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ローレシアン王国編

収束

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「いやー大勝だったわよ。
 こんなに戦力差のある勝利は、わが国の歴史的に見ても
 菅様ご存命のとき以来じゃないかしらっ」
ゴルスバウの陣地から帰還して満面の笑みのクラーゴンが、
メガネについた雨粒を拭きとりながら、俺に向けて喜ぶ。
司令室でザルガスとアルデハイトと俺はソファに座り
クラーゴンと低いテーブルを囲んでいる。
窓から見える真っ暗な外は、土砂降りが続いている。
「あとは、残った南のマルガ城をどうにかすれば、私は聖騎士勲章確定ね」
「それに関しては問題ないと思いますよ。
 東側の城壁はライグァークに破壊されていますし
 残っている兵士たちもとっくに戦意はないでしょう」
腕を組んだザルガスが真面目な顔で口を開く。
「もう一度、お前と旦那で、空から脅しに行けば簡単に落ちるんじゃねえか。
 ここの下の陣地を放棄したのは、明日辺り知れ渡るだろうし」
「そうですね。明日朝にはクラーゴンさんに
 要塞の動かせる戦力を全て集め、南下してもらい、
 それと合わせるように私とタカユキ様も行きましょう」
「……ミーシャの様子はどうなんだ」
俺はそんなことより、もっとも気になっていることを訊ねた。
喜色満面の様子だったクラーゴンがいきなり沈鬱な面持ちになる。
「よくないわ……かなり特殊な毒矢だったらしくて、
 傷口がなかなか塞がらない」
ミーシャは先ほどのゴルスバウ陣地の戦闘で
崩れていくゴルスバウ軍の小隊が苦し紛れに
反撃してきたときに毒矢を腕にくらったのだ。
「悪いけど。そろそろミーシャの様子見に行っていいか?」
「もちろんよ。マルガ侵攻作戦の詰めは私たちがやっておくから
 ゆっくりお見舞いして頂戴」
俺は城塞内の司令室から出て、ミーシャの寝かされている自室へと戻る。

「あ、兄さん、ごめんね。やっちゃった」
顔色の悪いミーシャは、俺の顔を見て起き上がろうとする。
「寝ててくれ」
ベッドの脇の椅子に俺は座り、真っ白な包帯が巻かれている
ミーシャの全体が紫色になった、右の二の腕を見つめる。
言葉が出ない。この世界に来てから異常な力をもってしまった俺と違って
ミーシャはこの世界で生まれた普通の人間であるというのを
まさに今、まざまざと見せ付けられている。
こんなことなら、行かせなければよかった……何て頭が悪いんだ俺は……。
「兄さん。もしかしたら腕ごと切り落とさないといけないかもって……言われたよ」
涙目のミーシャは、自分の弱気に負けないように
毅然とした表情で喋る。
「ねぇ、もしさ。私が片腕になっても、私のことを見捨てないでくれる?」
「……当たり前じゃないか。この世界でたった二人の兄弟だろ?」
「……私、兄さんの妹で、よかった」
ミーシャはそう、天井に向かって言うと、気を失うように再び眠りに落ちた。

涙が止まらない。
もしかして、俺は望んでいない戦功とかとやらと引き換えに
何かとても大切なものを失くそうとしているんじゃないか。
本当はミーシャと幸せにやっていけるだけで良かったのに、
下手に国や戦乱に関わってしまったから
もしかして間違った道に入ってしまったんじゃないか。
ずっと、そういう考えが頭の中をグルグルと回る。
悩み疲れて眠っていたようだ。
ふと目を上げると、アルデハイトが真っ赤になり唸っているミーシャに
何かを粉薬のようなものを飲ませようとしている。
「……何してんだ」
俺に見つかったアルデハイトは、驚いた表情も見せずに
「ああ、起きられましたか。調合していた薬を持ってきました」
「薬?」
「ええ。我々の使う解毒薬です。
 魔族の中で、敬意をもって魔女と呼ばれる方が考案したものでしてね」
アルデハイトは話しながら、ミーシャの口を開けて粉薬を入れると
器用に鼻をつまんで少量の水を口に入れて飲ませる。
ミーシャはゴクリと飲み込むと、
今まで苦しんでいたのが嘘の様に静かに眠り始めた。
「正直なところ。私はタカユキ様以外はどうでも良いのですが」
「そうだろうな」
俺も俺の仲間たちもよく知っている。
「あなた様のメンタルがお仲間の不運により落ち込まれてしまうと
 我々魔族の立場が、再び不安定になりかねません」
「……」
「なので、薬を調合してまいりました。すぐに治るでしょう」
「あ、ありがとう……」
俺はアルデハイトに深く、下げられるだけ頭を下げる。
「人間と言うのは身体が弱く、頭が悪く、すぐに群れ、多勢に流される
 我々の出来損ないのような種族ですが……」
アルデハイトは皮肉めいた表情を浮かべた後に
「弱い故に他者を思いやる力が、とても強いのですよね。
 "強い人間"である菅様から、我々が学んだことです」
それだけ言うと素早く扉から出て行った。
俺は再び涙を流しながら、アルデハイトに何度も感謝を呟く。

