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ローレシアン王国編

神聖な時間

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朝、目を開けると
プニプニとした感触を背中から腰にかけて感じる。
おそるおそる背後を振り返ると、怖くて布団の中までは確認できないが
おそらく、裸のミーシャが俺の背中に抱きついて眠っていた。
隣のベッドから、夜中にわざわざこっちに来たようだ。
はは……洒落ならんわ。と思いながら俺は腕をゆっくり解いて
ベッドから立ち上がる。

ミーシャに抱きつかれているのに気付いて、朝に起きる
というシチュエーションは今回が三回目だと思うのだが
毎回酷くなっているのが笑えない。
人としての一線は守りたいが、段々自信が無くなってきた……。

窓から外を見るとパラパラとした小雨が、途切れがちな雨雲から降り注いでいる。
雲の切れ間から太陽の光が射していて、それが以前より大きな範囲になりつつある。
そこで俺は思いだしてみる。
たしか、まだ雨期に入って、七日目とかだよな……。
もう軽く百日は過ぎているような気がするのだが
しかも、何と、第二王子領に来てから今日が四日目の朝である。
いや、そうだった気がする……。
一気にトラウマ級のことがありすぎて、時間の感覚が少しおかしい。
もし五日目だったらどうしようか……。などと思いながら
外からコップに水を貰ってきて、
王都のスウィートルームからもってきた柔らかい歯ブラシで歯を磨く。
こっちきてからもう二ヶ月弱くらいで
髪もだいぶ汚くなってきた気がするな、そろそろ切るべきかな……。
しばらく戦わないで良さそうだ。という意識が俺に余裕をもたらす。
さすがにあのライグァークより恐ろしい生き物はおらんだろ……。
という感じもある。機械人より変な人間もいないだろうしな。
そう考えると良い経験だったのかもしれない。
これだけ経験した俺が簡単には動じることはないはずだ!
いや、無いと思いたいです……。
などと思いながら鏡を見ながら、身だしなみを整えていると

裸のミーシャがベッドが上半身を起こし、寝ぼけ眼で
「兄さーん……もう朝?」
と訊ねてくる。
「いや、いいから服を着てくれ」
俺は胸についたふたつの突起物から必死に目を逸らしながら言う。
「いいじゃんか……減るもんじゃないしぃ……下も見るぅ?モサモサだよ?」
寝起き様の意地悪な顔で、悪乗りをするミーシャから逃げるように
コップの水を捨てに行く。
いや、そういうのはいいんで。ホントこの世界の神様、勘弁してください。
ロ・ゼルターナ神だっけか……マジで何度も化身名乗ってすいません!
これが天罰なら本当に勘弁してください。
そう思いながら、朝の城内を歩いてみることにする。
雨が小ぶりになったからか、危機が去ったからか
朝早くから仕事をしている衛兵やメイドさんたちの表情が明るい。
俺の顔は一応周知されているようで
通り過ぎると、だれもが深く一礼してくる。
気分が良いというか、どちらかというと気まずいしむず痒い。
俺は再び自室へと逃げ帰る。

そこでは今度は全裸のミーシャがタオルで
ゆっくりと身体を拭いているところだった。
浅黒い肌が、小雨の間から射し込んで来た朝日に光る。
「兄さんも拭く?私がやるよ?」
と身体を隠しもせずに近寄ってきた妹に
俺はもう降参して、上半身をぬいで拭いて貰うことにした。
「見てもいいよっ。うふふ」
と服も着ずにミーシャは俺の身体を丁寧に拭きはじめる。
俺はミーシャを見ないようにして顔を上手くそらして、話をして気をそらそうとする。
「いい加減、風呂入りたいな」
こちらにきてから風呂に入ってないので
身体の清潔を保つためには濡らした布類で直接拭くしかない。
「そうだね。入れるようになったら一緒に入る?」
「いやいや、そこは人としていかんだろ」
「……?兄弟だしいいんじゃないの?何でも一緒にするもんじゃないの?」
本気でそう思いこんでるミーシャの口調がおかしくて、つい息が大きく漏れる。
「ふー」
「ため息つかないでよー」
「いや、何か幸せだなと思って」
確かに人の生き死にをかけた戦いでなくて
こんな馬鹿なことでひたすら慌てる俺は、幸せな気がしてきている。
何だかんだ言って慕ってくれる人がいるのはありがたいもんなんだな。
「ほんと!それは嬉しいなぁ」
満面の笑みで前に回ったミーシャは俺の胸板を丁寧に拭く。
ミーシャ背中とお尻の形がチラッと見えたので、
いかんいかんと俺は顔を上にあげる。
上半身を拭き終わったミーシャは
俺のズボンを降ろして、両足もゆっくりと綺麗に拭いていく。
そんな俺たち二人を雲間からの朝日が部屋を照らし出す。
ミーシャの浅黒い肌がその光に映えて、何となく天使か神様みたいに見えた。
何か、今ってとても神聖な時間だな……。
一瞬俺が気持ちよくなっていると、足を拭き終わったミーシャが
俺の下着に手をかけて降ろそうとしたので
慌てて立ち上がり声をかける。
「もういい。あとは一人でやるから」
「えーここからが本番じゃんーふーかーせーろー」
と頬っぺたを膨らませている裸のミーシャにむりやりシャツを着せて
急いで独りで残りを拭きあげて、服を着なおし
タオルを洗いに外へと出て行く。
城内の水場でタオルを絞りながら、
神に与えられた試練を見事乗り切った充実感に俺は包まれる。
"凶"を倒したり、ライグァークを追い払ったときも
こんな気持ちにはならなかった。流れで妹に手を出さなかったのは
人としてレベルがかなり上がったような気がしないでもない。

