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第五章 結婚前夜
機会
しおりを挟む「はあ……」
レオニダスが記憶を失ってから二日が経った。
彼とはあの日以降、顔を合わせていない。
(避けられてる、と思う)
屋敷には戻らず、ほとんどを砦で過ごしているらしい。けれど、砦でも顔を合わせることはない。執務室へ行ってもいつも留守。
考えてみれば、彼は身体強化のギフトの持ち主なのだから、私を避けて行動するくらい簡単だろう。
そうだろうけど、でも。
(――このまま記憶が戻るまで、会わないほうがいいのかな)
親しい人々の今を知って、どう思っただろう。
紙にただ記録されただけの彼らの死を、レオニダスはどう思ったのか。
支える、なんて思っていないけれど、私にも彼に伝えられることがある。紙に書かれたことだけでは分からない、ご両親のこと、妹さんが残した素敵なエーリクのこと。彼らがその後どうなったか、どんな思いを残していったか、伝えられる。
お義兄さまにレオニダスのことをちらりと聞いたけれど、どうやら扱いに困っている様子だった。
『二十歳のころのレオニダスって、あんなだったな、そう言えば……』
そんなふうに遠い目をしていたけれど、あんなってどんなだろう。
「どうしました、ナガセ様」
パイプオルガンの前に座ってため息をつく私に、ニルスが声を掛けてきた。
「あ、ごめんなさい、ちょっと考え事を……」
慌てて譜面に視線を戻し、もう一度鍵盤に手を置く。ニルスはそんな私を制して、「休憩にしましょう」と笑いかけた。
「どうでしたか?」
ニルスの部屋へ通されて応接ソファへ腰かける。お手伝いに来ている女性が、香りのいいお茶を目の前に置いた。
手作りだというクッキーも用意してくれて、お礼を言うと優し気に笑う。
入り口に立つアレクセイにも、近くに置かれたテーブルへ用意して勧めると、呼びに来た子供と一緒に礼拝堂へ戻っていった。
ニルスはここへ来たばかりだけれど、街の人といい関係を築いていると思う。人柄だろうか。以前よりも多くの人を教会で見かけるようになった。
「素晴らしいと思いました! 聞いたことがないとは思えないほど、旋律は聖歌そのものでしたし、また新しく音が足されているように感じました」
「そうなんです、少しアレンジというか……、余計なことをしてしまっていないか、気になって」
「いいえ、本当に素晴らしかったです」
ニルスがニコニコと笑顔で言うのを聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。
先日教会の書庫で見つけた見たことのない譜面は、リズムと音の高低を視覚的に表しただけで、音階が存在しなかった。
独特な点の並ぶ譜面を見ながら、子供のころに聖歌を聞いたことがあるというオーウェンさんに手伝ってもらって、音を探した。
全体の点の位置から考えられる音をいくつか鳴らして、どの音が出だしに近いか聞き比べてもらう。
初めの一節さえ決まれば、あとはすぐだった。
感覚で記されたその譜面は、音の位置を記したもの。五線譜と似ていて、理解しやすい。
全体を聞いたオーウェンさんの「いいんじゃないか」という言葉に嬉しくなって、そこから譜面に書き起こして、子供たちが歌いやすいように手を加えた。
「子供たちが楽しく歌えるようにしてくださったのですね」
「親しんで貰えた方がいいと思って」
「はい、私もそう思います」
「それで、どうでしたか? 興味を持ってくれた子はいました?」
ニルスは以前、教会へ来る信者に聖歌隊について声を掛けてみると言っていた。
「ええ、何人か快い返事をもらいました。見学をしてみたいという子もいましたし、興味のある子は多いようです」
「よかった!」
「早速、次いらっしゃるときには集まってみたいと思うのですがいかがですか?」
「ええ、ぜひ! 小さなピアノがあればいいんですけれど」
さすがに礼拝堂にあるパイプオルガンでは練習できない。
「ピアノはさすがにないですね……」
「じゃあ、オーウェンさんに頼もうかな」
「オーウェン殿の店ですか?」
アレクセイが驚いた声を出した。
「うん。昼間とかなら使わせてもらえないかなあ」
「どうでしょうね……ナガセ様の頼みなら聞いてくれるかもしれませんね」
アレクセイは「あの店で聖歌の練習……」と、面白そうに笑っている。
確かにあのお店はお酒を出す場所なんだけど、子どもたちのためならいいって言って……あ、でもオーウェンさんの顔を見て子供たちが怖がるかもしれない。
「私もどこか適当な場所がないか、礼拝へいらっしゃった方々に聞いてみます」
「ありがとうございます」
今度、街の婦人会でも話をしてみよう。
子どもたちだけではなくて、大人たちにも活動をしていることを知ってもらいたいから。
「それで、何か悩み事でも?」
「え?」
「ため息。今日はちょっと多いですね」
ニコニコと優しい笑顔のまま、ニルスはお茶を口にする。
アレクセイへ視線を向けると、彼はクッキーを放り込みながら眉を上げた。彼の足元にいるウルも同じような表情で私を見る。
「ちょっと……、どう接したらいいか分からない人がいて」
レオニダスのことは、もちろん周囲には知られないようにしている。領主の不安定な状態など、広めていいはずがない。
けれど、ニルスの言葉に、この胸にあるモヤモヤを少し吐き出したい、そう思った。
「おや、ナガセ様が迷うなど」
「迷っているわけでは……迷ってるのかな」
「ふふ、その方と話したことはあるのですか?」
「あいさつ程度は」
「なるほど。ナガセ様はもう少しその方とお話をされたいのですね」
彼は緑の瞳を上に向け、考えるようなしぐさを見せた。
「その方はなぜ、ナガセ様とお話をされないのでしょうか」
「なぜ……」
見慣れない人間がそばにいることに対する違和感、気まずさ。知らないところで聞かされる、自分の行動、思い。何も知らないのに勝手に話され、聞かされて、嫌がっている、そんな感じだろうか。
(二十歳なら、ちょっと反抗期的な……面白くないって言う気持ちもありそう)
お義兄さまの表情を思い出す。
――うん、そうかもしれない。
「ナガセ様をどのような方か知らなければ、どんなに話したいと願っても難しいでしょうね。もっとナガセ様自身を知ってもらえる機会があればいいのですが」
「知ってもらう機会……」
顔を合わせることすらほとんどない中で、どうやって知ってもらえばいいだろう。
(――でもそんなの、考えても何も解決しない)
レオニダスにはギフトがある。きっとそれで私の気配を感じて、避けているのかもしれない。でもそれだって、私がそう思っているだけで、違うかもしれない。
「話さないと始まらないですね」
「はい、そう思います」
ニルスは笑顔で、クッキーを一枚口にする。
ウルがそんな私たちを見て、尻尾を一振りした。
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