勘違いから始まりましたが、最強辺境伯様に溺愛されてます

かほなみり

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第五章 結婚前夜

今の自分

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 ベアンハート殿下とヴォワール侯爵夫人を招いて晩餐を開くことをヨアキムとアンナに伝えると、彼らは特に驚くことなく粛々と日程調整と準備に取り掛かった。
 当然だけれど、殿下が辺境へ来た時点で準備をしていたのだ。
 色々ありすぎて頭が回らなかった自分が恥ずかしい……。
 謝る私に、まだ婚約の時点なのだからこれも必要な勉強だと思えばいいと、二人から心強いフォローまでもらってしまった。

「ナガセさまも大変でしょう、教会の聖歌隊も始めたばかりですし」

 部屋で楽譜を睨んでいる私に、アンナが紅茶を淹れてくれた。ありがたくいただいて香りを吸い込めば、こわばっていた身体から力が抜ける。

「みんなと一緒に練習するのは楽しいから、全然大変だとは思わないよ」
「小さな子も多いんですか?」
「そうなの。その子たちはこう、身振り手振りのね、踊りも付けて歌ってもらってるの」
「まあ! かわいいわ」

 こんなふうに、と実際に手を動かしてみせると、アンナはおかしそうに声を上げて笑った。

「本当にかわいいの! みんなにお揃いの衣装を着てもらって、教会でお披露目をしようと思ってるんだ」
「まあ、楽しみです」

 そこへ、コンコンと控えめに扉をノックする音が響く。扉を開けて現れたのは、軍服姿のままのレオニダスだった。

「レオニダス、お帰りなさい」
「ただいま。もう食事は済んだのか?」

 レオニダスはチラリとアンナへ視線を向けながら入り口から声を掛けてくる。
 そう言えば、今の彼になってから私の部屋を訪ねてきたのは初めてのことだ。

「うん、先にいただいちゃった。レオニダスはこれから?」
「ああ。食事を終えたら、その……」

 一向に入ってこようとしないレオニダスに、アンナが煮え切らない様子で、中へ入るよう手で静かに示す。
 レオニダスは恐る恐る、という風情で私に近付いてきた。その様子がなんだかかわいくて、思わずふふっと笑ってしまう。彼はバツが悪そうに顎をさすりながら、私の手元に広がる楽譜に視線を向けた。

「悪い、仕事中か?」
「ううん、子どもたちと一緒に歌う聖歌を楽譜に起こしていたの。何曲かあったほうがいいかなと思って」
「へえ、これはナガセが作曲したのか?」
「昔の曲だよ。子どもたちが歌いやすいように少しアレンジしてるの。レオニダスは聖歌を聴いたことがある?」

 レオニダスへ向かいのソファを勧めると、彼はそっと腰を下ろした。アンナは素早く彼の分の紅茶も用意して、テーブルへ置く。

「子供のころ、伯父上が枢機卿になったときに王都の教会で聴いた。当時はなんだか難しくて何を言っているか分からなかったが」
「これはね、今の言葉に訳してもっと分かりやすいものにしたの。音楽も複雑じゃないよ。みんなが口ずさめるようなメロディにしたんだ」
「聴いてみたい」

 レオニダスがカップを傾けながら視線を私に向けてそう呟いた。

「あ、じゃあ今度、教会で練習もあるし……」
「そうじゃなくて。――ナガセが弾いて、歌うのを聴きたい」
「!」

 彼の言葉に胸がドキッと音を立てる。

『――カレンの歌声は、俺だけのものだ』

 レオニダスが時々そう言っていたのを思い出して、じわりと顔が熱くなった。

「あ、えと、それじゃあレオニダスの食事が終わったら、あの部屋で……」
「ああ。急いで食べる」
「あは、急がなくても大丈夫だよ」
「いや、急ぐよ」

 レオニダスはそう言って立ち上がり、私を見下ろした。

「早く聴きたいから」

 レオニダスは控えていたアンナにまた視線を向けて、そのまま部屋を後にした。

 *

(なんだか……少しだけ以前のレオニダスに戻ってきてる?)

