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後日談4 私が辿り着くところに
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私は再び恋をした。
アンバーに言われたことを一言一言、噛み締めながら城に戻って、その夜眠りにつき、翌朝目を覚ましたときは、完全に恋に落ちていた。
我ながら軽いと思う気持ちと、今度こそ大丈夫、という確信と、悲観と楽観が交互にやってきて──悲観はあまり長続きしなかった。これが、恋に浮かれているというやつなのだろう。全身に活力が満ち溢れて、悪いことを考えづらくしてしまうのだ。
でも、私は本当に、今度こそ失敗したくなかったから、こそこそと海底図書館に通っては、アンバーと穏やかに言葉を交わし、それからまたこそこそと帰っていくだけの日々を送っていた。
弱気? それはもう、本当に弱気で弱腰です!
前の恋の結末があれだったのだから、仕方がない。
アンバーはいつも私を歓迎してくれているみたいだったし、石版から顔を上げて、いつでも私の会話に付き合ってくれた。私を見るとき、うっすら笑みを湛えてすらいた。普段はあまり笑うことさえない人なのに。
(好感は持って貰えていると思うけれど……いや待て、私)
彼は私のために髪を切ってくれるぐらいには好意的だ。でも、私の相手をしてくれるのは、私が人間の世界の知識を持っているせいかもしれない。ただの図書館仲間としてしか思われていないのかもしれない。
などなど、色々と自分にブレーキを掛けながら、「やっぱり、結構好かれているのでは?」という思いが胸の半ば以上を占める中で、私はそれなりに幸せに過ごしていた。今のところ片思いだけれど、王子に恋していた時とは全然違う。毎日ドキドキして、海の底の世界が煌めいて見える。
「シアン!」
お姉さまたちに呼ばれて、お城で開かれる豪華な夜会に出たり、高貴な方々に挨拶して回ったりするのも慣れた。
大人として扱われたり、子供のように甘やかされたり、いい所どりをさせて貰っていて、それに甘える私はまだまだ子供なのだけれど──「いつかお祖母さまみたいになりたい」などと言って、お祖母さまにまた泣きそうな顔をさせてしまったりした。
でもやっぱり、一番好きなのは海底図書館の、静かな棚の奥で過ごすひとときで。
顔を上げて私を見るアンバーの目が、薄明るい部屋で光るさま。丁寧に眼鏡の弦を押さえて外す仕草や、低く声を抑えて話すところも好きだった。灰色の髪に篭っていた小さな泡がほどけて、上に昇っていく時ですら見惚れて、いつまでも見ていたかった。
「西の方に海底火山の火口があって、その辺りから金が採掘されたんだ」
アンバーは感慨深そうに、古い記録を照らし合わせていて、
「数百年前はダイアモンドも見つかったらしい。人間たちはダイアモンドを好むというが、ここでは単に、光のない曇った塊だからな」
「人間たちは石を磨くのが好きなのだと思うわ。それに色んな形にして、太陽の光に透かすとキラキラ光るのが好きみたいで」
「なるほど。君も光る石が好きか?」
「私は真珠が一番好き」
私は笑って、髪に纏いつけた真珠の飾り紐を指し示した。
数日前、特に理由も言わずにアンバーがくれたのだ。凄いわ、やっぱり私、好かれているんじゃない?(自惚れ)
堪えきれず、嬉しそうな笑いが滲み出てしまう。
私たち姉妹は、小さな頃から海底で真珠を拾い集めるのが好きで。私も、漂着物のブリキ箱いっぱいに小さな真珠を詰めて持っていたのだけれど、それは全部、お姉さまたちの短くなった髪を飾るために使ってしまった。それは全然後悔していないのだけれど、アンバーはそれを知って、私に新たな真珠を贈ってくれたのかもしれない。
ただの友情だとしても、私の好きになった人が優しい人だという事実が、私の胸を明るくする。
「ありがとう、アンバー」
改めてお礼を言うと、アンバーは愛しむような笑みを唇の端に浮かべた。
「いや。君が幸せだと、皆喜ぶ」
「……貴方も?」
「もちろん」
簡潔に、迷いのない口調だった。だからその言葉は、すとんと私の胸の中に落ちてきた。
「君が幸せなのが、私の一番の幸福だ」
アンバーに言われたことを一言一言、噛み締めながら城に戻って、その夜眠りにつき、翌朝目を覚ましたときは、完全に恋に落ちていた。
我ながら軽いと思う気持ちと、今度こそ大丈夫、という確信と、悲観と楽観が交互にやってきて──悲観はあまり長続きしなかった。これが、恋に浮かれているというやつなのだろう。全身に活力が満ち溢れて、悪いことを考えづらくしてしまうのだ。
でも、私は本当に、今度こそ失敗したくなかったから、こそこそと海底図書館に通っては、アンバーと穏やかに言葉を交わし、それからまたこそこそと帰っていくだけの日々を送っていた。
弱気? それはもう、本当に弱気で弱腰です!
