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8.空気は作れる
満月宮の地下には、巨大な宝物庫がある。
と言われている。
山一つ分の大きさがあるとか、湖一つ分だとか、国土の半分はある巨大な空隙だとか言われているが、正確なところは、シグヴァルに訊ねても「忘れた」という返事しか返ってこないので、判然としない。彼が特に関心を抱いている風でもないので、ハリエルにとっても、格別に気にかけることもない場所、だったのだが。
「父上。……今、我々はどこに向かっているのでしょうか」
沈黙に耐えかねて、ハリエルは言った。
戦後処理を終え、帝都に帰還して、まださほど経っていない。父の補佐を務めるハリエルの執務机に、大量の請願書が積み上がっていて、これから徹夜で片付けねばと思っていたところだ。
いつものことながら、唐突に現れたシグヴァルに引っ張っていかれたのである。……どこへ? ハリエルにもよく分からない。
目の前には、階段が暗がりの中に続いている。空気は乾いて冷たい。降りていく二人、シグヴァルとハリエルの靴音だけが、闇の中にコツコツと響く。
「満月宮の地下だ」
「宝物庫ですか?」
「そんな感じの場所だな」
そんな感じ。随分と、形容する言葉が軽い。
ハリエルが眉をひそめて、さらに問い掛けようとしたとき、シグヴァルが立ち止まり、くるりと振り向いた。
「ハリエル。余は、絶望したのだ」
「……は?」
「物事には、それなりのムードというものがある。これからお前に見せるもの、お前に負わせるものの重みを考えれば、我々の間の空気が盛り上がっているに越したことはない。余は、それを踏まえて、なるべくロマンチックな雰囲気にしようと試みてきたのだ。それこそ、幾度となくな」
「……そうだったのですか?」
「だが、どう試みようとも、無残な結果しか引き出せん。何かと妨害が働いて、余の邪魔をするのだ。だから、発想の転換をする。まさに天才の思いつきだとは思わんか? 経緯は諦めて、結果だけを取り入れればよいのだ」
(……父上は、何を仰られているのだ?)
ハリエルは自他共に認める父上贔屓、父上大好き人間ではあるが、その彼女でも、父の発想はたまに全く理解できない。人間の常識を超えてくるのである。
「よいか、ハリエル」
憂いに満ちた美少年顔、だが顔以外は少年らしさが皆無のシグヴァルが、がしっと彼女の手を掴んだ。
「想像力を働かせろ。我々がロマンチックな夜を過ごしたという事実はない。だが、そのつもりになるのだ。ロマンチックな空気は作れる」
「は……あの……父上?」
「気合だ。気合を入れろ。我々は今、この世の何物も引き離せない、そんな深すぎる絆で結ばれた境地に到達している。この世にお互い以上に大事なものはない。そんな気分になっているところだ。いいな?」
いいな、と言われましても。
ハリエルの脳裏で、当惑しきった部分がそう呟いたが、ハリエルは元々、父の願いであれば何でも前向きに取り組むようにと、自分を洗脳済みである。
「……はい、父上」
「さすがは我が愛し子だな! よし、これで問題の大半は解決したぞ」
「あの、問題とは、一体?」
「これからお前に、我らが眷属の歴史を全て教え伝える。我々の存在の根幹について、成人した我らの一族としては、そろそろ知っておかねばならないところだ」
「それは……」
ハリエルの心臓が、嫌な音を立てて軋んだ。
全て、先延ばしにしてきた。少しでも、向き合う時を後にできればと。それが今、突然降りかかってくるとは。
「ですが、父上」
目の前が暗くなる。自分の発する言葉が、針のように感じられた。
「私は、……竜ではありません。父上の、子ではないのですから」
「それはそうだろう」
あっさりとした言葉が返ってきた。
「は?」
「お前が、余の血を引いているわけがなかろう? お前は人だ。竜の血など、一滴も入ってはおらん」
「それはそうですが……ですが、では、私は竜の眷属などではなく」
「だが、それでもお前は我々の眷属なのだ」
気が付くと、階段はそこで尽き、目の前には巨大な扉が屹立していた。
その前に立ち、ゆっくりと押し開きながら、シグヴァルが柔らかい笑みを彼女に向けた。
「いいか、ロマンチックな空気だ。我々の間に培ったものを信じろ。お前に対する余の愛を信じろ。お前に悪いことなど何一つ起こらない。これまでも、この先もな」
