一般生徒と学ぶ形になった訳だ。
しかし、何をするにも目立ち過ぎたとでも言うべきだろうか。
先述された彼の容姿も然ることながら、魔力量も膨大なものとなり、挙句の果ては――
「主様ぁ……、まだ寝てようよ……」
「いや、うん。別にファラは寝てても良いよ……」
――スイに向かって怠惰へと道連れにしようとする、目をこすりながらやってきた、20代前半程度の年の頃といった金髪の美女。白い長袖のワンピースに身を包んだ、ファラである。
彼女の正体が、よりにもよって黄金の鱗を携え、ヴェルディア王国ではないどこか異国では神の一柱とすら讃えられている存在――金龍。そんな彼女が、魔法使いとして生涯を共にするパートナーである〈使い魔〉として姿を現した事もまた起因している。
そうして、無駄にとも言える程に話題を掻っ攫ったスイは一人の少女に目をつけられ、ヴェルディア王国から誘拐されてしまったのである。
ヴェルディア王国の北にある大陸――今ではブレイニル大陸と呼ばれているが、そこにあった旧国エヴンシアの剣士、タータニア・ヘイルンによって。
紆余曲折を経てこの国へと帰って来たスイであったが、今度は新たな存在により、再び誘拐されてしまう。
遥か西方に位置するリブテア大陸と呼ばれる大陸と、その近隣の島国を勢力下に治めた帝国ブレイニルによって。
こちらもどうにか帰って来たのが、ほんの一月ばかり前の話である。
「今年は何回誘拐されるのかしらね……」
「……ヘリアさん、それ笑えないし僕としても願い下げといったところなんだけど……」
「ふふっ、冗談よ。それにまたちゃんと帰って来るわよね?」
「誘拐されるのが前提みたいに言わないでよ……」
笑顔で告げられたのははたして信頼なのか、それとも予言なのか。
いずれにせよ、こうして彼の学園生活はこの日から新学年――5年生としての日々を迎えようとしていた。
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