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【スイの魔法 3 七人の魔女】 別章 『スイの姉』
『魔女』の弟子
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2014/09/10 改稿
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ヴェルディア魔法学園、『騎士科』。
男子生徒のおよそ7割にも及ぶ入科志望者の人数を誇る人気の科である。例えるなら、男子生徒の『騎士科』の栄誉と女子生徒にとっての『魔術科』と何ら変わらない程である。
そのメリットを挙げるのであれば、女性の方が立場的に強いこのヴェルディア王国内でも、まず間違いなく異性に一人前として認めてもらえる職である、という点だろうか。それはあまり大した栄誉とは言い難いかもしれないが、少なからず男子も一度は夢を見る憧れの職――ヴェルディア王国軍部への就職に最も近い道程だと言える。
そんな『騎士科』の訓練場は校庭の一角、塀に覆われて区切られた場所にある。
内部と外部を区切った石壁は高く、外からは中を見る事も出来ず、当然中からも外も見えない。
その中から、藁を打ち付ける鈍い音が鳴り続けていた。
ヴェルディア王国の正統剣術は、片手剣と丸盾を片手ずつに構える防御を主体とした剣術が主流だ。
しかし、この音を鳴らす本人もその主流に則った形とは少々違った剣術を披露していた。
右手に握った、ヴェルディア王国剣術で使われる長さより少しばかり長い木剣。
守りを主軸にした剣ではない、激しく荒々しさすら感じさせるような剣戟。
その姿を見ていた『騎士科』の生徒達の脳裏に一人の少女を思い出させる。
赤い髪に男勝りの口調。
剣術と身のこなしは『騎士科』の中でも群を抜いた少女。
――――タータニア・ヘイルン。
一年前の夏。
スイを助け、そのまま祖国であった旧エヴンシア王国へと帰ってしまった少女であった。
ヴェルディア魔法学園は世界的に見ても充実した教育機関であると言えた。他国から留学しにやってくる生徒とて少なくないのだ。
そもそもヴェルディア王国では義務化されている魔法学園での教育ではあるが、しかしこの『義務』とはあくまでも『通う事が可能であれば』という注釈がつく。家の商いを手伝いたいものなど、事情のある者は義務を免除される為、義務と言うよりは権利を有していると言った方が正しい。
バレン現国王の提案によって『教育の充実』の政策が取られて15年。それでもやはり、まだ浸透しきるには時間が足りていない。
そんな背景もあってか、他国から留学してきた生徒だけではなく必要最低限の知識を得たら学園を去る者もいる。
学園を突然去る事になったタータニアも、その枠組を考えれば特に珍しいという扱いになる訳でもなく、一般的には知られていない彼女の本来の行いも伏せられたおかげか、大した騒動にはならなかった。
――――そんな彼女の剣術を記憶の中から掘り起こし、模倣しつつ自分の技に昇華しようと躍起になっている少年。
先程から鈍い音を響き渡らされている張本人――生徒会役員の一人であるウェイン・クレイサスであった。
事ある毎に『騎士科』自慢をしていた紫色の髪をした前髪の長い少年。
しかし今、彼の髪は短めに切り落とされ、いつもの余裕ぶった態度はなりを潜め、鬼気迫る表情で剣を振るっていた。
「お、おい、ウェイン。あんまり無理は……」
「やめとけ」
先程から止まる事なく振られ続ける剣の動きは、明らかにオーバーワークだ。
ウェインを止めようと声をかけた彼と同い年の少年であったが、同じくウェインを見ていた上級生に制止された。
「せ、先輩、でもあれは明らかに……」
「いや、最近のアイツにとってはあれが普通だ。今声をかけても、アイツは止まらねぇ」
「あれが普通……っ?」
汗が飛沫となって飛び散り、身体を動かしながら剣を振る。
仮想された敵の攻撃を避けるような仕草までも加えられ、時折不規則に上体を捻ってみせたりもしている。
息は荒く、それでも剣は止まらない。
自分が同じ動きをしろと言われれば、まず無理だと首を左右に振るだろう。
個人練習――つまり今ウェインがやっている藁を打ち付ける行為というものであるが、これは一通りの授業での訓練を終えて、自分の不足を補う為であったり一日の締め括りとしての軽い流し程度で行う者が多い。
今ウェインがやっているそれは、その範疇を逸脱している。
もしも自分がああして訓練をすれば、きっと帰る事も出来ずに力尽き、そのまま意識を失ってしまうであろう自分の姿を想像する方が実に簡単だ。
「……ん、あれ?
先輩、ウェインが使ってる案山子、藁の巻き直し忘れてたんですか?」
運動量も然ることながら、毎日の練習だと聞かされて唖然としていた男子生徒が違和感を覚え、それを口にした。
案山子は二週間に一度は藁を巻き直す。最下級生の仕事であり、ウェイン達の学年がつい先日、次の新入生を待つまでの最後の交換を変えた終えたばかりだ。
それがどうだ。
ウェインの打ち付けている藁は酷く傷付き、一度どころか数度に渡って交換されていないかのような傷付き具合ではないか。
新たに入る新入りの交換練習用に残した案山子は、ここから離れた場所に置かれている。
もしもきっちりと交換していれば、ヴェルディア王国剣術ではそこまで酷い損傷にはなるはずもない。
てっきり交換の不備があったのか、激しい練習をする為に残していたのかと尋ねたつもりであったが、上級生の男性は首を左右に振った。
「間違いなく交換したさ。あそこにある案山子の隣にあるヤツとアレは、同じ日に交換した」
「な……ッ!」
「タータニア。アイツも一人でああして打ち込んではすぐに案山子をぼろぼろにしやがる。まったく、剣術だけじゃなくて『案山子破壊』の渾名まで似るこたぁねぇだろうによ」
軽口を叩きながらも、その視線の先にはウェインを映したまま彼は笑う。
ギョッとした様子でその横顔に視線を向けた少年であったが、その姿に今度は顔を青褪める事になるなどとは思いもしていなかった。
笑いながらもその瞳は滾った競争心や闘争心が入り乱れたかのように爛々と輝き、衝動に突き動かされた獣のような獰猛な笑みだ。
