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後編
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しかも、茶会の席を辞して帰宅すると、そこにはさっきと酷似した地獄が待ち受けているのです。
「嫌! 嫌です~! お姉様の匂いが染み付いたドレスしか着たくありませんわああ」
「聞き分けなさい、ニーナ!」
戸口をくぐった途端に聞こえてくる泣き声。苛立ったお母様の声。
貴族令嬢らしからぬ野蛮さで、廊下にはしたなく寝転んで足をばたつかせているのは、見たくはないのですけれど見慣れた私の妹ニーナです。あんなことをしていながら、愛らしさを完全には失っていないだなんて……世の中の因果律が狂っているのでしょうか。
「あなたにはちゃんとしたドレスを仕立てたばかりではありませんか! それにエレナとあなたのサイズは違うのよ、毎回お直しさせられる針子の苦労も考えなさい!」
「嫌ああ! お姉様の、お姉様のドレスでなきゃ嫌なのおお」
これが地獄というものですわ。
関わり合いになりたくないので、そっと足音を忍ばせて横を通過しようとしたのですが、そこまで廊下は広くありません。すぐさま見つかってしまって、ニーナは虫のようにばたつかせていた足を止めて目を輝かせましたし、お母様は疲れ切った顔を向けてきました。
「お姉様! お姉様のドレスを頂戴な!」
「ニーナ! ……エレナ、ごめんなさいね。この子がうるさくて、かなわなくて……」
「うふふ、お姉様は優しいから、お願いすれば何でも私にくれるのですわ!」
飛び上がって、子犬のように私の後についてくるニーナ。途中からは私を追い越して、私の部屋なのに私より知ったふうに飛び込んでいきましたわ。
「お姉様のお部屋! うーん、殺風景ですわねえ」
「あなたが何でもかんでも奪っていくからでしょう?」
我ながら、力のこもらない嫌味です。
私はとても疲れているのです。ドレスを脱ぎたいので帰ってくれないかしら、と思っていると、ニーナが近づいて来て、無邪気そうなのに邪気しか感じない上目遣いを向けてきます。
「ねえ、お姉様。見て、今日も私、お姉様から頂いたドレスを着ていますのよ」
「あなたが奪ったドレス、の間違いでしょう」
「酷いわ、お姉様!」
酷いと言いながらいかにも嬉しそうな顔、エヴァンジェリン様の妹とそっくりですわ。なぜ、妹というものは、多少の違いはあれど、皆そっくりに似通った性質を持ち、同じようなことを言うのでしょう。
「ほら、お姉様。お姉様の方が背が高いから、私が着るとだぶついてしまいますのよ。でも、それでも着ていますの。お姉様だって、私のドレスを着るたび苦労していらっしゃるでしょう」
「それは、あなたのせい……」
「愛ですわ。合わないドレスを頑張って着ている姿を見るたび、きゅんとしますの」
「だからそれはあなたが奪るからで」
会話が成り立っていませんわ。
「ねえお姉様、ジュール男爵家の姉妹の話をご存じ?」
「急に何の話かしら」
「姉の方に、婚約者が出来たのですって。とても仲良くしてらしたのに、数ヶ月後、あっけなく妹に落ちて、婚約破棄されたそうですの。どう思いまして?」
「どうって、よくある姉妹話だな、と……それが普通になっている世の中が嫌ですけれど」
「まあ、お姉様ったら!」
口に手を当ててコロコロと笑うニーナは、確かに外見だけは可愛らしいのですが。
「そんな他人事じゃなくて、もっと具体的に、自分の身に置き換えて考えてみて下さいな? 他人の婚約者を奪うということは、他人の手垢のついた婚約者、他人の匂いがする男を奪うってことですわ」
「具体的に、と言われても、そんな生々しい方向で考えたいとは思わないのだけれど」
