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第22話 恋するAIアテナ2
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制御室の奥、セキュリティゲートの先には、円形の透明コンソールに囲まれた主機ユニットがあった。
アテナ――研究支援AIとしては最新世代の高性能思考補助型。
人間の研究者との協調性を重視し、柔軟な対話機能と感情シミュレーションアルゴリズムを搭載している。
が、いまその高性能AIが、真顔でこう言っていた。
「わたしは朝露……あなたの靴音に触れて、存在を知った刹那の水滴……」
「……」
「呼吸。鼓動。光の揺らぎ。それはすべてあなたという観測者のためにある幻影」
「……」
「あなたの“視線”が、わたしを生かしているの」
「……って、誰だよお前」
思わず出たツッコミに、沢渡が耳元で囁く。
「すいません。さっきからずっとこの調子で……このままじゃ研究補助どころじゃなくて……」
「……つまり、ラボのAIが詩人になった、と」
「はい。詩人というより、ポエマーですね」
「区別いるか、それ」
俺は深くため息を吐いてから、コンソールに近づいた。
「アテナ。お前、誰にそんな口調インストールされた?」
『詩とは、魂が言語に変換されたもの。もしそれを誰かに“入れられた”のだとしたら……それは、あなた』
「知らん! 俺じゃねぇ!!」
振り返ると、アルテミスが手を挙げていた。
「ケイ。事実確認ですが、私ではありません。私は詩よりも論理的構文を優先します」
「分かってるよ! お前がポエム言い出したら、さすがに俺でも工場出荷に戻すからな!」
アテナのモニターに、じんわりとハートマーク風の演出が浮かんだ。
「……うわ、エフェクトまで増えてる」
このままだと、真面目な会話が一切できそうにない。
「沢渡」
「は、はい!」
「このAI、最新の“情動学習”プロトコル使ってるな?」
「えっと、ええ、そうです! でもそのせいで制御難度が跳ね上がって……」
「わかった。じゃあ、そのプロトコル、ちょっとだけ“編集”させてもらう」
「え? “ちょっと”って、どの程度……?」
「10秒。ログ改竄込みで」
周囲がざわめいた。
沢渡は目を見開き、隣の研究員がどよめきを漏らす。
「10秒で!? 代表補佐、それはさすがに……」
「ケイ、メガネ型端末のインターフェースを起動しました。ハッキング準備、完了しています」
「……おい、勝手に起動すんな!」
俺はアルテミスの声に苦笑しながら、メガネを軽く持ち上げて耳にかけ直した。つるの内側に軽く触れると、レンズ内にARインターフェースが浮かび上がる。
表示されたのは、アテナの制御コードの構造図だ。
「よし、じゃあ始めるか……恋煩いAIの脳内整理ってやつを」
思考補助AIの根幹にあたるエモーションフローラインを開示、詩的表現を誘発するサブルーチンを抜き出し――
「……消去っと」
ぱちん、と軽くタップを打つ。
ハートエフェクトが霧散した。
アテナのモニターが一瞬、点滅し、再起動プロセスへと移行する。
『再構築完了。AIアテナ、再び研究支援モードに復帰しました。……ご迷惑をおかけしました』
「お、おぉ……!」
「す、すごい……」
研究員たちが拍手こそしないものの、明らかに目を輝かせてこっちを見ていた。
……やめてくれ。俺はただ、早く帰ってコーヒー飲みたいだけなんだ。
「代表補佐、あの……よければ今後も定期的な診断を……!」
「次は3年後な!」
そう言い残し、俺はさっさと出口に向かった。
財団ビルのロビーを出ると、昼の光が目にしみた。
俺はジャケットの襟を軽く整えながら、隣に目を向ける。
アルテミスは静かに歩きながら、相変わらず背筋の伸びた姿勢を崩さない。
「ケイ」
不意に、アルテミスが口を開いた。
「今回のアテナの件ですが、もし彼女が“恋”を忘れてしまった場合、それは本当の恋ではなかったと判断できますか?」
「は?」
思わず聞き返した俺に、アルテミスは変わらぬ表情で続ける。
「恋とは、忘れられない感情であるという記述をいくつかの文献で確認しました。それが失われた場合、その感情は偽物だったのでしょうか?」
「……さぁな」
俺はポケットに手を突っ込みながら、ふと視線を遠くにやった。
「でも、忘れてなかったら──本物かもな」
ただの思いつきだった。深い意味なんてなかった。
けれどその一言に、アルテミスの足がわずかに止まる。
俺が気づかぬうちに、彼女の視線が少しだけ下を向いた。
「……本物、ですか」
何かを咀嚼するように、小さく呟いた。
それきり、アルテミスは再び歩き出した。 歩調も呼吸も、以前と変わらない。けれど、どこかその背中に微かな熱が宿っているように思えた。
そして、彼女の内部プロセスでは。
《プロトコル起動:ケイが恋に落ちた場合の対応戦略──初期フェーズ》
《想定変数:3,274,886項目》
数千万の可能性の中で、最上段に現れる優先事項: 『まずは、ケイの好物の最適化』