その上級生が、『騎士科』では「鬼軍曹」と後輩から呼ばれている事など、話しかけた少年はすっかり忘れ去っていたのである。
そろり、と距離を取ろうとした少年の肩が掴まれ、悲鳴が響き渡るまであと数秒程後の事である。
一方、そんな悲鳴が耳に入らないまで集中していたウェインは自分のイメージした対戦相手――タータニアとの勝負に敗けていた。
対峙した姿、自分の動きを重ねて追従する剣技。
そのどちらにも自分は追いつけずに――歯噛みした。
集中力が途切れ、途端に剣の重さが腕にのしかかる。
疲労によって握力が失われた手からするりと抜け出すように、木剣は案山子に弾かれて手から滑り落ちてしまう。
そこでようやく、ウェインの動きが止まった。
――まだ、追いつけない……。
荒れた息と身体の疲労。一時的な集中によって何とか身体を動かしていたウェインであったが、集中力が途切れると同時にウェインはどさりと身体を倒し、呼吸しながら空を見上げた。
――姑息な性分になってしまったのは、いつからだっただろうか。
生来の性格というよりも、夢見ていた『騎士科』に入れた一年前の喜びによって、妙な自信と自尊心ばかりが先行してしまった。
そうした物が打ち砕かれた、光夜祭の襲撃。
スイを『騎士科』に入れて、自分が頑張っている姿を先輩として見せてやりたい。
あわよくば周りからも評価されたいと思わなかった訳ではないが、そんな下心を持つのもまた多感な年頃の男子らしいものである。
いずれにせよ、それはスイの『魔術科』への志望によって打ち砕かれる事となった訳だ。だからと言ってふて腐れる訳でもなく、ウェインはこうして己の技術を磨こうと足掻いている。
目標とするのはあの光夜祭での襲撃の時、誰よりも先に前へと出られるような――まさしく騎士の姿。
「……クソ……ッ、まだまだ、届かない……ッ」
己の強さが『騎士科』に入った、ただそれだけで立証された気がしていた。
その弱い心を自ら戒めるように吐き捨てる。
彼は今、一人の騎士となろうと――――
「ウェイン、この後『執務科』の女子達と一緒に街の喫茶店に行くんだけど、お前もどう?」
「行きますッ!」
――なろうとは、していた。
◆ ◆ ◆
一方その頃、この日は特に人が集まる予定もなかった生徒会室の奥に広がった人工の草原。そこには二人の少年少女が向い合って立っていた。
険しい顔をしながら立っているスイに向かって、腕を組んだままその姿を見つめていた銀髪の少女――かつて『銀の人形』としてスイと対峙し、今では姉という立場におさまっているアーシャだ。
スイの足元に浮かび上がった魔法陣からは光の粒子が舞い上がっている。
風が起きて銀色の髪をさらさらと揺らしてはいるものの、その揺らされた男子にしては長めの髪の間から覗いた表情は険しい。
明滅を繰り返す足元の魔法陣をどうにか自分なりに制御している為、その集中を乱す訳にはいかないのだ。
普段であれば特に難しくはない魔力操作だが、この時ばかりは勝手が違った。
スイと向い合って立つアーシャが、先程から魔法の構築を阻害させるかのように魔力を操り続けているのである。
「集中力を切らしたら、私の魔力が周囲を取り込むわよ。ほら、また乱れた」
アーシャの一言にスイの眉がぴくりと動く。同時に足元の魔法陣がパシンと何かに弾かれるような音を立てて霧散してしまった。
短く声を漏らしたスイの目の前で、アーシャが嘆息した。
「まぁまぁ持ってる方ね。最初の頃に比べれば、だけど」
「そう、かな? 難しいね、これ……」
あまり直球とは言い難いアーシャの物言いもあるが、何より躓いているような感覚がしてならないスイは、その言葉を褒め言葉としては受け止められなかったようだ。
今スイがアーシャに教わっているのは、魔法を扱う上での基礎である。
とは言えこれは、『アーシャが知る魔法の技術の基礎』であって、現在の技術とは少々趣が異なるようだ。
魔法を発動させるのに重要な要素となるのは、大きく分けて2つだ。
一つは『自分自身の中にある魔力』。
そしてもう一つが、『術者の周囲に存在している魔力』である。
空気中に浮かび上がった多くの魔素――魔力の源となるもの――が、術者の魔力に呼応して魔力へと変換し、魔法を組み上げる。その周囲の魔力にアーシャが干渉を施し、スイの魔法を作り上げる工程を阻害していたのだ。
その状況で魔法を構築するというのは、普段通りに一呼吸の内に出来るような単純なものではなくなる。
俗に『大魔法』と呼ばれる魔法はその限りではないが、魔法を扱う上での大事な肯定の一つであり、発動に対するスピードを上げる練習にもなるだろう、というのがアーシャの説明であり、その訓練を続けているのだ。
現在では教えられていない技術――言い換えれば遺失された技術とも言えるであろうそれをアーシャに教わっているという訳なのだが、これがなかなかどうしてうまくいかずにいる。
――『無』の魔法の弊害、といったところかしらね。
うまくいかずに表情を曇らせているスイを見つめながら、アーシャはスイが失敗する理由に気付き、そう当たりをつけていた。
スイの扱う『無』の魔法は、膨大な魔力を練り上げる必要がある。
そうして放たれる魔法と、この小さい魔力の制御とでは魔法の使い方が致命的に異なっているのだ。
リブテア大陸の地下で戦った際に見たスイの魔法、戦い方。
それらはどれも、アーシャから見れば『無駄が多い』。
その結果、ヴェルに帰って以来、ただの一度たりともスイはアーシャに勝利していない。アーシャの心臓とも核とも呼べる宝玉には、従来の5割程度しか魔力が注ぎ込まれていないにも関わらずに、だ。
もともと魔法の技量やその理解力、経験値という点ではスイとアーシャでは比較にならない。アーシャにスイが勝てたのは、あくまでもファラ達の協力のおかげと言えるだろう。容易に勝てる程、アーシャは甘くない。
それでも自分の不甲斐なさ――いや、実力不足といった事態に直面したスイの顔は曇っていたものの、それでも心が折れてしまったり腐ったりとまではいかないようだ。
素直に出来ない事に取り組む姿勢は、一度は何もかもを諦めようとしていた自分とは似ていないのだな、と。アーシャは目の前に佇む同じ髪と瞳の色――とは言え魔眼である右眼は除いて――をした少年をそう評価していた。