お昼前にリームスとマグラムール第二王子
そして城の重鎮たちを交えた昼食会に俺たち兄弟は呼ばれる。
二人ともいつもの格好である。俺は旅装で、ミーシャはバンダナ姿である。
こんな服装で、いいんだろうかと思いながら、
テーブルクロスがかけられ、蝋燭の並べられたテーブルの上座に二人並んで着席すると
隣に居る女官と戯れているマグラムール王子以外の
予め座って待っていた厳つい顔をした重鎮達全員が一斉に
俺たちに向かって頭を下げてくる。
こちらから向かって左側の席最前列に居るリームスが俺に
「この度は、第二王子領の危機を救っていただき、このご恩は我等忘れません」
言葉を区切って、頭を深く下げながら
「本当にありがとうございます」
その隣の七三分けで手入れされた口ひげが格好良い紳士が
こちらに続けて、頭を下げてくる。そして
「つきましては、タジマ様、我が自慢の娘たちが嫁ぎ先を探していまして……」
と言いかけてリームスから即座に睨まれ、口を閉じた。
あのおっさん顔立ちいいから、娘たちもきっと美人だろうなと
俺は思いながら、ニッコリ笑って一応、その男に頭だけは下げておく。
ミーシャは隣で頬を膨らませている。
向かって右側席の最前列のマグラムールは
王子なのに上座に座っていない意味を理解していないように
好き勝手、近くのメイドや女官たちに手を出してセクハラをしている。
こういう会合とかに座る位置は、大体力関係順なのである。
俺は子供のころ、よく連れて行かれた町内会の会合で
おっさんおばさんたちが座る位置がいつも同じなのは何で
という質問を父親にして教えてもらったことだ。
上座がもっと権力がある位置。
高校生のガキだし、正確なところはしらないので適当な推測だが、
本来なら、ここ上座に俺と王子であるマグラムールが並んで座るところを
俺とミーシャになっているということは、
第二王子領内を仕切っているリームス的には
俺たち兄弟に完全服従をするということを暗に示しているんではないかと
つい考えてしまって、鳥肌が立ってくる。
まさかなぁ、言って見れば俺は力が強いだけのガキだし
本当に仕切っているのは大人であるアルデハイトやザルガスなのは明白である。
彼等二人が居ない席でこれをする意味とは……。
暗に込めたメッセージ自体がガキである俺に届かない可能性もあるわけだし
うーむ、なるほど分からん。なるようになれだ。

