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13.言いづらいこと
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「サフィード様。さっき、階下で宿屋のご主人と通りすがったときに、バチッといったんですけど」
「静電気ですか? 大変ですね」
窓辺に腰掛けて、書き上げた報告書の頁をめくりながら、サフィード様はこちらを見ずに言う。
端正な顔は逆光になっていて、陽光に透けた髪が淡く浮かび上がって輝く。どこまでも絵になる人だな、と僻みっぽく思う。
私はしかめっ面で睨んだ。
「違いますよね。何度か同じことがありましたけど、これ、サフィード様の仕業ですよね」
「そうですか? 随分と確信があるんですね?」
書類を下ろして、サフィード様が私に視線を向ける。偽物の笑みが口許に貼り付いた。うーん、面白いことになるかどうか、様子を見てみますかね? と思っている顔だ。
私は面白くない。サフィード様を面白がらせてあげる義理もないのである。
「サフィード様の光の魔力ですよね。前に、私に無理矢理流し込んだの。あれ以来、誰かと接触すると、バチッとなるんですけど」
「護られているんですね。それは良かった」
「良くないです。老若男女無差別ですよ? いずれ、子供相手にバチッとなってしまったら、罪悪感が半端ないです」
「しかし、日々触れ合っていれば、貴方はどうしても私の魔力を吸収してしまいますからね。いったん体内に入った魔力を抜くには、厳重に接触を避けても半年ぐらいかかるでしょう。それより、他の誰にも触れないように、私の邸の奥深くに篭っていた方がマシなのでは?」
さらりと監禁を仄めかしてきた。
いや、私には分かる。これは冗談だ。……今のところは。
「……選択肢はその二つしかないんですか?」
「私のように、いつも手袋を嵌めるというのはどうです? 高度に魔力を遮断する材質のものを用意しますよ」
「そうですか……じゃあ、お願いします」
一件落着?
というわけではない。私に選ばせる、私に逃げる機会を与える、と言いながら、こんなものを私の中に仕掛けておくなんて、最初から逃がすつもりはなかったんですよね? と、言い募って追及すべきなのである。
しかし、私は溜息をついて、口をつぐんだ。
「……どうしました?」
「いえ。……たいしたことではないんです」
その場に立ち尽くして、ただ力なく垂れた自分の手を見下ろしながら、私はそれだけを答えた。
最近、ふと、頼りなく迷子になったような気分になることがある。その理由も、よく分からないのだけれど。
(……情緒不安定なのかなあ、私)
サフィード様と出会ってからずっと、私は不安定な位置に置かれていたし、実際、精神的にも不安だらけだった。
でも、今ではかなり落ち着いている。無理矢理落ち着かされた、と言えなくもないのだけれど、最近の私は、サフィード様を怖がってはいない。いや、サフィード様が私を怖がらせるような言動を取らなくなった一方で、私以外に対しては相変わらず冷酷無比で残虐非道で慇懃無礼、そして外面だけは完璧なのを眺めながら、私に害が及ばないならいいか……と、そっと目を背けて過ごしているのである。私の良心が試されている。
それはそれとして。状況が落ち着いているのに、逆に、私の気持ちが落ち着いていないのである。
サフィード様の狡いところだと思う。離れられない立場に追い込まれたし、忘れないで欲しいとは言われているけれど、私がサフィード様を好きになるように、とは一度も言われていないのだ。肝心のところで、私の気持ちは手付かずのまま、自由に泳がされている。
(むしろ、「貴方は私を愛していない」とはっきり言われたし)
愛情のない相手をがっちり囲い込むのはどうなのか、とも思うけれど、サフィード様は根本的に鬼畜なので……私を好きなだけで、本性としては人の心を歯牙にもかけない鬼畜なので、と、そこまで考えてから、私はまたもや頭を抱えたくなった。
(私、サフィード様の鬼畜に慣れ親しみすぎでは?)
