ふしあわせな魔女と悪魔の証明

鴇田とき子

文字の大きさ
1 / 8

零夜

しおりを挟む
 走馬燈そうまとうなんてものは存在しないと、人生をかけて証明した。
 だがこの世紀の大発見を発表する場は用意されていない。世間に発表すればノーベル賞だって受賞出来るだろうに、人生をかけてしまったのだから仕方ない。私はすぐに、輝かしい栄光を諦めた。
 では走馬燈の代わりに何が存在したかと言えば、今さらどうしようと叶わない願望だ。
 六階にある自宅のマンションから飛び降り、狭い駐車場を眼下に見つめながら、もし生まれ変われるならもっと上手に生きたいと願った。
 そう願う理由を説明する為には、私の人生を話さなければならないから、これを走馬灯代わりと思って欲しい。
 うちの母親はいわゆる毒親で、愛情の代わりに暴力と支配を受けて育ってきた。
 お母さんが言う良い子とは、自分に従順な都合のいい子供のことだった。お母さんは五分置きに言っていることや気分がコロコロ変わる人で、五分前には正しかったことが、次の瞬間には世界の禁忌とでも言える悪辣な行いに変わる。
 その瞬間のお母さんが求めるものと違うことをすれば、人格否定から始まる罵詈雑言を泣くまで浴びせられた。泣くと「うるさい! 悲劇のヒロインぶるな!」と怒られるので、トイレにこもって泣いていた。
 酷くお母さんを怒らせた時は何日も口を聞いてくれなかった。私のことをまるで存在しないかのように扱い、これみよがしに幼い妹へお菓子を買ったり優しくしたりする。これがかなりの苦痛で、自分が世界に存在しない空虚なものに思えて、怒鳴られるよりも恐ろしかった。
 これが私の中の、幼い頃から家を出るまで続いた日常だ。
 だから私は、細心の注意を払って他人の顔色を伺うようになった。常に他人が求める最善を選び、良い子であろうと気を張り続けた。
 社会に出てからも、同じく息を詰めて生きていた。
 直属の上司はパワハラ・モラハラ上司だった。
 女はどうせ結婚するから重要な仕事を教えられないと言い、その癖私のことを仕事が出来ないとなじってきた。さらに機嫌が悪いと、重箱の隅をつつくようなことで何十分も怒鳴り散らしてくる。
 すみませんと言えば、「謝れば許されると思ってるのか!」と怒鳴られる。
 「すみません以外に何も言えないのか!?」と言われるので、反省点と改善策を言えば、「そんなことは聞いてない!」と叫ばれる。結局何も言えずに口をつぐみ、黙って嵐が過ぎ去るのを待つしか出来なかった。
 これが私の人生だ。罵倒と、自己否定が渦巻く人生だ。
 こうも罵倒されて生きてきたということは、私は人間が向いていないのだろう。
 そう理解してしまえば、実行に移るのは早かった。
 こうして物語は冒頭に戻るのだ。
 真夜中零時。帰宅したばかりの私は、重い体とは反対に、清々しい気持ちでベランダに出た。だがこれで全てから解放されると喜んだのは一瞬だけだ。今はすぐそこに迫る地面を見つめながら、どうしようもなく泣きたくなっていた。
 私は人間が向いてない。
 人の悪意ばかり集めてしまい、微かにあった良縁さえ、悪意に埋もれて思い出すこともできなくなっていた。
 でも、と願わずにはいられない。でも、それでも、人間が向いてなくても、もう少しくらい幸せになりたかった。
 せめて私が人から無条件に愛される容姿をしていれば、何かが違ったのだろうか。優しい両親に育てられれば、あの上司のパワハラにだって毅然と立ち向かえたのではないか。
 全部環境が悪かったのだ。私が悪いわけじゃない。
 悪意よりも多くの良縁に恵まれ、誰かに愛されれば、私だって幸せな人生だと思うことが出来たはずなのに。

「なるほど、『幸せになりたい』。それがあんたの願いだね」
「え」

 いやにはっきりと聞こえた女性の声に目を丸める。
 気がつけば世界が止まっていた。飛び降りてからスローモーションに見えていた世界が、今やはっきりとその動きを止めているのだ。

「このあたしを目の前にして他のことを考えるなんて、随分と余裕のある子だね」

 相変わらず聞こえてくる涼やかな声に視線を向ける。その女性は私と同じように、だが私とは上下逆で空中にあぐらをかいていた。
 流れる緑の黒髪に、白く丸い顎。自信に満ちたヘーゼルグリーンの瞳は、長い睫毛のベールに隠されている。
 一目見るだけで人類の心を奪うような美しい女性は、少々古めかしい格好をしていた。
 豊満な体を黒のガウンドレスで隠し、長い手足を窮屈そうに折り曲げている。クリスチャン・ルブタンのハイヒールこそ俗物的であったが、無意識のまま魔女を連想される何かがあった。

