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第56話 前言撤回である

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 とりあえず、預かった鍵を無くさないように棚にちゃんとしまっておこう。……いや、でも待って。もし賊が入って家捜しでもされたら!? 駄目だ。置いておくのは危険だ。
 となると持ち歩いた方がいいわけで、ユリアに預けておくのが一番安全かな。いやいや。彼女がいない時に事が起こったら面倒だ。
 やはり私自身が、肌身離さず身に付ける方がいいかも。では、後で紐をつけてもらって胸元にぶら下げることに――いや、待ってよ。もし万が一、紐が切れて落としたなんてことになったら!?

「……殿下、やはりお返ししてよろしいでしょうか。この鍵、重すぎます。精神的に」

 私は鍵を持った手を殿下の前に差し出す。

「一度受け取ったなら最後まで責任を持て。以上だ。――と言いたいところだが、もし落としたことに気付いたらすぐに伝えてもらえれば、鍵を交換すれば良いだけの話だ。何も心配しなくていい。まあ、代々受け継いできている鍵だが、君は全く気にすることはない。君に預けた私に責任がある。君が気負うことはない」
「余計に気負わされたのですが!?」

 私が抗議すると、殿下はしてやったりと言わんばかりに可笑しそうに笑った。

「冗談だ。まあ、気軽に鍵を落とされても困るが、気楽に持てということだ」
「他人事だと思って!」

 もうどうなっても知りませんからねと言いつつ、返そうとした手を引っ込めた。
 仕方がない。念には念を入れて、頑丈な紐を三本くらい通して首にかけよう。
 ひとまず鍵のことはこれで終わりにして、気になっていたことを尋ねる。

「そう言えば殿下」
「何だ?」
「先ほど強烈な影に憑かれたとおっしゃっていたのですが、どなたから移ったのですか」
「ああ、それは」

 そこまで言ったところで、殿下はふと今の時間帯を思い出したようだ。

「そうだな。そろそろ夕食の時間だし、一緒に食事しながら話そうか」

 えー。

「殿下とご一緒にお食事ですか。それはそれは至極光栄に存じます」
「そうか。喜んでもらえて良かった。だが、表情と言葉が全く一致していないぞ……」

 殿下は空笑いすると、ユリアの方へ視線をやった。

「クロエに二人分、私の部屋に食事を運ぶよう伝えてくれないか」
「殿下のお部屋にですか?」

 尋ねたのは私だ。ここでも二人ぐらいなら食事できるテーブルはあるけれども。

「ああ。私の部屋にはそう広くもないが、ダイニングルームがある。そちらの方がゆっくりできるだろう」
「かしこまりました。直ちにご用意いたします」

 ユリアは礼を取って部屋を出た。

「では、私の部屋に行こう」
「はい」

 誘われてお部屋に向かったわけだけれど、初めて踏み入れる殿下のお部屋に少しばかり緊張する。しかも正面の出入り口ではないから余計に。

「お邪魔いたします……」

 踏み入れたお部屋はもちろん広いけれど、以前入ったことのある応接室のように派手さはなく、むしろ飾り気のない内装と言ってもいい。殿下の趣味なのだろうか。じろじろと不作法に観察してしまう。
 浮き足だった私の様子に、殿下は何か気になることでもあるかと視線をこちらに流した。

「申し訳ございません。意外に質素倹約家なのだなと思いまして。物もあまりありませんし」
「元々私は派手さを好まない。それに何よりも民の血税によって支えられているのが王家だ。この国は比較的豊かではあるが、湧水のようにお金を使うわけにはいかないからな。ただし国の顔でもあるわけだから、お金を掛けるべきところには掛けるといったところか」

 確かに貧しいなりをしていると外交問題では下に見られてつけ込まれそうだ。
 なるほど。庶民の金銭感覚をしっかり踏まえつつ、王家としての体面も考えているというわけだ。

 ――うむ。若いのになかなか感心感心。
 私は心の中で腕を組んで頷いていると。

「ここがダイニングルームだ」

 殿下の声に目を向けると。

「――っ!? こ、ここですか?」
「ああ。そう広くもないだろう?」

 そう広くもないが!? そう広くもないがだと!?
 ごらぁぁぁ! この坊ちゃんめが、どの口が言うかぁぁぁーっ!

「金銭感覚狂いすぎです! 庶民の暮らしを、いえ、せめて下級貴族の生活を勉強してきてください!」

 十人は優に収まりそうな美しく広いダイニングルームを目にした私は、先ほどの言葉を早速、前言撤回したのであった。
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