俺はそのまま夜明けまで、うとうとしながら
静かに寝息をたてるミーシャの傍に座っていた。
浅い眠りから、起きる度にミーシャの顔を見直して
独占欲が強い、困った妹だが、この世界ではたった二人の
大切な兄弟なんだなと改めて思い返す。
治ってよかった。本当によかった。
外の雨が小雨になり、外が明るくなりはじめる。
「あれ、痛くない。どうしたんだ……」
ベッドから半身を起こしたミーシャが血色の戻った右腕を見ながら驚く。
包帯を取ると、傷跡が塞がっている。
「兄さん……治っちゃった……」
不思議そうな顔で、ミーシャは俺を見つめる。
「よかった……よかった」
俺はベッドの中の妹の上半身を強く抱きしめた。

今度はあまり寝ていない俺が服を下着以外脱ぎ捨てて
ミーシャの入っていたベッドでそのまま仮眠をとることにした。
すっかり元気になったミーシャは逆に服を着ながら、
「兄さん、食べるもの、貰ってくるよ」
と扉を出て行った。

しばらくベッドの中で眠っているといきなり、誰かから起こされる。
「タカユキ様、そろそろ参りましょう」
アルデハイトである。
「ああ……もう行くのか」
「はい、クラーゴンさんは、明朝に七千の兵士とともに進軍開始しました。
 おそらく三ダール(時間)後にはマルガ城へと到着するかと」
「少し、寝かしてくれないか?朝までミーシャの看病していたんだ」
「……二ダールまでなら良いと思います。また来ます」
扉が閉まる音を聞きながら、俺は仮眠に入った。
二時間後におきると、隣には下着姿のミーシャが俺に抱きついて寝ていた。
病み上がりなので、何だかんだいって疲れていたのだろうが
油断も隙もあったもんじゃないなぁ、と苦笑しながら
腕をゆっくり解いて、俺はベッドから出る。
窓を見ると外の雨の量が少ない。
短い睡眠でも身体は十分回復したようで、かなり軽い。
メンタル的にも引きずるようなものはないようだ。
部屋の机に置かれていた、ミーシャがもってきたらしい
乾パンやジュース、干し肉などの食べ物を食べつつ、
そろそろアルデハイトを呼びに行くか。と彗星剣を腰に巻いて、着替えていると
扉がノックされて、外からそのアルデハイト自身が呼びかけてくる。
「準備は終わられましたか?」
「ああ、行こうか」
「どこ行くのぅ……」
ベッドでミーシャが寝ぼけ眼をこすりながら
半身を起き上がらせてこちらを見てくる。
「マルガ城を片付けてくる。すぐ終わるから安心して待ってて」
「……わかったぁ……気をつけ……て」
それだけ言うとミーシャは再びベッドに入って寝てしまった。

レインコートを羽織った俺は扉を開け、アルデハイトと共に城塞の
外へと出て行く。おお、小雨だ。土砂降りじゃない。
遠くでは雲間から光が差し込んでいる所もある。
「雨期も山は越えましたね。あとは散発的に小雨が降るだけです」
アルデハイトはそう言うと、レインコートの背中の切れ目から
真っ黒な両翼を伸ばした。
俺はアルデハイトに抱えられながら、要塞から南へと飛び立つ。
「そのレインコートは貰い物ですね」
アルデハイトは小雨の中、眼前を見つめて飛びながら話しかけてくる。
「ああ、機械人がくれた」
「良いものですよ。私は失くしてしまいましたが
たしかこいつが、王都中央軍と小競り合いをして潜水艇に逃げ込んで来た時には
もう着ていなかったな。大きなリュックも失くしたようだし
取られたか、リュックの中に入れていて、共に置いてきたのだろう。
「やろうか?妹救ってくれたし」
「……良いのですか?貴重品ですよ」
アルデハイトはかなり驚いた様子で言う。
「うん。俺は体強いから、普通のでも変わりないしな」
「……ではお言葉に甘えて、あとで頂きます」
珍しく少し嬉しそうな顔をしたアルデハイトは速度を上げマルガ城へと飛んでいく。

