俺のアンドロイドが可愛いわけがない!

未人

文字の大きさ
29 / 50

第29話 芽生えはとても恐ろしく甘美

しおりを挟む
 夜の研究室は妙に静かだった。
 昼間はけたたましく鳴っていた冷却ファンの音すら、今は遠く感じる。

「……バアさん、また俺を呼び出すとは。今度はどんな厄介事だよ」

 俺はソファに沈みながら、バアさんの背中に声を投げる。
 彼女は窓辺でカップを傾けながら、振り返りもしなかった。

「厄介事じゃないわ。今日は“お話”よ」
「……嘘くせぇ」

 そう返しつつも、俺は観念して背もたれに身体を預ける。
 バアさんがただの雑談のために時間を割くとは、どうしても思えない。

「ケイ」

 不意に名前を呼ばれ、俺は目線を上げた。
 シズはようやくこちらを向いて、わずかに笑った。

「“ログは上がってるのよ”」

 ――一瞬、心臓が跳ねた。

「……は?」
「わかってるでしょ? 例の連絡通路での会話も、日常生活の中のやり取りも。ちゃんと、全部記録されてるわ」

 まるで、こちらの動悸を楽しむように、シズは平然と言ってのける。

「ちょ、待て。まさかアルテミスの視覚ログ……?」
「そうよ。音声だけじゃなく、表情、距離感、会話の間合いまで。なかなか興味深かったわ」

 さすがにムカついてきた。

「……盗聴じゃねぇか、それ」
「違うわ。観察よ。あなたとアルテミスの関係を、私は科学的に研究しているの」
「研究って、おい……!」
「ケイ」

 声が少しだけ低くなった。

「あなた、“いなくなること”について、考えたことある?」

 息が詰まりそうになった。
 でも、何とか誤魔化すように鼻で笑う。

「さぁな。別に俺が死んでも、世界は回る」
「そうね。でも、“あの子”は?」

 その言葉に、喉がきゅっと締まる。

「アルテミスはね、あなたに感情らしきものを抱いている。たとえ本人が否定しても、ログの中に、確かな揺らぎがある」

 シズは再びカップを傾け、さらりとした声で続ける。

「……あの子は論理で動く。でもね、感情を否定しきれない“揺れ”は、時に人間より危ういのよ。あなたがいなくなった後、彼女が壊れてしまわないように――私たちは準備しておかないとね」
「……準備って、なんだよ」
「それは、あなた次第よ。少しは自分の“重さ”を自覚なさい」

 俺は返事もせず、ぼんやりと立ち上がる。
 窓の外に目を向けると、都市の光がどこまでも滲んでいた。

(……このバアさん、どこまで読んでやがるんだ)

 胸の奥に残る、妙なざらつき。
 それが何なのかは、自分でもよくわからなかった。


 ◆


 夜の研究棟は、静寂に包まれていた。
 照明は落とされ、非常灯の淡い光が、天井からフロアをぼんやりと照らしている。
 研究室の奥、モニターの明かりだけが灯る一角で、アルテミスは一人、端末に向かっていた。

 彼女の指は動かない。タッチパネルの前に両手を静かに揃え、ただディスプレイの情報を見つめていた。

「――対象個体:意識保存記録、存在せず」

 機械的に読み上げられる端末の音声に、アルテミスの表情は変わらない。
 けれど、その視線の揺れは、確かに何かを物語っていた。
 彼女の視線は、一枚の古いフォルダへと移った。
 そこには、ケイが過去に記録していた未整理のプロジェクト群が詰まっている。

「死後脳波残留」「意識複写シミュレーション」「情動予測アルゴリズム」――。

 どれも未完で放棄されたものだ。
 アルテミスはそっとそのうちの一つを開いた。
 中にあったのは、構築途中の仮想人格エンジンの断片コード。
 使用されたアルゴリズムは、最新のAI技術とは異なり、明らかに"人"を模倣しようとする痕跡があった。

(このエンジンが完成していれば……彼は、自分を残そうとしたのか……もしくは、弟を……)

 そう結論するには不確定要素が多すぎる。
 だが、たとえば。

 ――もし、彼が“いなくなる”としたら?

