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3.美人探偵からのご依頼

第1話 冤罪はごめんです

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「あ。マデリーネちゃん。新鮮なお野菜入っているよー」

 青果店のロベルトさんから声をかけられて足を止める。
 ただいま、お昼休みを利用してのお買い物中だ。占いのお客様が来ないとテーブルに伏せて愚図る私に、ユリウスは買い物を命じて店から私を放り出したからである。

「こんにちは、ロベルトさん。あ、本当だ。このトマト、熟していて美味しそう」
「うちのトマトはしっかり熟してからいるからね。甘いよ!」
「じゃあ、えーっと。二つ、いえ。三つもらお――」

 指さして選んでいると背後で。

「――うだぁぁぁ!」
「え。な、何?」

 大きな叫び声に驚いて振り返ろうとした時、誰かが背中に勢いよくドンとぶつかってきた。

「きゃっ!」
「だ、大丈夫かい! マデリーネちゃん」

 不意だったためよろけてしまった私に、ロベルトさんが血相を変えて手を伸ばしてくれた。

「は、はい。大丈夫です。ありがとうございます」

 今のは何だったのか。
 しかし振り返った時にはぶつかった人はおらず、声がした方向とは逆へと走って行く男の背中だけが見えた。

「まったくぶつかっておいて謝りもしないで。最近の若者ときたら。なあ!」
「あ、あははは……」

 一応、最近の若者の部類に入っている身としては苦笑いするしかない。それとも若者とは十代前半までを指すのだろうか。それなら圏外である。
 それはそうと買い物だ、買い物。

「じゃあ、ロベルトさん。この三つを下さい」
「はいよ」

 私はお金を払おうと、カバンからお財布を取り出す。するとポサリと何かが足元に落ちた。

「ん? 何か落ちた」

 しゃがみ込んで拾い上げると、それは男物と思われる藍色の財布だった。

「……んん?」
「どうしたんだい?」
「ええ。これ、今の人の落とし物みたいです」

 ロベルトさんにそのお財布を見せたその時。

「あれだ! 泥棒仲間だ! 捕まえてくれー!」

 男性の声で誰かが叫ぶ。
 再び私は声のする方向に振り返ると、騎士たちがこちらに向かってバタバタと走ってきて、私の目の前に立ちはだかった。肩幅がある屈強な男性たちで、かなりの威圧感がある。
 呆気に取られていると肩に手をどんと置かれた。

「あなた、ちょっとお話いいですか」
「は? ……は!?」

 私は手の中の財布と騎士たちを交互に見た。


「窃盗犯?」

 お皿を拭く手を止めたユリウスは、眉をひそめて私の言葉を繰り返した。

「そうよ。窃盗犯の仲間にさせられかけたの! 青果店のロベルトさんが証言してくれたし、後からもう一人駆け付けてきたのが、うちの常連さんの騎士さんだったから良かったものの。まったく失礼しちゃうわ。こっちは被害者だって言うの!」

 買い物カゴをカウンターに置くと、中からカードが入った小袋を取り出した。
 いつも何時も仕事ができるようにカードは常備しているのだ。

「最近、集団窃盗が増えているんですって。今回みたいに盗む役と受け取る役みたいに役割分担したりして大抵、逃げおおせているって! 巻き込まれて頭に来たから、占いでアジトを突き止めて木っ端みじんに壊滅してくれてやったわ。ざまぁみなさい。占い界の期待の新星であるマデリーネ・アモンド様を敵に回すからよ! はっはっはー!」
「マディの方が悪党のボスみたいだな」

 腰に手を当てて反り返って高笑いする私にユリウスが評した。
 と、その時カランとドアベルが鳴る。
 瞬時に店員モードに戻った私は慌てて身を起こし、にっこり笑みを浮かべてお客様を迎えるために近付いた。

