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鳥籠ロマネスク
鈴木智景
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いいか、智景。
化け物は目の前におる。
それは絶対に
忘れるんやないぞ。
起きた時、ボンヤリと嫌な夢だと感じた。
けれどよくよく思い出せばそれはただの懐かしい夢で、やたら老人口調の少年が不敵に笑うだけの妄想だった。
隣に置かれた低い鏡台に寝癖のついた自分が映る。
跳ねた黒髪、よれた着物、常時巻かれた襟巻、幼さの残る顔立ち……。
……ふむ、なかなか悪いものじゃない。
これが中年のツマラン作家であれば、ぼうぼうと髭が伸び、見ていられるものではなかっただろうが、私は見目麗しき学生だ。
そこんじょそこらの女どもは可愛いだのなんだのと持て囃すのだろう。
なんだか朝から良い気分になっていると、障子の向こう、縁側の通路から人の走る音が聞こえた。
だんだん近づいたそれはこの部屋の前で止まると、乾いた音を立てて障子を開ける。
「智景先生!起きてください!!
また依頼が来てますよ!!」
「国弘君……朝から五月蝿いな。
あと急に障子を開けるなといつも言っているだろう。日が眩しい。」
姿を現したのは今年で26になる、弟子の齋藤国弘だ。
瓶底のような眼鏡、地味な柄の着物、ひょろひょろとした体型にひょろひょろとした顔立ち。同性から見ても総合32点だろうか。
そんな男が朝っぱらから顔を出すのだ、たまったものではない。
ちなみに私は今年で18だ。年上の男に先生扱いされるのは、まぁ……悪い気にはならない。
「なんですって!?
いいから早く起きてください!朝ごはんが出来てます。食べないと背が縮みますよ!」
「流石にそれは無理があるが、腹は空いた。
すぐに行こう。」
するとプンスカと怒りながら「ちゃんと来るんですよ!」と茶の間の方へと戻っていく。
彼もここに来てだいぶ慣れた。
来たばかりの頃はカチコチと、テストを隠す子供のような態度を取っていたが、今ではあれだ。
「……あれほど可愛げが残っていれば良かったんだが。」
そんなことを呟きながら着物を袴に履き替える。
品のいい紺色だ。臙脂色の襟巻によく映える。
母親の形見であった櫛で髪をとき、姿見で確認してから部屋を出る。
目の前に広がるのは鈴木家自慢の中庭だ。中心の池には鯉が泳ぎ、その周りには自然と名も無き花が咲く。
小さい頃はそれを雑草としか思っていなかったが、今見れば小粒の白い花はなんと美しいことか。
どこからともなく風鈴の澄んだ音が響き、裏路地からは子供たちの騒ぎ声が聞こえた。
「夏か。
そろそろ墓参りにも行かねばな。」
最近独り言が増えた、なんて思いながら朝餉の香りがする方へと足を向けた。
「今日の朝餉はなんだ?」
茶の間の暖簾を潜り、座布団に腰を下ろす。板場が繋がっている台所から齋藤が顔を出し、カチャカチャと椀の音を立てて飯を並べ始めた。
「ご飯とお味噌汁と焼き鮭、あと酢の物です。」
「見事なまでに庶民的だな。安物は嫌いではない。」
向かいに齋藤が腰を下ろし、あとは食べるだけとなった。
「お気に召しませんか?」
「金を多めにやっているのに、お前はケチって安物しか買ってこないというだけだ。
お前も男だ、腹は減る。次からはもう少し豪勢にしてくれ。」
「はぁ。先生がそれでいいと言うなら……今日にでも買い出しに行きます。」
いただきます、と手を合わせ汁物を手にしたところで再び口を開いた。
「それで?
今日の依頼は?」
「あぁ!はい!
これです。まとめておいたのですが……」
齋藤が一枚の紙をこちらに渡した。
ふむ、と焼き鮭を口に入れながらそれらを見るが……警察の目は節穴だろうか。
フツフツと顔が沸騰するような、恥ずかしさではなくハッキリとした怒りが湧き上がってくる。
「……い。」
「はい?」
少年のコメカミが切れた。
「派手ではない!!
派手な事件がまるっきりないではないか!
そして私は黄昏時の殺人事件しか受けぬといつも言っているだろう!全部断れ!!