前の恋の結末があれだったのだから、仕方がない。
アンバーはいつも私を歓迎してくれているみたいだったし、石版から顔を上げて、いつでも私の会話に付き合ってくれた。私を見るとき、うっすら笑みを湛えてすらいた。普段はあまり笑うことさえない人なのに。
(好感は持って貰えていると思うけれど……いや待て、私)
彼は私のために髪を切ってくれるぐらいには好意的だ。でも、私の相手をしてくれるのは、私が人間の世界の知識を持っているせいかもしれない。ただの図書館仲間としてしか思われていないのかもしれない。
などなど、色々と自分にブレーキを掛けながら、「やっぱり、結構好かれているのでは?」という思いが胸の半ば以上を占める中で、私はそれなりに幸せに過ごしていた。今のところ片思いだけれど、王子に恋していた時とは全然違う。毎日ドキドキして、海の底の世界が煌めいて見える。
「シアン!」
お姉さまたちに呼ばれて、お城で開かれる豪華な夜会に出たり、高貴な方々に挨拶して回ったりするのも慣れた。
大人として扱われたり、子供のように甘やかされたり、いい所どりをさせて貰っていて、それに甘える私はまだまだ子供なのだけれど──「いつかお祖母さまみたいになりたい」などと言って、お祖母さまにまた泣きそうな顔をさせてしまったりした。
でもやっぱり、一番好きなのは海底図書館の、静かな棚の奥で過ごすひとときで。
顔を上げて私を見るアンバーの目が、薄明るい部屋で光るさま。丁寧に眼鏡の弦を押さえて外す仕草や、低く声を抑えて話すところも好きだった。灰色の髪に篭っていた小さな泡がほどけて、上に昇っていく時ですら見惚れて、いつまでも見ていたかった。
「西の方に海底火山の火口があって、その辺りから金が採掘されたんだ」
アンバーは感慨深そうに、古い記録を照らし合わせていて、
「数百年前はダイアモンドも見つかったらしい。人間たちはダイアモンドを好むというが、ここでは単に、光のない曇った塊だからな」
「人間たちは石を磨くのが好きなのだと思うわ。それに色んな形にして、太陽の光に透かすとキラキラ光るのが好きみたいで」
「なるほど。君も光る石が好きか?」
「私は真珠が一番好き」
私は笑って、髪に纏いつけた真珠の飾り紐を指し示した。
数日前、特に理由も言わずにアンバーがくれたのだ。凄いわ、やっぱり私、好かれているんじゃない?(自惚れ)
堪えきれず、嬉しそうな笑いが滲み出てしまう。
私たち姉妹は、小さな頃から海底で真珠を拾い集めるのが好きで。私も、漂着物のブリキ箱いっぱいに小さな真珠を詰めて持っていたのだけれど、それは全部、お姉さまたちの短くなった髪を飾るために使ってしまった。それは全然後悔していないのだけれど、アンバーはそれを知って、私に新たな真珠を贈ってくれたのかもしれない。
ただの友情だとしても、私の好きになった人が優しい人だという事実が、私の胸を明るくする。
「ありがとう、アンバー」
改めてお礼を言うと、アンバーは愛しむような笑みを唇の端に浮かべた。
「いや。君が幸せだと、皆喜ぶ」
「……貴方も?」
「もちろん」
簡潔に、迷いのない口調だった。だからその言葉は、すとんと私の胸の中に落ちてきた。
「君が幸せなのが、私の一番の幸福だ」
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