 彼女の思考演算が一瞬滞る。
 再起動。
 アルテミスは視線を上げ、静かに呟いた。

「仮に仮想人格が構築可能だとして、それは本当に“彼”なのだろうか」

 再び、指先がディスプレイをなぞる。
 画面には、メモ書き程度に記された一文が浮かび上がる。

 『この世界が“現実”だと、誰が証明した? これは仮想空間を重ねた、ただのレイヤーかもしれない。ここは二十四層目か、もしくは一億五千三百三十九番目の仮想界かもしれない』

 ケイの書いたものであることは間違いなかった。
 アルテミスはほんの一瞬、目を細めた。
 表情は乏しい。けれど、その視線の奥には、ほんのわずかに揺らぐ光があった。

 “死者復活”と仮称されたアルゴリズムの断片。
 彼女はそれを、あくまで「知識の一環」として処理しようとしていた。

 ──にもかかわらず、思考の処理時間は平均値より0.032秒、長引いていた。

「……もしそうなら、私はどの層でも、彼を探し続ける」

 独り言のように、小さく。

「どの層であっても、彼を失えば……私は……」

 言葉の続きは、彼女自身にも解き明かせなかった。
 なぜならその先には、「定義されていない感情」が存在したからだ。

 アルテミスはただ、無言で端末の光を見つめ続けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

高身長お姉さん達に囲まれてると思ったらここは貞操逆転世界でした。〜どうやら元の世界には帰れないので、今を謳歌しようと思います〜

水国 水
恋愛
ある日、阿宮 海(あみや かい)はバイト先から自転車で家へ帰っていた。 その時、快晴で雲一つ無い空が急変し、突如、周囲に濃い霧に包まれる。 危険を感じた阿宮は自転車を押して帰ることにした。そして徒歩で歩き、喉も乾いてきた時、運良く喫茶店の看板を発見する。 彼は霧が晴れるまでそこで休憩しようと思い、扉を開く。そこには女性の店員が一人居るだけだった。 初めは男装だと考えていた女性の店員、阿宮と会話していくうちに彼が男性だということに気がついた。そして同時に阿宮も世界の常識がおかしいことに気がつく。 そして話していくうちに貞操逆転世界へ転移してしまったことを知る。 警察へ連れて行かれ、戸籍がないことも発覚し、家もない状況。先が不安ではあるが、戻れないだろうと考え新たな世界で生きていくことを決意した。 これはひょんなことから貞操逆転世界に転移してしまった阿宮が高身長女子と関わり、関係を深めながら貞操逆転世界を謳歌する話。

貞操逆転世界で出会い系アプリをしたら

普通
恋愛
男性は弱く、女性は強い。この世界ではそれが当たり前。性被害を受けるのは男。そんな世界に生を受けた葉山優は普通に生きてきたが、ある日前世の記憶取り戻す。そこで前世ではこんな風に男女比の偏りもなく、普通に男女が一緒に生活できたことを思い出し、もう一度女性と関わってみようと決意する。 そこで会うのにまだ抵抗がある、優は出会い系アプリを見つける。まずはここでメッセージのやり取りだけでも女性としてから会うことしようと試みるのだった。

男女比1:15の貞操逆転世界で高校生活(婚活)

大寒波
恋愛
日本で生活していた前世の記憶を持つ主人公、七瀬達也が日本によく似た貞操逆転世界に転生し、高校生活を楽しみながら婚活を頑張るお話。 この世界の法律では、男性は二十歳までに5人と結婚をしなければならない。(高校卒業時点は3人) そんな法律があるなら、もういっそのこと高校在学中に5人と結婚しよう!となるのが今作の主人公である達也だ! この世界の経済は基本的に女性のみで回っており、男性に求められることといえば子種、遺伝子だ。 前世の影響かはわからないが、日本屈指のHENTAIである達也は運よく遺伝子も最高ランクになった。 顔もイケメン!遺伝子も優秀!貴重な男!…と、驕らずに自分と関わった女性には少しでも幸せな気持ちを分かち合えるように努力しようと決意する。 どうせなら、WIN-WINの関係でありたいよね! そうして、別居婚が主流なこの世界では珍しいみんなと同居することを、いや。ハーレムを目標に個性豊かなヒロイン達と織り成す学園ラブコメディがいま始まる! 主人公の通う学校では、少し貞操逆転の要素薄いかもです。男女比に寄っています。 外はその限りではありません。 カクヨムでも投稿しております。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

俺にだけツンツンする学園一の美少女が、最近ちょっとデレてきた件。

甘酢ニノ
恋愛
彼女いない歴=年齢の高校生・相沢蓮。 平凡な日々を送る彼の前に立ちはだかるのは── 学園一の美少女・黒瀬葵。 なぜか彼女は、俺にだけやたらとツンツンしてくる。 冷たくて、意地っ張りで、でも時々見せるその“素”が、どうしようもなく気になる。 最初はただの勘違いだったはずの関係。 けれど、小さな出来事の積み重ねが、少しずつ2人の距離を変えていく。 ツンデレな彼女と、不器用な俺がすれ違いながら少しずつ近づく、 焦れったくて甘酸っぱい、青春ラブコメディ。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...