そんな事をふと考えた時――アーシャが何かに気付いて視線を生徒会の入り口の方へと向けた。
「どうしたの?」
「……今日はここまでにしましょうか、スイ。ちょっと野暮用が出来たわ。あとは自分である程度練習しておきなさい」
「あ、うん。ありがとね、アーシャ」
礼を告げるスイに背を向けて、アーシャは生徒会室の扉を出て行こうと歩いて行くのであった。
スイを残して生徒会室を後にしたアーシャが、扉を開けて廊下を見つめると、その先には一人の少女が腕を組み、廊下の壁に背を預ける形で立っていた。
青い髪に独特の魔導言語が書かれたリボンをつけた、ネルティエだ。
アーシャにとってみれば、彼女とはこれまでに顔を合わせた事はないが、それでもアーシャは臆する事なく口を開いた。
「ずいぶんと不躾な真似をしてくれるわね。何か用事かしら?」
アーシャが口にした『不躾な真似』とは、つい先程感じ取った魔法の発動だ。
探索系に当たる、現在では使われていない古い魔法だろうか。
周囲を走り抜けた僅かな魔力の振動が、アーシャの核に反応を齎せ、その僅かな違和感に気付いたのである。
当然スイも右眼を発動させてさえいれば気付けたかもしれないが、ちょうど魔力操作の訓練で右眼を使わず、感覚を覚えろと指示していたところだ。
気付けなかったのも仕方ないと言うべきか、それともスイには危機感が足りないと考えるべきか。
アーシャはどうやら後者に比重を傾けたようである。
スイがこの考えを聞いたなら、「自分で言っておいてそんな扱い……」とぼやく事になるだろうが、今はそんなことを考えているべきではないだろう。
アーシャの視線を受け止めていたネルティエは、ふっと顔を背けて壁から身体を離して告げる。
「……『銀の人形』、だったわね。ついてきなさい」
アーシャの眉がぴくりと動き、警戒を強めながらもネルティエを睨み付ける。
――アルドヴァルドの手先、とは考えにくいわね。
まずアーシャが考えたのはそれである。
もしもネルティエがアルドヴァルド王国による『銀の人形』を捕獲する為に派遣された者ならば、ここで背を向けるなんて考えには至らないだろう。
背を向けるなど、背後からの急襲を全く視野に入れていない行いだ。
或いは絶対的に反撃が可能であるという自信の表れとも取れるかもしれないが、そんなものは愚考としか言い難い。
この状況でアーシャが選べる選択肢は2つだ。
一つは、この場で背中から急襲して動きを封じ、洗い浚い――それこそ素性から目的、どうして自分を知ったのかという点も含めて、拷問してでも吐かせるというシンプルなもの。
もう一つは、素直に応じて平和的に情報収集すること。
かつてのアーシャならば、迷わず前者を選び取っただろう。
とは言え、敵対するにしても些か甘さが見える目の前のネルティエにそこまでするつもりになる訳でもなく、歩き出したネルティエの背を追いかけ、歩みを進めたのであった。
ヴェルディア魔法学園は、石造りの大きな3つの棟が縦並びに建っている。
正門――つまりはヴェルの大通りから西に進んだ先にある門からその棟を抜ければ、広大な校庭が広がり、その先には小さな森が広がっていた。
学園の寮は校庭から南側に抜けた先に建てられているのだが、そちらに続く道は森の中に石畳を敷いた通路となっている。
まっすぐ寮へと続く舗装された道を歩きながら、前方を歩くネルティエに黙ってついて歩いて行くアーシャは、未だ目の前のネルティエの目的を図りかねていた。ここまで二人の間に会話はなく、ただただ付かず離れずの距離を歩き続けるばかりだ。
そうしている内に、もうすぐ寮につく。
一緒に帰ろうという誘いにしては些か無愛想にも程があるだろう。
そんなくだらない考えが浮かびつつあったアーシャであったが、ようやくネルティエが動きを見せた。
寮へと続く道から舗装されていない道を顎で示し、言外にそちらについて来るようにと指示されたアーシャがネルティエと共に林の中へと足を進める。すでに夕刻、陽が傾き始めたこの場所は薄暗く、人の気配すらない。
足を止めたネルティエが、アーシャへと振り返った。
「ここで良いわ。あまり他人に聞かれたくない話だから、素直について来てもらえて助かったわ」
「人に聞かれたくない話、ね。それで、一体何者なのかしら? 私の正体を知っているって事は、少なくともただの上級生、とは思えないわね」
ネルティエの胸元についていた、リボンのアーシャよりも上級生である事を示す青いリボン。せいぜいネルティエの素性を知るにはそのリボンの色と、髪に編み込まれた魔導言語が書かれた不思議なリボンが魔導具の一種だろう、という事ぐらいしかヒントは見当たらない。
敵である可能性に比重を傾けつつ、アーシャはネルティエの言葉を待っていた。
「私は『螺旋の魔女』の弟子、ネルティエ・グライエス」
「……『螺旋の魔女』ですって?」
誇らしげに胸を張って告げるネルティエに対して、アーシャは訝しみながらも尋ね返す。
そもそも、『魔法使い』と『魔女』では、その持つ意味合いが大きく異なる。
実在されたと言われる7人の『魔女』。
それらだけが、『魔女』の名を冠した存在であり、名前だけならばお伽話かのように伝わっている。
青の魔法を歌う『氷界の魔女』。
赤の魔法と踊る『紅炎の魔女』。
緑の魔法と共に駆ける『螺旋の魔女』。
黄の魔法を喚ぶ『断崖の魔女』。
白の魔法で照らす『光牙の魔女』。
黒の魔法に誘う『深淵の魔女』。
そして、始祖たる『魔女』の頂点、救世とも破滅とも呼ばれる『銀の魔女』。
彼女らはたった一人で世界を牛耳れる程の魔法を操り、魔法を構築したと言われている存在である。だが、現代においてその姿を見た者はいないとされている。
それもそうだろう。
何せ彼女ら『魔女』が歴史の表舞台に姿を現したのは、ヘリンの時代の終盤――エイネスの時代なのだから。
エイネスの終わり、ヘリンの始まりから――およそ200年以上前。
そんなの存在がこの時代に生きている訳がない。
おそらくは『教えを継いだ者の弟子』という意味だろうとアーシャは当たりをつけながら、ならば自分の存在を知っている可能性もゼロではないと納得していた。
怪訝な表情で自分を見つめているアーシャに対し、ネルティエは特に気にする事もなく口を開いた。
