内政が楽しくてはしゃいでいたら、「恋愛していなかった罪」で女神様にやり直しさせられました!

雪野原よる

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後編

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「まずは、恋愛という言葉の定義を知らなければなりませんね」

 三度目の人生、再び巡り合ったエーデルフは冷静だった。

 私たちが初めて会うのは私が十四歳、初めて生まれ故郷を出て王都の大聖堂を訪ねた折だったので、今世もそれと同じ状況だ。

 初対面(二回目)のエーデルフは十七歳。前回、お互い皺だらけの老人になったところを見て知っているので、こうして若い姿で相まみえるのが何とも不思議な感じだ。

 エーデルフは元々ほっそりした、いかにも神官らしい体型の男だったが、若い頃は一層細く見える。神官服の立て襟の奥に覗く首筋が白くて、折れそうなほど繊細に見えて、なんだか怖い。

(まだ十七歳だったんだな。前回はすっかり大人に見えていたけれど。それにしても、十七歳で神託を受ける大神官で、王都の大聖堂を牛耳ってるとか、天才か。すごいな)

 私も転生者ゆえに色々と規格外だったので、ついその事実を見過ごしていたのだ。今、改めてエーデルフを見て、その若さと天才ぶりに心底しみじみとした目をしていると、エーデルフが苦笑した。

「……孫を見るような目で見るのは止めて頂けますか? 正直に言うと、私も前回の記憶が残っていますので、どうしても貴方が幼く見えて、生まれてもいない息子の生まれてもいない孫と対面したような気分になっていますが、この状況でそのようなことを言っていても始まらないでしょう」
「それは本当にそう」

 私は頷いた。

 今回、私たちの前に置かれた課題は、これまでにない大難問である。

 恋愛。

「貴方も私も、恋愛なるものについての知識も見識も皆無ですからね……」
「そうだな、まずは定義から考えなければならん状態か」

 私は顎に手を添えてむっつりとした顔を支えた。

 いちいち言動が色っぽくないとか、言葉遣いが令嬢に相応しくないとか、そういうところは見逃して欲しい。何と言っても前世年齢八十九歳以上、そして内政だけに打ち込んだ人生で、初々しい女言葉とか仕草なんてものはとうの昔に失われているのだ。

 こうして若返って新たな人生を歩んでいるので、肉体年齢に引っ張られて精神が若返るかと思いきや、むしろ肉体の方が引き摺られて枯れたような気すらする。乙女心? なんだろうなそれは……。今の私は、暴漢に襲われているところを白馬に乗った王子様が現れて救ってくれたところで、微塵も「トクゥン……」とならない自信がある。女神様的に、あってはならない自信だが。


 そして、それから数ヶ月ほど、私たちは国内外の文物を漁り、広く助言者を探し、有益そうな情報を探し歩いた。そんなことをしていないで、手を繋いで花畑デートでもしていた方がいい? それでさっさと恋に落ちられるような関係なら、私たちもここまで苦労していないのである。


「恋愛小説というものを山ほど読んだが、恋愛の定義に近付くどころか混乱が深まるばかりだ。でも、幾つか定番らしい話の筋を拾うことが出来た」

 その日も、大聖堂の奥深く、ひっそりと存在するエーデルフの私室の一つで、私たちは傍らに山ほど本を積み上げながら報告し合っていた。

「まず、婚約破棄。浮気王子に捨てられた令嬢が王子に反撃し、勝利したところで、唐突に現れた男が『今までずっと貴女が好きだった』と言いながら跪いて求婚する」
「それが恋……恋なのですか?」

 エーデルフが首を捻っている。

「どう考えても、恋というより、単なる政略の誤りではありませんか?」
「私もそう思う。この王子というのは、存在するとは思えないほど愚かでどうしようもない男というのが定番なんだ。まず、そんな王子が世継ぎの座に着けているのがおかしい」
「そんな国でしたら、内政する余地もなく滅びるのではないですか」
「ああ、かなりの割合で滅びるんだ」
「恋愛はどこに行きましたか?」

 これは素朴な疑問というやつである。

 エーデルフの疑問に私では答えることが出来ないので、さっさと次の事例を取り上げることにした。

「女性がひたすら虐げられている恋愛小説も多い。相手の男は浮気を繰り返し、女性を徹底的に無視し、周囲に虐げられていても気付かず、他の男と連れ立った時だけ執拗に付き纏って怒鳴りつける。だが、最後の種明かしとして『不器用で、思ったような行動が取れなかっただけで、本当はずっと好きだった』と言う。それで全て許されてハッピーエンドだ」
「恋愛とは……いったい……?」

