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シークレット・トラック
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タクシーの助手席は居心地が悪い。今日は朝から雨が降っている。ミストシャワーの微細な水粒が正面の車窓を覆い尽くす度にワイパーが動き、削ぎ落としていく。後部座席には、喪服を着せられたマネキンのように見える美術大学時代の友人三名が、シートベルトで磔にされていた。
九時に飯能駅で待ち合わせた私達四人は、飯能郊外にある火葬場へと向かっていた。絵画科の同級生だったオカモトが、その短い人生を終えたのだ。癌だった。三十六年の生涯を閉じた彼は、大学卒業後は入間市の中学校に美術教師として勤務しながら作家活動を続けており、私がオカモトと最後に会ったのは、昨年十二月に銀座のギャラリーで開かれた彼の個展会場だった。
火葬場の門を通過すると、道路の両端に桜並木がある。雨粒に叩き落された桃色の花弁が車のフロントガラスに貼り付いたものの、ワイパーが容赦なく弾いて視界から追いやっていく。
* * *
オカモトの白い、仮面のように硬化した顔を見た。十五名ほど集まった同級生達もまた、遺体との対面を終えた後、無表情でいる。名も無い芸術家の死に対して、悲しみという感情よりも、自分も世に名を残せずに消えてしまうかもしれないという想いに襲われていたのだ。
私はテレビドラマで放送されていた幕末の武士の、死に際の場面を思い出した。その死に対して、仲間が泣きながら無念の意を語る場面があったのだけれど、現実には「死んだ侍と同じく、自分達も何も残せずに死を迎えてしまうかもしれない」という焦燥感に身を焼かれて、皆無表情だったのではないか、などと考えてしまう。
骨上げを終えた後、オカモトの妻から画集が配られた。彼が生前、入院中に自ら編集したものだ。死期を感じ取ったオカモトは自分の作品を世に残そうと、この画集を作った。また無料のホームページサービスを使い、インターネット上で全ての作品を公開していた。オカモトの作品はキャンバス上に青い縦線が集合した抽象画で、学生の頃から最後の作品に至るまで、一貫してその表現で絵筆を走らせ続けた。
残された彼の妻は、この先の人生をどのようにして生きていくのだろう、子供はいないということだったけれど、などと思考を散らかした挙句、結局のところ彼女に対して私は何もしてあげられることがない、という結論で蓋をして、火葬場を後にした。
* * *
私を含む、電車で参加した同級生達は飯能駅から西武線に乗り西武新宿駅で解散した。京王線に乗り換えるために新宿駅の迷路のような地下道を歩く。ふと、学生時代にオカモトが貸してくれたCDのことが脳裏に浮かんだ。プログレッシブ・ロックバンドのアルバムだ。
「モモカさ、お前、これ絶対気に入ると思うから、最後まで聴けよ」というオカモトの言葉。
最後まで、という言葉に引っ掛かりながらも、そのディスクをCDラジカセで鳴らしたのだった。全九曲を最後まで聴いたものの、変拍子や実験的な表現が特徴のプログレッシブ・ロックという割にはストレートな楽曲が並んでいた。ディスクを彼に返す際に「どうだった」とオカモトに感想を訊かれた私は「普通だった」と答えた。不満そうな表情を浮かべる彼の姿が蘇ってきた。
少し気になった私は、地下道から地上に出て中古CD店に寄った。そこでそのタイトルのCDを数枚見付けることができたものの、私は混乱してしまった。その作品は最初にリリースされてから、レーベルやレコード会社を変えながら再発売を繰り返しており、数種類の異なるバージョンが存在していたのだ。溜息の後、記憶を辿るとオカモトが貸してくれたバージョンは鷲のマークのレーベル・ロゴだったことを思い出した。私はその中から、一枚を選び出して購入した。
* * *
南大沢のマンションの四階にある自宅に戻った。時計の針は十五時を指していた。バスタブに湯を張り、身体を沈める。四月にしては寒い日だったので、温度を少し上げた。
ジャージに着替えた後、ビールを流し込んだ。今日はこれまでに火葬場で出された菓子しか口にしていなかったので、胃に直接、液体が注がれたかのように内臓に重さを感じる。
購入したディスクをパソコンに取り込みMP3データに変換すると、あることに気が付いた。九曲目の収録時間がブックレットに記載されているものと大きく異なっていたのだ。印刷されたその曲のタイトル脇には五分二十五秒と記載されているけれど、眼の前のモニターに映っている曲の長さは二十三分四十八秒だった。
カナル型イヤホンを耳の穴に挿し込み、九曲目を再生してみる。五分二十五秒の曲が終了した後も無音の再生が続いていた。そして二分間の沈黙の後、新たに音が聞こえてきた。
雨の音だ。
私はリビングの窓に眼を移した。レースカーテン越しに見える外の世界もまた、雨に覆われている。その時、私はオカモトの作品を理解した。青い線が密集した絵、あれは雨を描いたものだ。
雨音はやがて波の音に変わり、最後には川のせせらぎと鳥の囀りになった。私はそのアーティストが悪戯で収録した、自然音がコラージュされたシークレット・トラックを気に入った。
「ほら、やっぱりな。お前、こういうの好きだろ」
オカモトの声が聞こえた気がした。イヤホンから頭の中に直接流し込まれるその音の洪水と共に、私はリビングの窓の前に立ち、両手でレースカーテンを左右に開けてベランダに出た。
