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第一章
9
「なんて気持ちがいいのかしら!」
王女宮の庭に降り立ち、その光を浴びて空気を胸いっぱいに吸い込む。花の香が鼻腔をくすぐり、目を向ければそこには真っ白な木蓮が満開を迎えていた。
「ナァオ」
背中に乗る私を振り返り、じとりと睨むルアド。
「ふふ、ごめん、呑気なこと言うなって言いたいのね」
「ニャア」
「可愛いわよ、ルアド」
「ナァア!」
びっと耳を伏せて牙を剥くルアド。可笑しくてよしよしと頭を撫でるとぷいっとそっぽを向いて歩き出した。低木の植え込みに沿って身を隠すように歩き、庭の隅に誂えられた四阿に移動する。
この時間はいつも私が庭に出て四阿で読書をするので、ルアドも人気がないのを知ってここに来たのだろう。
四阿のテーブルに飛び乗り腰を下ろしたルアドの背中から降りて、庭を見渡した。
ここから王女宮正面の馬車停まりが見える。
そよそよと吹く風を浴びながらそちらをじっと見つめていると、やがて立派な馬車と騎馬が到着した。
(アントレア王国の馬車だわ)
真っ黒な艶めく車体に金色の紋章が光る馬車には双頭の鷲が象られた紋章が光る。遠目ではっきりとは見えないけれど、この国では見ない車体に自然と目が釘付けになった。
身を乗り出すように前のめりになりじっと目を凝らすと、馬車から花束を持った背の高い人物が一人降りてきた。
黒髪に深い緑のマント。
(……あの方ね)
遠すぎて顔はよく分からない。
玄関に出てきた侍女長と何か話をし、花束を渡している。
(……すごく申し訳ないことをしているのよね)
会ったこともない異国の王女を見舞ってくれているというのに、姿も表さず玄関で侍女長と執事長が対応するなんて。今日到着したばかりの王太子を、本来は労り出迎えなければならないのに。
ぼんやりとその姿を遠くから見つめていると、隣でルアドが「ナァ」と鳴いた。
よしよしと頭を撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らす。本当の猫みたいで、思わず笑ってしまった。
まるで他人事のような彼らの姿を遠くから眺め、春のそよ風に吹かれて私はすっかり気が緩んでしまった。
今日は朝からバタバタと忙しく、なんだかこんな姿になった朝の出来事が遠い昔のようだ。
ふと空を見上げると、白い雲がゆったりと流れている。
(……疲れたな)
色んなことが起きた。なんて一日なんだろう。
日差しと気持ちのいい風に吹かれて、段々眠くなってくる。隣のルアドもすっかり気持ちが良くなったのか、くあっと大きな欠伸をした。
ぼんやりと空を見上げていると、急に玄関のほうが騒がしくなった。
何かと思い視線を戻すと、みんながこちらを見て何かを叫んでいる。
ドキリと心臓が跳ねた。
(え、姿が見えてる?)
そんなはずはない。これだけ離れているのだ、いくら何でも見えるはずがない。
「ルアド……起きて」
隣のルアドの身体を揺すると、ルアドが眠そうな顔を上げ前方を見た。目を細めピクピクと耳を前に向ける。すると突然ルアドが立ち上がり、フーッ! と毛を逆立てた。
同時に四阿のすぐ側にある垣根がガサガサッと大きく揺れ、目の前に真っ黒な塊が飛び出してきた。
「ワン!」
「きゃあああっ!?」
犬!?
大きな黒い犬は四阿の柵を飛び込えると、ルアドに向かってもう一度吠えた。
ルアドは完全に毛を逆立て牙を剥き、犬に向かって爪を立て立ち向かう。
「ルアド!」
黒い犬はそんなルアドの反撃を華麗に躱し、地面に落ちたルアドには目もくれず、くるりと向きを変えて私を見た。
茶色の瞳とバッチリと目が合う。
(あ、まずい)
と思ったも時既に遅く。
その大きな犬は尻尾をブンブンと振ったまま、大きく口を開けて私を……パクリ、とくわえた。
その瞬間、まんまるに瞳孔を開いたルアドと目が合った。
(る、るあど!)
私は声にならない悲鳴を上げた。
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