「お師匠様が言っていたのよ。アナタと、スイを連れて来るようにね」
「……そのお師匠様とやらも『螺旋の魔女』の教えを継いだ者、という事かしら?」
アーシャの問いにネルティエは僅かに目を丸くして、高笑いを始めた。
何が可笑しいと言わんばかりにその姿を睨み付けるアーシャに、ネルティエは未だこみ上がる笑いを噛み締めながら告げた。
「フフッ、何を勘違いしているの? さっきも言ったでしょう。私は『螺旋の魔女』の弟子。その私がお師匠様と言っているんだから、普通に考えればお師匠様こそが『螺旋の魔女』である事ぐらい分かるでしょう?」
「そう。数百年も前の時代の人物を引き合いに出されて信じろなんて、それが通用すると思っているならアナタは相当変わり者みたいね」
挑発混じりのネルティエの言葉など意にも介さず、アーシャはそのまま淡々と告げた。
そんなアーシャの態度が気に食わないネルティエは笑みを殺し、一瞬にして真顔になるとアーシャを睨み付けた。
「……何よ、その態度」
「あら、悔しがらなくちゃ面白くないかしら? それはごめんなさいね。
あまりにも幼稚な挑発だったものだから、相手にするのも面倒になってしまって。悪気はなかったわ」
「……ッ、馬鹿にしてるの……?」
「馬鹿になんてしてないわ。だって……――」
アーシャがクスっと笑みを浮かべ、せせら嗤うかのようにネルティエを見つめる。
「――馬鹿にするも何も。馬鹿を相手にしてるのにそんな事しても、意味ないでしょう?」
激昂するネルティエの周囲に強い突風が吹き荒れる。
ネルティエの高圧的な態度は、確かに一般的な挑発としては成立していた。
しかし、舌戦を繰り広げる相手が悪すぎたと言えるだろう。何せ相手は『銀の人形』――アーシャだ。
エイネスとヘリンの時代を終わらせるべく、【魅了魔法】を利用して周囲を誑かしてきた少女。
当然ながら、相手を挑発して牙を剥かせる事など造作も無い事である。
ネルティエの挑発を逆撫でするなど、児戯にも等しいと言えた。
「……ムカつく……ッ! 連れて来いって言われてはいるけど、生死は注文されてなかったもの。壊してあげ――」
「――遅いわよ」
「……え……?」
ふわり、と舞うような風の流れと同時に、ネルティエの耳元でアーシャが優しく告げた。
視線を動かした先に突き付けられた冷気を放つ半透明の塊。
腕に氷を纏ったアーシャが背後に回り込み、その切っ先をネルティエの首に突きつけていた。
あまりに唐突に突き付けられたその異常な事態に、ネルティエは困惑していた。
周囲の風があっさりと消され、下手に動けばこのまま首を刎ねられるだろう悪寒。それらが身体を硬直させ、嫌な汗が頬を伝う。
「子供の癇癪に付き合う気はないの。それと――ここでアナタを殺しても、遺体が見つかる事もなく処分する事も、大した労力は必要ないわ」
冷ややかな言葉に、一切の躊躇や脅しめいた意気込みは感じられなかった。
ただただ淡々と自分にはそれが出来ると告げるアーシャの冷たい言葉は、ネルティエの心臓を鷲掴みにして今にも握り潰してしまいそうな程の重圧を伴って耳元をそよいだ。
「……ッ」
ネルティエの魔力が周囲から霧散し、消え去る。
吹き荒れた風に揺らされていたアーシャの銀髪がふわりと元通りに戻ると、アーシャも腕の氷を解いてネルティエから数歩離れてみせた。
「素直に負けを認めるのね」
「……私にもプライドがあるわ。対処出来ていたなら文句でも言う所だけど、一切気付けなかった。その気があったら……」
その続きは言うまでもない。
ネルティエもアーシャも、同じ想像を――つまりはネルティエの死を想像していた訳である。
つい先程は舌戦を繰り広げる形となったが、アーシャとて別にそれを楽しむ為に口にしている訳ではないのだ。
忌々しげに自分の敗北を語るネルティエに、アーシャは特に何も余計な事を口にしたりもせずに再び口を開いた。
「……それで、お師匠様だったかしら。さっきのアナタの言い分を聞く限りだと、どうやらそのお師匠様は『螺旋の魔女』そのもの、だったかしら」
「えぇ、そうよ。数百年も前の時代を生きたお方。そのお師匠様が、アナタ達が必要だと言っているの」
「俄には信じられない話ね。どうして『魔女』がこの時代まで生きているのかもそうだけど、私の正体まで知っているなんて」
数百年前の存在が今も生きているなど、そんな話が実在しているなど有り得ない。
例えそれが、魔道を極めた『魔女』であったとしても、不老不死など到底あるはずがないのだ。
「お師匠様達――つまり『魔女』は今の時代まで眠り続けていたらしいわ。詳しくは教えてくれないけれど、少なくともそれが嘘であるとは思えない」
「信用している、とでも言うつもり? だとしたら会った事すらない私には通用しないわよ」
「天使の〈使い魔〉が告げた、と言ってもかしら?」
ネルティエの言葉にアーシャは僅かに目を瞠り、「なるほどね」と納得した様子で答えた。
天魔と呼ばれる、天使と悪魔の〈使い魔〉はそれぞれに制約が課せられている。
悪魔の場合は『人を死に追いやってはならない』という制約があり、また天使の場合は『罪を冒してはならない』というものだ。
これはどの天魔にも共通している内容であるらしく、有名な逸話であり、嘘を吐くというのもそれに該当する。
つまりは天使の言葉は嘘偽りの一切は存在せず、全てが事実であるということに他ならない。
例外は有り得ないのだ。
「『螺旋の魔女』が生きているという点については理解したわ。まぁ会ってみない限りは信用するとは言い難いけどね」
「……ずいぶん頑固ね」
「激昂したぐらいで相手を殺そうとするようなアナタ程、極端な性格はしていないわよ。まぁ、そんな経験に身に覚えがない訳じゃないけれど。
そんな事より、どうして私達を保護しようなんて話になっているの?」
自分もまた激昂したままに暴走し、スイに止められた経験がある。アーシャもそんな苦い記憶を思い返すハメになってしまったが、問題はそこである。
保護など、どう考えてもおかしな言い回しだ。
それはまるで、何かが動き出そうとしているような言い草であり、その直感は――
「アルドヴァルド王国が何か動きを見せ始めたらしいわ。このヴェルディア王国はそう遠くない内に、戦火に巻き込まれるかもしれない。その前に、アンタ達をお師匠様のもとへと連れて帰る」