暫くすると雨が上がった。手摺を掴み、身体を捻って空を見上げると、雲間から射し込んだ陽が幾筋もの光の柱を描いている。漸く、涙が滲んできた。
九時に飯能駅で待ち合わせた私達四人は、飯能郊外にある火葬場へと向かっていた。絵画科の同級生だったオカモトが、その短い人生を終えたのだ。癌だった。三十六年の生涯を閉じた彼は、大学卒業後は入間市の中学校に美術教師として勤務しながら作家活動を続けており、私がオカモトと最後に会ったのは、昨年十二月に銀座のギャラリーで開かれた彼の個展会場だった。
火葬場の門を通過すると、道路の両端に桜並木がある。雨粒に叩き落された桃色の花弁が車のフロントガラスに貼り付いたものの、ワイパーが容赦なく弾いて視界から追いやっていく。
* * *
オカモトの白い、仮面のように硬化した顔を見た。十五名ほど集まった同級生達もまた、遺体との対面を終えた後、無表情でいる。名も無い芸術家の死に対して、悲しみという感情よりも、自分も世に名を残せずに消えてしまうかもしれないという想いに襲われていたのだ。
私はテレビドラマで放送されていた幕末の武士の、死に際の場面を思い出した。その死に対して、仲間が泣きながら無念の意を語る場面があったのだけれど、現実には「死んだ侍と同じく、自分達も何も残せずに死を迎えてしまうかもしれない」という焦燥感に身を焼かれて、皆無表情だったのではないか、などと考えてしまう。
骨上げを終えた後、オカモトの妻から画集が配られた。彼が生前、入院中に自ら編集したものだ。死期を感じ取ったオカモトは自分の作品を世に残そうと、この画集を作った。また無料のホームページサービスを使い、インターネット上で全ての作品を公開していた。オカモトの作品はキャンバス上に青い縦線が集合した抽象画で、学生の頃から最後の作品に至るまで、一貫してその表現で絵筆を走らせ続けた。
残された彼の妻は、この先の人生をどのようにして生きていくのだろう、子供はいないということだったけれど、などと思考を散らかした挙句、結局のところ彼女に対して私は何もしてあげられることがない、という結論で蓋をして、火葬場を後にした。
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私を含む、電車で参加した同級生達は飯能駅から西武線に乗り西武新宿駅で解散した。京王線に乗り換えるために新宿駅の迷路のような地下道を歩く。ふと、学生時代にオカモトが貸してくれたCDのことが脳裏に浮かんだ。プログレッシブ・ロックバンドのアルバムだ。
「モモカさ、お前、これ絶対気に入ると思うから、最後まで聴けよ」というオカモトの言葉。
最後まで、という言葉に引っ掛かりながらも、そのディスクをCDラジカセで鳴らしたのだった。全九曲を最後まで聴いたものの、変拍子や実験的な表現が特徴のプログレッシブ・ロックという割にはストレートな楽曲が並んでいた。ディスクを彼に返す際に「どうだった」とオカモトに感想を訊かれた私は「普通だった」と答えた。不満そうな表情を浮かべる彼の姿が蘇ってきた。
少し気になった私は、地下道から地上に出て中古CD店に寄った。そこでそのタイトルのCDを数枚見付けることができたものの、私は混乱してしまった。その作品は最初にリリースされてから、レーベルやレコード会社を変えながら再発売を繰り返しており、数種類の異なるバージョンが存在していたのだ。溜息の後、記憶を辿るとオカモトが貸してくれたバージョンは鷲のマークのレーベル・ロゴだったことを思い出した。私はその中から、一枚を選び出して購入した。
* * *
南大沢のマンションの四階にある自宅に戻った。時計の針は十五時を指していた。バスタブに湯を張り、身体を沈める。四月にしては寒い日だったので、温度を少し上げた。
ジャージに着替えた後、ビールを流し込んだ。今日はこれまでに火葬場で出された菓子しか口にしていなかったので、胃に直接、液体が注がれたかのように内臓に重さを感じる。
購入したディスクをパソコンに取り込みMP3データに変換すると、あることに気が付いた。九曲目の収録時間がブックレットに記載されているものと大きく異なっていたのだ。印刷されたその曲のタイトル脇には五分二十五秒と記載されているけれど、眼の前のモニターに映っている曲の長さは二十三分四十八秒だった。
カナル型イヤホンを耳の穴に挿し込み、九曲目を再生してみる。五分二十五秒の曲が終了した後も無音の再生が続いていた。そして二分間の沈黙の後、新たに音が聞こえてきた。
雨の音だ。
私はリビングの窓に眼を移した。レースカーテン越しに見える外の世界もまた、雨に覆われている。その時、私はオカモトの作品を理解した。青い線が密集した絵、あれは雨を描いたものだ。
雨音はやがて波の音に変わり、最後には川のせせらぎと鳥の囀りになった。私はそのアーティストが悪戯で収録した、自然音がコラージュされたシークレット・トラックを気に入った。
「ほら、やっぱりな。お前、こういうの好きだろ」
オカモトの声が聞こえた気がした。イヤホンから頭の中に直接流し込まれるその音の洪水と共に、私はリビングの窓の前に立ち、両手でレースカーテンを左右に開けてベランダに出た。
暫くすると雨が上がった。手摺を掴み、身体を捻って空を見上げると、雲間から射し込んだ陽が幾筋もの光の柱を描いている。漸く、涙が滲んできた。
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