小さな魔法の物語

かほなみり

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第一章

4


「ルアド?」

 動かなくなったルアドに声を掛けると、ピクリと身体を揺らし、やがてふうっと小さく息を吐きだした。膝の上に両肘を突いて俯いているけれど、私のこの身体ではちゃんと声が聞こえる。

「……姫さん、魔法を発動する最低限の条件は分かるだろ」

 視線だけを上げたルアドが眼鏡から灰色の瞳をのぞかせた。猫のような鋭い瞳が青い髪の向こうで光っている。
 
「もちろんよ」

 ふんっと息を吐きだして、ルアドの顔に向かって手を差し出し指を立てた。
 
「ひとつ、言葉の意味を理解していること。ふたつ、正しく発音できること。みっつ、言葉に魔力を乗せること」

 子供の頃、まず初めに学ぶ魔法の基本。身体に染み付いている常識だ。
 
「そうだ。けど、どんなに言葉にできても魔力が足りなければ発動しない。それじゃあ魔法陣の基本は?」
「その三つに加え、呪文を唱えながら魔法陣に魔力を乗せて描かないと意味がない」

 どんなに本に書いてあるものを正確に書き写しても、その線の、図の意味を理解して詠唱しなければ、それはただの絵になってしまう。

「そうだ。けど魔法と違うのは、その後は書いた本人じゃなくても魔力さえあれば発動できるってことだ」
「そうね」
「読めなくても、こんなふうに誰でも花びらを降らせることができる」

 ルアドがおもむろに本の山に手を伸ばし、紙に書かれた魔法陣をテーブルに置いてトントンと指で叩いた。すると魔法陣が金色に光り、天井から薄ピンク色の花びらがひらひらと舞い降りてくる。

「まあ! 素敵!」
「コレは、オレたちが使う風を巻き起こす魔法陣に、古代文字を組み合わせたものだ。この『花びら』は、数少ない解読された古代文字で、魔術師ならみんな読める。だからこうして魔法陣に組み込めるんだ」

 ふわふわと本が山積みになった室内を舞う花びらは、窓からさす光に照らされて白く淡く輝く。何も意味がないとしても、こんなふうに人の心を掴む魔法が私はとても好きだ。
 
「でも、それだけ読めても花びらが床に現れるだけ。だからこうして、通常使う魔法陣と組み合わせたりする。コレが今の古代文字の使い方だ」
 
 ルアドがトンッと指で魔法陣を叩くと、花びらが溶けるようにすうっと消えた。
 私はぼんやりと、ルアドの顔を見上げた。
 ルアドは私と同じ十八歳。
 孤児院にいたところを、その魔力の強さと才能を見た師匠が引き取り、王城で学ぶことになったほどの人だ。久しぶりに見たけれど、口の中で素早く唱える複雑な詠唱の正確さが益々磨かれている気がする。すごい。
 素直にすごいという気持ちと、羨ましいという気持ちが沸き起こる。

(学ぶって、こういうことなんだわ。知識を得るだけじゃなく、磨き、さらに上を目指すこと……)
「……けどもし、姫さんが正しく意味を理解して読み上げながら古代文字を魔法陣に描いたら?」
「え?」

 ルアドの言葉に意識が戻る。ぼんやりしている場合じゃなかった。

「そんなことはできないわ。私では、描きながら詠唱して途中から魔力が足りなくなるから」
「じゃあアンタに魔力を補助したらどうなる?」
「!」

 魔力の補助。
 膨大な魔力を持つ魔術師が魔石に込めた魔力を利用して、一時的に大きく複雑な魔法を発動することができる。使用すると反動があり、あまり実用的ではないと聞いたことがある。

「姫さんに読ませて、魔法陣を描けっつう奴がたくさん現れるぞ」
「そんなこと……、私、全部分かるわけじゃないのよ。今でもルアドから教えてもらうことが多いのに」
「そこなんだよ。何でアンタが読めて使えるんだ……?」

 ルアドは身体を起こしふうっと深く息を吐きだした。じっと天井を見つめ、視線を私に戻す。

「魔力が少ない姫さんが、人体を小さくするなんて複雑な魔法を本当に発動したとして、だ。オレたちが使う魔法の補助なく純粋な古代魔法を使ったんだとしたら、もしかしたら魔力の少ない人間でも複雑な魔法が使える、それが古代魔法なのかもな」
 
 ルアドは私をじっと見つめ、背もたれに背を預けて腕組みをしたまま黙ってしまった。その視線は私を見ているようで見ていない。空間を、何か違うものを見ている。
 ――なんだかよく分からない。
 古代魔法を私が無意識に読み上げ発動してしまったということなのだろうか。少なくともルアドはそう思っている。
 不安になってルアドの顔を見上げると、その視線に気がついたのか腕を解きガシガシと頭を掻いた。  
 
「……アンタきっと、読み違えたんだよ」
「読み違えた?」
「そう。正しい発音で違うことを言ったんだ。意味を理解しつつ、けどこの本には書かれていない古代文字を無意識に発音した。……だからこの本を見ても分からないだろうな」
「……それは、どういう……」
「間違えた呪文を思い出さないと元に戻れないってこと」
「え? ……えっ!?」

 今度は私が大きな声を出す。こんなに大きく反応したり動いたりするのは初めてかもしれない。そうしないとルアドに伝わらないのだから仕方ない。

「どどど、どうして?」
「基本的に、呪文を解除するには相反する言葉を使うのが一般的だ。それは古代魔法も同じ。アンタが読んだ古代文字が分かればその反対を唱えればいいって単純な話で済むけど、自分を小さくする呪文なんてどうやらこの本には載ってないし、それがどんな呪文なのかも分からない」
「……つ、つまり……?」

 ゴクリと喉を鳴らす。
 ルアドが顔を上げ、私にそっと顔を近づける。眼鏡が明かりを跳ね返し、白く光った。

「――つまり、今は戻るすべがない、ってこと」

 潜めた声で重々しく告げられたそれは、まるで最後通牒のように私の身体を震わせた。
 
「そ、そんな!?」
「だからなんて言ったのか思い出す努力をするしかねぇな」
「そんな!!」

 昨夜は気が散っていて目が滑り、ほとんどちゃんと読めていなかった気がする。そもそも、声に出していたのかどうかも疑問だと言うのに!
 
「ど、どうしよう、みんなになんて言ったらいいの!?」
「それはオレの台詞だよ……」
「どうしよう……!」

 私たち二人は互いに頭を抱え、呻き声を上げた。
 
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