リトル・エルヴィス・イン・ニューヨーク

山崎ももんが

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リトル・エルヴィス・イン・ニューヨーク

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もうすぐ四月だというのに歩道の脇には積み寄せられて固まった雪が残っていた。ニューヨークはまだコートが必要だ。時折吹き付けるビル風がリップグロスを冷やす。

転職のタイミングで時間ができたので、一週間ほどこの街に滞在している。目的はニューヨークのギャラリーを巡ること。日本では銀座や京橋、青山等の雑居ビルの一室を改装したギャラリーで現在活動中のアーティスト達の作品が週替わりで公開されているのだけれど、美術に興味の無い人達には知る由もない、全く別世界の話だろう。

私は美術大学で絵画を専攻していた。大学に行くと教授は「君達は美大予備校で散々デッサンや油絵を描いてきてこの大学に合格したわけだから、充分技術があることは分かっている。古典技法はともかく、美大は新しく絵を習う場所じゃない。だから最前線の現場を観て、これからの自分が何をすべきか考えなさい」と言って地図のコピーを皆に配った。銀座周辺の地図には二十か所ほどの丸印があった。「この印のギャラリーが最先端のアーティストの作品を扱っている処だから、行ってみるように」

大学を卒業すると学生達はそれぞれ企業に就職したり、美術教師になったりと様々な進路に散開する。数人はアルバイトをしながら作家活動を続けていた。私はウェブサイトや印刷媒体を手掛けるデザイン会社に就職した。作家活動を続けている友人からは「金に眼がくらんだか」などと冗談交じりに言われたけれど、結局自分にはそもそも「描きたい絵」というものが無かった、或いは見つけられなかった、というのが本当のところだ。だからと言って美術に興味を失ったわけではなく、時間があれば美術館やギャラリーにも顔を出し続けている。

ニューヨークに着いて最初の印象は「騒音」の街。東京だと新宿や渋谷をイメージしそうだけれど、一番近いのは実は秋葉原だと思った。タイムズスクエアでは絶え間なく車のクラクションが鳴っている。何処かで衝突音がすると「何や、事故や、事故やで」と大阪弁の女性の声が聞こえた。

ホテルを決めていなかったので、著名な芸術家やミュージシャンが滞在したというチェルシーホテルに宿泊しようと訪ねてみたけれど、満室という理由で断られてしまった。フロントの背後には部屋の鍵と思われるものが数点残っていたので、もしかしたら私はこのホテルにそぐわないと判断されたのかもしれない。所謂いわゆる、門前払いか。

次に予め調べておいた、タイムズスクエアから歩いて十五分の場所にある第二候補のホテルに向かう。日本でう所のビジネスホテルのイメージだ。ここには無事チェックインすることができた。値段は安いが清潔でコンシェルジュも親切だ。

部屋に入り、シャワーを浴びた。近くのスーパーで買ってきたビールを飲みながら、ベッドの上にニューヨークの地図を広げて、目当てのギャラリーにマーカーで印を付けた。スマートフォンで検索するよりも、見知らぬ地では大まかな位置を把握するにはやはりアナログが便利なのだ。十八時を過ぎていたので、明日から行動することにした。これもまた近くのデリで「マンハッタンスペシャル」というネーミングに惹かれて買った、暴力的な量のコンビーフが挟んであるサンドウィッチを食べたら血糖値が急上昇したのか、強烈な眠気に襲われてしまい、そのまま意識を失った。

* * *

翌朝、化粧と支度を終えた私はエレベーターを待っていた。上の階から到着したエレベーターの扉が開くと、小柄なエルヴィス・プレスリーが乗っていた。小柄といっても私と同じ百六十五センチくらいか。スパンコールの入った白いジャンプスーツにサングラスとリーゼント。腕にはフリンジが垂れ下がっている。サングラス越しの彼の眼と視線が合うと、どちらからともなく手を差し出し、握手してしまった。日本人か、と訊かれたので「イエス、東京から来ました」と返すと、彼は笑顔で「イエェ」と親指を立てた。エルヴィスは何かを話そうと口を開きかけたけれど、エレベーターがフロントに着いてしまったので、太い眉毛をサングラスの上に持ち上げ、口の形をへの字に曲げて黙ってしまった。そして右腕を差し出して私を先に降ろしてくれた。ベタなレディファーストという仕草が嬉しかった。エルヴィスはフロントのソファに座って待っていた、スーツ姿のマネージャーと思われる初老の男と一緒にタクシーに乗って何処かへ行ってしまった。