サフィード様は鬼畜だから、で、全て納得してしまいそうな勢いなのだ。そこで納得してどうする自分。
(……いや、ひょっとして。私、普通の人より、サフィード様の鬼畜っぷりに対して順応性が高いのでは)
命惜しさに従っていたところはあるけれど、本当に耐えられなかったらやっぱり逃げ出していただろう、と今更ながら思う。サフィード様が、私が耐えられるレベルを見極めて行動していた、というのもあるけれど。いや、問題はそこではなくて……
「ディルティーナ。すっかり百面相ですが、何か結論は出ましたか?」
「……サフィード様」
観察されていた。
私がぎち、と錆び付いた人形のようなぎこちない動きで顔を上げると、サフィード様は私を見つめて柔らかく微笑んでいた。お気に入りの玩具かペットを眺めるような目付きだが、それよりは情が深い。実際、サフィード様は私を女性として好きなのだということを、私は知っている。毎晩一緒に寝ていれば分かる。
「……サフィード様。サフィード様は、幸せですか?」
思わず、言葉が口をついて出た。
サフィード様は少し意表を突かれたように、「幸せ? そうですね……」と呟いたが、やがて薄く微笑んで頷いた。
「そうでしょうね。望んだものは全て掌中にあります。十分に満足していますよ」
嘘だな。と直感的に思った。
そして、気付いた。
サフィード様が、私に好きになれ、と言わないのは、それだけはどんなに囲い込んでも得られないものだと知っているからなのでは?
「私には愛情というものが分からない」と言いながら、「貴方を愛していますよ」と言う。「条件が分からない」とも。サフィード様は嘘がつけない。本当に、どうやったら人が人を愛するか、何をすればいいのか分からないのだと思う。ただ、強制的に誰かを愛させることは無理だと知っていて、私の気持ちを無理矢理枉げさせようとはしないだけで。
「サフィード様みたいに鬼畜な人を、不器用と言っていいか分からないんですけれど、サフィード様って実は不器用ですよね」
「……その前置きから結論まで、全てが私の理解を越えていますね。説明して頂けますか?」
「今、気付いたんですが。私、サフィード様の困惑顔は割と好きみたいです」
「……そうですか。残念ですが、だからといって、ひたすら困惑して過ごすわけにもいきませんね」
サフィード様は微笑んだけれど。私はそのとき初めて、「脅迫の笑み」でも「慈愛の籠った冷笑」でもない、どこか綻びのある彼の笑みを見た。
「静電気ですか? 大変ですね」
窓辺に腰掛けて、書き上げた報告書の頁をめくりながら、サフィード様はこちらを見ずに言う。
端正な顔は逆光になっていて、陽光に透けた髪が淡く浮かび上がって輝く。どこまでも絵になる人だな、と僻みっぽく思う。
私はしかめっ面で睨んだ。
「違いますよね。何度か同じことがありましたけど、これ、サフィード様の仕業ですよね」
「そうですか? 随分と確信があるんですね?」
書類を下ろして、サフィード様が私に視線を向ける。偽物の笑みが口許に貼り付いた。うーん、面白いことになるかどうか、様子を見てみますかね? と思っている顔だ。
私は面白くない。サフィード様を面白がらせてあげる義理もないのである。
「サフィード様の光の魔力ですよね。前に、私に無理矢理流し込んだの。あれ以来、誰かと接触すると、バチッとなるんですけど」
「護られているんですね。それは良かった」
「良くないです。老若男女無差別ですよ? いずれ、子供相手にバチッとなってしまったら、罪悪感が半端ないです」
「しかし、日々触れ合っていれば、貴方はどうしても私の魔力を吸収してしまいますからね。いったん体内に入った魔力を抜くには、厳重に接触を避けても半年ぐらいかかるでしょう。それより、他の誰にも触れないように、私の邸の奥深くに篭っていた方がマシなのでは?」
さらりと監禁を仄めかしてきた。
いや、私には分かる。これは冗談だ。……今のところは。
「……選択肢はその二つしかないんですか?」
「私のように、いつも手袋を嵌めるというのはどうです? 高度に魔力を遮断する材質のものを用意しますよ」
「そうですか……じゃあ、お願いします」
一件落着?
