勘違いから始まりましたが、最強辺境伯様に溺愛されてます

かほなみり

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最終章 深淵

白い世界

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「花怜ちゃんに手伝って貰いたいと思ってね」


 そう言ってマスターは珈琲を目の前に置いた。
 部屋の隅にはレトロな形のペレットストーブが置かれ、丸い形のケトルがしゅんしゅんと湯気を吹いている。結露で曇った窓から外を見ると、また雪が強く降り出し、帰路を思うと憂鬱になった。
 目の前のカップに手を伸ばし、珈琲の香りに包まれ目を細める。マスターの淹れる珈琲は凄く美味しい。豆からこだわって挽いている珈琲は香りも良くいつも気持ちを落ち着かせてくれる。

「美味しい…」
「ふふ、そうかい?」

 久し振りにマスターから連絡があり向かったそこは、こじんまりとした古民家を改装したカフェ。
 お酒を出すお店ではなくカフェを開きたいと、マスターが自分でせっせとあちこち直していたらしい。

「本当は前のお店を畳む時にもうここに手を付けていたんだけど、どうなるか分からなかったからね、花怜ちゃんには言えなかったんだ」

 ごめんね、とマスターは苦笑いを浮かべる。

「そんな、私なんかに声を掛けて頂いただけで…」
「ピアノもね、用意したんだ。アップライトだけどね、優しい音だよ」

 だから是非、とマスターはニコニコ笑う。

「ありがとうございます、嬉しい…私、キッチンも立ちますから」
「本当? 受けてくれるかい?」
「もちろん! 最近はお菓子も作るんですよ! フルーツのタルトとか好評で!」
「いいね、珈琲に合いそうだね」
「…、珈琲。そうですね、珈琲に合いますね」
「カフェだからね、そんなに手の込んだ料理を提供する予定はないんだよ。他はパンケーキやサンドウィッチを何種類か」
「私、サンドウィッチも凄く作ってて。カツサンドがとっても好評でした。サラダチキンサンドも野菜たっぷりで美味しいって言ってくれて、よくお弁当に入れているんですよ」
「え、なになに花怜ちゃん、お弁当作ってあげるようないい人ができたのかい?」
「え!? いや、えっと…」
「サンドウィッチは作ってあげたんだろう? 喜んでくれたんだね」

 ……喜ぶ?

 その時、机に置いたスマホがブブブ、と鳴った。見るとお母さんからの着信。
 マスターはニコニコと自分も珈琲を飲んでいる。

「……私、スマホ落としたはず…」

 手の中でスマホは鳴り続ける。お母さんからの着信。

「……おかあさん?」
「花怜ちゃん、ケーキ食べるかい? 試作品なんだけど感想聞かせてほしいな」

 マスターが立ち上がりカウンターに戻って行く。

「あ、はいあの、ありがとう、ございます…」

 窓の外はまだ雪が降っている。
 しゅんしゅんとケトルは音を立て、室内を潤す。

 手の中で震えるスマホの通話ボタンを押した。

「……もしもし?」
『もしもし? 花怜?』

 電話から聞こえるお母さんの声に、喉がグッと詰まる。

「お、母さん…」

 ポロポロと涙が溢れた。
 お母さん、お母さんの声。ずっと聞きたかった、お母さんの声。

『花怜、…なた、…そ……なに…てるの?』
「え?」
『花…ん、…やく、戻…なさい』

 ザザザ、と雑音が混ざる。

「お母さん?」
『花…、…やく、もどりな…い…』
「もしもし!」

 ブツリと通話が途切れた。

「花怜ちゃん、はいどうぞ」

 ケーキのお皿を置くマスターの姿が涙で歪む。

「どうしたの? 大丈夫かい?」

 マスターが慌てた様子でティッシュの箱を差し出して来た。

「だ、大丈夫、です、すみません…」

 私……、早く、戻らないと。

「あの、私…帰らないと…」
「もう? そうか、ごめんね引き留めてしまって」

 マスターは優しい笑顔を向けて、じゃあケーキは包もうか、とまた立ち上がった。
 心臓がドキドキする。何か落ち着かない。

「あの、マスター、やっぱりもう帰ります、ケーキはまた今度…」

 コートを手に取り立ち上がった所で、カラン、と音を立ててお店のドアが開いた。

「こんにちは」

 肩に降り積もった雪を払いフードを取るその背の高い人は。

「レオ」
「花怜、雪が酷いから迎えに来た」

 レオが笑顔で片手を上げる。そしてマスターにも挨拶をした。

「わあ、花怜ちゃんのお付き合いしている彼かな?」
「はじめまして。花怜がいつもお世話になっています」
「いやいや、こちらこそ! 今回は急に呼び出してしまってね…どうぞ掛けて、今、珈琲を出すから」
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて」