ギャラリーはソーホーと呼ばれる地域に集まっている。やはり東京と同じく雑居ビルの一室を改装し、ギャラリーとして公開している。印を付けて目当てにしていた展示や美術館は四日間で全て巡ってしまったので、最後の一日は暇になってしまった。

タイムズスクエアに「tkts」と呼ばれるディスカウントショップがあるのを思い出した。夕方になると当日売れ残ったミュージカルや舞台のチケットが格安で手に入るのだ。私はブロードウェイのミュージカルではなくオフ・ブロードウェイと呼ばれる小さな劇場で行われているコメディの公演を選んだ。

劇場に入ると百席ほどの椅子と小さな舞台があった。上演が始まる。早口の英語が聞き取れず意味も解らないのに、周りの客の反応にシンクロして笑ってしまう。ポジティブな同調効果だ。お笑いは人類を救う。やがて派手なエレキギターの音と共に、彼が登場した。ホテルで出会ったエルヴィス・プレスリーだ。

彼のエルヴィスのモノマネで観客は大いに盛り上がった。最後にスタンディングオベーションが起こった時には、何だか私も嬉しくなって掌が痛くなるくらいに拍手していた。

ホテルに帰る途中、空腹だったのでマクドナルドに寄り、ビッグマックミールを食べていた。突然、客がざわついたのでエントランスを見ると、そこには公演を終えた小さなエルヴィスが仁王立ちをしていた。私を見つけたエルヴィスは、大きな白い歯を見せて笑顔を作った後、ビッグマックミールを注文して隣の席に座った。今夜の公演を観たことを伝えると、大量の英単語の羅列が返ってくる。早口で上手く聞き取れなかったけれど、彼は舞台の公演中の二週間、あのホテルに滞在している、ということは理解できた。続けて彼は今日の舞台の感想を訊いてきたので、私は「もう、最高だったよ、イエェ」と親指を立てた。エルヴィスは笑顔で何度も大きく頷きながら親指を立てた。

日本と違い、アメリカのマクドナルドではテーブルに置いてあるケチャップを自分で入れて味を調整する。フライドポテトに塩を振りかけて食べていた私にエルヴィスは「フレンチフライにはこれが最高なんだ」と言って小分けのビニールに入ったケチャップの袋をつまみ取り、私のポテトに近づけて、切れ目からねじ切った。

その切れ目から激しく破裂したように赤い液体が飛び散った。顔に冷たい粒の感覚を感じたので、慌ててナプキンで拭う。しかしカーキ色のコートにはペインティングナイフで塗ったような、大きなケチャップの塊が貼り付いていた。慌てたエルヴィスはナプキンでコートの赤い塊を拭おうとしたけれど、却って範囲を延ばす結果となってしまい被害が大きくなった。私は「ノー、プロブレム、ノー、プロブレム」と言って、申し訳なさそうにさらに小さくなってしまったエルヴィスをなだめた。

ホテルへはエルヴィスが拾ってくれたタクシーで一緒に帰った。部屋にはバスタブは無く、シャワーだけだったので水を溜めた洗面台のボウルに粉末の洗剤を溶かし、急いでコートを揉み洗いした。これはかなりのプロブレムだ。何とか赤い染みを落とし、ハンガーに掛けて部屋に干した。明日の朝までに乾くと良いのだけれど。

* * *

翌朝、フロントでチェックアウトの為にカウンターに立っていた。コートは乾いたけれどアイロンが無かったので大きな皺がいくつも付いてしまった。空港で麻薬の売人や不審者と思われたら嫌だな、と少し不安になった。

コンシェルジュが何かトラブルだと言ってきた。クレジットカードの期限が三月末で過ぎていたのに気が付かなかった。今日は四月一日だったのだ。カードを契約した時には実家に住んでいたので、おそらく実家に新しいカードが届いていたのだろう。困惑していた処にエルヴィスが現れた。私の状況を確認すると、コンシェルジュと交渉を始めた。「オーケー」とコンシェルジュは言って数か所に電話をかけ始めた。エルヴィスはカウンターの上に置かれていた私のパスポートを手に取り、身分事項のページを確認すると、笑顔を浮かべて「モモカサン、ノー、プロブレム」と言って返してくれた。

やがて数枚の書類にサインをして無事にチェックアウトすることができた。ホテルを出るとエルヴィスのマネージャーらしき男がタクシーのドアを開けて待っていてくれた。男から「JFK空港だよね」と訊かれたのでイエスと答えた。エルヴィスとマネージャー、それぞれに握手を交わしタクシーに乗った。

窓から身体を乗り出し、いつまでも笑顔で見送る二人に私は手を振り続けた。彼らがまるで私を護ってくれる愉快な妖精達に思えたのだ。
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