――どうやら外れていなかったようだ。
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ヴェルディア魔法学園、『騎士科』。
男子生徒のおよそ7割にも及ぶ入科志望者の人数を誇る人気の科である。例えるなら、男子生徒の『騎士科』の栄誉と女子生徒にとっての『魔術科』と何ら変わらない程である。
そのメリットを挙げるのであれば、女性の方が立場的に強いこのヴェルディア王国内でも、まず間違いなく異性に一人前として認めてもらえる職である、という点だろうか。それはあまり大した栄誉とは言い難いかもしれないが、少なからず男子も一度は夢を見る憧れの職――ヴェルディア王国軍部への就職に最も近い道程だと言える。
そんな『騎士科』の訓練場は校庭の一角、塀に覆われて区切られた場所にある。
内部と外部を区切った石壁は高く、外からは中を見る事も出来ず、当然中からも外も見えない。
その中から、藁を打ち付ける鈍い音が鳴り続けていた。
ヴェルディア王国の正統剣術は、片手剣と丸盾を片手ずつに構える防御を主体とした剣術が主流だ。
しかし、この音を鳴らす本人もその主流に則った形とは少々違った剣術を披露していた。
右手に握った、ヴェルディア王国剣術で使われる長さより少しばかり長い木剣。
守りを主軸にした剣ではない、激しく荒々しさすら感じさせるような剣戟。
その姿を見ていた『騎士科』の生徒達の脳裏に一人の少女を思い出させる。
赤い髪に男勝りの口調。
剣術と身のこなしは『騎士科』の中でも群を抜いた少女。
――――タータニア・ヘイルン。
一年前の夏。
スイを助け、そのまま祖国であった旧エヴンシア王国へと帰ってしまった少女であった。
ヴェルディア魔法学園は世界的に見ても充実した教育機関であると言えた。他国から留学しにやってくる生徒とて少なくないのだ。
そもそもヴェルディア王国では義務化されている魔法学園での教育ではあるが、しかしこの『義務』とはあくまでも『通う事が可能であれば』という注釈がつく。家の商いを手伝いたいものなど、事情のある者は義務を免除される為、義務と言うよりは権利を有していると言った方が正しい。
バレン現国王の提案によって『教育の充実』の政策が取られて15年。それでもやはり、まだ浸透しきるには時間が足りていない。
そんな背景もあってか、他国から留学してきた生徒だけではなく必要最低限の知識を得たら学園を去る者もいる。
学園を突然去る事になったタータニアも、その枠組を考えれば特に珍しいという扱いになる訳でもなく、一般的には知られていない彼女の本来の行いも伏せられたおかげか、大した騒動にはならなかった。
――――そんな彼女の剣術を記憶の中から掘り起こし、模倣しつつ自分の技に昇華しようと躍起になっている少年。
先程から鈍い音を響き渡らされている張本人――生徒会役員の一人であるウェイン・クレイサスであった。
事ある毎に『騎士科』自慢をしていた紫色の髪をした前髪の長い少年。
しかし今、彼の髪は短めに切り落とされ、いつもの余裕ぶった態度はなりを潜め、鬼気迫る表情で剣を振るっていた。
「お、おい、ウェイン。あんまり無理は……」
「やめとけ」
先程から止まる事なく振られ続ける剣の動きは、明らかにオーバーワークだ。
ウェインを止めようと声をかけた彼と同い年の少年であったが、同じくウェインを見ていた上級生に制止された。
「せ、先輩、でもあれは明らかに……」
「いや、最近のアイツにとってはあれが普通だ。今声をかけても、アイツは止まらねぇ」
「あれが普通……っ?」
汗が飛沫となって飛び散り、身体を動かしながら剣を振る。
仮想された敵の攻撃を避けるような仕草までも加えられ、時折不規則に上体を捻ってみせたりもしている。
息は荒く、それでも剣は止まらない。
自分が同じ動きをしろと言われれば、まず無理だと首を左右に振るだろう。
個人練習――つまり今ウェインがやっている藁を打ち付ける行為というものであるが、これは一通りの授業での訓練を終えて、自分の不足を補う為であったり一日の締め括りとしての軽い流し程度で行う者が多い。
今ウェインがやっているそれは、その範疇を逸脱している。
もしも自分がああして訓練をすれば、きっと帰る事も出来ずに力尽き、そのまま意識を失ってしまうであろう自分の姿を想像する方が実に簡単だ。
「……ん、あれ?
先輩、ウェインが使ってる案山子、藁の巻き直し忘れてたんですか?」
運動量も然ることながら、毎日の練習だと聞かされて唖然としていた男子生徒が違和感を覚え、それを口にした。
案山子は二週間に一度は藁を巻き直す。最下級生の仕事であり、ウェイン達の学年がつい先日、次の新入生を待つまでの最後の交換を変えた終えたばかりだ。
それがどうだ。
ウェインの打ち付けている藁は酷く傷付き、一度どころか数度に渡って交換されていないかのような傷付き具合ではないか。
新たに入る新入りの交換練習用に残した案山子は、ここから離れた場所に置かれている。
もしもきっちりと交換していれば、ヴェルディア王国剣術ではそこまで酷い損傷にはなるはずもない。
てっきり交換の不備があったのか、激しい練習をする為に残していたのかと尋ねたつもりであったが、上級生の男性は首を左右に振った。
「間違いなく交換したさ。あそこにある案山子の隣にあるヤツとアレは、同じ日に交換した」
「な……ッ!」
「タータニア。アイツも一人でああして打ち込んではすぐに案山子をぼろぼろにしやがる。まったく、剣術だけじゃなくて『案山子破壊』の渾名まで似るこたぁねぇだろうによ」
軽口を叩きながらも、その視線の先にはウェインを映したまま彼は笑う。
ギョッとした様子でその横顔に視線を向けた少年であったが、その姿に今度は顔を青褪める事になるなどとは思いもしていなかった。
笑いながらもその瞳は滾った競争心や闘争心が入り乱れたかのように爛々と輝き、衝動に突き動かされた獣のような獰猛な笑みだ。
その上級生が、『騎士科』では「鬼軍曹」と後輩から呼ばれている事など、話しかけた少年はすっかり忘れ去っていたのである。
そろり、と距離を取ろうとした少年の肩が掴まれ、悲鳴が響き渡るまであと数秒程後の事である。