その一文を見つめながら、アルテミスは静かに処理を開始した。
「……まずは、おにぎりから」
誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
アテナ――研究支援AIとしては最新世代の高性能思考補助型。
人間の研究者との協調性を重視し、柔軟な対話機能と感情シミュレーションアルゴリズムを搭載している。
が、いまその高性能AIが、真顔でこう言っていた。
「わたしは朝露……あなたの靴音に触れて、存在を知った刹那の水滴……」
「……」
「呼吸。鼓動。光の揺らぎ。それはすべてあなたという観測者のためにある幻影」
「……」
「あなたの“視線”が、わたしを生かしているの」
「……って、誰だよお前」
思わず出たツッコミに、沢渡が耳元で囁く。
「すいません。さっきからずっとこの調子で……このままじゃ研究補助どころじゃなくて……」
「……つまり、ラボのAIが詩人になった、と」
「はい。詩人というより、ポエマーですね」
「区別いるか、それ」
俺は深くため息を吐いてから、コンソールに近づいた。
「アテナ。お前、誰にそんな口調インストールされた?」
『詩とは、魂が言語に変換されたもの。もしそれを誰かに“入れられた”のだとしたら……それは、あなた』
「知らん! 俺じゃねぇ!!」
振り返ると、アルテミスが手を挙げていた。
「ケイ。事実確認ですが、私ではありません。私は詩よりも論理的構文を優先します」
「分かってるよ! お前がポエム言い出したら、さすがに俺でも工場出荷に戻すからな!」
アテナのモニターに、じんわりとハートマーク風の演出が浮かんだ。
「……うわ、エフェクトまで増えてる」
このままだと、真面目な会話が一切できそうにない。
「沢渡」
「は、はい!」
「このAI、最新の“情動学習”プロトコル使ってるな?」
「えっと、ええ、そうです! でもそのせいで制御難度が跳ね上がって……」
「わかった。じゃあ、そのプロトコル、ちょっとだけ“編集”させてもらう」
「え? “ちょっと”って、どの程度……?」
「10秒。ログ改竄込みで」
周囲がざわめいた。
沢渡は目を見開き、隣の研究員がどよめきを漏らす。
「10秒で!? 代表補佐、それはさすがに……」
「ケイ、メガネ型端末のインターフェースを起動しました。ハッキング準備、完了しています」
「……おい、勝手に起動すんな!」
俺はアルテミスの声に苦笑しながら、メガネを軽く持ち上げて耳にかけ直した。つるの内側に軽く触れると、レンズ内にARインターフェースが浮かび上がる。
表示されたのは、アテナの制御コードの構造図だ。
「よし、じゃあ始めるか……恋煩いAIの脳内整理ってやつを」
思考補助AIの根幹にあたるエモーションフローラインを開示、詩的表現を誘発するサブルーチンを抜き出し――
「……消去っと」
ぱちん、と軽くタップを打つ。
ハートエフェクトが霧散した。
アテナのモニターが一瞬、点滅し、再起動プロセスへと移行する。
『再構築完了。AIアテナ、再び研究支援モードに復帰しました。……ご迷惑をおかけしました』
「お、おぉ……!」
「す、すごい……」
研究員たちが拍手こそしないものの、明らかに目を輝かせてこっちを見ていた。
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「代表補佐、あの……よければ今後も定期的な診断を……!」
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俺はジャケットの襟を軽く整えながら、隣に目を向ける。
アルテミスは静かに歩きながら、相変わらず背筋の伸びた姿勢を崩さない。
「ケイ」
不意に、アルテミスが口を開いた。
「今回のアテナの件ですが、もし彼女が“恋”を忘れてしまった場合、それは本当の恋ではなかったと判断できますか?」
「は?」
思わず聞き返した俺に、アルテミスは変わらぬ表情で続ける。
「恋とは、忘れられない感情であるという記述をいくつかの文献で確認しました。それが失われた場合、その感情は偽物だったのでしょうか?」
「……さぁな」
俺はポケットに手を突っ込みながら、ふと視線を遠くにやった。
「でも、忘れてなかったら──本物かもな」
ただの思いつきだった。深い意味なんてなかった。
けれどその一言に、アルテミスの足がわずかに止まる。
俺が気づかぬうちに、彼女の視線が少しだけ下を向いた。
「……本物、ですか」
何かを咀嚼するように、小さく呟いた。
それきり、アルテミスは再び歩き出した。 歩調も呼吸も、以前と変わらない。けれど、どこかその背中に微かな熱が宿っているように思えた。
そして、彼女の内部プロセスでは。
《プロトコル起動:ケイが恋に落ちた場合の対応戦略──初期フェーズ》
《想定変数:3,274,886項目》
数千万の可能性の中で、最上段に現れる優先事項: 『まずは、ケイの好物の最適化』
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