【完結】2000歳を越える竜である父上と、偽竜と呼ばれる私のはなし

雪野原よる

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9.船

 明かりなどないのに、そこは妙に明るかった。

 巨大な墳墓?

 というのが、ハリエルが最初に抱いた感想だった。

 広い。どこまで広がっているのか、先は茫洋ぼうようとして見渡せず、ただ暗灰色の天井と地面が続いている。空漠たる空間。だが、何もないわけではない。地面には四角い建物、もしくは墓石のようなものが整然と立ち並んでいて、シグヴァルは迷いもせず、その中央にぽっかりと空いた空間の道を歩いていった。

「ここは情報庫だ」
「情報庫?」
「我々がかつて暮らしていた地で蓄積した情報、それに、この地に来てから集積した情報の全てだ。引き出すこともできるぞ」

 彼は立ち止まり、宙に何かを書くような仕草をした。四角い石の一つが鮮やかな光を発し、その上に細かな文字が浮かび上がる。

「西の耕作地帯で不作が起きている、だったな? お前のところに来ていた請願の一つだが。あの一帯の気象、地形、適した作物の情報を、こうやって引き出せる」
「……魔法、ですか?」
「ある意味、そうだな。我々竜種が、この帝国を築き、支配してきたのは、ひとえにこの情報の集積にある。この地に来て数万年、人を導き、繁栄させるのに必要なものだった」

 この地に来て数万年。

 竜とは、別世界からやって来た異種である。というのは、人間のあいだではひっそりと囁かれている話で、ハリエルも耳にしたことがある。だが、本当の事だとは思っていなかった。そもそも、想像が及ばない。

「……竜は、どこからやってきたのですか」
「今、見せる」

 シグヴァルが再び、宙に何かを書く。

 今度は、巨大な画像が浮かび上がった。ただの画像ではなく、動いている。赤と紫、たまに迸るオレンジ、朱色。ガス状のうねりが、たまに噴火のような飛沫を上げながら流れていく。

「……何ですか、これは?」
「我々の棲み処は、熱とガスで出来た蒸気の中で、地面は無かった。そこで我々は、稀に仲間たちと空を駆ける時以外は、空にそれぞれの巣を築いて引き篭もっていた。だが、引き篭もりが過ぎたのだな。数千年に一つしか生まれない卵が、気が付くと数万年に一つというレベルで、そのままでは種の絶滅、というぎりぎりの瀬戸際になっていた」

 シグヴァルの声は淡々としていて、何かの歴史書をそのまま読みながら語っているようだった。
 彼はまだ若い竜なのだ。彼にとっても、遠い歴史の一つでしかないのだろう。

「それで、移住を試みたのだ。我々が生殖可能な生物がいる地、というのが目標となった。数千年かけて船を造り、様々な世界を渡り、その結果、行き着いたのがこの地だ。当時は人間は洞窟に住み、獣の皮を纏っていたという。彼らに耕作を教え、文字を伝え、文明を築かせた。初代の竜たちは、それは楽しんで彼らの成長ぶりを見守っていたらしいな」
「……」

 壮大な話すぎて、なかなか頭に入ってこない。ハリエルは頭を振り、情報を整理しようとして、

「……生殖可能な生物?」
「人の姿に変化すれば、竜と人は生殖可能だ。だが、それもごく限られた相手とだけだ。条件はまだよく分かっていないが、竜が生殖可能な人間は、十万人に一人もいない。それを我々は番と呼んでいるが、竜の寿命をおよそ一万二千年として、生涯に一人の番と出会えるかどうかだ」
「……」
「そういうことだ」

 ハリエルの凝視を受けて、シグヴァルは苦笑した。

「余が竜帝の座にあるのは、余が番のいない若い竜であり、人と触れ合う必要があるから選ばれただけであって、竜の間での上下関係などではない。余に番ができ、次に若い竜が現れれば、余は帝位から退く」
「……」
「ああ、そうだ。余の番はお前だ、ハリエル」






 急転直下。

 だと、ハリエルは感じた。

「……父上の、番が、私?」
「結局、見分けるには性的な成熟が必須だからな。お前が子供のうちは分からなかった。確信を持ったのは、ここ数年のことだ。だが、なんとなく、そうなるだろうとは思っていた」
「……そうなのですか?」
「お前を見るたび、可愛らし過ぎて、愛おし過ぎて、感情が溢れそうだった。竜は基本的に、人に対し愛着を抱かない。余がお前に対してそうなるということは、恐らく、お前は余の番なのだろうと思うのが自然だ」

 軽い微笑みを向けてから、シグヴァルはさらに通路を奥に進んだ。
 その先に、大きな黒い石質の板が横たわっている。巨人のテーブルのようだ。

「ここからは、裁定の時間だ。他の竜族をここに喚び寄せ、お前が余の番、竜の眷属となることを認めさせる。番ができるたびに行う、しきたりのようなものだな。お前が望まぬのなら、ここで余を拒否し、番にならないことも可能だ。……拒否せんよな?」

 にわかに、声に弱気が滲んだ。

「ロマンチックな空気だ、ハリエル。余とお前は今、お互いにめろめろになっているはずだ、そうだろう? な?」
「……父上」
「……」

 ハリエルの視線を受けて、シグヴァルは落ち着かない様子で交差した足を組み替え、視線を逸らした。
 不安でざらついた声で言う。

「……お前が、余の見た目が気に入らんというのなら、もう少し年齢を重ねた姿に変化することもできるぞ。本質は竜で、変化した姿はイメージに過ぎんからな。お前が、もっと大人の男がいいと言うのならば……」
「いえ、父上はそのままで十分です。父上はどんな姿でも、私にとって大事なお方なので」
「大事なお方……」

 シグヴァルは呟き、少し思案するように沈黙した後、

「……うむ。つまり、お前は余が大好きだということだな?」
「それはそうです」

 ハリエルは否定しなかった。否定する理由がない。

 だが、番だの、生殖がどうこうの、唐突かつ立て続けに言われて、彼女の心は危機的状況にあった。理解はできたとしても、実感が追い付いていないのである。

 だが、それでもシグヴァルを否定しないのは、不安げな様子を剥き出しにした父にうっかり胸がきゅんとしてしまったせい、そして、そもそもハリエルが父を拒否するという選択肢がありえないためである。

「……よし。よかろう」

 急激に機嫌を回復したシグヴァルが、近付いて彼女の頭をぽんぽんと優しく叩いた。

「くくく、お前は余が大好きだからな! そうだな、分かっていたぞ、そうだとも!」

 堪え切れず笑いを洩らしながら、彼女の頬を上下に撫で始める。このまま、ハリエルが一言も言わないまま、お互いに溺愛し合っている夫婦が出来上がりそうな流れになってきた。ハリエルとしては、文句を言うつもりもないのだが、

「裁定! 裁定の時は至れり! シグヴァル、こっちを向け!」
「シグヴァル!」「シグヴァル!」

 黒い石板の向こうで、複数の声が重なって吼えた。

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