一方、そんな悲鳴が耳に入らないまで集中していたウェインは自分のイメージした対戦相手――タータニアとの勝負に敗けていた。
対峙した姿、自分の動きを重ねて追従する剣技。
そのどちらにも自分は追いつけずに――歯噛みした。
集中力が途切れ、途端に剣の重さが腕にのしかかる。
疲労によって握力が失われた手からするりと抜け出すように、木剣は案山子に弾かれて手から滑り落ちてしまう。
そこでようやく、ウェインの動きが止まった。
――まだ、追いつけない……。
荒れた息と身体の疲労。一時的な集中によって何とか身体を動かしていたウェインであったが、集中力が途切れると同時にウェインはどさりと身体を倒し、呼吸しながら空を見上げた。
――姑息な性分になってしまったのは、いつからだっただろうか。
生来の性格というよりも、夢見ていた『騎士科』に入れた一年前の喜びによって、妙な自信と自尊心ばかりが先行してしまった。
そうした物が打ち砕かれた、光夜祭の襲撃。
スイを『騎士科』に入れて、自分が頑張っている姿を先輩として見せてやりたい。
あわよくば周りからも評価されたいと思わなかった訳ではないが、そんな下心を持つのもまた多感な年頃の男子らしいものである。
いずれにせよ、それはスイの『魔術科』への志望によって打ち砕かれる事となった訳だ。だからと言ってふて腐れる訳でもなく、ウェインはこうして己の技術を磨こうと足掻いている。
目標とするのはあの光夜祭での襲撃の時、誰よりも先に前へと出られるような――まさしく騎士の姿。
「……クソ……ッ、まだまだ、届かない……ッ」
己の強さが『騎士科』に入った、ただそれだけで立証された気がしていた。
その弱い心を自ら戒めるように吐き捨てる。
彼は今、一人の騎士となろうと――――
「ウェイン、この後『執務科』の女子達と一緒に街の喫茶店に行くんだけど、お前もどう?」
「行きますッ!」
――なろうとは、していた。
◆ ◆ ◆
一方その頃、この日は特に人が集まる予定もなかった生徒会室の奥に広がった人工の草原。そこには二人の少年少女が向い合って立っていた。
険しい顔をしながら立っているスイに向かって、腕を組んだままその姿を見つめていた銀髪の少女――かつて『銀の人形』としてスイと対峙し、今では姉という立場におさまっているアーシャだ。
スイの足元に浮かび上がった魔法陣からは光の粒子が舞い上がっている。
風が起きて銀色の髪をさらさらと揺らしてはいるものの、その揺らされた男子にしては長めの髪の間から覗いた表情は険しい。
明滅を繰り返す足元の魔法陣をどうにか自分なりに制御している為、その集中を乱す訳にはいかないのだ。
普段であれば特に難しくはない魔力操作だが、この時ばかりは勝手が違った。
スイと向い合って立つアーシャが、先程から魔法の構築を阻害させるかのように魔力を操り続けているのである。
「集中力を切らしたら、私の魔力が周囲を取り込むわよ。ほら、また乱れた」
アーシャの一言にスイの眉がぴくりと動く。同時に足元の魔法陣がパシンと何かに弾かれるような音を立てて霧散してしまった。
短く声を漏らしたスイの目の前で、アーシャが嘆息した。
「まぁまぁ持ってる方ね。最初の頃に比べれば、だけど」
「そう、かな? 難しいね、これ……」
あまり直球とは言い難いアーシャの物言いもあるが、何より躓いているような感覚がしてならないスイは、その言葉を褒め言葉としては受け止められなかったようだ。
今スイがアーシャに教わっているのは、魔法を扱う上での基礎である。
とは言えこれは、『アーシャが知る魔法の技術の基礎』であって、現在の技術とは少々趣が異なるようだ。
魔法を発動させるのに重要な要素となるのは、大きく分けて2つだ。
一つは『自分自身の中にある魔力』。
そしてもう一つが、『術者の周囲に存在している魔力』である。
空気中に浮かび上がった多くの魔素――魔力の源となるもの――が、術者の魔力に呼応して魔力へと変換し、魔法を組み上げる。その周囲の魔力にアーシャが干渉を施し、スイの魔法を作り上げる工程を阻害していたのだ。
その状況で魔法を構築するというのは、普段通りに一呼吸の内に出来るような単純なものではなくなる。
俗に『大魔法』と呼ばれる魔法はその限りではないが、魔法を扱う上での大事な肯定の一つであり、発動に対するスピードを上げる練習にもなるだろう、というのがアーシャの説明であり、その訓練を続けているのだ。
現在では教えられていない技術――言い換えれば遺失された技術とも言えるであろうそれをアーシャに教わっているという訳なのだが、これがなかなかどうしてうまくいかずにいる。
――『無』の魔法の弊害、といったところかしらね。
うまくいかずに表情を曇らせているスイを見つめながら、アーシャはスイが失敗する理由に気付き、そう当たりをつけていた。
スイの扱う『無』の魔法は、膨大な魔力を練り上げる必要がある。
そうして放たれる魔法と、この小さい魔力の制御とでは魔法の使い方が致命的に異なっているのだ。
リブテア大陸の地下で戦った際に見たスイの魔法、戦い方。
それらはどれも、アーシャから見れば『無駄が多い』。
その結果、ヴェルに帰って以来、ただの一度たりともスイはアーシャに勝利していない。アーシャの心臓とも核とも呼べる宝玉には、従来の5割程度しか魔力が注ぎ込まれていないにも関わらずに、だ。
もともと魔法の技量やその理解力、経験値という点ではスイとアーシャでは比較にならない。アーシャにスイが勝てたのは、あくまでもファラ達の協力のおかげと言えるだろう。容易に勝てる程、アーシャは甘くない。
それでも自分の不甲斐なさ――いや、実力不足といった事態に直面したスイの顔は曇っていたものの、それでも心が折れてしまったり腐ったりとまではいかないようだ。
素直に出来ない事に取り組む姿勢は、一度は何もかもを諦めようとしていた自分とは似ていないのだな、と。アーシャは目の前に佇む同じ髪と瞳の色――とは言え魔眼である右眼は除いて――をした少年をそう評価していた。
そんな事をふと考えた時――アーシャが何かに気付いて視線を生徒会の入り口の方へと向けた。
「どうしたの?」
「……今日はここまでにしましょうか、スイ。ちょっと野暮用が出来たわ。あとは自分である程度練習しておきなさい」