「魔女だなんて失礼だね。あたしは人の成れの果てなんかじゃないよ」
「……心の声がわかるの?」

 尋ねれば、彼女は「必要なら」と真っ赤な唇をつりあげる。その曖昧な答えに眉をひそめた。

「魔女じゃないなら、貴方はなに?」
「何かの枠にはめ込めようとするのは人の悪い癖だ。今この場で必要な事実は、あんたが願いを持っていて、あたしにはそれを叶える力があるということ」

 その言葉にああと頷く。
 ああ、なるほど。
 こういうことはフィクションの世界だけではないのか。

「つまり貴方は悪魔で、私の願いを叶える代わりに魂を寄越せってことか」
「確かにあたしは悪魔だけど、すこおし違う。あたしとの契約の対価はあんたの『想い』だ」

 にんまりと笑い、自称悪魔はくるりと体を回転させた。
 時が止まった世界の中で──間違いなくこれも悪魔の仕業だろう──、時間にも縛られない悪魔が自由に泳ぐ。その様子が少しだけ羨ましかった。私は口の周り以外動かせず、間抜けにも真っ逆様になっているというのに。

「最初はすこおしからかってやるだけのつもりだったがね、気が変わったよ。あんたは思ったより肝が座ってる」
「……」
「親にも、上司にも逆らえず、友人の顔色さえ伺って生きてきたのに、悪魔相手なら物怖じせず喋れるなんてね。人間が向いてないよ、あんた」

 言われなくとも分かりきっていることを、悪魔はわざわざ確かめるように言った。
 私は肯定も否定もしない。分かりきっていることを、わざわざ確かめない。

「なんだっけなあ。そう、誰からも愛される美女で両親の愛に恵まれお金持ちの家で育ったらいい男達を囲んで幸せになれたかも、だっけねえ」

 一息で喋る悪魔の言葉は、悪意で歪められていた。
 だが私は気にしない。
 死に際の醜い思い残しは、姿を変えてしまえば、所詮その程度の俗物的な願いでしかないのだから。

「ああ、いいよ。ここで会ったのも何かの縁だ。あんたの願いを叶えてあげよう。対価はあんたが苦しくのたうち回りながら生きる様さ」
「え……」
「でもね、どうか努々ゆめゆめ忘れないで。人の欲とは底を知らず、幸せは強欲の種であるということを」

 私が何かを言う前に、彼女の手が頭に伸びてくる。その瞬間悪魔は姿を消し、世界も動き始めた。
 悪魔に触られた場所が地面を打ちつける。チカチカと点滅する視界のどこかで、「まるでスイカ割りだねえ」と笑う悪魔が見えた気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

幼馴染の許嫁

山見月あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を

さくたろう
恋愛
 その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。  少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。 20話です。小説家になろう様でも公開中です。

侯爵様の懺悔

宇野 肇
恋愛
 女好きの侯爵様は一年ごとにうら若き貴族の女性を妻に迎えている。  そのどれもが困窮した家へ援助する条件で迫るという手法で、実際に縁づいてから領地経営も上手く回っていくため誰も苦言を呈せない。  侯爵様は一年ごとにとっかえひっかえするだけで、侯爵様は決して貴族法に違反する行為はしていないからだ。  その上、離縁をする際にも夫人となった女性の希望を可能な限り聞いたうえで、新たな縁を取り持ったり、寄付金とともに修道院へ出家させたりするそうなのだ。  おかげで不気味がっているのは娘を差し出さねばならない困窮した貴族の家々ばかりで、平民たちは呑気にも次に来る奥さんは何を希望して次の場所へ行くのか賭けるほどだった。  ――では、侯爵様の次の奥様は一体誰になるのだろうか。

花言葉は「私のものになって」

岬 空弥
恋愛
(婚約者様との会話など必要ありません。) そうして今日もまた、見目麗しい婚約者様を前に、まるで人形のように微笑み、私は自分の世界に入ってゆくのでした。 その理由は、彼が私を利用して、私の姉を狙っているからなのです。 美しい姉を持つ思い込みの激しいユニーナと、少し考えの足りない美男子アレイドの拗れた恋愛。 青春ならではのちょっぴり恥ずかしい二人の言動を「気持ち悪い!」と吐き捨てる姉の婚約者にもご注目ください。

双子の姉がなりすまして婚約者の寝てる部屋に忍び込んだ

海林檎
恋愛
昔から人のものを欲しがる癖のある双子姉が私の婚約者が寝泊まりしている部屋に忍びこんだらしい。 あぁ、大丈夫よ。 だって彼私の部屋にいるもん。 部屋からしばらくすると妹の叫び声が聞こえてきた。

勘違い

ざっく
恋愛
貴族の学校で働くノエル。時々授業も受けつつ楽しく過ごしていた。 ある日、男性が話しかけてきて……。

処理中です...