 エーデルフが「頭痛が痛い」みたいな顔をしている。

 私は眉尻を下げた。

「……ごめん。色々と読んではみたが、私には納得できる解が見つからなかった。今の王家の状況的に、ちょうど都合よく婚約破棄してくれそうな王子もいないことだし」
「この国を滅ぼすつもりですか?」
「国が滅んだら、もっと強い国の王子に乗り換えるんだよ」
「なるほど、恋愛とはしたたかな側面があるのですね……」


 エーデルフは納得したように頷き、次の瞬間、「いや、納得できてないんですけど?!!!」みたいな物凄い顔の顰め方をしたのだが、一瞬でその表情を引っ込めた。さすがは全国から陰険な頭脳派が集まる教会においても飛び抜けた期待の星、いや違った、どこまでも清廉潔白で生真面目なエーデルフ大神官である。動揺のかけらも見つからない、静まり返った水面のような穏やかな顔をしている。


「では、私からも、考えたことを申し上げましょう。まず、恋愛という言葉の『愛』という文字ですが」

 長く痩せた指が、積み重なった本の革表紙をそっと撫でる。

「これは他の多くの文字と結び付きます。『情愛』『親愛』『友愛』『博愛』『性愛』など。どうやら、どんな言葉とも結び付く、そこに何かしらの情があることを指し示すだけの、いささか軽薄で多情な言葉だと思われますね」

 おい。

 この神官、仮にもあまねく人々に愛をもたらすべき教会の使徒ともあろうものが、『愛』を尻軽だと言って切って捨てたんですけど。いいのかこれ?

 罰当たり過ぎない? 今ここで神罰の雷とか下らない?

 巻き込まれたら嫌だな、と戦々恐々とする私に構わず、エーデルフは優しげな口調で続けている。

「もう一つの言葉、『恋』についてですが。この言葉について、私はなかなかしっくりと来る定義が見付からず、深く悩んだのですが、どうやら、何かを欲しながら手に入らない状態、を指すのではないかと」
「手に入らない状態?」
「そう、欲望を抱いていても満たされない、得られないものに焦がれる、成就しないものの儚さ、といったものを指す言葉です。ゆえに、思春期の渇望や初々しさといったものと相性がいい。得られなかったものほど美化される傾向にありますから、ことさら美しい文言で修飾されることが多い」
「……だとしたら、我々にとってはそれこそ、本当に全く縁がないものでは?」
「いえ、むしろあります」

 エーデルフは言い切った。

 その確信と慈愛(たぶん)に満ちた姿、教会の壇上に立って無数の民を導く聖職者の理想の姿そのものである。

「私たちはほぼ同じ時期に生涯を終えましたが、一度たりとも男女として結ばれたことがありません。つまり、成就しなかったものの儚さ、麗しさの条件を満たしている」
「ん……んん? そうかもしれない……? だけど、それでは女神様が納得しなかったから、やり直しになっているんだろう?」
「万人の目に触れる形で証拠を残すべきです。具体的には、これから私たちが文通する際、それらしき文言を付け加えます。例えば、『私の心の中の永遠の妻』とか、『結ばれることはなくとも、あなたを心から想っています』などという言葉を書いておけば、後の人はこれぞ悲恋、最高の純愛だったと納得してくれるでしょう。要するに、私たちは行動を改める必要はない。ただ、我々の関係に対する外部の認識を書き換えればよいのです」
「なるほど」

 歯の浮くような言葉を書き加えるのは苦痛だが、逆に言えばそれだけで済むのだ。

 最小限の努力で、最大の効果。

 私たちが本当に結婚する必要すらない。つまり、恋愛に時間を取られるはずだった時間が浮く!

「やった! 今世も内政できるぞ!」

 内政! 内政! NAISEI!!

 前回やり切れなかった仕事が私を待っている!

「前回、堤防の厚みが足りなかったせいで洪水が起きたことがあっただろう。今回は最初から備えたいと思うんだけれど」
「そうでしたね、至急、技術者を集めましょう」

 私たちは恋愛的参考文献の山を押しやり、実り多き内政の道を突き進むべく、頭を突き合わせて真剣な話し合いを始めた。

 もちろん、お互いの手紙にそれらしき言葉を加えるのを忘れず、怠らず。地道な努力というやつである。そうして、私がこの世界に生まれ直して八十九年後、この世を去る頃に出版されたエーデルフとの書簡集は「結ばれなかった事実上の国母と偉大なる聖職者の愛の記録」として絶大な人気を誇り、前世を凌ぐベストセラーとなって人口に膾炙したのであった。

 ひそかに互いを想い合いながら、その立場に縛られて結ばれず、口づけすら交わすことがなく、生涯他の相手に目を向けることなく独身で、一途な愛を貫いた二人……なんという崇高な恋愛……全国民が泣いた……演劇の舞台となり、二次創作的な詩が書かれ、吟遊詩人たちが各地で歌い広め、人々の心を永遠に揺さぶる……




 その頃、私は魂だけになって、女神様に滅茶苦茶怒られていた。

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