「皇帝陛下! 猫とは結婚できませんよ?!」「余は絶対に結婚する」

雪野原よる

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第五話 やさぐれ女子の事情

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 ひそかに母のように慕っているカシア室長から引き離され、何やら皇帝の寵妃だか愛人だかを巡る陰謀に担ぎ出されたかと思ったら、暴走特急の如く周囲をなぎ倒して走る皇帝陛下の尻拭いがお仕事になっていた。


 ……以上、イシュベル・ファカルガータの現在の状況である。

(意味が分からんし……)

 常に心の中が荒れ果てた野のようになっているイシュベルであるが、今は更にカラッカラに干からびている。

 だが、仕事は仕事だ。

 まるで皇帝の前に這いつくばるように、平身低頭で従う青褪めた店主たちを眺めながら、イシュベルは渾身の可愛らしい笑みを浮かべた。緊張のあまり、ガクッと床に崩れ落ちた店員を、見た目に寄らない怪力で支えながら囁く。

「ご迷惑をお掛けしてごめんなさい(陛下が)。大丈夫、気が済むまで猫ちゃんに貢いだら、何事もなかったかのように帰りますから」

 ほんわかとした笑顔は、男女問わず良く効く。

 真っ青になっていた店員が、釣られてほわ~っとした笑顔になった。緊張が緩み、デレデレした顔になる……前に、イシュベルはすっと身を引いた。誘惑して味方に付けるのはいいが、本気になられては困る。イシュベルはその辺の見極めに真剣である。

「ふむ。猫ちゃんが気に入ったようだ。この店の品を全て買い上げる」

 傲然とした宣言が聞こえてきた。

 惚れ惚れするような傲慢猫モンペムーブというやつである。

(ケッ、この皇帝野郎が!)

 心の中で毒づきながら、イシュベルはにこやかな笑顔で顔を塗り固めたまま、後ろに控える随身たちのうち、支払い担当の者に声を掛けた。

「この店が潰れない程度に買い占めます、と店主に交渉してきてね」
「かしこまりました」

 顔を強張らせていた随身が、ほっと息を吐き出して答える。

 イシュベルはまさしくこの場の潤滑剤だ。皇帝がしでかす奇行(最近は奇行しかしていないのだが)に震える周囲の人々を和ませ、その場が崩壊しないように心を尽くす。イシュベルが皇帝付になってから、皇城では心を病んで退職する人の割合が落ちた、と評判である。

(いや、そんな仕事がしたくて仕官したわけじゃないし)

 そもそもイシュベルは、生まれた町では天才と名高い少女だった。

 帝国は巨大な組織だ。回るために、真に優秀な人材を数多く必要とする。そのために、毎年、身分問わず受けられる国試というものがあり、彼女はそれを受けて士官を目指した。

 だが、筆記試験を優秀な成績で突破した彼女を待ち構えていたのは、舐め回すような嫌な目付きで彼女を見て、嫌らしい質問ばかりを繰り出す面接官であった。

 ちょっとした貴族の血筋であるらしい男に言い放たれた暴言の数々を、今でもイシュベルは執念深く覚えている。イシュベルはその試験で落とされる予定だったのだが、そこでカシア室長が動いた。帝国にとって優秀な人材発掘の場であるはずの試験場で、とんでもない私欲と男尊女卑を剥き出しにした者がいる、と明らかにしたお陰で、イシュベルは無事皇城勤めの身となったのだ。

 イシュベルの「カシア室長大好き」の始まりである。

 だが、ようやく上がった皇城もまた、イシュベルが夢見たような職場ではなかった。罪状をあからさまにされたはずの面接官が、左遷はされたものの五体無事で、似たような男どもに庇われ、味方に囲まれて、大きな顔をしていたのである。

(何これ)

 イシュベルは恐怖した。

 ストレスで吐きそうであった。逃げ出したかったけれど、自分と、周囲の女性たちのために、持っているもの全てで戦わなければならないと理解した。彼女は皇城に上がったばかりの無力な新人で、取れる手段はあまりにも少なすぎた。ただ、彼女はとても、とても愛らしかった。外見が。

 笑顔で擦り寄り、持ち上げ、陥落させた男どもに、例の面接官の悪評を毒のように注ぎ込み、散々貶めること数ヶ月。

 結果は、イシュベルの完全勝利であった。面接官は職を失い、友も家庭も失って、失意のままに地方でのたれ死んだという。快哉を叫ぶしかない。イシュベルは罪悪感を持たなかった。何せ、相手はイシュベル相手にしでかしたどころではない、他にも多数の許されざる犯罪をしでかしていたのだから。反省する脳も持たない性犯罪者は○すべし。

 問題は、イシュベルが採った手段そのものが、彼女自身を傷つけたところにある。

 そもそも、努力と才知で認められたかった。女性としての手管を使ったことなどない、それが彼女の矜持だったのに、その手段を使わなければならないほど追い詰められたのだ。そしてそれが絶大な効果をもたらしたのだから、絶望しかない。

 かくしてイシュベルは、今日もやさぐれながら、にこにこと可愛らしい笑みを湛えているのである。

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