小さな魔法の物語

かほなみり

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第一章

3


「ご、ごめんなさい……」

 魔術師塔の一角にあるルアドの仕事部屋で、たらいに水を張り上着を洗うルアドの背中に声を掛ける。
 いくら小さいとは言え、人の服に吐き出してしまうなんて……申し訳なくて消えてしまいたい。

「気にすんな。オレも悪かった」

 ちゃんと聞こえたのだろうか、ルアドはそう言うとギュッと上着を絞り、最早何故あるのか分からないほど物に埋まった衝立にバサリとかけた。面倒なのかシャツの上にそのままローブを着ている。

「ちゃんと洗えたか」
「ええ。ありがとう」

 背中を向けたままルアドは「そうか」と言うと、今度は私の部屋から持ってきた本を取り出し手をかざした。
 ふっと本が元の大きさに戻り、それをパラパラと捲る。

 ルアドの仕事部屋に魔法で転移してすぐ、私の様子がおかしいことに気が付いたルアドはすぐに盥と石鹸、新しいハンカチを用意してくれた。
 見えないように蓋付きのバスケットを用意してくれて、更には周囲を積みっぱなしの本や箱で囲み、自分は奥に引っ込んで上着を洗っていたのだ。
 気を遣ってくれている。申し訳ないけれど、とてもありがたかった。
 身体を洗い清めて、水を飲み清潔なハンカチを身体に巻いて、やっと人心地付いた。

「姫さん、アンタ最後に読んでたページ分かるか?」
「ええと、そうね……確かこの辺り、かしら」
「これ? ……これは」

 ルアドは眼鏡の向こうの瞳をギューッと細めて文字を追う。まだ若いのに、眉間のシワが深い。

「……コレは妖精の姿を見るとかいう古代文字だな」
「妖精?」
「昔からの言い伝えだ。さっきまであった物がいつの間にかないとか、ずっとなかったものが翌朝になるとテーブルにあったとか、そういうのは全て妖精の仕業だって」
「まあ、可愛いお話ね」

 ルアドの手元を覗き込むと、小さくなったせいか複雑な古代文字にはもっと細かな装飾のような模様が見えた。

「けどコレ、失くしものを見つけるための古代文字に、もっと複雑な物語が含まれてんなぁ」
「……すごいわね、この美しい文字にそれだけの情報を詰めているなんて」

 花のような曲線を描き、かと思えば放射状に広がる直線、それらが複雑に組み合わされた古代文字は、一文字に様々な意味が込められている。
 私はその文字にそっと手のひらで触れ、すうっと指でなぞり読む時のように声に出して文字を追おうとした。

『――』
「待て!」

 ルアドが小さく、けれど強く声を発した。
 ビクッと身体が揺れ、ピタリと読むのを止める。ルアドを見上げると、険しい顔で私を見下ろしていた。銀縁の眼鏡がキラリと光る。

「……姫さん、アンタこれが読めるのか?」
「え? ええ。すべてではないけれど、少しなら読めるようになったわ」
「声に出して?」
「そうよ? その方が頭に残るんだもの」
「ぅあァ゙! マジか!」

 ルアドは椅子の背に仰け反り天を仰いで盛大に呻いた。それでも私に気を遣って極力声を抑えている。

「姫さん! いいか、これは古代魔法! 呪文なんだよ!」
「そ、そうね?」

 頭を抱えたまま身体を起こし私にズイッと顔を近づけるルアドは、眼鏡の向こうの目を血走らせた。
 
「正確な発音で正しく読めば魔法が発動する。この本は呪文集なんだよ!」
「でも、ちゃんと読めないわよ?」
「だとしても! 何が起こるか分かんねえだろ!?」

 ルアドの真っ青な顔にまた大変なことをしてしまったのかと胸がざわざわと落ち着かなくなる。

「こ、これまでもたくさん古代文字の本を読んできたわ。私以外の人もみんな読んでるでしょう? でも何か起こったことはないのに」

 子供の頃から触れてきた古代文字は、一般的にもきれいな模様だからと、刺繍の文様に使用されている。子どもの持ち物になくさないようにとおまじないをかけたり、無事を祈るためにマントに刺繍をしたり。
 正確にはその意味が分かっていなくても、古くからある言い伝え、というものは皆の生活に馴染んでいるのだ。

「これはその辺の本とは違うんだよ!」

 けれど益々顔を青くしたルアドはグシャグシャと髪を掻きむしり、脚を小刻みに揺らす。これは彼の癖。
 ガタガタとテーブルが揺れて、また気持ち悪くなるのでやめてほしい。
 
「どうしてその辺の本とは違うものが、ルアドの部屋にあったの?」
「ぐ……っ、そ、それは……」

 狼狽し取り乱すルアドを見ていたら、なんだか段々気持ちが落ち着いてきた。今は状況を整理しなくてはならない。ルアドに一旦落ち着いてもらわないと。
 
「……師匠のとこから借りてきた、からだ」
「え?」

 今度はがっくりと項垂れたルアド。青い髪がカーテンのようにその顔を隠す。

「ちょっと師匠の手伝いをした時にさ……面白そうだなって」
「まあ! 勝手に持ち出しちゃ駄目よ」
「ちゃんと借りるって声はかけたんだよ! こんな禁忌本が床に転がってるなんて思わねえし! つうか姫さんだって勝手に持ち出したんだろ!」
「失礼ね、ちゃんと借りるわねって言ったわよ!」

 一緒にしないでほしい!
 そんな私の態度を見てルアドは手のひらで顔を覆いまた項垂れた。

「……ねえ待って、きんき……?」

 ――禁忌本?
 これは、古代魔法の呪文が書かれた禁忌本なの?

 古代魔法が世界から消えてしまった理由。それは、あまりにも強い魔法を使えるようになったからだと言われている。その力に恐れをなした人々が、消し去ったのだと。
 途端にぞわりと寒気がした。私の少ない魔力では発動しないだろうけれど、力のある魔術師がこの本を読んだら、意味が分かれば古代魔法が使えるということ?

「だ、だとしても私の魔力量では発動するわけないわ!」
「そうだ、あり得ない……でも……だとしたら……」

 ブツブツと何かを呟きながら、ルアドは動かなくなってしまった。
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