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27 騎士団長の事情4
しおりを挟む人生で、あれほど腹を立てたことはない。
アレックスと口付けを交わした夜、俺は彼女へ想いを伝えようと思っていた。
彼女へ俺のドレスを贈り、愛を伝えて、俺のパートナーとして晩餐会へ出席してほしいと伝えようと思っていた。
そしてあのまま彼女と肌を重ねようとしていた。
なにより、彼女も俺を受け入れてくれたのだから。
『素敵な場所に、連れて行って……』
彼女の煽情的な表情、熱っぽい潤んだ瞳と甘い声に、俺の理性は完全に消失した。
あの夜ついに、俺は愛する女性をこの腕の中に閉じ込められる、そう確信したというのに。
「――なあ、その顔。いい加減なんとかしてくれないか、エイデン」
「生まれつきだ」
「いや、違うだろう……」
フランシスが小さくため息を吐きだした。
「悪かったとは思っている。だが、仕方ないだろう、緊急事態だった」
「分かっている。己の立場も弁えている」
「言っていることと表情が乖離しているんだよ」
「仕方あるまい」
レストランの扉をノックする音を聞いて、俺たちは完全に現実に引き戻された。彼女は慌てて身体を起こし、乱れたドレスを直しながら俺から距離を取った。
彼女の甘く柔らかい身体が離れたことに、どれほど喪失感を感じたことか。
すぐ目の前にいるのに、遠く離れていった。
そう感じるほど、彼女の心が俺から離れたのを感じた瞬間だった。
「ノックしたエヴァンズを切りつけなかっただけ、よかったと思え」
「エヴァンズは斬りつけられたほうが、まだマシだと言っていたぞ」
葉巻の煙を吐き出したフランシスは、眉間を指で挟んで揉みこんだ。そういう仕草は段々陛下に似てきたと思う。
「周辺国の周遊が予定よりも早く終わり、我が国への到着が早まったのは誤算だった」
「警備の準備はできていたから、結果問題はないが、何が起こるか分からない。事前に連絡は欲しいところだ」
「同感だ。あの王女がずいぶんと自由な人らしい」
隣国の王女が奔放な性格をしているとは以前から聞き及んでいた。同行する王子は、どちらかというと子守りのような立場らしい。
「隣国との関係を私の代でさらに強くしようという意向が貴族院でも上がっている。早く着て、滞在期間が延びるのは喜ばしいことだよ。彼らが興味を示している交易に関しても話ができるからな」
「そのために警護がさらに必要なことも承知している。問題ない、俺の仕事だ」
「だから、言っていることと表情が乖離しているんだよ」
どうしろというのだ。
あれから彼女とまともに連絡が取れないまま、時間だけが経っていった。
彼女からはなんの連絡もなく、俺自身も業務が多忙になり、ほとんど屋敷へ帰ることができずにいた。そんな中で、あのブティックからドレスが完成したと連絡がきた。
二人で選んだドレスは、彼女の美しさを最大限に引き出すものだ。色を選び、宝飾品も俺が用意した。俺の色ばかりで執着が強すぎるかと気後れもしたが、初めて贈るものに他の色を選ぶなど考えられない。
そして何より、選んだ色は彼女の白い肌にとても似合っていた。
(――試合に来てくれるだろうか)
隣国の王子と王女のために御前試合が開催されることになった。
なんでも、王女が競技を観戦するのが好きらしい。
当然、隣国の騎士たちも試合に参戦する。
剣技を競うのはいいことだ。自国内だけでは己の技術を磨くのに限りがある。新たな知見や技術を得るには、新しいものを吸収するに限る。
そのことに何も異議を申し立てるつもりはないし、王族の警護のために多忙になるのは当然のことなので文句などない。
ないのだが。
(早く会いたい)
早く彼女に会いたい。その気持ちばかり沸き起こり、そして何もできない現状にいら立つのだ。
今はただ、せめて御前試合で勝利を上げて、彼女に捧げたいと、そのことだけ考えている。会えないのなら、せめて会ったときに伝えたい言葉を考える。
そして俺の気持ちをまっすぐに伝えたい。
そう思い、俺は目の前の業務と御前試合に神経を集中させた。
*
「――エイデンさま!」
それは、空耳かと思った。
地面が揺れるほどの歓声と人々の熱気に晒され、目の前の騎士の剣を受け止めているときに聞こえた彼女の声。
それは確かに、澄んだ響きで俺に届いた。
(アレックス……!)