なんだこれは!!壺が盗まれたダァ?毒殺されたダァ?
“俺”に頼む物事か!!この犬共が!!!」
「ヒッ!俺……!?」
バンとちゃぶ台を叩き、その紙に吠える。
世の中くだらない事件ばかりだ。
これで食っていけというのか。まるっきりなめられているようなものではないか。
暫くハァハァと息が荒くなっていたが、やがてそれが収まり、また飯を喉に通していく。
「こちらは金に困ってはいないのだ。多少事件は選ぶ。
だが働かないのは性にあわん。
……齋藤君、今日は警察の方に行こう。美味い事件があるはずだ。」
飯をかきこみ、目を狼のようにギラつかせる少年。齋藤国弘はそんな先生を見て目を丸くしたものの、小さく返事をして、せっせと外出の準備をするのであった。
朝が終わり、昼が来た頃。
鈴木と齋藤は裏町を歩いていた。ここら一帯は屋敷が多く、しかしながら町並みは近代的かつ懐古的であり、旅行客にも人気のある街だ。
「いやぁ、暑くなって来ましたね。夏が近い証拠でしょうか。」
「そうだな。しかし風があって良かった。
多少は涼しい。」
鈴木のとろとろとした足並みに齋藤が合わせ、店が立ち並ぶ路地の前を通り過ぎていく。
外を歩いていると話が途切れることも多々あるが、齋藤はそれを嫌うらしくなんとなくまた話を繋げてきた。
「所で、そろそろ夏が来ますが襟巻は外されないのですか?」
「ん?」
それそれ、と齋藤が鈴木の臙脂色の襟巻を指差す。
「それでは暑いでしょう。
あっという間に熱中症になってしまいますよ。」
「あぁこれか。そう言えば話してなかったな。」
齋藤が鈴木の弟子になったのは去年の秋頃だった。夏を共にするのは初めてだから理解していないのだろう。
「警察署は遠いからな、ゆっくり話そうか。」
金山、もしくは霊山と呼ばれる場所の山頂には御堂があるもんだ。最近はあまり見かけないがな。
しかしとある地域にはそれらを男児の成人の儀に使うことが多々ある。
衣を纏わせ、必要なだけの飯を持たせ、たった一人で山に行かせるんだ。して御堂へお参りをさせ、家へ帰ってきたらそのオノコは立派な成人となる。
しかしそういう山には人の恨み辛みや、人ならざる魂ってもんがソコカシコにいたりするもんだ。簡単に言や、バケモンってもんさ。
そこで村のオノコがそいつらに取り憑かれないように、オノコの祖父母なんかは襟巻を持たせたんだ。
……何故か分かるか?
バケモンは、首の後ろ……ちょうど髪の生えていない辺りから入って人間に取り憑くらしい。昔からの言い伝えだ。
そしてそれは山以外でも例外ではない。この街でもだ。
黄昏時……逢魔が時というものがあるだろう。
夕日が刺す時間、そのボヤボヤした光のせいで、そこにいるのが果たして人間か、魔物か分からなくなる時間だ。
よくよく見れば魔物がそこらじゅうを闊歩しているのが目に付く。
そいつらはうまく人に取り憑き、なんとも奇妙な格好になるわけだ。
逢魔が時が終わればそいつらは姿を失うが、“逢魔が時が終われば”だ。
その時間はその人間の身体で好き勝手出来てしまう、それが猟奇的な殺人に繋がることは少なくないのだ。
「こういう訳だ。一つ説明が省けたな。
探偵が取り憑かれては意味が無かろう。年中襟巻を付けているのはこういうことだ。
そして私が黄昏時の猟奇的殺人事件しか受け付けないのはツマラン人間の相手をせずに、面白おかしいバケモンの相手をしたいからさ。」
齋藤は口をアングリと開けて固まってしまった。
彼はホラーチックな話が嫌いであり、そしてまた今年18になるばかりの少年がそんな話をするのが驚きであったのだ。
「どうした国弘君。手洗いにでも行くか?顔が青ざめているぞ。」
「い、いいぃえぇ???そんなことないですうう……」
「そうか、ならいい。
犬共は金になる仕事を私に渡したくないだけだ。
解決してしまう前に、私達が魔物の相手をするぞ。」
鈴木は少々足早になり、齋藤はその後をフラフラとついていくのであった。
化け物は目の前におる。
それは絶対に
忘れるんやないぞ。
起きた時、ボンヤリと嫌な夢だと感じた。
けれどよくよく思い出せばそれはただの懐かしい夢で、やたら老人口調の少年が不敵に笑うだけの妄想だった。
隣に置かれた低い鏡台に寝癖のついた自分が映る。
跳ねた黒髪、よれた着物、常時巻かれた襟巻、幼さの残る顔立ち……。
……ふむ、なかなか悪いものじゃない。
これが中年のツマラン作家であれば、ぼうぼうと髭が伸び、見ていられるものではなかっただろうが、私は見目麗しき学生だ。
そこんじょそこらの女どもは可愛いだのなんだのと持て囃すのだろう。
なんだか朝から良い気分になっていると、障子の向こう、縁側の通路から人の走る音が聞こえた。
だんだん近づいたそれはこの部屋の前で止まると、乾いた音を立てて障子を開ける。
「智景先生!起きてください!!