「でもね、お姉様の匂いが染み付いた婚約者でしたら! 私、欲しくなってしまうかもしれませんわ!」
「私はこの会話を止めて、そろそろ休みたいわ」
「ジュール男爵家の妹も、姉と間接キスがしたいから婚約者を奪ったのですって! 健気ですわあ」
「絶対に健気じゃないし私はちょっと鳥肌が立っているわ」
「私なら間接キスで満足したりしませんけど♡」
「今、なんで語尾にハートがついたんですの?」
駄目ですわ。
この子と話していると頭がおかしくなるか、疲労がいや増すばかりです。
「お姉様、婚約者が決まりそうになったら、私に一番に教えてくださいね♡」
やたらと意味深なウインクをしながら部屋を出て行くニーナの語尾にはまたもやハートがついていて、私は心臓を握り潰されたような気分になりました。普通、ウインクされたら心を射抜かれたりするものですわよね。そんな可愛らしい感覚ではありませんでしたわ。
長らく、妹に虐げられることに慣れた私でも、今は身の危険を感じました。
悪い意味でドキドキする心臓を抱えながら、私は責任者の部屋を訪ねることにしました。責任者、それは製造責任者のこと、つまりお父様とお母様のことです。
「何でも姉のものを欲しがる妹」という病気において、父母のやれることはとても少ないとされています。まっとうな家庭であっても破綻した家庭であっても、妹は姉のものを欲しがるのです。これに対する対策は、今のところ、たった一つしか見出されていません。
「家が没落し、凄惨きわまる『ざまあ』が起きれば、妹は姉のものを欲しがるのを止める」
恐ろしい話です。妹の我儘を止めるには、一家が破滅するしかないなんて。
この研究結果が公開された後、多くの親たちが気力を無くし、諦めのまま妹の暴虐を見過ごすことになったと言われています。どのみち、親が止めようが止めまいが、妹は姉のものを奪っていきますので、それで何も変わっていないのですが。
それを考えると、我が家のお母様は頑張っている方だと思いますわ。
お父様は無気力にやり過ごすことにした方です。私とニーナ、どちらにも同じようにドレスを誂えさせ、誕生日のお祝いを贈ってくれますが、ニーナがそれを奪うのを見ても「またか」という顔をするばかりで、止めてはくれません。ですから、私もとうの昔に、お父様に頼る気持ちを失っていたのですが。
「お父様。このままでは確実に、私もニーナも結婚できずに共倒れになりますわ」
「……それほどか?」
私が重々しく告げると、お父様は苦虫を噛み潰したような顔をなさいました。
「それほどですわ。私に婚約者が出来ればニーナが黙っていません。そしてあの子がこの家を出ていくこともありえませんわ。一生、私のものを奪い続けるつもりでいるのですから」
「それは、そうだが……」
「分かっているなら考えて下さい。ニーナを出し抜く策が必要なのですわ」
「むう……」
お父様は生返事をするばかり。
それは、難しいことを言っているのは分かりますけれど、製造責任者として、そして家長としてもっと深刻に考えるべきだと思いますわ。
「このまま、私の貞操が妹に奪われてもよろしいんですのね?」
「て、貞操?!」
「ええ。いいですかお父様、私の石鹸は使うたびに奪われて、一周りほど小さくなった上にたまに齧ったような跡がついて戻ってきますのよ?!」
「?!」
さすがにショックを受けたのか、顔を青褪めさせるお父様。
部屋の扉は少し空いていて、ご機嫌に廊下を闊歩する妹の鼻歌が聞こえてきます。歌の合間に、なにやら楽しそうに呟いていますわ……
「お姉様の枕カバー♡ いい匂い♡ 今日もお姉様と私の枕カバーを交換してきたから、お姉様は私の匂いに包まれて眠るの♡ たまらん♡」
本当に、どうしたらよいのでしょう……
この世は生き地獄、そうとしか言えませんわ。