クラーゴンの軍を眼下に追い越して、俺たちはマルガ城上空に到着する。
レインメーカーはもう居ないようで、周囲は雨雲にかこまれて小雨が降っている。
ライグァークによって無残に破壊された東側の城壁を見ながら気付く。
「誰もいなくないか?」
「……そうですね。おかしい。さすがに一兵も残さずに城を放棄するはずは……」
アルデハイトも不思議そうにしているので
俺たちはその高い城壁に四方を囲まれた城の中心部へと降り立つ。
ガランとした城内には誰もいない。
アルデハイトが目を閉じて、周囲の様子に耳を澄まし
「居た……」
と城内の暗い地下通路から地下牢へと向かう。
そこには捕えられたと思われるローレシアン兵士がうな垂れて座っていた。
俺たちを見つけるとすぐに立ち上がり
「出してくれ!!もう三ワンハー(月)もここにいるんだ!!」
髭と髪の毛でむさ苦しい顔を鉄格子に押し付けてくる。
アルデハイトは鉄格子を左右に素手で無理やりこじ開けて
驚く兵士に手を差し伸べ、外へと出す。
「何があったのでしょうか」
俺たちに詰め寄られた兵士は、多少動揺したあとに語り始めた。
「……竜がこの城に来たんだ!!」
「ああ、ライグァークが来てたよ」
「ライグァークだったのか……よくぞ命があったものだ……」
俺の言葉に呆然とする兵士にアルデハイトは話を促す様に
「それで、どうしたのですか」
「……竜が来た次の日……たぶん今日だ、すまない、
 ずっと閉じ込められていて、時間の感覚がもうあやふやで……
 ゴルスバウ軍たちは急に本国へと還っていった」
それで城の中が空なのか。
「そうか……おじさんは、その理由は何か分からないか?」
俺の問いかけに、その兵士はかなり真剣に考え込んで
「……本国で何かあったようだ。看守は帰還した"凶"が狂ったとかどうとか言っていた」
アルデハイトはその言葉を聞き、何かを察した顔をすると
「……分かりました。もうすぐ北部からローレシアン軍が来ます。
 北門前にいれば保護してくれるはずです」
俺たちを交互に見て不思議な顔をしている兵士に告げた
「俺たちは偵察隊だ。すぐに本隊のクラーゴン司令官が助けてくれる」
と俺もフォローしておいた。

感謝を告げながら、地上へと走っていく兵士を見送ってから
アルデハイトが話し出す。
「推測ですが、"凶"への催眠術が効いたようですね。
 おそらく身体に極度のダメージを与えていたので、深層意識にまで達したのでしょう」
「移送するときにしたという、あれのことか?」
「はい。普通ならば、流れ人には効かないのですが、
 私の試みが運良く成功したようです。本国で完全再生した"凶"が
 おかしくなって、暴れているのでしょうね」
「そうか……」
これもまた機械人のリサにいつか「邪道です」とか怒られそうだが、
やってしまったものは仕方ないし
ライグァークが侵入するよりは遥かに被害が少ないと思う。
すまんリサ。いつかまた謝るからな。と俺は心の中で頭を下げる。

すぐに到着したクラーゴンの部隊に事情を話すと、
俺たちはクァーク要塞へと飛んで帰還した。
クラーゴンはしばらくマルガ城に部隊を駐屯させて
まだローレシアン国内に残っているゴルスバウ軍の様子を見るらしい。

「兄さん、やったね!!」
元気一杯になったミーシャが小雨の中、レインコートも着ずに
要塞内に降り立った俺に飛びつく。
そして何かを思い出した顔で
「あ!えーとなんだっけ、第二王子様の補佐官さんが来てるよ!」
と俺の手を引っ張って城塞内上部の司令官室へと連れて行く。
アルデハイトも後ろについてくる。

ノックをしてから返事があったので
司令官室の扉を開けると、すっかり見違えるようになり
長い手足に軍服を着た金髪のサーニャが、
スキンヘッドでローブ姿のリームスに応対していた。
「あ、タジマ様ですよね?ご帰還、お疲れ様です。
 私からもお礼をしたいのですが……。
 まずは、補佐官様のお話を聞いてあげてください」
サーニャは俺たちに気付くとさっと引いて、司令官室から颯爽と出て行った。
もう完全に良くなったらしい。
あれだけ病んでいたわりには、早すぎる気もするが……。
まぁ、ミーシャにしろサーニャにしろ
病んでいた人が元気になることは良い事だろう。
「クラーゴン司令官からの伝令で事がほぼ収まったのを知り
 ……居ても立ってもいられないなり単騎で、駆けつけてしまいました。
 サーニャから聞くところによると、もうマルガ城すら平定したとか……。
 本当に……本当にありがとうございます
 ……これで第二王子領は救われました……」
リームスは背の高い身体から伸ばした両手で
俺の両手を強く握り、頭を下げてくる。
「いやー……」
何て返したらいいのか分からない。
どう考えても、俺だけの功績ではないしな。
皆と、あと人ではないが機械槍のおかげである。
俺は状況に終始振り回されているだけだった気がする。
アルデハイトは興味無さそうに、小雨が降る窓の外を腕を組みながら見つめ
対照的にミーシャは、誇らしげに腰に両手を当てて、胸を張った。
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