また依頼が来てますよ!!」
「国弘君……朝から五月蝿いな。
あと急に障子を開けるなといつも言っているだろう。日が眩しい。」
姿を現したのは今年で26になる、弟子の齋藤国弘だ。
瓶底のような眼鏡、地味な柄の着物、ひょろひょろとした体型にひょろひょろとした顔立ち。同性から見ても総合32点だろうか。
そんな男が朝っぱらから顔を出すのだ、たまったものではない。
ちなみに私は今年で18だ。年上の男に先生扱いされるのは、まぁ……悪い気にはならない。
「なんですって!?
いいから早く起きてください!朝ごはんが出来てます。食べないと背が縮みますよ!」
「流石にそれは無理があるが、腹は空いた。
すぐに行こう。」
するとプンスカと怒りながら「ちゃんと来るんですよ!」と茶の間の方へと戻っていく。
彼もここに来てだいぶ慣れた。
来たばかりの頃はカチコチと、テストを隠す子供のような態度を取っていたが、今ではあれだ。
「……あれほど可愛げが残っていれば良かったんだが。」
そんなことを呟きながら着物を袴に履き替える。
品のいい紺色だ。臙脂色の襟巻によく映える。
母親の形見であった櫛で髪をとき、姿見で確認してから部屋を出る。
目の前に広がるのは鈴木家自慢の中庭だ。中心の池には鯉が泳ぎ、その周りには自然と名も無き花が咲く。
小さい頃はそれを雑草としか思っていなかったが、今見れば小粒の白い花はなんと美しいことか。
どこからともなく風鈴の澄んだ音が響き、裏路地からは子供たちの騒ぎ声が聞こえた。
「夏か。
そろそろ墓参りにも行かねばな。」
最近独り言が増えた、なんて思いながら朝餉の香りがする方へと足を向けた。
「今日の朝餉はなんだ?」
茶の間の暖簾を潜り、座布団に腰を下ろす。板場が繋がっている台所から齋藤が顔を出し、カチャカチャと椀の音を立てて飯を並べ始めた。
「ご飯とお味噌汁と焼き鮭、あと酢の物です。」
「見事なまでに庶民的だな。安物は嫌いではない。」
向かいに齋藤が腰を下ろし、あとは食べるだけとなった。
「お気に召しませんか?」
「金を多めにやっているのに、お前はケチって安物しか買ってこないというだけだ。
お前も男だ、腹は減る。次からはもう少し豪勢にしてくれ。」
「はぁ。先生がそれでいいと言うなら……今日にでも買い出しに行きます。」
いただきます、と手を合わせ汁物を手にしたところで再び口を開いた。
「それで?
今日の依頼は?」
「あぁ!はい!
これです。まとめておいたのですが……」
齋藤が一枚の紙をこちらに渡した。
ふむ、と焼き鮭を口に入れながらそれらを見るが……警察の目は節穴だろうか。
フツフツと顔が沸騰するような、恥ずかしさではなくハッキリとした怒りが湧き上がってくる。
「……い。」
「はい?」
少年のコメカミが切れた。
「派手ではない!!
派手な事件がまるっきりないではないか!