「いらっしゃ――」
「あなたよね。あなた! ……多分あなただったわ! いえ。あなたよ!」

 私の顔を見るなり、ぱっと表情を変えて手を握りしめてくる女性に目を丸くした。

「は。え、あの」
「ああ。ごめんなさい。私はルチアーナ・ソルニエよ。ルチアって呼んでね」
「は、はい。私はマデリーネ・アモンドです」

 いきなり自己紹介してくる彼女に戸惑いながら私も返した。
 占いを希望とのことで席に案内しながら彼女を観察する。

 見目麗しい顔立ちで茶色の長い髪は緩やかに巻かれている。綺麗な碧色の目は猫目のように少しだけつりあがっていて意志の強さが見て取れる。完全に男装スタイルで、人によっては女性がこんな姿をと顔をしかめる人もあるのだろうが、胸元のふくよかな体つきで女性としての魅力は一切失われていない。
 年頃と言えば、男装しているせいか、あるいは容貌の美しさ故か、年齢不詳に見せている。
 歩きながら、ふーむと辺りを見回し、観察されているような彼女の目が少し気になるところだ。

「どうぞお掛けください」
「ありがとう」

 椅子を勧めると彼女はお礼を言って座った。
 真っ正面から見ても美女だ。着座するとなお、胸が自己主張してくる。細い体形なのに大きい。……大きい。
 気を取り直して彼女の胸に集中していた視線を上げる。一方、彼女はテーブルの上で両手を組むと顎を乗せ、挑戦的な目でこちらを見てきた。

「私、さっきあなたが窃盗団のアジトを当ててみせたところにね、丁度居合わせていたのよ。それを見てこちらに寄せていただいたの」

 ロベルトさんにテーブルを借りて占っていた時の事だろう。どうやら野次馬の一人だったらしい。

「そうでしたか。それで本日はどのような――」
「実は私、探偵なんです」
「え。え?」

 したり顔で私の言葉を遮る彼女に目をぱちくりとさせた。それを聞き漏らしたと考えたのか、もう一度彼女は繰り返す。

「探偵よ。小さい事務所だけど探偵業を営んでいます」
「は、はい。たんていぎょう……あのぉ」
「何かしら?」
「たんていって……何でしょうか?」

 今度は彼女の方が目をぱちくりとした。しかしすぐに仕方ないわよねとため息をついた。

「そうよねぇ。この国は王宮専属占術師という夢ある職業がある分、占い師の職の方が認知度も人気もあるものね……。探偵業なんてまだまだ知名度低いわよね。――そうね。おおざっぱに言うと、探偵というのは、騎士団が動いてくれないような私的な事件や事故、困り事も承る民間のための警備団、自警団みたいなものになるかな。つまり庶民のための正義の味方よ! ……まあ、諸手を挙げて国に認可されているわけではないんだけどね」

 彼女の観察するような瞳と動きやすそうな服装、自信にみなぎった堂々とした態度はそれだったのか。

「探偵は義賊とか何とか言われて、持てはやされている怪盗とかとも戦っちゃうんだから!」
「へぇ。格好いいですね」
「でしょう! そう思うわよね。バンバン事件を解決しているような格好いいイメージになるでしょ。でもねぇ」

 彼女は身を起こして腕を組んだ。

「実際はさ、落とし物探しだの、迷い犬猫探しだの、浮気調査ばっかりなの!」
「は、はぁ」
「地べたを這いずり回り、高い木や屋根に登り、犬には吠えられ、猫にはこのご自慢の顔を引っかかれる。泥まみれ、汗まみれ、傷だらけ、見たくもない熱々の浮気カップルを尾行し、気分までトゲトゲになって探さなきゃいけないのよ。美貌に恵まれ、才気にも満ちあふれているこの私がよ!? こんな小さな器で収まっているような人間じゃないのにー!」

