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恋が終わるまで

4.ただ今日も貴方の話を

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「懐かしいな。アナリアには、王子だから泣くのを我慢する必要なんてない、と言われたんだ」
「それはそうですね。泣くのを禁じる法律なんてどこにもないですし」
「はは」

 私がいかにも面倒くさそうに返事をすると、王子は少し困ったように目尻を下げながら笑った。

 明るい日差しが降り注ぐ、窓際近くの席。外からは絶えず賑やかな学生たちの声が聞こえてくる。私たちの近くを通り過ぎていく者もいるけれど、影法師のように存在が希薄だ。私の認識阻害魔法すごい。

 私は、レインフォール王子とお近付きになった。

 あれだけ避けていたのに、いざ近付こうとしたら、驚くほど簡単だった。一度、王子の落とし物を拾って届けたら、二人でお茶をしながらアナリア嬢についての話を拝聴する仲にまで昇格していた。これがヒドイン補正?
 世界の意思としては、簡単にお近付きにさせてやるからこのままシナリオ通り逆ハーレム作っちゃえYO! ってことなのだと思うけれど、その手には乗らない。逆ハーメンバーは認識阻害で締め出し済だ。

「アナリアは……あの時……」

 王子のアナリア談は尽きない。愛しい人の話をしているのだと分かる、とても優しい声音で話す。だが、ずっと聞いていると、たまに途中で途切れて、一瞬だけ──ごく一瞬だけ、表情がくしゃりと歪む。考えてはいけないこと。重たく、黒く這い上がってくるような心の染み。王子が、平静を保とうとしているのが伝わってくる。

(我慢しなくていいですよ、王子)

 って言えたらいいんだけども。

 早く、絶対に報われない恋だって気付いて、諦めて、楽になりましょう? なんてことは言えない。思ってはいるけれど。本当は私だって、彼がヒロイン、つまりアナリア嬢と幸せになるところが見たいのだ。一途に恋する人が報われると信じたかったりするのだ。
 もしそんなことが起きたら、どんなに優しい世界だろう。

 無理だと分かっているけれど。

 アナリア嬢は、もう明らかにレインフォール王子に興味が無い。学園でちらりと見かけるとき、彼女の目はいつも凪いでいて、冒険者や魔獣や剣士たちの話を耳にしたときだけ熱を帯びる。外の世界で出会った謎の恋人のことでも考えているんだろう。

 それを間近で見せ付けられながら、レインフォール王子は何も気付いていないかのように振舞う。そして私に、過去の思い出ばかりを大事に語る。ここ数年の記憶がごっそり抜け落ちてしまったんじゃないかと思うぐらいだ。

 彼の恋は、もう過去形でしか語れないのだろう。

 でも、私はそのことを指摘しない。
 明るいテーブルの上で紅茶を啜りながら、ひたすら彼の話に耳を傾け、傷付く彼を知らん振りして眺め、そして待ち続ける。
 あと少しで終わりが来る。それまで何かの儀式を行っているような気持ちで。





 二ヶ月後。夜中、コンコンと私の部屋の窓を叩く音がした。

 聞き間違いかと思った。窓の外は土砂降りの雨で、墨を流したように真っ暗だ。手元のランプを引き寄せ、私は恐る恐る窓を見遣った。黒い影がぼんやりと浮かび上がっている。怖っ!

「……すまない。こんな時間に」
「なんだ、殿下でしたか」

 私が叫び出すより早く、王子が言った。

「すまない。こんな風に、訪ねて来たりして」

 王子が再び謝る。

「いや、いいんですけども。びっしょりじゃないですか、風邪引きますよ? とにかく入って」
「いや、いい。いいからここで聞いてくれ」

 王子は窓辺に立ち尽くしたまま、頑なに部屋に入って来ようとしない。夜中、女性の部屋にやってくるなんて外聞が悪いことだけれど、私は彼に襲われるなんて思ってもいないし、周りの耳目も誤魔化せるから気にしなくていいのに。と思ったが、その時気付いた。

 彼は、泣いているのだ。

 雨だから、びしょ濡れだから誤魔化せる。今も立ち尽くしている彼の上に雨の雫が降り注いでいて、貼り付いた髪から滴り、頬を濡らしている。

「……今日、街に出たんだ。商会との打ち合わせで、役人と話しながら裏通りを通った。そこで、アナリアとすれ違ったんだ」
「……」
「質素な格好をしていたが、一目でアナリアだと分かった。すぐ隣に、冒険者風の帯剣した男がいて、笑いながら、じゃれ合うように小突きあっていた。幸せそうだった。彼女は感情が誤魔化せないんだ。浮き立った足取りで、熱の篭った目で男を見上げていた。男も同じ目をしていて……リリス、私は」

 突然、王子が私の名を呼んだので、私はびくりとした。

 彼が目を上げて私を見た。夜のように暗い目。だが、私の持つランプの灯が、その目の奥に細かな反射光を煌めかせている。

「……そろそろ、認めなければならない。私はアナリアに恋していた。今も愛している。でも、この想いが報われることはない。何をしようと、どれだけ待とうと、全く無意味なのだと」
「……王子」
「君はずっと、私がこの恋を終わらせるのを見ていてくれたんだろう? すまないが、最後まで付き合って欲しい。私の方から、君に何を返せるのかは分からないが」
「勿論、いいですよ」

 私は微笑んだ。

「実は、なんだか友情みたいなものを感じているんです。友達のためということなら、見返りなんていらないでしょう。それで、王子はどうしたいんですか?」
「婚約を破棄したい」

 ああ、今、自分で口にした言葉でぐっさり胸を刺されたんだな、この王子様は。と思った。
 彼が言葉と共に、苦しげな熱い息を吐き出したからだ。

 恋って面倒で、辛いものだな。

「ずっと、本当はそうしなければと思っていたんだ。……せめて、私はアナリアを幸せにしたい」

 うんうん。いい子だね。と言いながら、頭でも撫でてあげたかったけれど、その役割は私のものじゃないだろう。私は我慢した。

「はい。でも、婚約破棄なんて乱暴すぎますよ。円満に話し合って解消しましょう」
「いや、アナリアが未練を残さないよう、私が徹底的に悪役を務めなければ……」
「先走っては駄目です。じっくり考えましょう」

 どうにも今の彼は、勝手に暗い方、暗い方へと突っ走って、無駄に身を滅ぼしかねない。本人も無意識にそうしたい気分なのだろう。

 でも、そうはさせませんからね。

 私は当て馬の貴方を幸せには出来ない。でも、綺麗な幕引きまで見届けて、そう悪くはない結末まで辿り着かせてあげますからね。
 そう心に誓った。
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