 ピアノのある暖炉の部屋へウルと向い、さっき書き起こしたばかりの曲を弾きながら、レオニダスを思い出す。ウルは暖炉の前で気持ちよさそうに目を閉じている。

(二十歳、なんだよね?)

 ということは年下なんだけど、なんだか少しだけ強引で大人っぽいところがあって……私を好きだと言ってくれたレオニダスみたいな雰囲気が出ることもあって。

(なんだか、ドキドキする……)

 姿は変わっていないしレオニダスなのは間違いないけれど、見たことのない姿にドキドキする。

「ナガセ」
「っ!」

 突然書けられた声にビクリと身体が跳ねた。
 びっくりした!
 振り返ったそこには軍服からくつろいだ姿に着替えたレオニダスが立っていた。

「待ったか?」
「う、ううん、大丈夫」

 オッテが迷わずウルの横にやってきて寝そべるのを見ながら、レオニダスも暖炉前に敷き詰めたクッションの上に腰を下ろした。彼もここが気に入ったみたい。

「今日は悪かったな」
「え?」
「突然晩餐を開くことになって。忙しいのに仕事を増やしてしまった」
「そんなの! レオニダスのせいじゃないよ」

 婚約者なんだから、という言葉は言えずに、なんとなくそのまま鍵盤に視線を落とす。
 気にしてくれていたんだなって、嬉しく思うのを伝えていいのか分からない。だって今のレオニダスが、私をどう思っているのか分からないから。

「ベアンハート殿下をもてなすのはもちろん、キャロラインさまだって辺境へ来た高位貴族の方でしょう? 私たちがもてなすのは当然だよ」
「ああ、キャロラインが侯爵家に嫁いでるなんて驚いた」
「昔から知ってるの?」

 名前を呼ぶのを聞いて、チクリと胸が痛む。
 私の知らないレオニダスの過去に触れそうな瞬間を感じ取って、心がざわざわと落ち着かない。

「キャロラインはコスト伯爵家の令嬢だ。同じ学園に通っていて、アルベルトと仲が悪かった」
「え、お義兄さまと?」

 思いも寄らないところでお義兄さまの名前が出てきて驚いた。
 
「そう。アルベルトは学年が一つ上だが、常に俺と一緒にいた。何かと俺に話しかけてくる彼女を、アルベルトはずいぶん警戒していたんだ」
「それはどうして……」
「彼女の家は経済的に苦しかったからな。そのせいで高位貴族の子息に馴れ馴れしくしていると噂が立っていたんだ。真偽の程は知らないが、今では侯爵家の人間だ。本人もさぞ本望だろうな」

 レオニダスはあまり興味がないような表情をしながらオッテの背中を撫でている。彼の中で、キャロラインさまは学園の同級生、というだけのことなのだろう。

(私はてっきり、昔の彼女とかそんな感じなのかと……)

 いらない心配をしていたのかもしれないと思い、こっそりと息を吐き出す。
 でも、キャロラインさまがレオニダスに向けた笑顔が、なんだかずっと胸に残っていてなんだかモヤモヤする。
 これは、なんだろう。

「彼女はエウラリアとも知り合いだった」
「エウラリアさんと?」
「妹は身体が弱かったから、結局あまり交流はなかったけどな」
「――レオニダスは、エウラリアさんに起こったことを覚えてる?」

 私の言葉に、彼のオッテを撫でる手が止まった。

「ごめんなさい、あの、話したくなかったら……」
「いや、覚えてる。俺にとってはつい最近のことだ」
 
 レオニダスの双子の妹、エウラリアさんは二十歳でエーリクを出産して亡くなったと聞いている。今の彼にとって、これから起こることだったのか、すでに見送ったことだったのか。
 私はどうしても、聞いておきたいと思っていた。

「難産だったからな。だが、新しく命が誕生したのは喜ばしいことだ」
「エーリクだね」
「ああ。名前はエウラリアとウィルが決めていた。ナガセはエーリクと親しいと聞いたぞ」
「うん。私が辺境に来たばかりのころ、言葉がまだ分からないときに、すごく面倒を見てくれたんだよ」
「そうか。優しい子なんだな」