その後の調査で、この国の貴族令嬢の成婚率がかつてないほど低いことが判明したのですが、その理由は……好きに考えて下さって構いませんわ。私の口からはとても……言いたくないのです。
「嫌! 嫌です~! お姉様の匂いが染み付いたドレスしか着たくありませんわああ」
「聞き分けなさい、ニーナ!」
戸口をくぐった途端に聞こえてくる泣き声。苛立ったお母様の声。
貴族令嬢らしからぬ野蛮さで、廊下にはしたなく寝転んで足をばたつかせているのは、見たくはないのですけれど見慣れた私の妹ニーナです。あんなことをしていながら、愛らしさを完全には失っていないだなんて……世の中の因果律が狂っているのでしょうか。
「あなたにはちゃんとしたドレスを仕立てたばかりではありませんか! それにエレナとあなたのサイズは違うのよ、毎回お直しさせられる針子の苦労も考えなさい!」
「嫌ああ! お姉様の、お姉様のドレスでなきゃ嫌なのおお」
これが地獄というものですわ。
関わり合いになりたくないので、そっと足音を忍ばせて横を通過しようとしたのですが、そこまで廊下は広くありません。すぐさま見つかってしまって、ニーナは虫のようにばたつかせていた足を止めて目を輝かせましたし、お母様は疲れ切った顔を向けてきました。
「お姉様! お姉様のドレスを頂戴な!」
「ニーナ! ……エレナ、ごめんなさいね。この子がうるさくて、かなわなくて……」
「うふふ、お姉様は優しいから、お願いすれば何でも私にくれるのですわ!」
飛び上がって、子犬のように私の後についてくるニーナ。途中からは私を追い越して、私の部屋なのに私より知ったふうに飛び込んでいきましたわ。
「お姉様のお部屋! うーん、殺風景ですわねえ」
「あなたが何でもかんでも奪っていくからでしょう?」
我ながら、力のこもらない嫌味です。
私はとても疲れているのです。ドレスを脱ぎたいので帰ってくれないかしら、と思っていると、ニーナが近づいて来て、無邪気そうなのに邪気しか感じない上目遣いを向けてきます。
「ねえ、お姉様。見て、今日も私、お姉様から頂いたドレスを着ていますのよ」
「あなたが奪ったドレス、の間違いでしょう」
「酷いわ、お姉様!」
酷いと言いながらいかにも嬉しそうな顔、エヴァンジェリン様の妹とそっくりですわ。なぜ、妹というものは、多少の違いはあれど、皆そっくりに似通った性質を持ち、同じようなことを言うのでしょう。
「ほら、お姉様。お姉様の方が背が高いから、私が着るとだぶついてしまいますのよ。でも、それでも着ていますの。お姉様だって、私のドレスを着るたび苦労していらっしゃるでしょう」
「それは、あなたのせい……」
「愛ですわ。合わないドレスを頑張って着ている姿を見るたび、きゅんとしますの」
「だからそれはあなたが奪るからで」
会話が成り立っていませんわ。
「ねえお姉様、ジュール男爵家の姉妹の話をご存じ?」
「急に何の話かしら」
「姉の方に、婚約者が出来たのですって。とても仲良くしてらしたのに、数ヶ月後、あっけなく妹に落ちて、婚約破棄されたそうですの。どう思いまして?」
「どうって、よくある姉妹話だな、と……それが普通になっている世の中が嫌ですけれど」
「まあ、お姉様ったら!」
口に手を当ててコロコロと笑うニーナは、確かに外見だけは可愛らしいのですが。
「そんな他人事じゃなくて、もっと具体的に、自分の身に置き換えて考えてみて下さいな? 他人の婚約者を奪うということは、他人の手垢のついた婚約者、他人の匂いがする男を奪うってことですわ」
「具体的に、と言われても、そんな生々しい方向で考えたいとは思わないのだけれど」
「でもね、お姉様の匂いが染み付いた婚約者でしたら! 私、欲しくなってしまうかもしれませんわ!」
「私はこの会話を止めて、そろそろ休みたいわ」
「ジュール男爵家の妹も、姉と間接キスがしたいから婚約者を奪ったのですって! 健気ですわあ」