というわけではない。私に選ばせる、私に逃げる機会を与える、と言いながら、こんなものを私の中に仕掛けておくなんて、最初から逃がすつもりはなかったんですよね? と、言い募って追及すべきなのである。
しかし、私は溜息をついて、口をつぐんだ。
「……どうしました?」
「いえ。……たいしたことではないんです」
その場に立ち尽くして、ただ力なく垂れた自分の手を見下ろしながら、私はそれだけを答えた。
最近、ふと、頼りなく迷子になったような気分になることがある。その理由も、よく分からないのだけれど。
(……情緒不安定なのかなあ、私)
サフィード様と出会ってからずっと、私は不安定な位置に置かれていたし、実際、精神的にも不安だらけだった。
でも、今ではかなり落ち着いている。無理矢理落ち着かされた、と言えなくもないのだけれど、最近の私は、サフィード様を怖がってはいない。いや、サフィード様が私を怖がらせるような言動を取らなくなった一方で、私以外に対しては相変わらず冷酷無比で残虐非道で慇懃無礼、そして外面だけは完璧なのを眺めながら、私に害が及ばないならいいか……と、そっと目を背けて過ごしているのである。私の良心が試されている。
それはそれとして。状況が落ち着いているのに、逆に、私の気持ちが落ち着いていないのである。
サフィード様の狡いところだと思う。離れられない立場に追い込まれたし、忘れないで欲しいとは言われているけれど、私がサフィード様を好きになるように、とは一度も言われていないのだ。肝心のところで、私の気持ちは手付かずのまま、自由に泳がされている。
(むしろ、「貴方は私を愛していない」とはっきり言われたし)
愛情のない相手をがっちり囲い込むのはどうなのか、とも思うけれど、サフィード様は根本的に鬼畜なので……私を好きなだけで、本性としては人の心を歯牙にもかけない鬼畜なので、と、そこまで考えてから、私はまたもや頭を抱えたくなった。
(私、サフィード様の鬼畜に慣れ親しみすぎでは?)
サフィード様は鬼畜だから、で、全て納得してしまいそうな勢いなのだ。そこで納得してどうする自分。
(……いや、ひょっとして。私、普通の人より、サフィード様の鬼畜っぷりに対して順応性が高いのでは)
命惜しさに従っていたところはあるけれど、本当に耐えられなかったらやっぱり逃げ出していただろう、と今更ながら思う。サフィード様が、私が耐えられるレベルを見極めて行動していた、というのもあるけれど。いや、問題はそこではなくて……
「ディルティーナ。すっかり百面相ですが、何か結論は出ましたか?」
「……サフィード様」
観察されていた。
私がぎち、と錆び付いた人形のようなぎこちない動きで顔を上げると、サフィード様は私を見つめて柔らかく微笑んでいた。お気に入りの玩具かペットを眺めるような目付きだが、それよりは情が深い。実際、サフィード様は私を女性として好きなのだということを、私は知っている。毎晩一緒に寝ていれば分かる。
「……サフィード様。サフィード様は、幸せですか?」
思わず、言葉が口をついて出た。
サフィード様は少し意表を突かれたように、「幸せ? そうですね……」と呟いたが、やがて薄く微笑んで頷いた。
「そうでしょうね。望んだものは全て掌中にあります。十分に満足していますよ」
嘘だな。と直感的に思った。
そして、気付いた。
サフィード様が、私に好きになれ、と言わないのは、それだけはどんなに囲い込んでも得られないものだと知っているからなのでは?
「私には愛情というものが分からない」と言いながら、「貴方を愛していますよ」と言う。「条件が分からない」とも。サフィード様は嘘がつけない。本当に、どうやったら人が人を愛するか、何をすればいいのか分からないのだと思う。ただ、強制的に誰かを愛させることは無理だと知っていて、私の気持ちを無理矢理枉げさせようとはしないだけで。
「サフィード様みたいに鬼畜な人を、不器用と言っていいか分からないんですけれど、サフィード様って実は不器用ですよね」
「……その前置きから結論まで、全てが私の理解を越えていますね。説明して頂けますか?」
「今、気付いたんですが。私、サフィード様の困惑顔は割と好きみたいです」
「……そうですか。残念ですが、だからといって、ひたすら困惑して過ごすわけにもいきませんね」
サフィード様は微笑んだけれど。私はそのとき初めて、「脅迫の笑み」でも「慈愛の籠った冷笑」でもない、どこか綻びのある彼の笑みを見た。
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