俺のアンドロイドが可愛いわけがない!

未人

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第18話 過去と向き合うことは難しい

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 中庭の空気は、パーティー会場の喧騒とはまるで別世界のようだった。夜風が微かに頬を撫で、遠くの音楽も霞んで聞こえる。
 シズは背筋を伸ばし、ガーデンライトの灯りの下、ワイングラスを片手にゆっくりと歩き出す。

「ねぇ、ケイ。財団を継ぐ気はないのかしら?」

 唐突に放たれた言葉に、俺は思わず足を止めた。

「……その話、あと五百年は寝かせてくれ」

 俺が渋い顔で返すと、バアさんはくすりと笑った。

「ふふ。冗談よ。いまのあなたにそんな重荷を背負わせる気はないわ」
「そう言いつつ、ちゃっかり布石は打ってる気がするんだが」
「……気のせいじゃないかしら?」

 俺が眉をしかめると、シズは優雅にグラスを揺らしながら話を続けた。

「それよりも……あの子、アルテミスといるときのあなた、少し表情が柔らかくなった気がするの。自覚ある?」
「ねぇよ。あいつが毎日妙なことばっかりするから、顔の筋肉が疲れてるだけだ」
「嘘ばっかり」

 肩をすくめるシズの笑みは、どこか懐かしさを帯びていた。

「あなたたちを見ていると、昔のことを思い出すのよ。私がまだエネルギー工学の研究に没頭していた頃──あのホワイトホール実験で“彼”に出会ったの」

「……はぁ?やめてくれ、バアさんのラブロマンスなんて聞きたくねぇよ」

「ふふ、いいじゃない聞いてくれたって。今日は私の誕生日なんだから?」

 そう言って、シズはゆっくりと話し始めた。

「彼は──ホワイトホールの実験装置から現れた、未知の存在だった。誰も彼の素性を知らなかったけれど……彼は最初から、私の問いにだけ答えた。まるで、会話が成立することが前提だったかのように。解析不能な素材でできたボディ。自己修復する外装。私は、彼が人間ではないとすぐに気づいたわ」
「……アンドロイドだったのか」
「ええ。でも、あの頃の私は彼を人として扱った。彼も、少しずつ人間の仕草を覚えていった。私が笑うと、彼も微かに目元を動かして──まるでそれが正しい反応だと理解してるみたいだった」

 風が吹き抜け、庭の樹々がかすかに揺れる。

「……ジイさんも草葉の陰で泣いてるぞ」

 軽口を叩いた俺に、シズはふっとグラスを口元に運び、視線を空に向ける。

「残念なことに、あの人はまだ生きてるは。草葉の陰どころか、今でもアマテラス社のグループ拡大に躍起になってるわ。まぁ、もう離婚してるから関係ないけれど」
「……世知辛いもんだ」
「私は恋多き女なの」

 さらりと返されて、俺は言葉を失った。

「でもね、あの彼とは最後まで名前を交わさなかったわ。私も、彼も。ただ、別れ際に一言だけ、『ありがとう』って、言ってくれた」

 シズの声がほんの少しだけ、揺れた。

「……バアさん、そんなドラマティックな過去、いつの間に仕込んでたんだよ」
「あなたにも、いずれ分かるわ。誰かを想うことの重さと、残るものの意味が」

 バアさんが微笑んだとき、その目元はどこか少女のように無邪気だった。

「……ケイ。私は、彼とのラブロマンスは後悔していないのよ」

 唐突な言葉に、俺は首を傾げる。

「……は? いきなり何だよ」

 シズは微笑んだままだったが、その表情に滲むのは、どこか遠くを見つめるような寂しさだった。

「でもね、あの時、研究に没頭しすぎたのは……後悔してる」

 俺はその言葉の意味がすぐには掴めず、眉をひそめた。

「……何のことだ?」
「……私の息子──ユウよ。そして、あなたの父親」

 その名前を聞いた瞬間、俺の中で何かがざらつくような音を立てて揺れた。

「私は、彼ともっとちゃんと向き合うべきだった。彼がどれだけ私の関心を欲しがっていたか……今なら分かるのに。もしあの時、少しでも立ち止まって彼と向き合っていれば……あなたの家族が、あんなふうに孤立することもなかったはずなのよ」