 彼女は叫ぶと、テーブルに伏せて拳でごんごん叩いた。
 ……あ。これ、残念美女だ。しかもどこかで聞いたことがあるような話に、思わず同情を寄せてしまう。

「た、大変ですね」
「そう! 大変な仕事なのよ!」

 がばりと勢いよく顔を上げるものだから、さすがにびくっと身を引いた。油断大敵火がぼうぼう。

「でもね。そんな頑張っている私に、ようやく大きな仕事が舞い込んできたわけよ」
「と申しますと?」
「人捜しよ!」

 うん? 浮気調査とあんまり変わらないような。
 気持ちが表情に出ていたらしい。彼女は唇を横に引いた。

「今、浮気調査と変わらないって思ったでしょ。フフフ。これだから素人は」
「は、はい。素人でスミマセン。それで違いがあるのですか?」
「全然違うわよ。浮気は相手がありきだからね。探しやすいの。でも今度の依頼はある日突然、失踪したから手掛かりが全く無いわけよ。探偵冥利に尽きるでしょ? 日数がかかる依頼だし、相手は太っ腹だから依頼料も桁が違うしね」
「それは良かったですね」
「ええ。良かったのよ。良かった。――良かったと思っていたのよぉぉぉ」

 また感情を高ぶらせると、彼女は頭を抱え込んだ。
 うん。ころころ表情が変わって楽しい人だ。

「それこそこの美しい足が棒になる程捜し回ったし、聞き込みもしたわよ。でも一向に何の情報も得られないの」
「それは探偵冥利に尽きる手掛かり皆無の難しい案件だからじゃないでしょうか……」

 穏やかに突っ込んでみる。

「分かっているわ。でもこんな時、物語ならひょいと手掛かりを得られるのに実際はどうよ? 足が棒になったって、汗だくになったって、町の人がふと思い出して、いや待てよ、とか何とか言って情報をくれる訳でもないの。よく考えてみたら、こんな連絡網が発達していない時代で何をしろと? おまけに広範囲に渡って調査しなければいけないのに、それに見合う人数がいない。私としたことが、見通しが甘すぎたのよ!」

 彼女は再びどんと机を叩いた。
 少し考えれば分かることだと思うが、大きな仕事が入って舞い上がってしまったんだろうなぁ。
 とても人ごととは思えない彼女の言動に苦笑いした。

「そんな風に深く思い悩みながら歩いていた時、あなたを見かけたのよ。これこそ天が私に与えたもうた巡り合わせだと思ったわ」

 彼女は力説すると、天に向けて高く手を挙げた後、胸の前で組んだ。
 そんなことをしながら歩いていたのか。周りの人から不審がられなかっただろうか。
 いちいちリアクションが大袈裟な彼女に、ちょっと心配になる。町中ではやらない方が良いと占いに出ていますと進言した方がいいだろうか。なんてね。

「リーネちゃん、聞いているかしら?」
「え? リーネ? あ、私のことですか?」
「ええ。マデリーネだからリーネちゃん。いいでしょ」

 頬杖をついて見せる美人さんの笑顔に、こちらまで頬がだらしなく緩んだ。

「はい。――あ。と言うことは、占いでその方の行方を追ってほしいというご相談でしょうか」
「ええ。できるかしら」
「それは」

 そこまで言った時、カフェのドアベルが鳴った。
 ユリウスがいらっしゃいませと声をかけたので来客かと思われたが、彼のいるカウンターに足早に近付いたようだ。

「すみません。少しお尋ねします。身長がこう、高い男みたいな格好をした女性がこちらに訪ねたと聞いてやって来たのですが、お邪魔しましたでしょうか」

 ユリウスが答える前に、ルチアさんがあら私ねと立ち上がった。声にも聞き覚えがあったのだろう。

「レオン、私ならここよ」

 占いブースからひょこっと顔を出して彼に声をかけた。

「ああ、ルチア。やっぱり本当にここに来たんだ。――あ、失礼いたしました」

 呆れた声と、最後の言葉はユリウスにかけられたものだろう。謝罪を残すと、こちらに近付いてきてその姿を現した。
 茶色がかった金色の髪に空の色を映し込むような青い瞳。透明感のある顔立ちの青年で、ユリウスとはまた違った甘い顔立ちの美形だ。年の頃は十代後半から二十代初めといったところだろう。

 私も立ち上がって彼を迎える。
 けれど彼と目が合った途端、初対面にもかかわらずなぜか鋭い視線を投げかけられた。
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