ふっと頭に上っていた血が下がり、身体の力が抜ける。途端、目の前の騎士が体勢を崩した。そこから畳みかけるように剣技を繰り返し、胴体めがけて剣を叩きつけて、黒い鎧が大きな音を立てて地面に転がるのを見届けた。
「勝者、エイデン・フリート・フォン・イーゼンブルグ騎士団長!」
わあっ! と歓声が上がり、やっと終わったと大きく息を吐き出す。兜を脱いで礼をして、目の前の騎士へ手を差し出した。
「ああ、気を抜いてしまった」
残念そうに言う騎士も手を差し出し、握手を交わす。
「対戦出来たことに礼を言う。貴殿の力と剣技は目を見張るものがあった」
「私の方こそ礼を言う。だが、悔しいな、負けてしまった」
笑う彼と並び王族席へと向かう。正面では嬉しそうに手を叩く隣国の王女の姿が見えた。
「王女殿下に怒られてしまう」
「競技を見るのが好きだったのだな」
「競技というか、筋肉が好きなんだよ」
「――そう、か」
返答に困る。
ちょっと意味が分からないが、初めて挨拶をしたときに感じた王女殿下の視線はそういうことだったのかと思う。どうやら身体の大きさではこの騎士に負けていない俺に、興味があったようだ。俺に、ではなく、筋肉に。
「おめでとう、イーゼンブルグ卿、素晴らしい戦いだったわ!」
前へ出てきた王女は嬉しそうに頬を染めながら、俺の隣に立つ騎士へも視線を向けた。
「惜しかったわね! まだまだ鍛錬が必要ということかしら?」
「はい。国へ戻ってまた精進いたします」
「では、私もその鍛錬のお手伝いをするわ! 鍛錬の内容を考えなくちゃ駄目ね」
「王女殿下……」
(なるほど、筋肉が好き、とはそういうことか)
困ったように眉尻を下げる騎士を見ながら、視線を王族席の隣へ向けた。
そこに、彼女を見つけて心臓が信じられないほど大きな音を立てた。
(アレックス!)
彼女は白いブラウスに濃紺のツーピースを着て、髪をすっきりとまとめていた。姿勢よく座る彼女の品の良さがにじみ出ている。
(そうだ、初めて出会ったときも彼女は上品で落ち着いた装いだった)
二人で馬を宥めて会話をしたときの彼女。晩餐会で会うときはいつも煽情的で妖艶な姿だが、落ち着いた装いの彼女も美しい。
そして彼女は、ほっとしたような、優しい表情をしていた。
(話がしたい、今すぐ……)
「イーゼンブルグ卿は普段どのような鍛錬を行っているのかしら。参考までに教えてくださらない? どうしたらそんなに大きな身体を維持できるの? 私の騎士にも教えてほしいの!」
「は……」
王女の質問に、隣に立つ騎士がばつが悪そうに俯くのが視界に入り、思わず笑ってしまった。その会話の一瞬の間に、俺はアレックスから目を離した。
そしてまた視線を戻したときには、彼女の姿はそこになかった。
*
「イーゼンブルグ団長、お疲れ様です!」
「おめでとうございます!」
「ああ、ありがとう」
急ぎ控室へ戻り、甲冑を外す。
周囲から祝いの言葉を掛けられるが、それどころではない。
(アレックス、どこへ行った? 見に来てくれたが、だが……)
気持ちばかりが急いて、もどかしい。ガチャガチャと甲冑を外し、近くにいる騎士へ次々と渡す。籠手を外して革の手袋を脱いでいるそばへ、エヴァンズが近付いてきた。
「団長、こちらを」
「なんだ」
「ラトゥリ嬢からです」
「!」
エヴァンズの手から奪うように手紙を受けとり、急ぎ開封する。
『エイデンさま
もしもご都合よろしければ、こちらまでお越しください。お待ちしております。 アレックス』
短いメッセージと場所が書かれたカードを持って、俺は演武場を飛び出した。
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