 その言葉に、俺は返す言葉を失った。

 そこへ──

「……ケイ」

 静かな声が、月の下に届いた。

 俺が反応するより早く、その声の主が視界に現れる。

「……っ」

 そこに立っていたのは、父──ユウだった。

 昔より少しだけ痩せた気がするが、柔らかな目元と口元の雰囲気は相変わらずだった。

「なんで……お前がここに……っ」

 怒りが胸の奥から噴き出す。

「俺をここに呼んだのは……こいつに会わせるためか!?」
「違うの、ケイ。これは──」
「偶然だとでもいうのかよ!?」

 俺は拳を握りしめる。

「ふざけんなよ……俺が、あいつと顔を合わせるとか……冗談じゃねぇ……っ!」

 そいつは何も言わず、ただ静かに俺を見ていた。
 その視線すら、今の俺には腹立たしく感じた。

「帰らせてもらうぜ。俺は……こんな茶番に付き合う気はない」

 そう言い捨てて背を向けようとした瞬間、シズの手がそっと俺の肩に触れた。

「ケイ……お願い。少しだけ、時間をくれないかしら」

 その声が、思いのほか弱々しくて、俺は──立ち止まってしまった。
 それでも、怒りがおさまらずバアさん手を振り払いその場を足早に後にした。

 パーティー会場のざわめきが耳に戻ってくる。
 光と音、華やかさの中に逃げ込むように、俺はバーカウンターに辿り着いた。

「強いの、頼む」

 バーテンダーが一瞬、眉をひそめる。それでも差し出されたグラスを、迷いなく手に取る。
 一口目で喉が焼けた。だが、構うものか。
 胃の奥が熱くなる。心臓の奥のざわめきを、焼き切りたかった。

「おい、ケイ! お前……」

 ビルの声がすぐに飛んできた。さっきまでアルテミスと談笑していたはずだ。

「飲みすぎだ。お前、酒弱ぇんだからって、何杯目だよ……!」
「……関係ねぇ」

 俺は空いたグラスをカウンターに置いた。

「俺のことは放っとけよ。誰も彼も、勝手に過去を押しつけてくる。……だったら、今ぐらい俺の好きにさせろ」
「ケイ、あなたの体にはすでにアルコールの急激な蓄積反応が──」
「うるせぇな……」

 アルテミスの声も無視して、もう一杯をあおる。
 足元がふらついた。目の前の世界が、急にぐにゃりと歪む。酔いが急速にまわってきた。

 と、その時。

「──緊急事態と判断。健康管理プロトコル、第17号を発動します」

 ぴたりと俺の目の前に立ったアルテミスが、こちらを真っ直ぐに見つめていた。無表情のまま、明確な命令コードの口調。

「ケイ、静止してください。口内より血中アルコール濃度の検査を実施します」
「……は? ちょ、ま、待て、おい! お前、それってまさか──」

 俺が言い終えるより早く、アルテミスがぐっと一歩、俺に迫ってくる。

「うわっ!? お、おいっ!? おまっ……顔近い近い近いっ!!!」

 ざわっ、と会場が一瞬どよめいた。

「ストップ!ストップだアルテミス! やめ──むぐっ!?」

 視界いっぱいに映るアルテミスの顔。そのまま、俺の唇に触れる感触──

 頭が真っ白になった。

(いま、なにが──)

 口内にひんやりとした微弱な電流のような感触が走り、その瞬間、俺の意識が完全にショートした。
 見えていた世界がスンッと色を失う。

「ケイ!」 
「ケイ!」

 二人の声が響いたが、俺の意識は──そこでプツンと、途切れた。
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