つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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第132話 目と唇で会話

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 迷子にもならず、無事に馬車の停留場所までやって来た。
 後は馬車に身を委ねて帰るだけである。久々のお休みは充実したものだったなと考えていると、殿下は私に手を差し出した。

 大丈夫ですか。
 ああ。大丈夫だから早く手を取って乗り込め。
 合点承知。
 は? 今何を言っ。
 お先失礼いたしまーす。

 殿下と私は目とわずかな唇の動きだけで会話をする。

「ありがとうございます」

 私は殿下の手を一瞬だけお借りすると、ほぼ自力で馬車に乗り込んだ。その後、すぐに殿下が私の横に体を滑り込ませてくる。
 お顔の色を見たけれど、さほど問題ないようだ。殿下も私を見ると、黙って頷いた。

 ユリアとジェラルドさんが続いて入ってくると、馬車は出発準備完了である。

「それでは出発いたします」
「はい。お願いいたします」

 そういえば今さらだけれど、殿下は町中でどうだったのかな。体調が悪そうではなかったから大丈夫だったのだろうけれど、あれだけ大勢の人たちがいたのに影はいなかったのかしら。
 私は見えないから殿下に聞いてみたいけれど、今はジェラルドさんがいるから聞けない。あ、そうだ。それよりも今日のお礼を伝えなければ。

「殿下、ジェラルド様。本日はお付き合いいただき、ありがとうございました」
「ありがとうございました」

 私が殿下とジェラルドさんに向けてお礼を述べると、後を追うようにユリアも述べる。

「とても楽しい一日でした。ね、ユリア」
「はい」
「そうか。良かった」
「こちらこそご一緒させていただき、ありがとうございました」

 ユリアは相変わらず、はいの一言のみだが、殿下もジェラルドさんも笑みで答えてくださった。

「殿下におかれましては、様々なご恩情を賜り、本当にありがとうございます」

 ドレスやらリボンやら分不相応なものを頂いたものね。

「ご恩情?」

 殿下はなぜか眉を上げた。

「……あ、ああ。そうか。そうだったな。私がそう言ったな」

 ま、まさかドレスを贈ってくださったことを後悔されていないよね? ドレスができあがってから、支払いはやっぱり私になんてことに――ならないよね!?

 内心ひやひやしている私の心情を察したように、殿下はこっちの話だ何でもないとぼそぼそと呟いた。
 一体何なのですか。もっとハッキリ言ってほしい……。

 馬車の中の空気が何となく、じめっとしたところで、ユリアがわずかに表情を変えて口を開いた。

 え。珍しい。彼女が空気を読んだ!?

「ジェラルド様」
「え、あ。はい。何でしょう」

 ほら、ご覧なさい。ジェラルドさんも少し動揺なさっているじゃない。

「私、店主の方に短剣の手入れの仕方を聞くのを忘れていました。手入れの仕方はご存知でしょうか」
「あ、はい」

 ……ああうん。やっぱりユリアだ。全然空気を読んでいない。単に聞き忘れたことに気付いて焦ったのだろう。でもこの場の空気が変わったことはいいことだ。私も二人が話している間に殿下に話しかけよう。

「殿下、あんな大勢の人の中、お体は大丈夫だったのですか」

 極力離れつつ、小さな声と唇だけの動きだけで会話するのはなかなか大変だ。

「ああ。おかげでな」
「どうしてでしょうか」

 人が多ければ多いほど、そこに人間の欲や悪意も多く立ちこめているはずだと思うのに。

「私が視察に訪れる所は路上生活者や福祉施設などだったからな。どうしても普通に生活している人間よりも物質的にも精神的にも貧しく、暗く、影を取り込みやすいというのもあるかもしれない」

 なるほど。大通りは、明るい表情で楽しく買い物をしている人たちが多かった気がする。

「あと、君が先行して歩いた時、軒並み人にぶつかりながら買い物をしていたからな」

 ぶつかっていたとは失礼な。ただ、露店の店主から声が上がる度、人の間をすり抜けながらジクザクと斜め歩きしていたことは確かだ。

「人にぶつかる度にその人の影を祓っていた。軽い影だったから、触れたその一瞬で影祓いできたようだ」
「まあ、酷いっ。掃除させるためにわたくしを前にしたのですか」

 こそこそと殿下を非難してみる。

「帰りはそれに気付いて君に先行してもらったが、行きは君が道草を食っていたからだろ」
「そうでした。……あ、でも影というのは王宮に出入りするお偉いさん……方々の方が強いのですね」

 それだけ王宮には強欲な人間が多いということかしら。
 私は唇に手を当てて考える。

「強欲までちゃんと口にしているからな。しかも今一番よく通る声だったからな」
「失礼いたしました」

 別に失礼と思っていないだろうと殿下は突っ込んでくるが、私はうふふと流した。
 殿下は苦笑して腕を組む。

「人間の本質は上流社会でも庶民でもそう変わらないはずだ。人を押しのけても、踏みつけても、のし上がりたい、自分だけは助かりたいと思う人間は少なからずいる」
「皆、大きな権力の前には跪きますものね。力を手に入れたいと思うのは至極当然のことです」

 だから人の上を目指す王宮にいる権力者ほど、影の力も強くなるのかもしれない。

「そうだな。……まあ、跪かない人間もいるが」

 なぜか殿下は目を細めて私を見た。
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