「あ、うん。ありがとね、アーシャ」
礼を告げるスイに背を向けて、アーシャは生徒会室の扉を出て行こうと歩いて行くのであった。
スイを残して生徒会室を後にしたアーシャが、扉を開けて廊下を見つめると、その先には一人の少女が腕を組み、廊下の壁に背を預ける形で立っていた。
青い髪に独特の魔導言語が書かれたリボンをつけた、ネルティエだ。
アーシャにとってみれば、彼女とはこれまでに顔を合わせた事はないが、それでもアーシャは臆する事なく口を開いた。
「ずいぶんと不躾な真似をしてくれるわね。何か用事かしら?」
アーシャが口にした『不躾な真似』とは、つい先程感じ取った魔法の発動だ。
探索系に当たる、現在では使われていない古い魔法だろうか。
周囲を走り抜けた僅かな魔力の振動が、アーシャの核に反応を齎せ、その僅かな違和感に気付いたのである。
当然スイも右眼を発動させてさえいれば気付けたかもしれないが、ちょうど魔力操作の訓練で右眼を使わず、感覚を覚えろと指示していたところだ。
気付けなかったのも仕方ないと言うべきか、それともスイには危機感が足りないと考えるべきか。
アーシャはどうやら後者に比重を傾けたようである。
スイがこの考えを聞いたなら、「自分で言っておいてそんな扱い……」とぼやく事になるだろうが、今はそんなことを考えているべきではないだろう。
アーシャの視線を受け止めていたネルティエは、ふっと顔を背けて壁から身体を離して告げる。
「……『銀の人形』、だったわね。ついてきなさい」
アーシャの眉がぴくりと動き、警戒を強めながらもネルティエを睨み付ける。
――アルドヴァルドの手先、とは考えにくいわね。
まずアーシャが考えたのはそれである。
もしもネルティエがアルドヴァルド王国による『銀の人形』を捕獲する為に派遣された者ならば、ここで背を向けるなんて考えには至らないだろう。
背を向けるなど、背後からの急襲を全く視野に入れていない行いだ。
或いは絶対的に反撃が可能であるという自信の表れとも取れるかもしれないが、そんなものは愚考としか言い難い。
この状況でアーシャが選べる選択肢は2つだ。
一つは、この場で背中から急襲して動きを封じ、洗い浚い――それこそ素性から目的、どうして自分を知ったのかという点も含めて、拷問してでも吐かせるというシンプルなもの。
もう一つは、素直に応じて平和的に情報収集すること。
かつてのアーシャならば、迷わず前者を選び取っただろう。
とは言え、敵対するにしても些か甘さが見える目の前のネルティエにそこまでするつもりになる訳でもなく、歩き出したネルティエの背を追いかけ、歩みを進めたのであった。
ヴェルディア魔法学園は、石造りの大きな3つの棟が縦並びに建っている。
正門――つまりはヴェルの大通りから西に進んだ先にある門からその棟を抜ければ、広大な校庭が広がり、その先には小さな森が広がっていた。
学園の寮は校庭から南側に抜けた先に建てられているのだが、そちらに続く道は森の中に石畳を敷いた通路となっている。
まっすぐ寮へと続く舗装された道を歩きながら、前方を歩くネルティエに黙ってついて歩いて行くアーシャは、未だ目の前のネルティエの目的を図りかねていた。ここまで二人の間に会話はなく、ただただ付かず離れずの距離を歩き続けるばかりだ。
そうしている内に、もうすぐ寮につく。
一緒に帰ろうという誘いにしては些か無愛想にも程があるだろう。
そんなくだらない考えが浮かびつつあったアーシャであったが、ようやくネルティエが動きを見せた。
寮へと続く道から舗装されていない道を顎で示し、言外にそちらについて来るようにと指示されたアーシャがネルティエと共に林の中へと足を進める。すでに夕刻、陽が傾き始めたこの場所は薄暗く、人の気配すらない。
足を止めたネルティエが、アーシャへと振り返った。
「ここで良いわ。あまり他人に聞かれたくない話だから、素直について来てもらえて助かったわ」
「人に聞かれたくない話、ね。それで、一体何者なのかしら? 私の正体を知っているって事は、少なくともただの上級生、とは思えないわね」
ネルティエの胸元についていた、リボンのアーシャよりも上級生である事を示す青いリボン。せいぜいネルティエの素性を知るにはそのリボンの色と、髪に編み込まれた魔導言語が書かれた不思議なリボンが魔導具の一種だろう、という事ぐらいしかヒントは見当たらない。
敵である可能性に比重を傾けつつ、アーシャはネルティエの言葉を待っていた。
「私は『螺旋の魔女』の弟子、ネルティエ・グライエス」
「……『螺旋の魔女』ですって?」
誇らしげに胸を張って告げるネルティエに対して、アーシャは訝しみながらも尋ね返す。
そもそも、『魔法使い』と『魔女』では、その持つ意味合いが大きく異なる。
実在されたと言われる7人の『魔女』。
それらだけが、『魔女』の名を冠した存在であり、名前だけならばお伽話かのように伝わっている。
青の魔法を歌う『氷界の魔女』。
赤の魔法と踊る『紅炎の魔女』。
緑の魔法と共に駆ける『螺旋の魔女』。
黄の魔法を喚ぶ『断崖の魔女』。
白の魔法で照らす『光牙の魔女』。
黒の魔法に誘う『深淵の魔女』。
そして、始祖たる『魔女』の頂点、救世とも破滅とも呼ばれる『銀の魔女』。
彼女らはたった一人で世界を牛耳れる程の魔法を操り、魔法を構築したと言われている存在である。だが、現代においてその姿を見た者はいないとされている。
それもそうだろう。
何せ彼女ら『魔女』が歴史の表舞台に姿を現したのは、ヘリンの時代の終盤――エイネスの時代なのだから。
エイネスの終わり、ヘリンの始まりから――およそ200年以上前。
そんなの存在がこの時代に生きている訳がない。
おそらくは『教えを継いだ者の弟子』という意味だろうとアーシャは当たりをつけながら、ならば自分の存在を知っている可能性もゼロではないと納得していた。
怪訝な表情で自分を見つめているアーシャに対し、ネルティエは特に気にする事もなく口を開いた。
「お師匠様が言っていたのよ。アナタと、スイを連れて来るようにね」
「……そのお師匠様とやらも『螺旋の魔女』の教えを継いだ者、という事かしら?」
アーシャの問いにネルティエは僅かに目を丸くして、高笑いを始めた。
