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Doll Jayny
Crocus
しおりを挟む思い出は焼け焦げていく。
フライパンに乗ったトーストのように。
そして、味わいつくしてしまったのなら。
明日には思い出せなくなる。
「ねぇ、起きて。」
「まだ眠い?」
「朝ごはん、出来たのよ。」
「ほら顔を洗って」
『ジェイ』
僕の変な癖。
店の前を通りかかる度に、君との思い出が頭をよぎる。
次の瞬間には忘れてしまうものの、
それを躊躇いたかった後悔が自分を襲った。
自分が自分であることを。
ジェイという人間を、この時怖いと思うのだ。
君の言葉を愛してあげたかった。
思い出にのしかかる、たくさんの言の葉を。
坂道を上がって右手の路地にジェイの店はあった。
赤煉瓦の壁と、木目の扉。本来あった窓は撤去し、ツギハギだらけで作ったショーウインドー。
振り返ればボルの店の赤い屋根がとても小さく見え、その向こうで海が青く揺れていた。船の汽笛に合わせて、驚いた鴎達が空に散る。
ジェイは店の前に立ち、『Jayny』のショーウインドーを覗いた。
すっかり古くなってしまった硝子の向こう、そこに立つ人影にそっと手を添えた。
未だ売れない2体の人形が、カーテンの影からジェイを見つめた。
コーディエヴェルデ人形。
クロムメーレ人形。
コーディエは少年の人形で、深く鈍い青色の瞳をしている。
菫とも評されるこの瞳は、午前の光を通さないアイオライトという宝石で出来ていた。
船乗りはこの石で太陽の位置を、この石の角度による光の色で判断していたらしい、海との関わりが深い石だ。
最近は安価で買えるものが多くなり、巷ではチープだとも言われている。
ジェイはそれを、コーディエにぴったりだと“あの指輪”から石を抜き取って渡したのだ。
コーディエには申し訳ないが、君にはこれが1番似合っていると、そう思って。
一方クロムは少女の人形で、燃えるような鮮やかな赤色の目をしている。
いわずもがな、ルビーの瞳だ。
午後になれば、宝石が暖かな光を反射させ、その瞳の中で輝かせる。
高価な瞳に、高価なドレス。高価なブーツ。
どれも、僕がニーナにしてあげられなかったことをクロムに託した。
クロムは、コーディエと対になる存在だ。
何を見ても心の揺れない少年と、心が無くとも瞳を揺らす少女。
……僕がニーナを亡くした頃、思いがけず襲った悪夢の中で君たちを生んでしまったのだ。
まるで僕らのように。
元はコーディエだけが存在していた。
コーディエは、あの頃の僕を模して作ったんだ。
いつか感情の無い人形たちに……我が子に……心を作ってあげられないかと、そう思ったんだ。
『ニーナが死んだ。』
『この先、誰と生きていけばいい。』
『この先、君との思い出をどこに忘れていけばいい。』
それは建前に過ぎない。
『君を取り戻したい。』
ただ、それだけだった。
そんな僕の絶望をコーディエに注ぎ込んだらいいんじゃないかって、その時はそう思うしかなかったんだ。
人形に心を作ってあげたら、そうしたら僕はその子と生きていけるから。ひとりに耐えきることができるから。
そう思って、君から貰ったアイオライトの指輪から宝石だけを抜き出したんだ。
これが罰だろうか。
コーディエに心は生まれず、その瞳は何をもっても輝かなかった。
店に置いても、コーディエの周りだけ暗く感じた。他の人形たちはきらきらと目を輝かせ、多くの人間に買われていくのに……。
けれどその落胆から数ヶ月後のことだった。
「時を忘れた夜空。光が届かない海の底。
彼はそう呼ぶにふさわしい。
どうだね?この人形を私に売ってはくれないだろうか。」
ひとりの客がそう言った。
やっと罪が報われるような、高揚した気分を最後に味わったのはいつだっただろうか。
誰かの胸にコーディエが抱かれる。我が子が。
『はい、喜んで!』
ただ、それだけでいい。それを言うだけで僕の罪は軽くなる。名前のない罪が。
そして偽りの喜びを手に入れられる。
……けれど、僕は馬鹿だった。
「売り物ではございません。」勝手に動いた口がそう言った。
何故断ったか自分でも分からない。
ただ、
まだ彼を、ここから旅立たせてはいけないと思った。
その理由を探すうち、目に入ったのがニーナの遺品である『ルビーの指輪』だった。
コーディエの瞳になったアイオライトの指輪は、当時貧しかったニーナ……確かまだ20にもなっていなかった頃の彼女が小さい頃から貯めてきたお金でジェイにくれたものだ。
そのお返しにジェイがニーナに渡したものが、このルビーの指輪だった。
『そんな高価なもの、受け取れないわ。』
『君に似合うと思ったんだ。
この指輪を絶対に外さない。だから、君にもつけて欲しい。』
そう言うとニーナはくすくすと笑った。
『婚約者が出来たらどうするのかしらね。』
この時はまだ、結婚なんて考えていなかった。
純粋な恋だったんだ。
顔が一気に熱くなって、ニーナは嬉しそうにしながら僕をからかった。
そんな思い出をひとりぼっちの夜に思い出して、気がついたら頃にはベッドを抜け出し、作業机に向かっていた。
躊躇することなく彼女の指輪からルビーを削り取り、やがて完成したのがクロムメーレだった。
「……馬鹿だよな。」
店の前でそうぽつりと呟く。
項垂れた先に見えたのは、ただの石畳と革靴。
視界の上の方で何かがきらきらと光った。それがクロムの瞳であることはすぐに分かったけれど、なんとなくその目を見つめることが怖くなって、ジェイは店に駆け込んだ。
エプロンを身につけ、箒で店の中を掃く。
舞い上がった埃が窓から差し込む日に照らされた。
『あなたは馬鹿よ。
私はそんな人を愛したんだから。』
午後の光と船の汽笛。
丘の風をメーレは追いかける。
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