俺は、皆が神に祈ってから食べ始めるのに合わせ
「いただきます」と手を合わせ呟いてから、
慣れない豪華な洋食を見よう見まねで食べ始める。
周りの異様な様子に緊張していたミーシャもそれに続く。
しばらく皆で静かに食べ続ける。
マグラムールは周囲の女性たちを連れて
ぽっちゃりした尻を揺らしながら、勝手に退席して行った。
それを待っていたように、重鎮たちが王子をネタに雑談を始める。
「若様には困ったものだ……」
「あれで二十六だ。もうどうしようもないのではないのか」
「どうしてああなってしまったのか」
黙っていた食べていたリームスが口を開く。
「タジマ様には後ろ盾してもらうと約束してある。そう嘆くでない」
え……?俺そんな約束してないですけど、
と俺が思うよりも早く、周囲の重鎮たちは
「なるほど、それでこの席順にも合点がいったわ」
「さすが知恵者のリームスじゃ」
「隣の妹君に、うちの息子をどうだろうか」
と好き勝手話し出した。
いや、言いにくいけどここは言っておかないといけんだろう。
「すいません……リームスさん、俺、そんなことは言ってないですよ」
「……」
一斉に全員がこちらを注視してくる。
「王子には、人間的にラングラールより遥かに好意はもてますが、
 後ろ盾にはなれないんです。ラングラールとの先約があるんで」
リームスと重鎮たちは喋るのをやめてこちらを顔面蒼白の絶望した顔で見てくる。
うわー……うわー……厳ついおっさんたちの
悲しい視線レーザーを浴びて、こちらの方が死にそうである。
「兄さん……」
焦ったミーシャの右ひじで突っつかれて我に返った俺は慌ててフォローする。
「いや、王子様や皆さまを決して悪いようにはしませんよ。
 それはここで約束します。絶対に大丈夫です」
全員一斉にホッとした顔をする。
あぶねぇ。おっさんの情けない顔が並んだときの殺傷力は凄まじい。
死ぬかと思ったわ。
しかし、全員あのダメ王子のせいで苦労しているのはよく分かった。
「……若様はあれで、地頭は抜群に良いのです……やる気がないだけなのです……」
リームスが泣きそうな顔で俺に言葉を搾り出す。
話題を変えようと俺は思いついたことを喋る。
「それよりも良かったら、
 クラーゴン司令官がマルガ城にまだ篭ってゴルスバウに目を光らせているんで、
 彼や、後詰のクァーク要塞のサーニャさんに十分な支援をしてあげてください」
余計なことかもしれないがと思いながらさらに
「そうしたら、ゴルスバウからもう簡単に攻められないと思います」
「……タカユキ様、あなたという人は……自分のことよりも……」
リームスは何かを勘違いしたようで、
さらに俺への陶酔を深めたような目をした。

午後にザルガスたち元盗賊団の三人とセミーラが
装甲車でソーン城まで到着して、すぐに城の謁見の間で正式な会見が行われた。
今度は、玉座に座るマグラムールから俺たち一行が表彰を受けるという形である。
会見の前にリームスからは
「不快でしょうが、王子が下だと、領民や軍に示しがつきませんので」
とわざわざ告げられて、いやいや、そんなことないですよ。と俺は返しておいた。
そのやり取りを後ろで聞いていたザルガスは苦笑していた。
「えー……ここにいる……タジマは我が領民を安んずることに
 重大な貢献があったので、ここに表するものなりぃ」
やる気のないマグラムールが立ち上がり、適当に俺を表彰して
一歩前に出た俺は、言われていた通りにひざまづいて、表彰状を受け取った。
つつがなく会見は終わり、リームスは呼び止めたザルガスと話し込み始める。
大人のコネ作りかなと俺は話に加わらずに
セミーラやミノ、ナバ、そしてミーシャと王都に帰ったら
何があるかという予想話に花を咲かせる
「きっと旦那は、でかい領地もらって俺たちもそこに住むんですよ」
「そうにちがいねぇ」
ミノの話にナバが頷く。
「私は女王様と結婚話がでると思うけどねぇ」
セミーラがそう言って、ミーシャから思いっきり睨まれる。
「また戦地じゃないかー?」
俺は危惧していたことを言ってみる。だがミノはロンゲを振り乱して笑いながら
「いやいやいや、竜とゴルスバウ追っ払ったら、さすがにしばらく何もないっすよ」
「俺もとうとう男爵様かぁ……いつの間にか盗賊に堕ちてから長かったなぁ」
そう言った白髪のナバが顔をくしゃくしゃにして冗談めかして笑う。
「私も何かなれるかねぇ……マスター」
セミーラが楽しそうな皆を見ながら不安げに問う。
「旦那次第じゃないの?というかお前、オークの中では偉いんだろ?」
「私は国に帰ってないから、今頃新しいリーダーがいると思うよぉ」
セミーラは寂しそうに首を振る。
「皆がある程度、願いをかなえられるように何とかするよ」
俺が苦笑いしながら言うと
「よっ旦那。お任せしますぜ」
ミノが俺の肩を景気よく叩いてくれた。
多少は我がままを言ってもいいだろう。
出発前に大老ミイにもわざわざ約束させたわけだし。
ミーシャはずっと黙ったまま、俺の右手をギュッと握る。
わかってるわかってる。一緒に居られるようにするよ。
と思いながら、俺は歓談する仲間たちを微笑ましく見ていた。
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