 レオニダスはふっと笑って私を見上げた。その、思いもしなかった優しい表情に胸がぎゅうっと切なくなった。
 胸がどきどきして、思わず視線をそらして鍵盤に指を乗せる。
 ポーン、と静かな部屋にピアノの音が響く。

「――うん、優しくて、強いの。レオニダスみたいに」

 静かに曲を弾き始めれば、私を見上げていたレオニダスの気配がゆったりとリラックスするのを感じた。

「金色の髪に、エメラルドみたいなきれいな瞳だよ。まっすぐで、強くて優しい子。レオニダスが、エーリクをそんな素敵な子に育てたの」

 遠い国で、辺境のために学ぶことを選んだエーリク。今頃は船に乗って、きっと未来に視線を向けているはず。
 希望に満ちた彼の未来に。

「――ナガセ」

 曲を弾き終えて息を吐きだすと、すぐ耳元でレオニダスの低い声がして思わず肩をすくめた。
 
「え、な、なに」

 近くに来ていたことに気が付かなくて思わず動揺してしまった。こんなにそばで彼の息遣いを感じるのは久しぶり。
 両手をピアノについて、私を背後から囲むように覆いかぶさった彼を振り返ることができなくて、ぎゅうっと体に力が入った。

「付き合ってなどいないからな」
「――え?」
「そのことを心配しているんじゃないのか?」

 言葉の意味が分からなくて、つい振り返ったそこにはレオニダスの少しだけ意地悪な瞳があった。碧く揺れる、きれいな瞳。

「皆に毎日聞かされるんだ。俺たちは恥ずかしいくらい仲睦まじいって。俺がナガセを溺愛しているそうだ」

 その言葉に、やっと彼が何を言いたいのか理解して、一気に全身が熱くなった。
 
「なっ、なな、なにを……!」
「だったら、ナガセは? ナガセも俺のことを溺愛しているってことだろう?」
「でっ! 溺愛……!?」
「だから、侯爵夫人が現れて気が気じゃないんだろうなと思った」
「そ、そんなことないから!」
「そうか?」

 私を囲む彼の腕を掌で叩いても、まるでゴムみたいでビクともしない。レオニダスは真っ赤になっているであろう私を見て、笑いながら身体を起こして離れた。心臓がドキドキしてうるさいのを、聞かれたかもしれないと思うとますます恥ずかしい。
 
「ナガセ、俺はアンタを気に入ってるし、アンタと過ごすこの時間も好きだ。だから、思い出す努力もするが――、今の俺もアンタのことをもっと知りたいと思ってる」
「え」
「――と、すまん。アンタなんて呼んでいたらまたアンナに怒られそうだ」

 違うよ、今注目したのはそこじゃないの!
 何を言っていいか分からず混乱する私をよそに、レオニダスはまたクッションの上に腰を下ろす。

「教会の曲が聴きたい」

 胡座をかいて自分の膝に肘をついた彼は、私を見上げて楽しそうに笑う。その自然な笑顔にまた胸が切なくなって、レオニダスに抱きつきたい衝動に駆られた。
 抱きつきたい。
 抱きしめてほしい。
 沸き起こるそんな感情をごまかすために、慌てて譜面を広げながら話題を変える。

「と、ところで、アンナのことが苦手なの? なんだかずっと気にしてるけど」
「苦手なわけじゃない。ただ、なんというか……違和感だな」
「違和感?」
「屋敷にいると思わなかった。オーウェンと暮らしていると思ったのに」
「へえ……。――――え?」

 レオニダスは視線を天井に向けて、昔を思い出すように首を傾げた。

「まあ、軍にいるころから喧嘩の耐えない二人だったから、離婚するのも時間の問題だったんだろう」
「え、えっ!? えええっ!?」

 その夜は、レオニダスの爆弾発言でとてもじゃないけれど歌どころではなかった。 
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