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Doll Jayny
Tatarian aster
しおりを挟む今日はとある男の話をしよう。
自由を求める彼の、
ささやかな朝の時間を。
終わらない日々に、消えた答えを探す。
無駄なことかもしれないが、そんな時間は君のことを思い出すんだ。
ボルの朝は早い。
街が霧に覆われる午前5時。
自然と覚めた目を擦り、店の開店準備に入る。
今は亡き愛妻が縫ってくれたエプロンを身につけ、昨晩で汚れきったテーブルをひとつひとつ拭いていく。
酒を飲むと店の片付けもせずに眠ってしまうため、結局は残った仕事をこうして朝に持ち越すのだ。
窓の外では灰色の波がただ押しては引いてを繰り返している。
海の向こうが見えず、深い霧の中で船の明かりが点滅しては水しぶきをあげた。
男達が漁から帰ってきたのだろう。この時期はうまい魚があがるはずだ。
そんな事を考えながら夕飯のメニューを決めるのがいつもの癖だ。
ふと、1人の老人が港に立つのが目に映った。
港といっても海へ細長く伸びた、ただの木の板を繋いだだけのものだ。その先端に彼は立っている。
その老人はいつも店に来る、やたら上品な老爺だった。
1杯の珈琲を1日かけて喉に流し込み、店の新聞をただ眺めて帰っていくだけ。
街では『アロルド爺さん』なんて名前で慕われ、いつからかは知らないが毎朝爺さんの姿を見るのがボルの日課になっていた。
アロルドは朝になると、何の意味も無く港に訪れるのだ。
暗い海の先を見て、何を思うのかは分からない。
朝日が昇るまでただそこに立つだけの時間を過ごし、目尻に皺を寄せる。
その表情がまるで微笑んでいるように見えて、初めてその姿を目にした時は不覚にも涙を流してしまった。
丁度エリーを亡くした頃だったか、それまでアロルド爺さんが港に来ていた事を知らなかったのだ。
知る余裕がないほど、朝が楽しすぎたせいもあったのかもしれない。
エリーと過ごした静かな朝の開店準備、酒や珈琲を運ぶだけの客との賑やかな時間、店を閉める時に感じるほんの少しの寂しさ……それが全部無くなった時、ふと目に入ったのがあの爺さんだった。
話に聞けば、あの人も妻を亡くしたとか。
この街は難儀な男達が集まる。
自分の進むべき道を見失ったり、過ごすべき時間を忘れたり、そんな人間が海と空を求めて時計のないこの街にやってくる。
だから海も空も見えないこの時間に、それを見つめるアロルドがとても悲しく思えた。
あの霧の先に、今はもう会えない誰かを見ているのではないかと、そんな野暮なことを考えてしまう。
……ジェイもそうだ。
ジェイコブが人並みの生活を送らずに人形ばかりを作っているのは、ニーナへの気持ちをどこに向けたらいいのか分からなくなっているからではないかと、そんな気がしてならない。
初めてアイツに会ったのは何年も前のことだが、あの頃からジェイの顔は変わらないのだ。
今の時間を生きられずに、過去ばかりを見ては子供のように目を背ける。
いつからか表情ばかりが大人びて、そして寂しさを纏うようになった。
自分も、そんな男達と変わらない。
自分がまだ若い頃に始めたこの店は、頬に皺が刻まれるような今の年齢になってもずっとそのままの姿でいる。妻が生きていた頃となんら代わりのない姿のままで。
エリーはそんなこの店にシオンの花を飾っていた。
水やりが面倒だと反対しても、おかまいなしに置かれた紫の小さな花。
『シオンの花言葉を知ってる?
1つの花にもたくさん意味があるけどね、私これが好きなんだ。
それはね。
君を忘れない、っていうの。』
素敵な言葉でしょう?とシオンの花束を抱いてエリーは微笑んでいた。
愛する人の笑顔を喜ばない人間などいないが、それでもずっと、その言葉が引っかかっていたんだ。
「シオンの花言葉はそれだけじゃないって、知ってたんだろ?」
カウンターに置かれたエリーの写真を手に取る。
いつの写真だったろうか。
赤い屋根の前で、エリーとボルが立っているだけの写真。エリーは溢れんばかりの笑顔を浮かべ、隣に立つボルの表情はこれでもかというほど固い。
けれど繋がれた2人の手がとても印象的だった。
そんな写真の隣にこのシオンの花は飾られていた。
ボルが思うシオンの花言葉は、
『遠くにある人を思う。』
たったそれだけの悲しい言葉だった。
エリーは自分がいつか死ぬことを知っていた。
けれどそれを伝えてくれることはなかった。
気づいた時にはもうどうしようもなかったのかもしれない。
そんな彼女の気持ちを考えると、ずきずきと心が痛んだ。
「……知ってたか?
お前が死んだ日、夢を見たんだよ。」
潮風で窓がカタカタと揺れる。
「お前が知らない船に乗ってさ、この街を離れていくんだ。俺にはさようならしか言ってくれなかった。
その割には船が見えなくなるまで、俺から目をそらさなかった。涙をいっぱい浮かべて、それでもずっと俺を見つめるんだ。
あの花は俺も好きだが、花言葉とやらは好きになれねぇ。
……お前には近くにいてほしかった。」
写真に話しかけたって、彼女が言葉を返してくれるわけでもない。
でもこんな時間があるからこそエリーを忘れずにいられるとボルは信じていた。
窓の外がふっと明るくなる。
朝焼けが顔を出し、灰色だった海に水色が広がっていった。
ボーーーーーーーー
船の汽笛が街に響き、ハーバー・タウンに朝がやってくる。
「まぁ……その船の上でよ。
自分の夫は情けねぇ男だって、笑ってくれや」
エリーとの写真をそっと撫で、再びカウンターに置く。
そこにいてくれるだけでいい。
今日も明日も、いつになっても、エリーのことを忘れずにいられる。
自分の中でいつしか約束に変わった『君を忘れない』という言葉は、明日を生きる光になった。
吹き飛んだ寂しさは、夜明けと共に置いてきた。
朝日はいつもの日々を連れてきた。
悲しみに紛れた暖かな思い出を胸に込めて、誰かと同じ時間を過ごしていく。
いつものように訪れた老人はとても穏やかな顔をしていた。
それだけでいい。
たったそれだけで、今日という日が満たされていく。
男達に。
エリーチカに。
美味い酒と、航海の導きがあらんことを。
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