「絶対に健気じゃないし私はちょっと鳥肌が立っているわ」
「私なら間接キスで満足したりしませんけど♡」
「今、なんで語尾にハートがついたんですの?」
駄目ですわ。
この子と話していると頭がおかしくなるか、疲労がいや増すばかりです。
「お姉様、婚約者が決まりそうになったら、私に一番に教えてくださいね♡」
やたらと意味深なウインクをしながら部屋を出て行くニーナの語尾にはまたもやハートがついていて、私は心臓を握り潰されたような気分になりました。普通、ウインクされたら心を射抜かれたりするものですわよね。そんな可愛らしい感覚ではありませんでしたわ。
長らく、妹に虐げられることに慣れた私でも、今は身の危険を感じました。
悪い意味でドキドキする心臓を抱えながら、私は責任者の部屋を訪ねることにしました。責任者、それは製造責任者のこと、つまりお父様とお母様のことです。
「何でも姉のものを欲しがる妹」という病気において、父母のやれることはとても少ないとされています。まっとうな家庭であっても破綻した家庭であっても、妹は姉のものを欲しがるのです。これに対する対策は、今のところ、たった一つしか見出されていません。
「家が没落し、凄惨きわまる『ざまあ』が起きれば、妹は姉のものを欲しがるのを止める」
恐ろしい話です。妹の我儘を止めるには、一家が破滅するしかないなんて。
この研究結果が公開された後、多くの親たちが気力を無くし、諦めのまま妹の暴虐を見過ごすことになったと言われています。どのみち、親が止めようが止めまいが、妹は姉のものを奪っていきますので、それで何も変わっていないのですが。
それを考えると、我が家のお母様は頑張っている方だと思いますわ。
お父様は無気力にやり過ごすことにした方です。私とニーナ、どちらにも同じようにドレスを誂えさせ、誕生日のお祝いを贈ってくれますが、ニーナがそれを奪うのを見ても「またか」という顔をするばかりで、止めてはくれません。ですから、私もとうの昔に、お父様に頼る気持ちを失っていたのですが。
「お父様。このままでは確実に、私もニーナも結婚できずに共倒れになりますわ」
「……それほどか?」
私が重々しく告げると、お父様は苦虫を噛み潰したような顔をなさいました。
「それほどですわ。私に婚約者が出来ればニーナが黙っていません。そしてあの子がこの家を出ていくこともありえませんわ。一生、私のものを奪い続けるつもりでいるのですから」
「それは、そうだが……」
「分かっているなら考えて下さい。ニーナを出し抜く策が必要なのですわ」
「むう……」
お父様は生返事をするばかり。
それは、難しいことを言っているのは分かりますけれど、製造責任者として、そして家長としてもっと深刻に考えるべきだと思いますわ。
「このまま、私の貞操が妹に奪われてもよろしいんですのね?」
「て、貞操?!」
「ええ。いいですかお父様、私の石鹸は使うたびに奪われて、一周りほど小さくなった上にたまに齧ったような跡がついて戻ってきますのよ?!」
「?!」
さすがにショックを受けたのか、顔を青褪めさせるお父様。
部屋の扉は少し空いていて、ご機嫌に廊下を闊歩する妹の鼻歌が聞こえてきます。歌の合間に、なにやら楽しそうに呟いていますわ……
「お姉様の枕カバー♡ いい匂い♡ 今日もお姉様と私の枕カバーを交換してきたから、お姉様は私の匂いに包まれて眠るの♡ たまらん♡」
本当に、どうしたらよいのでしょう……
この世は生き地獄、そうとしか言えませんわ。
その後の調査で、この国の貴族令嬢の成婚率がかつてないほど低いことが判明したのですが、その理由は……好きに考えて下さって構いませんわ。私の口からはとても……言いたくないのです。
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