と言われている。
山一つ分の大きさがあるとか、湖一つ分だとか、国土の半分はある巨大な空隙だとか言われているが、正確なところは、シグヴァルに訊ねても「忘れた」という返事しか返ってこないので、判然としない。彼が特に関心を抱いている風でもないので、ハリエルにとっても、格別に気にかけることもない場所、だったのだが。
「父上。……今、我々はどこに向かっているのでしょうか」
沈黙に耐えかねて、ハリエルは言った。
戦後処理を終え、帝都に帰還して、まださほど経っていない。父の補佐を務めるハリエルの執務机に、大量の請願書が積み上がっていて、これから徹夜で片付けねばと思っていたところだ。
いつものことながら、唐突に現れたシグヴァルに引っ張っていかれたのである。……どこへ? ハリエルにもよく分からない。
目の前には、階段が暗がりの中に続いている。空気は乾いて冷たい。降りていく二人、シグヴァルとハリエルの靴音だけが、闇の中にコツコツと響く。
「満月宮の地下だ」
「宝物庫ですか?」
「そんな感じの場所だな」
そんな感じ。随分と、形容する言葉が軽い。
ハリエルが眉をひそめて、さらに問い掛けようとしたとき、シグヴァルが立ち止まり、くるりと振り向いた。
「ハリエル。余は、絶望したのだ」
「……は?」
「物事には、それなりのムードというものがある。これからお前に見せるもの、お前に負わせるものの重みを考えれば、我々の間の空気が盛り上がっているに越したことはない。余は、それを踏まえて、なるべくロマンチックな雰囲気にしようと試みてきたのだ。それこそ、幾度となくな」
「……そうだったのですか?」
「だが、どう試みようとも、無残な結果しか引き出せん。何かと妨害が働いて、余の邪魔をするのだ。だから、発想の転換をする。まさに天才の思いつきだとは思わんか? 経緯は諦めて、結果だけを取り入れればよいのだ」
(……父上は、何を仰られているのだ?)
ハリエルは自他共に認める父上贔屓、父上大好き人間ではあるが、その彼女でも、父の発想はたまに全く理解できない。人間の常識を超えてくるのである。
「よいか、ハリエル」
憂いに満ちた美少年顔、だが顔以外は少年らしさが皆無のシグヴァルが、がしっと彼女の手を掴んだ。
「想像力を働かせろ。我々がロマンチックな夜を過ごしたという事実はない。だが、そのつもりになるのだ。ロマンチックな空気は作れる」
「は……あの……父上?」
「気合だ。気合を入れろ。我々は今、この世の何物も引き離せない、そんな深すぎる絆で結ばれた境地に到達している。この世にお互い以上に大事なものはない。そんな気分になっているところだ。いいな?」
いいな、と言われましても。
ハリエルの脳裏で、当惑しきった部分がそう呟いたが、ハリエルは元々、父の願いであれば何でも前向きに取り組むようにと、自分を洗脳済みである。
「……はい、父上」
「さすがは我が愛し子だな! よし、これで問題の大半は解決したぞ」
「あの、問題とは、一体?」
「これからお前に、我らが眷属の歴史を全て教え伝える。我々の存在の根幹について、成人した我らの一族としては、そろそろ知っておかねばならないところだ」
「それは……」
ハリエルの心臓が、嫌な音を立てて軋んだ。
全て、先延ばしにしてきた。少しでも、向き合う時を後にできればと。それが今、突然降りかかってくるとは。
「ですが、父上」
目の前が暗くなる。自分の発する言葉が、針のように感じられた。
「私は、……竜ではありません。父上の、子ではないのですから」
「それはそうだろう」
あっさりとした言葉が返ってきた。
「は?」
「お前が、余の血を引いているわけがなかろう? お前は人だ。竜の血など、一滴も入ってはおらん」
「それはそうですが……ですが、では、私は竜の眷属などではなく」
「だが、それでもお前は我々の眷属なのだ」
気が付くと、階段はそこで尽き、目の前には巨大な扉が屹立していた。
その前に立ち、ゆっくりと押し開きながら、シグヴァルが柔らかい笑みを彼女に向けた。
「いいか、ロマンチックな空気だ。我々の間に培ったものを信じろ。お前に対する余の愛を信じろ。お前に悪いことなど何一つ起こらない。これまでも、この先もな」
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