そして私は黄昏時の殺人事件しか受けぬといつも言っているだろう!全部断れ!!
なんだこれは!!壺が盗まれたダァ?毒殺されたダァ?
“俺”に頼む物事か!!この犬共が!!!」
「ヒッ!俺……!?」
バンとちゃぶ台を叩き、その紙に吠える。
世の中くだらない事件ばかりだ。
これで食っていけというのか。まるっきりなめられているようなものではないか。
暫くハァハァと息が荒くなっていたが、やがてそれが収まり、また飯を喉に通していく。
「こちらは金に困ってはいないのだ。多少事件は選ぶ。
だが働かないのは性にあわん。
……齋藤君、今日は警察の方に行こう。美味い事件があるはずだ。」
飯をかきこみ、目を狼のようにギラつかせる少年。齋藤国弘はそんな先生を見て目を丸くしたものの、小さく返事をして、せっせと外出の準備をするのであった。
朝が終わり、昼が来た頃。
鈴木と齋藤は裏町を歩いていた。ここら一帯は屋敷が多く、しかしながら町並みは近代的かつ懐古的であり、旅行客にも人気のある街だ。
「いやぁ、暑くなって来ましたね。夏が近い証拠でしょうか。」
「そうだな。しかし風があって良かった。
多少は涼しい。」
鈴木のとろとろとした足並みに齋藤が合わせ、店が立ち並ぶ路地の前を通り過ぎていく。
外を歩いていると話が途切れることも多々あるが、齋藤はそれを嫌うらしくなんとなくまた話を繋げてきた。
「所で、そろそろ夏が来ますが襟巻は外されないのですか?」
「ん?」
それそれ、と齋藤が鈴木の臙脂色の襟巻を指差す。
「それでは暑いでしょう。
あっという間に熱中症になってしまいますよ。」
「あぁこれか。そう言えば話してなかったな。」
齋藤が鈴木の弟子になったのは去年の秋頃だった。夏を共にするのは初めてだから理解していないのだろう。
「警察署は遠いからな、ゆっくり話そうか。」
金山、もしくは霊山と呼ばれる場所の山頂には御堂があるもんだ。最近はあまり見かけないがな。
しかしとある地域にはそれらを男児の成人の儀に使うことが多々ある。
衣を纏わせ、必要なだけの飯を持たせ、たった一人で山に行かせるんだ。して御堂へお参りをさせ、家へ帰ってきたらそのオノコは立派な成人となる。
しかしそういう山には人の恨み辛みや、人ならざる魂ってもんがソコカシコにいたりするもんだ。簡単に言や、バケモンってもんさ。
そこで村のオノコがそいつらに取り憑かれないように、オノコの祖父母なんかは襟巻を持たせたんだ。
……何故か分かるか?
バケモンは、首の後ろ……ちょうど髪の生えていない辺りから入って人間に取り憑くらしい。昔からの言い伝えだ。
そしてそれは山以外でも例外ではない。この街でもだ。
黄昏時……逢魔が時というものがあるだろう。
夕日が刺す時間、そのボヤボヤした光のせいで、そこにいるのが果たして人間か、魔物か分からなくなる時間だ。
よくよく見れば魔物がそこらじゅうを闊歩しているのが目に付く。
そいつらはうまく人に取り憑き、なんとも奇妙な格好になるわけだ。
逢魔が時が終わればそいつらは姿を失うが、“逢魔が時が終われば”だ。
その時間はその人間の身体で好き勝手出来てしまう、それが猟奇的な殺人に繋がることは少なくないのだ。
「こういう訳だ。一つ説明が省けたな。
探偵が取り憑かれては意味が無かろう。年中襟巻を付けているのはこういうことだ。
そして私が黄昏時の猟奇的殺人事件しか受け付けないのはツマラン人間の相手をせずに、面白おかしいバケモンの相手をしたいからさ。」
齋藤は口をアングリと開けて固まってしまった。
彼はホラーチックな話が嫌いであり、そしてまた今年18になるばかりの少年がそんな話をするのが驚きであったのだ。
「どうした国弘君。手洗いにでも行くか?顔が青ざめているぞ。」
「い、いいぃえぇ???そんなことないですうう……」
「そうか、ならいい。
犬共は金になる仕事を私に渡したくないだけだ。
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