何が可笑しいと言わんばかりにその姿を睨み付けるアーシャに、ネルティエは未だこみ上がる笑いを噛み締めながら告げた。
「フフッ、何を勘違いしているの? さっきも言ったでしょう。私は『螺旋の魔女』の弟子。その私がお師匠様と言っているんだから、普通に考えればお師匠様こそが『螺旋の魔女』である事ぐらい分かるでしょう?」
「そう。数百年も前の時代の人物を引き合いに出されて信じろなんて、それが通用すると思っているならアナタは相当変わり者みたいね」
挑発混じりのネルティエの言葉など意にも介さず、アーシャはそのまま淡々と告げた。
そんなアーシャの態度が気に食わないネルティエは笑みを殺し、一瞬にして真顔になるとアーシャを睨み付けた。
「……何よ、その態度」
「あら、悔しがらなくちゃ面白くないかしら? それはごめんなさいね。
あまりにも幼稚な挑発だったものだから、相手にするのも面倒になってしまって。悪気はなかったわ」
「……ッ、馬鹿にしてるの……?」
「馬鹿になんてしてないわ。だって……――」
アーシャがクスっと笑みを浮かべ、せせら嗤うかのようにネルティエを見つめる。
「――馬鹿にするも何も。馬鹿を相手にしてるのにそんな事しても、意味ないでしょう?」
激昂するネルティエの周囲に強い突風が吹き荒れる。
ネルティエの高圧的な態度は、確かに一般的な挑発としては成立していた。
しかし、舌戦を繰り広げる相手が悪すぎたと言えるだろう。何せ相手は『銀の人形』――アーシャだ。
エイネスとヘリンの時代を終わらせるべく、【魅了魔法】を利用して周囲を誑かしてきた少女。
当然ながら、相手を挑発して牙を剥かせる事など造作も無い事である。
ネルティエの挑発を逆撫でするなど、児戯にも等しいと言えた。
「……ムカつく……ッ! 連れて来いって言われてはいるけど、生死は注文されてなかったもの。壊してあげ――」
「――遅いわよ」
「……え……?」
ふわり、と舞うような風の流れと同時に、ネルティエの耳元でアーシャが優しく告げた。
視線を動かした先に突き付けられた冷気を放つ半透明の塊。
腕に氷を纏ったアーシャが背後に回り込み、その切っ先をネルティエの首に突きつけていた。
あまりに唐突に突き付けられたその異常な事態に、ネルティエは困惑していた。
周囲の風があっさりと消され、下手に動けばこのまま首を刎ねられるだろう悪寒。それらが身体を硬直させ、嫌な汗が頬を伝う。
「子供の癇癪に付き合う気はないの。それと――ここでアナタを殺しても、遺体が見つかる事もなく処分する事も、大した労力は必要ないわ」
冷ややかな言葉に、一切の躊躇や脅しめいた意気込みは感じられなかった。
ただただ淡々と自分にはそれが出来ると告げるアーシャの冷たい言葉は、ネルティエの心臓を鷲掴みにして今にも握り潰してしまいそうな程の重圧を伴って耳元をそよいだ。
「……ッ」
ネルティエの魔力が周囲から霧散し、消え去る。
吹き荒れた風に揺らされていたアーシャの銀髪がふわりと元通りに戻ると、アーシャも腕の氷を解いてネルティエから数歩離れてみせた。
「素直に負けを認めるのね」
「……私にもプライドがあるわ。対処出来ていたなら文句でも言う所だけど、一切気付けなかった。その気があったら……」
その続きは言うまでもない。
ネルティエもアーシャも、同じ想像を――つまりはネルティエの死を想像していた訳である。
つい先程は舌戦を繰り広げる形となったが、アーシャとて別にそれを楽しむ為に口にしている訳ではないのだ。
忌々しげに自分の敗北を語るネルティエに、アーシャは特に何も余計な事を口にしたりもせずに再び口を開いた。
「……それで、お師匠様だったかしら。さっきのアナタの言い分を聞く限りだと、どうやらそのお師匠様は『螺旋の魔女』そのもの、だったかしら」
「えぇ、そうよ。数百年も前の時代を生きたお方。そのお師匠様が、アナタ達が必要だと言っているの」
「俄には信じられない話ね。どうして『魔女』がこの時代まで生きているのかもそうだけど、私の正体まで知っているなんて」
数百年前の存在が今も生きているなど、そんな話が実在しているなど有り得ない。
例えそれが、魔道を極めた『魔女』であったとしても、不老不死など到底あるはずがないのだ。
「お師匠様達――つまり『魔女』は今の時代まで眠り続けていたらしいわ。詳しくは教えてくれないけれど、少なくともそれが嘘であるとは思えない」
「信用している、とでも言うつもり? だとしたら会った事すらない私には通用しないわよ」
「天使の〈使い魔〉が告げた、と言ってもかしら?」
ネルティエの言葉にアーシャは僅かに目を瞠り、「なるほどね」と納得した様子で答えた。
天魔と呼ばれる、天使と悪魔の〈使い魔〉はそれぞれに制約が課せられている。
悪魔の場合は『人を死に追いやってはならない』という制約があり、また天使の場合は『罪を冒してはならない』というものだ。
これはどの天魔にも共通している内容であるらしく、有名な逸話であり、嘘を吐くというのもそれに該当する。
つまりは天使の言葉は嘘偽りの一切は存在せず、全てが事実であるということに他ならない。
例外は有り得ないのだ。
「『螺旋の魔女』が生きているという点については理解したわ。まぁ会ってみない限りは信用するとは言い難いけどね」
「……ずいぶん頑固ね」
「激昂したぐらいで相手を殺そうとするようなアナタ程、極端な性格はしていないわよ。まぁ、そんな経験に身に覚えがない訳じゃないけれど。
そんな事より、どうして私達を保護しようなんて話になっているの?」
自分もまた激昂したままに暴走し、スイに止められた経験がある。アーシャもそんな苦い記憶を思い返すハメになってしまったが、問題はそこである。
保護など、どう考えてもおかしな言い回しだ。
それはまるで、何かが動き出そうとしているような言い草であり、その直感は――
「アルドヴァルド王国が何か動きを見せ始めたらしいわ。このヴェルディア王国はそう遠くない内に、戦火に巻き込まれるかもしれない。その前に、アンタ達をお師匠様のもとへと連れて帰る」
――どうやら外れていなかったようだ。
応援ありがとうございます!
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