 レオはそう言うと上着を脱ぎ、私の隣に腰掛けた。

「レオ」
「花怜…どうした? 何かあったのか?」

 レオがそっと、私の頬に残る涙の跡を指で拭う。心配そうに覗き込んでくるその瞳は、私の大好きな深い青い瞳。

「…ううん、大丈夫、何か…なんだろう、急に不安になっちゃって」
「そうか…」

 レオは肩を抱き寄せるとこめかみにそっとキスをした。私を包むその腕に、凄く安心する。

「もうすぐ結婚式だしな…きっと、環境が変わるから色々不安なんだろう」
「もうすぐって…まだ一年くらい先だよ」
「本当…もっと早く出来ないだろうか。耐えられない」

 レオがギュッと私を抱き締めて頭をぐりぐり押し付けてくる。
 ふふっ、可愛い。

「ダメだよ、ちゃんと順番通りにしろって怒られちゃう」
「誰に?」
「それはもう……」

 ……誰に?

「え、なに、二人は結婚するの!?」

 マスターが珈琲を持って席に戻って来た。

「はい。婚約したばかりなんですが、これから先の準備を進めて行く予定です」
「それはおめでとう! なんだい、教えてくれたら良かったのに! いやあ、よかったよかった!」

 マスターは自分の事のように喜んでくれる。
 レオはマスターの珈琲をひと口飲み、ふう、と息を吐いた。

「美味い」
「レオ、珈琲好き?」
「ああ。この珈琲、本当に美味いな」

 その時また、机上でスマホが鳴った。
 ブブッと振動が伝わる。手に取ると、お母さんからのメッセージだった。

「お母さんか?」
「うん、さっきも電話来たんだけど音が途切れてよく分からなかったの」

 メッセージを開くとそこには短く一言。


 ――早く、戻りなさい


「戻る?」
「花怜、どうした」

 隣を見上げるとレオが優しく私を見下ろして、頬を撫でる。
 その手つきに、また何か不安感が過ぎる。

「私、やっぱり…戻らないと」
「戻る? もう帰るか?」

 立ち上がる私を支えるレオの力強い腕。その腕に縋りたくなる。
 でも。

「あの、…大丈夫、一人で帰るよ」
「ダメだ、吹雪が強くなって来ている。一人では帰せない」

 送るから、とレオが自分の分の上着も手に取る。

 ワンッ!!

 外から犬が吠える声が聞こえた。


「…………うる」

 窓の外を見ると、道路の向こうに見覚えのある黒いシルエットが。
 こちらを見て、もう一度 ワンッ と吠えた。

「ウル」
「ウル? なんだそれは」

 隣に立つレオを見上げる。見下ろすその瞳は変わらず優しく蕩けるようで。

「私、行かなきゃ」
「花怜」

 レオの手を振り解き、外へ出る。

「花怜!!」

 後ろで私を呼ぶ声。
 あれは誰だったか。

 外に出た途端、雪に行手を阻まれる。
 前からも後ろからも強風が身体を押し、腕で顔を庇っていても容赦なく巻き上げた雪が叩き付けられる。呼吸もままならない。脚は膝まで雪に埋まり、前に進むのも難しい。
 それでも前方でまた犬の声がした。

「ウル……」

 必死にウルの声がする方へ進む。

 待って、ウル。今行くから。

「花怜!!」

 急に腕を掴まれた。驚いて振り返ると、そこにはレオが。

「危険だ、一人で行ってはダメだ! 一緒に戻ろう!!」

 ギュッと身体を抱き締めてくる。大きな身体、力強い腕に包まれて…でも、違う。
 レオの胸に手を当ててぐっと身体を離す。

「花怜!」

 悲しそうな、泣き出しそうな顔のレオを見て胸が痛む。

 でも違う、ここは私の世界じゃない。

「何も心配する事はない。ここは君の世界だよ」

 レオは掌で私の頬をそっと包み込む。優しく蕩けるような眼差し。

 でも違う、違う。
 だって、約束したから。

「何を?」

 私を…私が、幸せにするって。
 貴方を悲しませるような事はしないって、約束したから。
 ここでは出来ない。

「誰を幸せにするの?」


 ――――レオニダス
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